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入社の決め手は、自分の家族と同じような境遇の人たちの力になれるかもしれないと思ったから。HR担当の僕がつくりたい、LITALICOジュニアの今と未来。
大井 竣平(おおい しゅんぺい)
株式会社LITALICO LITALICOジュニア 児童発達支援事業部 HRヒューマンサポートグループ。 2017年4月に新卒でLITALICOに入社し、 LITALICOジュニア 事業企画グループに配属。 その後、現在の組織人事業務に従事。採用・ 育成・ 離職予防・ 組織開発・ 人事制度企画運用・従業員のキャリア支援などを担当 。1993年生まれ。 北海道出身。 立教大学経営学部卒。
「障害のない社会をつくる」をビジョンに掲げ、お子さま一人ひとりに合わせた支援を提供する教室(児童発達支援や放課後等デイサービスなど)を運営しているLITALICOジュニアでは、現在 一緒にお子さまの支援と向き合う仲間を募集しています。
この連載では、LITALICOジュニアで働く様々な職種の5人のストーリーをお届けします。
▼LITALICOをはじめて知ったのは高校時代。みんなに愛される若き古株社員
LITALICOの中で最も多くの従業員が働く事業部であるLITALICOジュニア。1000名以上のスタッフの採用・育成・登用などを管轄しているHRヒューマンサポートグループで活躍する大井竣平は、2017年新卒入社の現在5年目。若手ながらスタッフのサポートを通して事業全体の成長を支えているLITALICOジュニアのキーパーソンの一人と呼べる存在だ。
そんな彼のLITALICOとの出会いは高校時代にさかのぼる。
「高校2年生から3年生になるタイミングで東日本大震災がありました。当時、札幌の高校に通ってたんですけど、自分たちで何かできないかと思い、高校生の学生団体をつくって、被災地支援に取り組んでいました。その時に、当時大学4年生だった※榎本さんと出会ったんです。彼も別の復興支援の学生団体の代表をしていて、それでしばらく一緒に活動をしていました。そんな榎本さんが就職する会社として初めて※ウイングルのことを知りました」
※榎本大貴…株式会社LITALICO執行役員/クオリティマネジメント室 室長
※ウイングル…LITALICOの旧社名
高校卒業後に上京し、立教大学経営学部に入学。高校時代に出会った榎本と同じタイミングで上京することになった大井は、半年間シェアハウスで生活を共にする。家には榎本と同期の12新卒の社員が頻繁に遊びに来ていたこともあり、この時からLITALICOは大井にとって馴染みのある会社となっていた。
大学では授業やゼミ活動、他社での長期インターンシップなどに没頭をして、しばらくLITALICOとは一定の距離があった。転機となったのは大学3年生の時、榎本からの誘いでLITALICOジュニアの教材検索サイトの立ち上げをアルバイトとして手伝うことになったこと。その後は、LITALICO研究所での事務局業務など、学生時代から様々な業務に取り組んだ。
「新卒で入社したのは2017年なんですけど、2015年の6月からアルバイトをしていたので、社歴はもう7年くらい。ずっとLITALICOで働いているイメージがあるようで、同期の中でも古株扱いされてます。(笑)」
▼就職活動では100社にエントリー。狙いはHRとファミリービジネス
学生時代からLITALICOと深い接点を持っていた大井。就職活動ではLITALICOに絞っていたのかと思いきや意外な答えが返ってきた。
「就職活動はがっつりやってましたよ。大学の先生から、まずは100社エントリーしろ。じゃないとなにもはじまらないと言われたんです。(笑)色々な業界から700社くらい会社をリストアップして、事業の内容や業績を調べてExcelのファイルにまとめて、その中から、実際に100社エントリーしました」
就職活動を進める上で大井の中には2つの大きな軸があった。
「考えていたことが2つありました。1つは、経営学部で学んだことが面白くて、その中でもHR領域、人や組織に関わる分野に興味を持ちました。将来はHRのプロフェッショナルをめざしたいという想いから、人材サービスの企業や事業会社の人事の仕事を探していました。2つ目は、僕の実家が北海道でチーズ工場を営んでいて、将来事業を継ぐかもしれないと思っていました。なので、食品系のメーカーや専門商社、また経営を学ぶという意味で総合商社や経営コンサルティング会社、ファミリービジネスの老舗企業などを検討していました。自分のキャリアを考えた時に、将来はHRのプロになるか、ファミリービジネスをやるか。どちらかの目標のために修行ができる環境という視点で企業を選んでいました。」
結果エントリーした100社は業界や業種は多種多様で、よく「何の軸で受けてるのか全く分からない」と言われたそうだが、彼の中には将来を見据えた上での明確な軸があったのだ。
▼かつての自分の家族と同じような境遇の人たちの力になれるかもしれないと思った
広い視点から様々な企業を見ていた大井が、最終的にLITALICOへの入社を選んだ決め手はなんだったのか。人事機能はどんな会社にでもあるから、HRのプロはどんな会社だって目指そうと思えば目指せるかもしれない。そんな中で、自分が本当に働きたいのはどんな環境なのか。
改めて考えた時、頭をよぎったのは家族の存在だったという。
「僕には弟がいるんですけど、生まれる前から先天性の疾患があることが分かっていて、生後1か月半で亡くなってしまったんです。それが僕が5歳くらいのことで。母はそれからしばらく体調を崩してしまって当時のことはあまり記憶がないような状況でした。そうした弟の存在とずっと向き合っていて、生きていたらどうなっていたのかなとよく考えていました」
