アメリカと日本を行き来した幼少期、兄への憧れから見つけた「自分の道」
はじめに
「自分が死ぬってなったときに、これまでの人生でやり切ったと言えるか。死に際どう思うかっていうことだと思います」
そう語るのは、株式会社CyXenで8月度MVPを獲得した清飛羅直樹さん。アメリカで生まれ、日本とアメリカを行き来しながら育った彼は、優秀な兄を追いかけ続けた青春時代を経て、「後悔のない人生」という自分だけの軸を見つけた。
大阪大学時代、長期インターンで出会った同い年・同じ大学の上司に衝撃を受け、「自分のことを考えないとダメだな」と気づいた瞬間から、彼の本当の挑戦が始まった。入社後は「一人でやることが正解」という学生時代の成功パターンからの脱却に苦しみながらも、覚悟と執念でMVPという結果を掴んだ。
その原動力は何か。なぜ介護・医療・福祉業界なのか。そして、どんな仲間と共に業界を変えていきたいのか。
優秀な兄を追い続けた日々━━20歳で気づいた「自分の人生」
━━ 簡単に経歴を教えてください。
父親の仕事の関係で、アメリカのテネシー州というところに生まれまして、2歳までアメリカに住んでました。幼稚園、小学校とかは日本に帰ってきたんですけど、小1から小3でもう一回またアメリカに行って。
小4にまた日本に帰ってきて、小4からはずっと大阪。中学は地元の公立の中学で、高校は京都の私立の洛南というところで。
━━ 洛南!仏教の学校ですよね。
そうです、弘法大師の空海。真言宗のところです。
で、大阪大学に入り、4年で現役で入ったんですけれど、自分が履修登録ミスした関係でダブっちゃって(笑)。9月卒業で、その卒業後に世界旅行を経て、入社っていう流れです。
━━ 学生時代は何に熱中していたんですか?
自分の場合、振り返っても特定のこれ一つっていうよりかは、もうなんかめちゃくちゃできる兄が普通にいたので。勉強だろうがスポーツだろうが、もう何から何までも兄に負けないっていう。それに熱中してたっていう感じですね。
━━ 大学入ってからは悩みとか葛藤はありましたか?
大学入るぐらいまでは別になくて。結局大学入ったら、兄と全然違うこともやるし、その後会社に入るってことも全然違うわけじゃないですか。
ってなったら、その、なんか自分の道しるべというか?基準っていうのがなくなっちゃったんで。ちょっとふわついた時期とかあったんですよ、当時。
━━ 転機はいつ訪れたんですか?
大学の2年ですかね?3年ですかね?長期インターンに行って、蓄電池のなんかピンポン営業やったんですよ。
そこで出会いがあって、それが自分の上長だったんですけど、たまたま同い年で、たまたま同じ大阪大学だったんですよ。
同い年で同じ大学の人間が自分の上長で、その上長は5人チームをちゃんと見てて、自分たちが取ったアポをバンバン成約を決めていくみたいな。で、家に行ったらめっちゃマネジメントの本とか置いててめっちゃ勉強してるみたいな。
もう20歳、同じ20歳で同じ大学で、ここまで違うかっていう衝撃を受けて。
━━ それで何が変わったんですか?
なんか自分はなんか兄に勝つとか負けないとかしか考えてなかったけど、ちゃんと自分のこと考えないとダメだなっていう。そこから考え始めたんです、将来を。
「口だけの人間になりたくない」━━覚悟が決まった瞬間
━━ CyXenに入社した動機は?
どういう生き方をしたいのかとか、どういう働き方をしたいのかっていうのをめちゃめちゃ考えた結果、出した結論が後悔のない人生を歩みたいっていう。
ここでいう後悔っていうのは、例えば振り返ってみたときに、なんか思い切ってやってみたけど全然うまくいかなかったとか、失敗したとか。それってあんまり後悔にならなくて、逆にいい思い出だったりもするんです。
ただ、「あんときもしああしてたら、自分って今どうなってたんだろうな」みたいな後悔ってあるじゃないですか。そっちがもうめちゃくちゃ気持ち悪くて。
━━ それが「挑戦を当たり前にする」と繋がったと。
そうです。自分が死ぬときに「やり切ったな」って思えるかなという気持ちがあり、そういったところが「挑戦を当たり前にする」っていうのと合致したんじゃないかと思います。
━━ 入社して一番大変だったことは?
やっぱりその自分は勉強とか独学みたいなところがめちゃくちゃ強かったんで、何でも一人でやることが正解というか。
勉強とかって答えが書いてあって、答えまでのプロセスも書いてあって。なんか人に聞くより自分で勉強した方が絶対効率がいいんです。
ただ、社会人になるとそれは逆転するというか。むしろ自分で考える方が良くないというか。聞いて、答えのない中から吸収する。自分で一人で考えちゃう癖とかが良くない方向に当時はあったのかなと思ってます。
━━ どう乗り越えたんですか?
一つは環境がよかったっていうのと、直近で言ったら営業チームとかで、何でも石井さんに聞いたら何でも言ってもらえるし、なんかできてないことも指摘してもらえるし。
あとは自分が自分でやるっていうやり方に限界を感じてたので、変わらなきゃいけないんだっていう意識ですね。
━━ でもプライドとか邪魔しませんでした?
最初はもう向き合えてなかったですけど。その同期でもっともっと成果を出してるメンバーが出てきたりだとか、その後輩も新しく入ってきたりとか。ってなったらもう逃げ道がないというか、もうやるしかないなっていう。
━━ 自分が変わったターニングポイントは?
