今回は、シグニティの代表取締役社長であり、ホールディングス全体の成長にも深く関わる須郷さんに
お話を伺いました。就活シーズンということで、今回はあえて“仕事”の話よりも、
須郷さんの「学生時代~現在に至るまで」のリアルな人生のストーリーにフォーカス。
何かに本気で打ち込んできた人、特にスポーツに全てを懸けてきた
体育会系学生には、きっと突き刺さるはず。
将来、ビジネスの世界で本気で活躍したいと思っている人。
そのスタート地点に立つあなたに、ぜひ読んでほしい内容です。
16年間、サッカーにすべてを懸けた学生時代
学生時代はとにかく、ずっとサッカー。16年間、サッカーしかしてきませんでした。
高校時代は、15歳で親元を離れ全国4000校ある中で全国最多優勝回数を誇る長崎県の「国見高校」に
進学しました。
サッカー部専用の寮があり、坊主で携帯電話も持たずに、毎朝5時半〜朝練習を開始。
学校が終わってから毎日3〜4時間は練習、年に1回休みがあるかないかのレベルでサッカー漬けの毎日を
過ごしました。(二度と戻りたくない3年間です)
国見高校では夏のインターハイ、冬の高校サッカー選手権にも出場することが
できました。
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高校卒業後の大学でも、関東大学サッカーリーグという公式戦でJリーグのプロチームにも
勝利するチームがあるほどレベルの高いリーグに所属する神奈川大学サッカー部に入部。
同世代、チームメイトには、現役の日本代表選手もいるような、
高校以上にレベルの高い環境になりました。
楽しいとか、好きとか、そういう感情よりも
「結果を出すために何を我慢するか」「犠牲にしてでも上に行くには何が必要か」
そういう、強い“執着”みたいなもので動いていた気がします。
でも、それだけやっても
「プロになれるのはほんの一握り」。
夢を追って始めたはずのサッカーが、嫌いになりかけることも。
強烈な競争、厳しすぎる上下関係、理不尽な監督の指導、チーム内のギスギスした空気…。
心が折れそうになることなんて何度もありました。
踏みとどまれたのは「親への想い」だった
なんでそこまでして続けたのか?ってよく聞かれます。
答えはシンプルで、「ここまで何不自由なくサッカーをやらせてくれた親に、
せめて“活躍した姿”を見せたい」という想いでした。
辞めたら楽。でも、それじゃあ恩返しにならない。
どこか“義理と人情”みたいな気持ちが、自分を踏みとどまらせていた気がします。
結果として、高校も大学も、ある程度高いレベルでサッカーに関われた。
だからこそ、現実の厳しさを骨の髄まで思い知らされた。
それが、社会人になる前の「人生で一番大きな学び」でした。
プロになる夢には区切りをつけて、一般企業への就職を選んだのもその延長線。
当時の自分の頭には、まだ「じゃあ何を目指すのか?」なんて明確なビジョンはありませんでした。
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サッカーの次に、熱くなれるものが見つからなかった就活
就活では、大手企業の説明会を見たり、先輩が受けていた会社にとりあえずエントリーしてみたり。
ただ、サッカー以外に自分が熱くなれるものがなかったから、全部が“ピンとこない”まま進めていたのを覚えています。
そんな中で、ある大手保険会社の人事担当者と出会って、
「この人と働きたい」「この人みたいになりたい」と思えた。
最初はただの1社だったその会社が、気づけば自分の“第一志望”になっていました。
最終面接で内定をその場でもらった瞬間は、今でも忘れられません。
めちゃくちゃ嬉しくて、ようやく
「サッカー以外のフィールドで、自分が本気になれる場所ができた」
と思えた瞬間でした。
泥臭い営業と出世街道。その先に見えた“違和感”
社会人生活のスタートは、正直、毎日が泥臭かったです。
飛び込み営業、ノルマ、数字、数字、数字……。
でも、体育会で鍛えた“しぶとさ”が武器になったのか、成果は出ていました。
30歳までに支店長、年収1000万円を目指せる世界で、最年少で支店長試験を受けさせてもらい、
実際に合格。
でも、その直後に退職を決意しました。
理由はシンプル。
このまま同じ仕事をずっとやっていく未来に
「ワクワク」がなかったから。
いくら昇進しても、やっていることは変わらない。
管轄が変わったり人が変わっても、やってることの本質は同じ。
- 上司のために頑張る構造
- 「役員との食事会を目指して頑張ろう」みたいなモチベーション設定
- 自分の実力じゃなく「会社の看板」で評価されている現実
このままだと、ずっと「○○生命の須郷さん」で終わってしまう。
