個人事業主から日本語教師、そして子育てと仕事の両立へ。変化に適応し続ける企画マーケターの挑戦
はじめに
「子供を産んで子供とかすっ飛ばして、孫にとってかっこいいおばあちゃんになりたいと思ってるんですよ」
そう語るのは、株式会社CyXenで企画マーケティングを担当する橘薗奈々さん。静岡県三島市で生まれ育ち、大学時代には障害者向けの衣服開発に取り組みながら、20歳で個人事業主として海外向けのアパレル事業を展開。その後、ミャンマーでの日本語教育事業を経て、現在は双子の母として仕事と子育ての両立に挑戦している。
かつて本気で世界平和を目指し、戦争ゼロの世界を夢見た彼女。南アジアや東南アジアに学校を作り、教育を受けていない母親や子供たちに生活の場を与えたい━━その壮大な夢は形を変えながらも、今も彼女の中に息づいている。
「誰かに出会って影響を受けて、その環境に適応する」━━激動の変化を乗り越え、人が辞めない職場を目指す彼女の物語。
世界平和から個人事業主へ━━20歳で始めた海外ビジネス
━━ 簡単に経歴を教えてください。
生まれも育ちも静岡県三島市で、小学校、中学校は比較的ずっとバレーボールですかね。土日も休みがないような、結構部活を頑張るようなタイプでした。
高校は自称進学校に行ってバレー部がなかったので、球技にならない運動部でテニス部しか選択肢がなくて(笑)。でもあまり頑張ってたわけではないですね。
━━ 大学時代は何をされていたんですか?
大学は家政学部という家庭科系の衣食住の「衣」の分野を勉強していて。同じクラスの子のお母さんが特別支援学校の先生をやっていて、その子が障害を持つ中学生とか高校生のボランティアサークルに入ってたんですよ。
私は衣服が持つ機能みたいなのを勉強していたので、「障害者にとって着やすいとか、障害者を持つ方のご家族にとって介護しやすい、ケアしやすいっていう衣服とは?」みたいな研究をしたり、作ったり、そういうワークショップに行ったりしてました。
━━ 個人事業も始められたんですよね?
あんまりみんなに言ってないんですけど、結構アパレル系とか卸しとかを地味に自分でやったりして。お客さんはあんまり日本国内じゃなくてドバイとか海外で稼いでたんですけど。
━━ 20歳ぐらいで?なぜ物販を始めたんですか?
私、将来的に女性と子供っていうテーマで、教育とか人生に関わりたいと思っていて。もともとは結構本気で世界平和を目指していた時があって。その時は戦争ゼロを目指してたんですよ。
━━ 世界平和!私と一緒ですね。
で、まだ教育を受けていないママとかちっちゃい子供がいるような人たちに、教育現場と生活現場を与えたいみたいな。南アジアとか東南アジアに学校を作って、縫製学校とかを作って、ものを作って販売してみたいな。やりたいなと思ってたんですよ、当時。
━━ その想いはどこから来たんですか?
多分、私が中学生ぐらいの時にテレビで外国に行って、発展途上国とかに行って活躍してる人みたいな番組がめっちゃ流行ってたと思うんですよ。
それで自然に私もそういうことするもんだと勝手に思ってました。もうずっと小学校高学年ぐらいから資料集とかにそういうのが結構ページで載っていて、もう自分もそういうことするもんだと思って生きてきたから、自然とそういうことをしたっていう感覚です。
上司が欲しくて転職━━激動の適応期を乗り越えて
━━ CyXenに入社した経緯は?
コロナ禍でミャンマーが内戦状態になってしまって、オンラインでの日本語教育しかできなくなったんです。しかも300万円ぐらい入ってきてないんですよ、その内戦の影響で。
そういうのを経験したときに、私はそれを面白いと感じるんですけど、このまま一人でずっと続けていった時に普通じゃなさすぎる人生すぎて、どこで世の中の普通を取り入れようかなみたいなことを考え始めて。
あと、相談相手が欲しいみたいな感じですかね。上司が欲しいという気持ちになってきたんですよ。
━━ 入社後、一番大変だったことは?
