中高でリーダーを経験しながらも「仕事は金を稼ぐもの」と割り切っていた私が、ユニット長として見つけた新しい働き方
はじめに
「相談することは無能の証明な気がしていて」
そう語るのは、株式会社CyXenでユニット長を務める手島唯那さん。横浜市出身の彼女は、高校時代から様々なアルバイトを経験し、大学時代は300人規模のフットサルサークルで幹部として活躍。アルバイトでの勤務も含め、「仕事はお金を稼ぐ手段」と割り切ってきた。
しかし入社4年目を迎えた今、彼女は大きな転換期を迎えている。自走できる人材を輩出するというミッションを掲げ、自分自身の「仕事の定義」を根本から見直そうとしているのだ。
中学時代は部長として、高校時代は体育祭の実行委員長として、リーダーシップを発揮してきた彼女。なぜ社会人になって「仕事は仕事」と割り切るようになったのか。そして今、なぜその価値観を変えようとしているのか。
悪者になる覚悟━━中高で培ったリーダーシップの原点
━━ 簡単に経歴を教えてください。
私は神奈川県の横浜市出身です。高校は川崎の高校に行っていて、高校時代はアルバイトしかしてなかったんですけれど(笑)。
━━ 何のバイトをやっていたんですか?
めっちゃ色々ありました。コンビニ、ドンキ、居酒屋みたいな感じでいろいろやってました。
━━ なぜそんなにバイトを転々としていたんですか?
高校の時は、携帯代とか定期代とか、免許とかそういうイベント事全部自分で払わなきゃいけなくって。母子家庭だったんで。
でも、単純につまんなかったのが一個と、あとは一緒にやってて仲良かった人が辞めちゃったから違うとこ行こうとか。軽かった。アルバイトなんて所詮アルバイトと思っていて。
━━ 学生時代に一番熱中したことは?
サークル活動ですかね。フットサルサークルで、一応大学内では2番目ぐらいに大きくて、全体で300人ぐらい。でも実際活動に行くのは50人とか。
私、幹部だったんですよ。企画イベントとか、お金の徴収とか、合宿の宿とのやり取りとか全部やる幹部で。幹部が全部で6人いて、女の子の幹部は2人だけでした。
━━ 社会人になる前までで、今の自分に形作られている経験は?
2個あって、1個は中学の時の部活で部長だったんですけれど。中2の時にすごい強い顧問が来たんですよ。めっちゃチームが良くなったんですけど1年間でいなくなっちゃって。
その先生がいなくなった時に、自分がまとめな、同じやり方で同じようにまとめなきゃ、っていうふうになって。今まで仲良しでやってた部活で、一人だけ悪者にならなきゃいけない時が来て。
━━ もう一つは?
高校生の時に体育祭の実行委員長やったんですけれど。私の高校は1学年360人ぐらい、3学年で1000人ぐらいの規模で。
その体育祭の実行委員長、女の子がやるの初めてだったんですよ、私が。
うちの代から髪の毛を染めたりするのが体育祭中禁止になって。それまでは、それが楽しくてみんな盛り上がってたんですけど。
━━ どう対応したんですか?
結局、私、署名みたいなの集めて校長先生に直談判みたいなのしに行ったんですよ。でも結局通らなくて、私、1000人の前で初めて頭下げて「通りませんでした」って。
でも、それを褒めてもらったんですよね、先生に。なんか、ちゃんと実行委員長とか上に立っても頭下げるっていうか、全部自分の責任だっていう感覚。自分がもっと動いてたら変わってたかもしれないなとか。
「相談は無能の証明」からの脱却━━去年4月の危機
━━ CyXenに入社した理由は?
全然何やろうか決めてなくって。エージェント経由なんで私。「何でもいいです」みたいな言ってたんですよ。
そうしたら、「medicaっていう事業があるよ」って言われて。何も知らないまま受けたんですけど、面接は石井さんで、まじで5分ぐらいで終わったんで、あんまり印象ない(笑)。
━━ 入社して一番きつかった時期は?
一番きつかったのは去年の4月、5月です。
新卒が34人入ってきて、CRMのツールがハブスポットからセールスフォースに移管されて。新卒の育成もしなきゃいけないし、数字も作らなきゃいけないし、セールスフォースの仕様も全然決まってないからそれの連携もしなきゃいけないし。パンパンでした。
━━ どう乗り越えたんですか?
めちゃくちゃ石井さんとか新原さんにも相談しました。「私、このままだと多分爆発します」っていうのも。
相談することは無能の証明な気がしていて。「できない人間って思われるのめっちゃ嫌」だったんで。「このままじゃできないです」っていうのも、「ここまでしかできないのね」って思われそうだなとか。
━━ それは自分の中で変革タイミングだったんですね。
そうですね。あの時は。
1個は自分だけじゃ無理なので積極的にいろんな人に相談したりとかするようになったのと、もう1個はセールスフォースに移管したことで、medicaの新規営業以外と関わることがすごい増えたんですよ。
遠藤さんだったりとか、吉田さんだったりとか。いろんな目線から見なきゃいけない。営業がやりやすいやり方、コンサルからの目線、データを取りたいっていう面。いろんな目線の一番ちょうどいい場所を探さなきゃいけないっていうのを経験してるなあと思います。
自走できる人材を輩出する━━仕事の定義を変える挑戦
━━ 現在のミッションは?