直近のやつで言ったらそれこそ営業チームができて、石井さんに同期と飲みに連れてってもらって。
石井さんから「お前たち3人にめちゃくちゃ期待してる」「やってもらわないと困る」ということも言ってもらって。
その後、石井さんと解散した後に、メンバー3人で「俺たち本気でやろうぜ」っていう。
━━ その経験がなぜそこまで清飛羅さんを変えたんですか?
後悔がない人生を生きるとか、でかいこと将来やりたいとか。ってなったら、自分が成果を出せなかったら、なんか口だけの人間になっちゃうじゃないですか。
だから、その口だけになりたくないなっていう思いが再認識されたというか。
MVPの舞台裏━━「これで成果出なかったら俺は終わり」
━━ 8月にMVPを取れた要因は?
まあやっぱり覚悟とか執念とかかなと思います。
なんか能力開発とか、架電数めっちゃやるとかロープレ頑張るとかやったんですけど、やってそれで能力も上がったんですけど、それをそうさせたのも自分の執念というか覚悟というか。
もうこれで成果出なかったらもう俺は終わりっていうぐらいの気持ちで腹くくってたのが一番覚悟が決まってたと思います。
━━ 現在のミッションは?
自分の成果を安定させることですかね。再現性を持たせて、ずっとこれが当たり前っていう。
━━ そのために今取り組んでいることは?
自分がうまくいったとき、成果が出たときに、いかに再現性を持たせるかっていうところで抽象化っていうんですかね?
具体的な事例をいっぱいいっぱい勉強するんじゃなくて、こういうことができてたから成約つながったんじゃないかなっていう、その仮説と検証を頑張ってるかなと思います。
介護業界は日本が世界に誇れる分野━━挑戦できる最後のフロンティア
━━ 清飛羅さんのミッションと会社のミッションはどう繋がっていますか?
後悔のない人生、いわゆる挑戦だと思うんですよ。やるかやらないか迷ったところをとりあえずやってみるっていうこと。
この業界で言ったら、やっぱりその高齢化って見える形で今後伸びていく市場じゃないですか?で、かつ海外もそこまでがっちり参入してるわけでもなくって。
なったら、日本がこれほど優位に立てる可能性がある業界ってそんなに多くないと思うんですよ。
━━ なるほど!
その中で第一線を狙っていけるというか、挑戦できるっていうのは、自分が後悔のない人生を生きるというところにはすごくリンクしてるんじゃないかなと思ってます。
今後CyXenが海外展開みたいなことになった時には、ぜひチャレンジしたいなと思っています。
━━ 今のコンフォートゾーンを抜けるために必要なチャレンジは?
やっぱりまだ成約が取れてないような属性のお客さんもいらっしゃるんで、新規開拓につながるような、そういう方に新たにご成約を取れるような営業になるっていうのが自分の課題です。
そのためには、フィードバックを見てもらって動画を見てもらって、「もうちょっとこうしたらいいんじゃない?」っていうアドバイスを石井さんにいただいて、次に活かしてみるみたいなことをやってます。
「夢がある人と一緒に頑張りたい」━━切磋琢磨できる仲間を求めて
━━ どんな人と働きたいですか?
一つは切磋琢磨しながら働きたいっていう人ですかね。
なんか成約上がった時に「うわー、すごい」だけじゃなくて、なんか燃えるというか。自分もやってやろうっていうような感覚になれる人。
━━ もう一つは?
これは本当にもう自分個人的な意見なんですけど、何か夢がある人はやっぱりいいなと思います。
なんか飲み会とかでもふと、なんか「将来こういうことやりたい」みたいなこと語られると、一緒に頑張ろうっていうすごく思います。
━━ 覚悟が決まらない人へのメッセージは?
やっぱ自分の場合は死に際を想像することですかね。
突如事故で亡くなるのか、病気で亡くなるのか、老衰なのか分かんないですけど、一番もう自分が死ぬってなった時に、今自分がその踏みとどまってることをするという選択肢を取った時に、死に際どう思うかっていうことだと思います。
「あれー、結局やらずに終わったなぁ」なのか、「やり切ったな」なのか。そういう考え方をします、自分の場合。
必死━━必ず死ぬ覚悟で、今を生きる
アメリカと日本を行き来した幼少期。優秀な兄を追いかけ続けた学生時代。そして20歳で出会った同い年の上司に衝撃を受け、「自分のことを考えないとダメだ」と気づいた瞬間。
清飛羅さんの人生は、常に「高い基準」を求め、それを超えようとする挑戦の連続だった。一人でやることが正解だった学生時代から、仲間と共に成果を出す社会人へ。その変革の過程で見つけた「後悔のない人生」という軸。
「もうこれで成果出なかったらもう俺は終わり」という覚悟で臨んだ8月。その結果がMVPという形で実を結んだ。しかし彼は立ち止まらない。安定的に高い成果を出し続け、まだ開拓できていない領域にも挑戦していく。
介護・医療・福祉業界は、日本が世界に誇れる可能性を秘めた最後のフロンティア。CyXenが掲げる「介護・医療・福祉の現場とテクノロジーを繋げ、業界価値を最大化する」というミッションは、まさに清飛羅さんが求める「後悔のない人生」そのものだ。
必死━━必ず死ぬという覚悟で、今この瞬間を全力で生きる。死に際に「やり切った」と思える人生を。
CyXenでは、一緒に介護・医療・福祉業界の未来に挑む仲間を募集しています
「後悔のない人生を歩みたい」
清飛羅さんが語ったこの言葉に共感する方、切磋琢磨しながら成長したい方、そして何より「夢」を持っている方。
介護・医療・福祉業界は、日本が世界に誇れる可能性を秘めた最後のフロンティアです。この業界で第一線を狙い、挑戦できる環境がここにはあります。
死に際に「やり切った」と思える人生を、私たちと一緒に歩んでみませんか?
「最前」で「最善」をつくす━━覚悟と執念を持って、共に業界を変えていきましょう。