適応ですね。上司が変わるといろいろ変わりますよね。それを結構肌で感じてきたかなと思うのと、誰かの上司になるっていうのも、やっぱり自分が適応しないといけない部分があって。
上司が欲しくて入社したけど、自分に部下ができるっていうのはあんまり想像してなかったんですよね、当時の私は。上司がいなくなるのと部下ができるのがほとんど同じタイミングだったので、結構がむしゃらすぎたかなとは思いますね。
━━ どうやって乗り越えたんですか?
考える時間がなかったんですよね。だから多分悩む時間もなくって。わざわざ自分で自分のサイクルを止めることもなくって、だからいい意味でいっぱいいっぱいだった。
多分それを乗り越えたから身についたスタンスとかマインドがたくさんあるんじゃないかなとは思いますね。
━━ なぜギブアップしなかったんですか?
当時の私の感情は結構辞めた人たちへの怒りとお客様への申し訳なさだったんですよね。
でも、お客さんと話してると、私たちからすると150から200ぐらいの事業所の中の一つのお客様だったんですけど、お客様からしたら結構一分の一。
怒ってるってことはそれだけ真剣ってことだし、ちゃんと向き合えばいいお客様になるじゃないですか。今から挽回できるのであれば挽回して、自分もいい気持ちで相手もいい気持ちで終わりたいなみたいなのに、自然とシフトチェンジしていったかなぁと思いますね。
双子の母として見つけた新しいミッション━━孫に誇れる女性へ
━━ 現在の業務内容を教えてください。
企画マーケティングとして、役務提供の質を上げることもそうだと思いますけど、組織にもお客様にも還元できるものを増やすために役務の質も上げるし、役務の質が上がるような売り方、セールスにも影響を与えるようなシェアができればなとは思ってますね。
クリエイティブ、コンサル、役務提供、セールスっていうバリューチェーンを一気通貫してやって、いかにCyXenの事業価値を上げていくかっていうところがミッションなんだろうね。
━━ お子さんが生まれて何が変わりましたか?
私、今まで仕事に対して昇給したいとか昇格したいとか全くなかったんですけど、子供を産んで子供とかすっ飛ばして、孫にとってかっこいいおばあちゃんになりたいと思ってるんですよ。
孫にとって何でも買ってあげるとか自慢できるとか、何かあったら聞こうと思うとか連絡しようと思うみたいな強い女性。孫にとって強い女性になりたいなと思った時に、もっと組織の中で何かするべきしてもいいなと思うし、稼いでもいいなと思うし。
━━ 仕事への向き合い方も変わりましたか?
逆に仕事だけじゃなくてもいいなとも思うし、今までは仕事、寝る、食べる以外何するの?みたいな感じだったのが、子供っていうのが生まれてそうじゃない感性を抱くようになったのが一番の変化じゃないかなと思いますね。
自然と仕事のことを考える時間が減った。これはいい意味でだと思うんですけど。
介護・医療・福祉━━全てに恩返しをしたい
━━ この業界に対してどんな思いがありますか?
自分の子供を産んで、福祉の現場とか医療の現場とか、あとまあ自分のおじいちゃんおばあちゃんが結構訪問介護とかのサービスとかにお世話になっているっていう。もう利用者側をだいたい網羅した。
大学時代に障害の分野も関わっていたので、結構全部今にお世話になってるみたいな感覚なんですよね。
この世界を良くしたら世の中はハッピーになるみたいな感覚がすごい漠然としてますけどあるんですよね。
━━ 現場の課題についてどう思いますか?
