出版社からCyXenへ。言葉で介護業界を変える、クリエイターの挑戦
「将来の夢」に、介護士がない理由
「介護職を、今の子供たちの将来の夢にランクインさせたい」
松本春海は、そう言い切った。
保育園の先生や看護師は子供たちの憧れの職業になる。でも、介護士は見たことがない。
「それってやっぱり、一番遠い存在だから。介護士っていう職種があることも知らないんだろうなって。おじいちゃんおばあちゃんって、よくわかんないみたいな感じで、想像ができないからランクインしてないのかなと思うんです」
東京・亀戸という下町で育ち、本に囲まれて過ごした文学少女。出版社で編集アシスタントとして働き、言葉の力を知った彼女が、なぜ介護業界に飛び込んだのか。
そこには、子供の頃に経験した、大切な人との別れがあった。
おばあちゃんの死が教えてくれたこと
生まれも育ちも東京都。小学校から高校卒業まで亀戸で過ごした。下町のチャキチャキした雰囲気の中、松本が熱中していたのは本だった。
━━ いつから本が好きだったんですか?
「もう生まれてからずっとです。母が毎日夜、読み聞かせをしてくれていたので。いつから好きになったというか、もう私の日常にあったという感じですね」
暇さえあれば本を読み、読んでいない時は通学路で本の続きを自分で考えていた。一人でニヤニヤしている、ちょっと変わった子供だった(笑)。
そんな松本の人生を大きく変えたのが、小学生の時の出来事だった。
━━ 一番印象に残っているのは、いつですか?
「小学生の時です。おばあちゃん子だったんですけど、おばあちゃんが亡くなって。初めて人が死ぬっていうのを目の当たりにして、大好きだった人がいなくなるということと、人って死ぬんだっていうのを実感しました」
ずっと元気だったおばあちゃん。死ぬなんて想像したこともなかった。入院している時も、おばあちゃんがニコニコ聞いてくれていた自分の妄想話。それがなくなった喪失感は、計り知れなかった。
「人生を大切にしないとなって、その時に考えました」
担任の先生や保健室の先生が「本当にいい経験したね。悲しいけど、いい経験だよ」と声をかけてくれた。
━━ どうやって乗り越えたんですか?
「母が崩れちゃったんですよ。実母を亡くして、ご飯も食べられないぐらい落ち込んで。私も同じく落ちちゃった時に、先生たちがすごく励ましてくれるけど、お母さんを励ます人いないなって思って」
━━ それで?
「私こんなに落ち込んでちゃダメだって。だって実母をなくしたお母さんの方が悲しいんだから。無理やりじゃないですけど、ちょっと立ち上がらないとなって、切り替えないとなって思いました」
小学生にして、他人を思いやる優しさと、強さを身につけた瞬間だった。
「社会人をなめてた」──ホテルでの挫折
大学は思い切って神戸へ。一人暮らしに憧れて、「東京近郊の大学だったら家から通えるだろって言われるから、絶対に家から通えない神戸に行っちゃえ」と飛び出した。
新卒で入社したのは、会員制のホテル。しかし、1年で退職することになる。
━━ 何があったんですか?
「社会人をなめてたんです(笑)。アルバイト感覚でホテルに入ったので、そんなに求められるとか、厳しく言われるとか思ってなくて」
━━ 厳しかったんですね。
「厳しかったですね。会員制のホテルなので、言葉遣いとか細かいところまで。『社会人としておかしいよ』って言われても、『社会人ってじゃあ何?』みたいな感じで。一回怒られるごとにすごい疲れちゃって」
当時、シスター制度で指導してくれた先輩から、ずっと「頑張れ、頑張れ」と言われていた。
「『教えたのにできないのは、頑張ってない証拠』って言われるんですけど、もう出勤することでさえ頑張ってるんですけど、みたいな(笑)。ちょっと反抗心がありました」
しかし、その先輩の言葉が今、松本の中で大きな意味を持っている。
「『頑張れって言われている間は、本当に頑張った方がいいよ。注意されなくなったら楽じゃなくて、もう終わりだからね』って言われて。当時は『じゃあ注意しなきゃいいじゃん』って思ってたんですけど(笑)」
━━ 今はどう思っていますか?
「今、リーダーになって、注意するっていうのは本当に労力使うんですよ。それなのに、そんなに反抗した態度をしていて、本当にすいませんでしたって。小さい指摘を何度も何度もしてくれた先輩だったので、体力すごかったんだなって。私に対しての愛情がすごくあったんだなって、10年目にしてやっと気づきました」
出版社での経験が、今につながる
ホテルを辞めた後、フリーターをしながら探していたのは「本に関わる仕事」だった。
そして見つけたのが、出版社の契約アルバイトの求人。小説部門の編集部で、アシスタントとして働くことになった。
━━ どうでしたか?
