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こんにちは。freeeCCO(Chief Culture Officer)のつじもです。
昨年2020年の暮れに第一子を出産し、このたび育休から復帰しました。その妊娠期から職場復帰までの体験をお話ししてみようと思います。
最初に断っておきますが、この文章に出てくるのはあくまで私個人の感じたこと、考えたことです。n=1の体験から教訓めいたことを導き出してお伝えするつもりはありません。ですが、読んでくださった方が、それぞれ自分自身、家族や友人、同僚のことを考えるときに参考になればと願っています。
妊娠以前
社会人になって10年以上、freeeに入って今年で4年目——。
妊娠前、いや、出産するまでの妊娠期を含めても、元々仕事にかなり没頭するタイプで、平日夜遅くまでPCを開いていることはしょっちゅうでした。毎日起こる課題や持ち込まれる相談を解決することが面白くてしかたない、仕事人間でした。
一方で、20代そこそこの頃に『将来何者になりたいか?』と考えた際、直感で浮かんできた「親になりたい」という気持ちもずっと持っており、freeeの採用面接のときにも、その話を熱を込めてしたことがあります(笑)。なので、妊娠は待ち望んでいた喜びのはずでした。
妊娠発覚~妊娠期
2020年4月末に妊娠がわかりました。その前月の3月頭から全社的に在宅勤務を開始しており、慣れないリモート環境でのチームマネジメントに苦心している最中でした。
チームメンバーにつらい思いをさせていたり、その後の7月から新たにCCOの役割を担うことが決まったタイミングで、待ち望んでいた喜びにもかかわらず、最初に心に浮かんだのは「どうしよう」でした。とんでもないことをしでかしたような気持ちになり、一方でふつふつとわき上がる嬉しさもあり、ごっちゃになった感情で心臓が重く感じました。
ゴールデンウィーク明け、胎児の心音を確認した段階でジャーマネ*に報告しました。このときはキーボードを打つ指が震えたのを覚えています。(ちなみに、心音確認した=妊娠のごくごく初期段階で、一般的にはまだ流産のリスクが高い時期なので、家族以外に伝えるにはかなり早めの微妙なタイミングだと思います)
*ジャーマネとは
freeeではマネージャーのことを『ジャーマネ』という。マネージャーではなく『ジャーマネ』なのは、芸能界におけるタレントのマネージャーをイメージしているため。
(タレントであるメンバーを叱咤激励して成長・活躍することをサポートする役割であって、メンバーの上に立つ者ではない、という思いを込めて)
しかし、報告のポストを投稿してすぐ、ジャーマネが祝福のコメントを返してくださり、心の底からほっとしました。
その後、安定期に入って妊娠を伝えたチームのメンバーも、みんなまず「おめでとう!」と祝福してくれ、その一言に毎回とても救われる気持ちでした。改めて、ありがとうございました。
ジャーマネにはごく初期に伝えましたが、さすがに流産リスクが落ち着くまでは周囲には妊娠について伏せていました。
が、つわりはそんな事情には関係なくやってきます。
私はおそらくつわりが軽い方で、嘔吐してしまったり起き上がれなくなったり、ということは幸い数回程度ですみました。でも、だからといって、妊娠前と変わらないというわけにはいきません。
私はお腹がすくと気持ち悪くなる「食べづわり」で、夜中に起きて白米を食べたり(朝まで食べないと気持ち悪くなるため)、リモート会議中にこっそり黒飴(舐め時間が長い)を口に入れたりしていました。ただ、会議中に気持ち悪くなっても、横を向いたりカメラをオフにして気持ち悪さが過ぎ去るのを待つことができていたので、このときは在宅勤務で助かったなと思います。出社しながら妊娠期を乗り切ったすべての先輩たちを尊敬します(でも無理しないでいい方をスタンダードにしていきたい)。
個人的には、つわりや腰痛といった身体の変化より、精神面での変化をよりつらく感じました。妊娠によってホルモンバランスがジェットコースターのように変化し、それにぶんぶん振り回されていた感覚です。特に妊娠がわかったあとの5-6月はわけもなくよく泣いていました(理由はわからないがとにかく泣ける)。
