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「2倍楽しまなきゃ」──生まれた奇跡を、おじいちゃんおばあちゃんの笑顔に変える

妊娠8ヶ月での事故、両親の離婚。それでも前を向き、介護業界を変革するリーダーの物語生まれてきた意味を、行動で示す「お母さんがしたくてもできなかったことをやる。2倍楽しまなきゃって、背負いながら生きてる感じです」CyXenのコンサルユニット長、鈴木若菜は、そう語った。母親がお腹に彼女を宿していた時、海外で車の事故に遭った。妊娠8ヶ月の時だった。障害手帳を持つほどの怪我。8ヶ月の時から成長が止まっていた。一歩間違えれば、鈴木若菜はこの世に生まれていなかった。3歳の時、両親は離婚。母親はずっと病気がち。おじいちゃんおばあちゃんがお店をやりながら、彼女を育ててくれた。━━ その生い立ちは、あなた...

「行くしかない」──未知への飛び込みが、1年でトップセールスを作った

「行くしかない」──未知への飛び込みが、1年でトップセールスを作ったベトナム留学一期生。大号泣の末に掴んだ覚悟が、介護業界を変える力になる「行くしかない」と決めた、あの夏「学校で大号泣して、『もう無理』ってなっちゃって」CYXenの採用コンサルリーダー牧野聡美。ベトナム留学の1年目と2年目の間の夏休み、日本に帰国していた。そして、もう戻りたくなくなっていた。━━ なぜ戻りたくなかったんですか?「友達がいなくなるんです。みんな大体1年間なので。また一から始めなきゃいけないっていうのが、もう本当に無理で」昭和女子大学のベトナム語コース、一期生として飛び込んだハノイでの生活。洗濯機もない、キッ...

「介護士を、子供たちの夢にしたい」──下町の文学少女が描く、業界の未来

出版社からCyXenへ。言葉で介護業界を変える、クリエイターの挑戦「将来の夢」に、介護士がない理由「介護職を、今の子供たちの将来の夢にランクインさせたい」松本春海は、そう言い切った。保育園の先生や看護師は子供たちの憧れの職業になる。でも、介護士は見たことがない。「それってやっぱり、一番遠い存在だから。介護士っていう職種があることも知らないんだろうなって。おじいちゃんおばあちゃんって、よくわかんないみたいな感じで、想像ができないからランクインしてないのかなと思うんです」東京・亀戸という下町で育ち、本に囲まれて過ごした文学少女。出版社で編集アシスタントとして働き、言葉の力を知った彼女が、なぜ...

「もっとできるはずなのに」──父からの言葉と、現実とのギャップが私を突き動かす

アパレル店長からの転身。コロナで失った夢、そして掴んだ新しいキャリア褒められて育った私の、コンプレックス「お前はすごい。お前は普通じゃない」CyXenでマネージャーを務める丹司杏奈。父親からそう言われ続けて育った。特に何かを成し遂げたわけでもないのに、ずっと褒められていた。「でもめっちゃ普通だし、何もできないんですよ(笑)」━━ それがコンプレックスになった?「そうです。父がすごいすごいって言ってくれるのに対して、すごいギャップがあって。それを埋めたいというのが、フォーエーキャリアに入った時の原動力でした」根拠のない自信と、現実の自分とのギャップ。そのギャップこそが、丹司を突き動かしてき...

「自分がやらなきゃ、誰もやらない」──限界な環境から学んだ、ベンチャーで生きる覚悟

マンションの一室のベンチャーで住み込みインターン。そこで掴んだ「全力で働く」という人生の指針大学生が見た、起業家の背中「あの人ほどやっててもダメなんだったら、自分だったらもっとやらないといけない」CyXenコンサル長の小幡英稔。「全力で働く」ことを決めたのは、大学時代のインターンだった。起業1年目、マンションの一室を間借りしているようなベンチャー企業。SNS集客代行というをやっていた会社だ。そこで小幡は、住み込みで働いた。朝起きたらすぐにパソコンを開き、トラブル対応をしながら、ゼロから海外の学校を探し出し、学生とやり取りする。お金をもらって満足してもらうことの難しさを、身を持って学んだ。...