やっぱり現場はせわしないし余裕なさそうだし、苦しそうな一面もあるけど、ご利用者様とか患者様と関わるときに、そんな一面は別に誰も見せてない。
どこかの瞬間に苦しい顔をして、どこかの瞬間に楽しそうな顔してるわけじゃないですか。なので、「少しでも苦しい瞬間を自分たちの仕事で少なくできたら意味があるんじゃない?」自分が今働いてる意義があるんじゃないかなとは思ってます。
これはまさに、CyXenが掲げる「介護・医療・福祉の現場とテクノロジーを繋げ、業界価値を最大化する」というミッションそのものです。現場の方々が本来の仕事に集中できるよう、テクノロジーの力で支援していく。
くすぶってる人も輝ける場所を━━誰もが適応できる組織へ
━━ どんな人と一緒に働きたいですか?
今まであんまり前に出たりしてこなかった人だけど、ちょっとくすぶってる人。
私、結構そもそもは尖ってたと思うんですけど、先輩の影響を受けて、人が辞めない職場を作りたいと思いました。それって自分がしたいことは、誰にとっても居場所がある環境を作りたいと思います。
━━ それはなぜですか?
だいたい人間って適応できるんじゃないかなと思っていて。その適応する際、環境が適応させに行くと思うんですよ。そこに一つ重要なのが「人」っていう要素だと思っていて。
誰かに出会って影響を受けて、その環境に適応するっていうのがあると思うので、どんな人が来ても私がいることで適応させられるっていうのも変ですけど、静かに黙って見守る役割ができたらいいなと思うので。
━━ ベンチャー志向じゃなくても?
あんまりその挑戦挑戦とかベンチャーベンチャーじゃなくても私は出会いたいなと思いますし。内に秘めてるけど、なんかちょっと恥ずかしいとかあると思うので。
めちゃくちゃホワイト企業で働きたいとか絶対定時退社したいみたいな人以外の、ちょっとくすぶってるけど、もじもじしてる人も一緒に働きたいなと思いますね。
孫に誇れる強い女性として━━新しい価値観との出会い
━━ 今後のビジョンは?
現場がしたいこととか、現場が考えていることを聞くですかね。外から見てて思うことの方が多分インパクト大きいかなとは思うんですけど、現場のみんながやろうと思わなかったら提供しても意味がないと思うので。
現場のみんなが何を考えているのか、それに対して自分が何を思うのか。で何を思うのかを言ったときに「じゃあそれで?」ってならないようにしないといけないなとは思うので。
意思決定に対してちゃんと議論するっていうのは多分今まで全くやってこなかった。どちらかというと結構決めてパンって下ろしちゃってたかなので。
━━ 変化のきっかけは?
休み明け戻ってきて、コンサルのムードがそもそも変わってると感じたのと、ゴリゴリ現場でやってきた4人が今ユニット長をやっているというのを考えたときに、もう彼らの方が現場歴が長いですし、肌感を持っているので。
あんまり自分が持ってる価値観は正しくないなって思うこととか、自分の経験値があんまり生かせないなって感じる部分がそもそもあるんですよ、すでに。なので、もう素直に現場の意見聞こうっていう感じかもしれないです、今は。
「最前」で「最善」をつくす━━このコンセプトのもと、現場の声を大切にしながら、誰もが活躍できる組織を作っていく。それが橘薗さんの新たな挑戦だ。
CyXenでは、一緒に介護・医療・福祉業界を変革する仲間を募集しています
「ちょっとくすぶってるけど、内に秘めた想いがある」
そんなあなたと出会いたい。橘薗さんが語ったように、私たちは誰にとっても居場所がある環境を作りたいと考えています。
世界平和を夢見て個人事業を始め、激動の変化を乗り越えてきた彼女のように、あなたの想いも形にできる場所がここにあります。挑戦的なベンチャーマインドがなくても大丈夫。あなたの中にある想いを、私たちと一緒に育てていきませんか?
「介護・医療・福祉から、高度経済成長をもう一度」━━このビジョンの実現に向けて、多様な価値観を持つ仲間と共に歩んでいきたい。