妊娠だけではなく、コロナ禍の不安、リモートワークという不慣れな環境、チームとのコミュニケーションがうまくいっていないことなど、複数の要因があるとは思いますが、今ふりかえると妊娠期の自分が別人のように感じます。待ち望んでいた妊娠、喜びの気持ちも楽しみな気持ちもちろんありつつ、変わっていく自身の体やパートナーとの関係からの不安、産んだあとの生活の想像ができないこと(復帰を含め)、あらゆることが不安で、びくびくして、自分を保つのに必死でした。
CCOの役割には昨年7月からアサインされていますが、その役割に対する期待値に応えることや、チームのジャーマネとしてメンバーにしっかり向き合うことをやりきれないまま産休に入ることになったのは、自身としてもふがいなく、悔しく思いました。
そんな私を、チームメンバーは11月末に産休に入るときに、激励のTシャツとたすきと共に温かく送り出してくれました(たすきはお守りとして入院バッグに入れていきました)。そのときに「行ってらっしゃい! 待ってるよ!」と声をかけてもらったのは、自身のいる場所がここにあると感じられて嬉しかったなあ。
出産前後
産休中は、妊婦健診と赤ちゃんのものを手配するほかは、読書したり、(出産後は難しくなるだろう)手の込んだ食事を作ったりしてゆったり過ごせました。ただ妊娠の後期、何をしていてもとにかく眠い。我慢できないほどの眠気が常にありながら、お腹がかなり大きく重くなっていて夜は熟睡できず、細切れに昼間もよく寝ていました。
もともと無痛分娩を希望していたのですが、予約していた産院が土日・年末年始は無痛分娩を対応しない所で、第39週が年末年始、第40週の予定日が年始の無痛分娩対応初日、というぎりぎりのスケジュールでした。年末最後の妊婦健診で状態を見てもらい、来週予定通り入院しましょうと話して帰るタイミングで破水し、そのまま入院になりました。パートナーに電話で説明して入院バッグを持ってきてもらうも、コロナ禍で立ち会いはできないため一人です。そこから色々な山と谷を乗り越えて、3日目の朝に無事出産しました。無痛分娩はかないませんでした。
色々な山と谷は語ると長いので割愛しますが、一言でいうとむちゃくちゃ痛かったです。
痛くてキレたし泣きました。出産前夜はとても眠れず、3-5分間隔でくる陣痛と陣痛の合間に気を失う形で睡眠を取っていました。出産の痛みは『鼻からスイカ』といいますが、私の場合は赤ちゃんが出る瞬間より、お腹のなかでツルハシをガンガン振り下ろされているような陣痛が一番つらかった。あとやっぱり一人なのが心細く、寄り添ってくれる助産師さんたちの優しさに救われていました。
産後~育休期間
40週間を経て生まれてきた我が子はものすごく可愛いです。妊娠期には色々不安を覚えましたが、入院中の病院スタッフのみなさんのサポートや、退院後の義実家・実母・パートナーのフォローのおかげで、産んだあとは不安を覚えるよりもただ我が子を愛しく思い、慈しむことができました。(状況次第では、不安の方が勝ってしまうと思うので。)
とはいえ、体の方はかなりダメージを受けた感覚がありました。医学的には高齢出産とされる年齢だったこともあると思いますが、特に産後の1ヶ月は、新生児期の昼夜問わない呼び出しによる細切れ睡眠もあいまって、体はぼろぼろでした。出産時の傷は痛むし、授乳も不慣れで痛いし、気力はあるけど体力は回復する暇がないという感じでした。あと、睡眠不足もあると思いますが頭がぼーっとしていて、書類の文章を読んで理解したり、思考することがかなりつらく感じました(マミーブレインというらしい)。この体力や知力の衰えは、さらに数ヶ月かけて徐々に回復していった感じです(正直まだ回復しきってない感覚もある)。
我が家はパートナーの仕事柄、ほぼ在宅勤務で家にいたのと、実母が出産前後に1ヶ月半弱泊りがけで手伝いにきてくれていたので、授乳以外では代わってもらったり、まかせて休むことができたのが幸いでした。freeeでは男性が育休を取ることが普通になっていると思いますが、1ヶ月といわず、数ヶ月・年単位で取得することがもっと世間で一般化するといいなと思います。育休は休業でこそあれ休暇ではなく、育児という一大プロジェクトに取り組む期間で、そのプロジェクトは一人で向き合うには大きく、重すぎるので…