今の自分自身のミッションは自走できる人材を輩出することです。
市場を助けられる人を増やすためには、市場拡大をしていかなきゃいけない中で、市場拡大の第一歩は新規営業なので、新規営業が売れるようにならないと何もできない。売れる人間を輩出しないといけないなっていう感じですね。
━━ そのミッションに対する課題は?
私が褒めても何にもならないというか、それが組織にとっていいことだねっていう組織に対しての紐付けをしていかないと、私が上司じゃなくなって違うチームに行ったりした時に再現性がないものになっちゃうので。
再現性のある人材、自分で考えて自分で動けるっていう状態にするのがめっちゃ難しいなって。
━━ 自分自身の変革については?
私、あんまり仕事って別に好きじゃないというか、仕事だからやるしかないよねっていう感じでやってきたので。
自分自身に熱量がないから、一線級人材じゃないので、周りも別に私を見て火がつくとかはない。今の私じゃ部下がかわいそうかなっていうのがあったので。
━━ 具体的にどんなことに挑戦していますか?
今月終わりから来月ぐらいに保育園に架電するんですよ。その提案してみて、リードどうするかとか誰がかけるかとか、そういうところ動いてみたりとか。
今まで待ちだったのをちょっと、自分から仕事取りに行けるような動きができたらなとは思って。
介護・医療・福祉━━家族の事業を支える側から
━━ この業界に対しての想いは?
私、おばあちゃんが保育園の園長先生だったんですよ。もともとで、お母さんとお父さんは障害者施設を経営してて。考えてみたら、意外とずっと近くに福祉っていうのがあったなあ。
今やっぱどこも経営が厳しくて、潰れちゃう事業所とかも増えてて、うちの親の事業所もいつ潰れてもおかしくないなって思って。
━━ どんな支援が必要だと思いますか?
すごい利用者さんのこととか考えながらやってる人たちが死なないっていうか、負けないようになってほしいなとは思っていて。
そうなった時に圧倒的に足りないのがこの市場の変化についていく脳みそだと思うんですよ。やっぱ遅い。全部、何もかもが古いので。
だからメディカル、CyXenがその事業所の脳みそになれたら一番いいなあって思います。
これはまさに、CyXenが掲げる「介護・医療・福祉の現場とテクノロジーを繋げ、業界価値を最大化する」というミッションそのものです。
「できないことに一生懸命」━━新しい仕事の定義へ
━━ これまでの仕事の定義は?
お金を稼ぐことが仕事でした。高校時代からキャバクラも含めて4年間やってましたけど、その時ももうお金を稼ぐ手段でしかなかったので。
所詮仕事っていう感覚がもうずっとあって。入社した時もずっとそんな感じだった。
━━ 今の仕事の定義は?
組織に所属する全員が、組織が良くなるために自分から動いていく。そうすることで組織が勝手に大きくなって、勝手に収入も増える。
一言で言うと、自分を含めたチームメンバーが人生をかけて成し遂げることが仕事です。
━━ どんな人と働きたいですか?
一生懸命な人。具体的に言うと、働いているとできないことばっかりじゃないですか。でも、そのできないことに対して一生懸命向き合える人。
一生懸命向き合ってる人だと、私もそれだけ時間を投下しないとなって思えるので。できないことに対して一生懸命向き合える人です。
仕事の定義を変える━━家族の背中を見つめ直して
インタビューの最後、手島さんは家族のことを語ってくれた。
祖父母も両親も自営業。一度は失敗し、自己破産も経験しながら、また立ち上がって福祉事業を続けている。子供の頃は「なんでそんなリスク取ってまでやるの?」と思っていたという。
しかし今、彼女は気づき始めている。家族にとって仕事とは「お金を稼ぐこと」ではなかった。むしろ失敗も含めて、それがあったから今の理念があり、今の事業がある。
中高時代はリーダーとして「悪者になる覚悟」も「頭を下げる責任」も知っていた。なのに社会人になって「仕事は仕事」と割り切ってしまった。その矛盾に今、向き合おうとしている。
「最前」で「最善」をつくす━━CyXenのコンセプトそのままに、手島さんは自分自身の変革に挑戦している。
CyXenでは、一緒に介護・医療・福祉業界を変革する仲間を募集しています
「できないことに一生懸命向き合える人」
手島さんが語ったこの言葉に共感する方、ぜひ一緒に働きませんか。
私たちは「介護・医療・福祉から、高度経済成長をもう一度」というビジョンを掲げ、業界の「当たり前」を変革しています。事業所の「脳みそ」となり、現場で頑張る人たちが本来の仕事に集中できる環境を創る。
自走できる組織、自走できる人材。それは一朝一夕には実現しません。でも、できないことに一生懸命向き合い、仕事の定義を変えていく覚悟があれば、必ず道は開ける。
手島さんのように、自分自身と向き合い、変革に挑戦する仲間をお待ちしています。