「めちゃめちゃ楽しくて。やめたくないなと思ってたんですけど、3年契約でやめざるを得なくて」
━━ それで、CyXenに?
「言葉を使った仕事がしたいなと思いながら求人を探していて、たまたまCyXenが出していた求人を見つけたんです。サポートチーム(現在のクリエイティブチーム)で求人を作るクリエイターの仕事があって、自分のやりたい仕事だ!と思いました。」
現在、松本はクリエイティブチームで、介護・医療・福祉業界の求人原稿を作成している。
「応募を増やす」から「長く働ける人を採用する」へ
━━ 今、一番大変なことは何ですか?
「難しい案件が来た時です。条件が厳しくて、『この条件じゃ求人の押し出しがない』って言っても、『これ以上あげられないです』とか」
━━ それをどう乗り越えているんですか?
「誰かに聞くんです。クリエイティブ内でもいろんな特色あるメンバーがいるので」
例えば、小笠原諸島の案件。応募がまったく来ない。
「塩澤さんと一緒に、小笠原諸島とか父島母島の特色をずっと調べて。それを持っていって、当時のリーダーの塚田さんとずっと求人を見ながら話し合っていました。『小笠原諸島って東京都だから、東京の給料基準で島暮らしができるよ』とか、そういうのを打ち出したらどうって、アイデアが出てくるんです」
自分一人で乗り越えようと思わない──それがクリエイティブの乗り越え方だ。そして、コンサルと一緒に乗り越えることも重要だという。
━━ 今、チャレンジしていることは?
「今までは応募発生だったんですけど、今はその施設に長く働いてくれる人を採用させるということにチャレンジしています」
葛藤もある。応募は来るけど採用しない、採用できない、連絡がつかない──そういう現実がある。
もっと大きな葛藤は、業界全体に対するイメージだ。
「介護って大変そうとか、やってる人ってどういう気持ちでやってるんだろうって思われがち。介護ってこんなにいい仕事だよっていうのを、世の中の人が知らないから、応募もあんまり多く発生しないし、内定しても『やっぱ大変だわ』ってやめちゃう」
2つの夢。介護業界を変えたい
━━ この業界に対して、どんな想いがありますか?
松本は、2つの夢があると語った。
「1つ目は、介護職を今の子供たちの将来の夢にランクインさせたい。保育園の先生とか看護師さんは容易にランクインするんですけど、介護士って絶対見たことない。それって、一番遠い存在だから。子供の頃から介護士になりたいっていう人を、少しでも広げたいなって」
そしてもう1つ。
「老後ここに入りたいな、ここで最後を迎えたいなって思ってもらえる施設を、1つでも増やしたい。自分のお母さんとか、自分の旦那が老後を楽しみにしているような世の中を作りたい。だから、いい人を採用したい。これが私の最大のミッションです」
CyXenのミッションは「介護・医療・福祉の現場とテクノロジーを繋げ、業界価値を最大化する」こと。ビジョンは「介護・医療・福祉から、高度経済成長をもう一度」だ。
松本は、言葉の力で、その一翼を担っている。
否定しない環境が、成長を生む
━━ この会社の成長環境について、どう思いますか?
「意見を出しても否定する人がいないんです」
━━ それは?
「頑張って考えて出した答えに対して、『いや、それ違うんじゃない』っていう人はいなくて。『それってどうやって考えたの?』って聞いてくれて、筋が通ってたら『じゃあやってみようか』ってなる。コンサルもクリエイティブもそうです」
もう1つ、松本が強調するのは多様な知見を持つ人たちの存在だ。
「誰かに聞けばわかるだろうって。昨日か一昨日、丹司さんが『訪問看護のオンコールの代行サービスってどうですか?』って投げかけたら、みんながブワーッと意見をくれる。わからなくても一人で抱え込まなくて、すぐに聞ける。自分で調べて考えたことを、ちゃんと壁打ちできる人がいる。すごくいい環境だなって思います」
言葉で、業界の未来を変える
下町で育った文学少女が、おばあちゃんの死を乗り越え、社会人としての厳しさを知り、出版社で言葉の力を学んだ。
そして今、介護業界で、言葉を使って未来を変えようとしている。
「介護士を、子供たちの夢にしたい。老後を楽しみにできる世の中を作りたい」
そのために、松本は今日も、一つ一つの求人原稿に魂を込める。誰かと一緒に考え、誰かと一緒に乗り越えながら。
CyXenでは、介護・医療・福祉の未来を共に創る仲間を募集しています
言葉の力を信じ、業界のイメージを変えたい。一人で抱え込まず、チームで乗り越えたい。そして何より、誰かの夢を応援したい──そんなあなたを、私たちは待っています。
松本のように、言葉で業界を変える。否定せず、一緒に考え、一緒に成長する。そんな仲間と働きたい方、ぜひ一度お話ししましょう。