幼い頃に経験した弟との突然の別れ。LITALICOに出会ってそのことを考えた時に、「障害のない社会をつくる」というビジョンに向かって進んでいく中で、かつての自分たち家族と同じような境遇にある人たちの力になることができるかもしれないと思った。
「例えば弟と同じ障害や病気を持って生まれてきた子たちのサポートや、幼い子どもをなくしてしまった親のケア、あるいは幼少期に兄弟や家族をなくしてしまった子どものケアなど、そうした取り組みも将来的にはLITALICOが携われる領域なんじゃないかと思いました。そう考えたら、LITALICOが掲げる「障害のない社会をつくる」というビジョンを実現するためのプロセスの中で、自分の家族と同じような境遇の方々の力にもなっていけると思ったんです」
▼やりたいことをやるって責任がともなうから大変だなと感じていました
LITALICO入社後は学生時代のアルバイトから関わりがあったLITALICOジュニアに配属。
1年目からHR業務を担うことになった。配属時の面談では、「全国どこにでも行って、なんでもします」と伝えていたので、1年目からHR領域に関わることができたのは嬉しい誤算だったという。一方、社会人経験が浅いうちから責任あるポジションを任されたことにプレッシャーを感じる場面もあった。
「結果的に1年目終わりくらいから、元々やりたいと思っていたHR系の仕事が中心になったんですけど、実際に関わりはじめた直後はやりたいことをやるって責任があるから大変だなと感じていました。最初はゆっくりいろんな経験をしてからチャレンジしようと思っていたので、実現したのが想像以上に早くて。でも、追い込まれてやるしかなくなったことも、今振り返るとそれはそれで良かったなって思ってます」
重責のともなう仕事も、1年、2年と経験を重ねるうちに徐々に慣れ、最近では仕事を楽しむ余裕がでてきた。昨年は新型コロナウイルスで、LITALICOジュニアの教室運営や採用、育成なども大きな影響を受けたが、一年を振り返って大井は今までの中で一番仕事に手ごたえを感じることができたと話す。
▼現場と一丸になって実現したコロナ禍での新しい支援のかたち
2020年3月、1か月後に約150名の新入社員たちが参加する研修が控える中、日本でも新型コロナウイルスが広がりつつあった。緊急事態宣言はまだ出ていない。当初は通常通り対面での研修を予定していたが、今後の事態を考えた大井は研修を全面的にオンラインに切り替えることを提案する。
「3月30日の昼くらいに、HRのマネージャーと打ち合わせをし、『対面の研修を止めてすべてオンラインにしましょう』と提案しました。それから1日で準備をして、4月2日からの研修をすべてオンライン実施に切り替えました。それを決断することから4年目がスタートして、自分の中で1つ先のステージに進めた気がしました」
LITALICOジュニアのHRは、全国100以上の教室、約1,000名のスタッフを支えている。
そして、その先には支援を必要としている約8,000名以上のお子さまや保護さまがいる。HRのスタッフも、現場のスタッフも、共通して考えていたのは支援を途切れさせてはいけないということだった。
「当時、一番最悪な事態として想定していたのは、対面で研修をスタートして途中で緊急事態宣言に入ってしまうことでした。そこから、全てのコンテンツをオンラインに切り替えることは難しい。研修に空白期間が出来てしまったら、新入社員の皆さんや教室のご利用者様にも迷惑がかかってしまう。そう考えると、はじめからオンラインでやるしかないと思いました。」
新型コロナウイルスの影響はその後、学校や子どもたちの日常まで広がっていった。緊急事態宣言の発令で、全国の小中学校が休校になり、児童福祉の施設も通常通りのサービスを提供することが難しくなった。そんな中、LITALICOジュニアでは各自治体と連携して、いち早くオンラインでの支援体制を整備。時には先生の自宅とご利用者様の自宅を繋いで支援を届けた。現場の先生とそれを支える本社のスタッフが一丸となることで支援を継続することができたのだ。この結果を振り返って、大井は支援を続けられたのはひとえに現場の先生たちのおかげだという。
「すごいですよね。本当に先生たちには頭が上がらないというか、尊敬しかないです。コロナ禍の中で、一番大きかったのは、教室の先生たちがどんな状況でもお子さまや保護者さまの力になりたいって思いがあったからだと思います。そんな風に頑張っている先生の姿をいつも見ているので、HRのスタッフとして、ちょっとでも困っていることを解決出来たらいいなといつも思っています」
▼先輩たちがつくってきた文化をちゃんと受け継いでいきたい
2020年。私たちの生活や働き方は大きく変わった。働き方の新しい様式を探して、各企業の人事担当たちが連日頭を悩ませていたに違いない。そんな未曾有の1年を経験した大井に、今後の目標を聞いてみた。
「意識していることは、ずっと変わらないですね。自分の持っている力や培ってきた経験、専門性を一番発揮できる環境で働いて、それが結果的にどれだけ『障害のない社会をつくる』ことに貢献できているか。それしかないですね。この1年はある意味すごく自分自身の成長に繋がった1年でした。今後の目標は社会も組織も変化していく中で、責任を果たしながらもっと色んなチャレンジをしていきたいと思っています。先輩たちに追いつけ追い越せじゃないですけど。彼ら彼女らがつくってきた文化をちゃんと受け継いで進化させていかないとなと思っています」
自分のやりたいこと、やるべきことに真っすぐ向き合い続けて来た大井。就活生のキャリアの選択には、自分の心の声を大切にして欲しいと考える。
「やりたいことやったらいいんじゃないですか。面接で聞かれたらもうちょっと答え方を考えますけど。(笑)個人的な本音は、やりたいことやったらいいんじゃない?って思ってます。それが一番その人の幸せになると思うし。その人が本当にやりたいと思うこととLITALICOで提供できる環境や機会が合致する人と一緒に働けたら嬉しいです」