「努力している自分が、自分じゃないと気持ち悪い」──挫折を糧に、誰よりも走り続ける営業マネージャーの哲学

甲子園二連覇の名門で掴んだもの。それは「成果」ではなく「自分を認める基準」だった小学6年生で掴んだ、人生の指針「スピードスケートなんですよ、僕は。野球じゃなくて」服部翔太郎は、自身のキャリアの原点をこう語り始めた。北海道・音更町で育った彼が、人生で最も影響を受けたのは、意外にも高校野球ではなく小学校時代のスピードスケートだったという。小学2年生で始めたスピードスケート。最初は十勝管内でトップクラスの成績を収めていたが、小学5年生の頃には徐々に順位が下がり、怪我で1シーズンを棒に振る挫折を経験する。普段は絶対に負けることのないチームメイトにも負けるようになり、悔しさで一杯だった。「その翌年...

「できないことに一生懸命向き合える人と働きたい」━━仕事の定義を変えて、自走できる組織を創る

中高でリーダーを経験しながらも「仕事は金を稼ぐもの」と割り切っていた私が、ユニット長として見つけた新しい働き方はじめに「相談することは無能の証明な気がしていて」そう語るのは、株式会社CyXenでユニット長を務める手島唯那さん。横浜市出身の彼女は、高校時代から様々なアルバイトを経験し、大学時代は300人規模のフットサルサークルで幹部として活躍。アルバイトでの勤務も含め、「仕事はお金を稼ぐ手段」と割り切ってきた。しかし入社4年目を迎えた今、彼女は大きな転換期を迎えている。自走できる人材を輩出するというミッションを掲げ、自分自身の「仕事の定義」を根本から見直そうとしているのだ。中学時代は部長と...

「自分でやんないと意味ねえよ」━━殿様商売から挑戦する未経験業界へ、エンタープライズ営業の挑戦

東京ばな奈で年商50億円の実績から、ゼロベースのIT業界へ。テニスで培った勝負師の精神で医療・介護・福祉業界を変革するはじめに「自分でやんないと意味ねえよ」この言葉が、三上大輝さんの人生を大きく変えた。大学卒業後、東京土産の定番「東京ばな奈」で有名なグレープストーンに新卒入社。羽田空港で年商30億円規模の店舗管理を経験し、イオンリテールやドン・キホーテなど大手企業の新規開拓で年商20億円の営業成績を残してきた。しかし、コロナ禍で売上が3分の1に激減。「成長できるか分からない環境に10年以上いる意味はあるのか」と自問し、29歳で未経験のIT業界へ飛び込んだ。スプレッドシートも初めて触るよう...

「提案することが一番の顧客価値貢献」━━観察力と思いやりで部下の成長を導くミドルマネージャーの挑戦

高校時代からイタリアンレストランで4年半、社会の厳しさと温かさを学んだ福島出身の若手リーダーはじめに「自分じゃない、その相手のことを思いやれる人と働きたいです」そう語るのは、株式会社CyXenでユニット長を務める遠藤紗月さん。27歳という若さでミドルマネージャーとして部下の育成に奔走する彼女だが、その道のりは決して平坦ではなかった。高校時代から4年半続けたイタリアンレストランでのアルバイト。そこで学んだのは「誰かのために動く」ことの価値と、社会人としての礼儀作法。学校での勉強よりも、高校時代から外の世界で社会を学んできた彼女が、なぜ人材業界を選び、なぜ介護・医療・福祉の現場を支援する道を...

「自分からアクションを起こし続ける」挫折が教えてくれた成長への意欲と、新天地で見つけた理想の環境

大手コンサルから介護・医療のテックベンチャーへ。入社3ヶ月の新人が語る「手触り感のある成長」という選択はじめに「なんか自分からどんどんアクションって起こすべきなんだなっていう考え方が、更に強まった」そう語るのは、CyXenでメディカシフト事業に携わる岡谷卓哉さん(25歳)。入社してまだ3ヶ月の新人だが、その目は確実に前を向いている。大手コンサルティング会社での経験を経て、「手触り感のある成長」を求めてベンチャー企業に飛び込んだ岡谷さん。「皆さん自らの意志でちゃんと残って自分のやりたいこと、やるべきことをちゃんと任務を終わらせたり」と、新しい環境での働き方に手応えを感じている。小学3年生で...