育休復帰間際
2021年3月頃~5月にかけて、ジャーマネと復帰に向けた相談を始めました。産休に入る前、7月に復帰するという話をしていたので、それに向けての相談です。
freeeでは、社内SNS「Workplace」のアカウントについて、産休育休期間中にアカウントを停止するかどうかを選べるようにしています。私は半年くらいの育休だし、キャッチアップのためにも停止せずに残していました。
が、この選択が凶と出ました。
少し体も落ち着いてスマホを眺めることもできるようになってきた頃。もちろん業務アプリなので通知はオフにしていましたが、通知オフにしても結局たまに見て(眺めて)しまうし、とはいえキャッチアップできるほどは見られないし、一方で(当然ながら)チームは自分抜きでしっかり成立してみんなが大活躍している世界がそこにありました。
元々自分の性質として、存在を認められることで安心して力を発揮できるというのもあり、「自分がいなくても大丈夫」な状態を目撃し続けるのがしんどかったんだと思います。産後メンタルもあいまって、自分の戻る場所はないんじゃないか、こんな小さな我が子を保育園にあずけてまでする仕事ではないのではないか、自分は必要とされていないのではないかと悩む期間が数週間単位でありました。復帰して冷静に考えるとなんて視野が狭いんだと振り返れますが、産休に入る前は自分がそこまで病むとは思っていなかったという点を含め、難しいポイントだなと思います。
一方で、育休期間中も、たまに雑談を持ちかけてくれていたメンバーがいて、それによってfreeeと断絶することなく、復帰に向けてのハードルが下がったという面もありました。たぶんここでのポイントは、業務の相談をされていたわけではない、というところかなと思います。
育休から復帰してみて
まだ1ヶ月、もう1ヶ月。
今は、朝の保育園の送りをパートナーにまかせて8時に始業し、夕方は16時半に切り上げて保育園にお迎えにいく生活です。お迎えに行ったあとは寝かしつけるまでノンストップ、寝かしつけたあとは体力が残っておらずヘロヘロになっていて、妊娠前とはずいぶん時間の使い方が変わりました。
ただ周囲の協力もあって、なんとか仕事に本腰を入れることができるようになってきています。授乳以外は、寝かしつけ・離乳食作りから保育園の用意まで、私とパートナーでできることに差はない(全部わかる)状態で協力できているのも大きいです(ありがたい話、ですがこれが普通であるべきだと思います)。
ただ、全力でアクセルを踏もうとすると我が子が熱を出したそれが自分にうつったりして、難しいなあと思っています。まだうまいやり方は見つけられていません。
1年前の自分に言葉をかけるなら
・期待(だと自分が思い込んでいること)に応えようとしすぎないこと。
正直、新しい役割にアサインされて1年も不在にしてはいけないのではないか、という焦りがありました。育休期間6ヶ月強で復帰したことについて、後悔はしていませんが、焦って決めてしまわずに、先輩たちに意見を聞いてみればよかったなと思います。幸いにして、自分がいなくても、会社は何とかなるので。
・戻ってきた自分のための備忘メモを残しておくこと
半年とはいえ、その間はfreeeを離れて育児に専念していたので、昨年取り組んでいたプロジェクトや社内の色々な決めについて、驚くほど記憶が抜け落ちています。ドキュメントを探してキャッチアップするのは骨が折れるので、自分で自分に残しておけると楽だったな……。
・新生児期の服はいいのを買うこと
よくわからず、着られる期間も短いだろうと適当に買ってしまったお洋服。が。期間は短いながら毎日顔つきが変わる新生児期。写真に残るので、もう少し凝ったデザインのを買っておけばよかった…と思いました(泣)。
長くなりましたが、以上が私の妊娠から育休復帰までの体験記です。
妊娠期の状態も、出産の様子も、その後の育児や職場復帰の状況も、ひとりひとりまったく異なります。私ができたから他の人もできるわけではないですし、逆に私ができなくても他の人はできるかもしれません。
ただ、いずれのケースでも本人とその家族にとって大きな変化のタイミングではあり、その変化の荒波に本人たちも翻弄されていることに思いを馳せてもらう一助となれば、これ以上の喜びはありません。