“須郷”としての実力をつけないと、いざ独り立ちしたとき何も残らない。
そう思って、キャリアを一度ゼロに戻す覚悟で、Web業界への転職を決意しました。
全てが違う世界で、ゼロからのスタート
転職先は、当時まだ成長途上だったWeb系のベンチャー企業。
当然、カルチャーも価値観も、それまでいた世界とは全く違いました。
正直、最初は「外国に来たのか?」ってくらい衝撃でした。
大手の仕組みに乗っかっていた自分のやり方は、何の役にも立ちませんでした。
でも、受け入れてくれた会社に感謝もあったし、
何より「この選択を正解にしてやる」という自分へのプレッシャーが原動力になっていました。
ひたすら周囲の“良い部分”を真似て、学んで、アウトプットして。
週末はひたすら人に会って、価値観を広げて、自分の言葉で語れるように努力をしました。
そうして数年が経った頃、ようやく「多少は武器を持てたかな」と思えるようになってきました。
もっと成長したい。もっと稼ぎたい。
もっと影響を持ちたい。
次のキャリアでは、設立5年でグロース市場(当時マザース市場)に上場を果たし急成長していた
Web広告代理店です。
月間で数千万、数億の広告費を使って集客を行う広告主のマーケティング支援を行っていました。
結果至上主義で、人格よりも利益を創出できた人が評価されるような環境で広告運用、
チームマネジメントを行っていました。ある程度さまざまな経験を通じて、徐々に個人として
頼ってもらえる仕事も増えてきたり、結果を出すこともある程度できました。
ただ、それでも何か物足りなさや、もっと別の挑戦、刺激が欲しいということを感じ始めていました。
「一人で稼ぐ」より、「誰かと創る」に燃える性格だった
結局、自分は“自分のためだけ”に頑張ると、最後の最後で燃え尽きてしまう性格なんだなと気づきました。
サッカーもそうでした。個人プレーだけじゃなく、仲間のため、チームのため、
誰かのために戦うからこそ、あの16年間やり抜けた。
そんなタイミングで出会ったのが、Roadグループの片江さんでした。
「この人についていきたい」と思えた出会い
初めて片江さんと会ったとき、直感的に
「こんな凄い同い年の人がいるのか、、、すごいな、面白いな!」と思った。
綺麗な言葉で会社のビジョンを語る社長はたくさんいますし、見てきました。
何よりもある程度のことができると自負していたので、同世代のビジネスパーソンに憧れや尊敬を抱くことがあまりなくなっていたのが当時の率直な状況だったので初めて話した時に感じたことは衝撃で今も覚えてます。
この人が描く未来を一緒に創りたい。
この船に乗っかって自分にしかできないチャレンジをしよう
と強く思いました。まだまだ道半ば、だからこそ茨の道でありカオスな環境だと思いましたが、
だからこそやりがいもあるし熱くなれると直感的に思いました。
既にある大きな有名企業に入って偉そうにする勘違い人生よりも、
これから誰もが知る有名な企業を創る人生の方がたった1回の人生なんだからよっぽど燃えますよね。
そこにワクワクしないなら漢じゃないなと思います。笑
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<ゴールドスポンサー契約締結 一般社団法人 日本スポーツキャリア協会 ATHLETICA × Road Goal Holdings>
Roadでしか得られない経験をし、
人生を“本気で”変えたい
結果的に、自分はRoadを選びました。
- 身の丈に合ってない挑戦を通じて、成長したい
- 自分の経験を活かして、組織全体に影響を与えたい
- 片江さんの期待に“本気で応えたい”
今はシグニティという会社を任せてもらってますが、これは単なる“役職”じゃない。
仲間と一緒に、これからの会社と自分の未来を創っていく挑戦です。
最後に:今、就活に悩んでいる君へ
スポーツを本気でやってきた人なら、わかると思います。
「努力が報われないこと」も、「理不尽に耐えること」も、
「夢を諦める苦しさ」も、全部リアルに経験してきました。
自分はサッカーを辞めてから、社会人になり、Roadに出会うまでは
心の底から仕事を通じて熱くなるという感覚になれていなかったです。
けど、熱くなれるもの、目標が定まり本気になった今は毎日が楽しいです。
自分の選択を正解にできるのは自分次第です。だからこそ面白いし、燃えますよね。
心の炎を燃やして一緒に一度きりの人生を
最高にワクワクするものにしていきましょう!!
社会人になっても熱く!やりがいを持って!夢を持って働きたい!
\そんな方をRoadでは、募集しています/
気になっていただけた方は、下記募集をチェック▽ ※中途も募集していますのでぜひご応募ください!