「寝てる時以外は求人のことを考えてます」━━新規営業の挫折から見つけた、AIで介護業界を変革する道

高校バスケで東北大会出場、怪我で挫折するも「死んだわけじゃないし、なんとかなる」精神の経験からクリエイティブ職へ転身はじめに「寝てる時以外は求人と求職者と市場のことを考えてます」そう語るのは、株式会社CyXenでクリエイティブ部門を担当する日下さん。宮城県出身の彼女は、高校時代にバスケットボールで東北大会出場を果たすも、高3直前の大怪我でスタメンを外れる挫折を経験。しかし「死んだわけじゃないし、なんとかなる」という強い信念で乗り越え、その経験が今の仕事への向き合い方に繋がっている。新卒でCyXenに入社し、1年目は新規営業として苦戦。「量をこなしても達成できない」という壁にぶつかり、一度...

「誰にとっても居場所がある環境を作りたい」━━世界平和を夢見た起業家が、孫に誇れる女性を目指して

個人事業主から日本語教師、そして子育てと仕事の両立へ。変化に適応し続ける企画マーケターの挑戦はじめに「子供を産んで子供とかすっ飛ばして、孫にとってかっこいいおばあちゃんになりたいと思ってるんですよ」そう語るのは、株式会社CyXenで企画マーケティングを担当する橘薗奈々さん。静岡県三島市で生まれ育ち、大学時代には障害者向けの衣服開発に取り組みながら、20歳で個人事業主として海外向けのアパレル事業を展開。その後、ミャンマーでの日本語教育事業を経て、現在は双子の母として仕事と子育ての両立に挑戦している。かつて本気で世界平和を目指し、戦争ゼロの世界を夢見た彼女。南アジアや東南アジアに学校を作り、...

「死ぬときに後悔のない人生を」━━MVPの覚悟と執念が介護業界の未来を変える

アメリカと日本を行き来した幼少期、兄への憧れから見つけた「自分の道」はじめに「自分が死ぬってなったときに、これまでの人生でやり切ったと言えるか。死に際どう思うかっていうことだと思います」そう語るのは、株式会社CyXenで8月度MVPを獲得した清飛羅直樹さん。アメリカで生まれ、日本とアメリカを行き来しながら育った彼は、優秀な兄を追いかけ続けた青春時代を経て、「後悔のない人生」という自分だけの軸を見つけた。大阪大学時代、長期インターンで出会った同い年・同じ大学の上司に衝撃を受け、「自分のことを考えないとダメだな」と気づいた瞬間から、彼の本当の挑戦が始まった。入社後は「一人でやることが正解」と...

「正解を実験で確かめたい」ー ラーメン屋バイトで培った検証魂が、営業の失敗を言語化する力に変わるまで

元リクルート営業マンが、介護×テクノロジーのコンサル営業で見つけた新たな成長の場はじめに「マニュアルを守らなかったラーメンと、ちゃんと守って作ったラーメンを食べ比べてみたら、麺の出来上がりが全然違ったんです」そう語るのは、株式会社CyXenに入社して2週間の侑香里 光石(みついし ゆかり)さん。福岡から大阪、そして東京へと移り住み、貴金属買取営業、リクルートでの飛び込み営業を経て、介護・医療・福祉業界向けのコンサル営業という新たなフィールドに飛び込んだ。大学時代のラーメン屋でのアルバイトで培った「実験して確かめる」という姿勢。それは一見、営業という仕事とは無関係に思えるかもしれない。しか...

「コトに向かっている人でありたい」━━フィリピンの過酷な生活から這い上がった若手が、テクノロジーで介護業界に革命を起こす

パッションだけで言語の壁を越え、新卒で責任者という責任感を成長の起爆剤に変えた異色のキャリアはじめに「自分がどういう武器になるかっていうことしか考えてないですね、常に」そう語るのは、株式会社CyXenで事業開発を担当する池田さん。中学3年生から高校卒業までの4年間をフィリピンで過ごし、言語と文化の壁に苦しみながらも「パッションしかない」という信念で乗り越えてきた。入社1年半で立ち上げフェーズの事業を牽引し、AIを活用した業務改善にも取り組む彼。就活では大手エンタメ企業に「ことごとく落ちた」という挫折を経験しながら、なぜベンチャー企業でのキャリアを選んだのか。そして、上司の退職という危機を...