みなさんこんにちは、平木です。
「気になるあの人に聞いてみた」シリーズ、第5回目の今回はスマホで診療が受けられるアプリ「CLINICS」のデザイナーを務めるマエダさんに登場してもらいました。
WEB制作会社・フリーランスから事業会社まで幅広く経験し、デザイナー歴13年となるマエダさん。メドレー開発本部の中でも精神的支柱の1人である彼と、酒を酌み交わしながら語りあってきました。
デザイン系の専門を卒業するも、職がなくフラフラしていたプータロー時代
(平木)それではまずカンパーイ、お疲れ様ですー。
今日は早速、マエさんの過去について掘り下げさせてもらおうと思ってます。
(マエダ)あんま俺の過去、面白くないんだよねー。一旦平木さんの過去から語ってもらってもいい?
(平木)俺の過去はいいよw じゃあ、仕事を始めたあたりからどんなことをやってきたか教えてください。
(マエダ)もともと自分はデザイナーになりたくてデザイン系の専門学校を卒業して、地元の仙台で就職活動をするんですけど、仙台ではまずクリエイティブ系の職種がなかったんですよ。そもそも当時はまだインターネットという業界で仕事がなくて。
(平木)WEBデザイナーを目指してたの?
(マエダ)なんなんだろう…マルチメディアクリエイター?っていうとなんか変な感じだな。Macromedia DirectorだったりFlashとか使ったりする…
(平木)あー!あったね〜
(マエダ)そういったマルチメディア系のことを学生時代勉強していたから、そういう経験が活かせるところはないかな〜?と思ったんだけど、仕事としては当時全くなかったんですよね。
(平木)なるほどね。
(マエダ)しょうがなく、デザイナーとしてやってくなら「印刷系か?」と思いDTP系の仕事を探すんですけど、まぁどこもかしこも老舗みたいな感じなので経験者しか採らないと。
(平木)あれか、チラシとかのデザインから印刷までみたいな。
(マエダ)そうそう。そうするとなかなか職が決まらず…「そっか〜」って。
(平木)ゆるいなw
(マエダ)んで、ちょうど親父が東京に単身赴任してて、そっちで仕事を探そうと思って。その頃バンドマンもやってたんで、ベースを抱えて東京にいくわけですよ。
(平木)ほうほう。
(マエダ)ただ、第一回東京進出は失敗に終わるんですよ。
(平木)え!?なんで?? 就職はできずに?
(マエダ)当時(2000年)は東京でもまだインターネット系の会社なくて。
(平木)はいはい。ちょうど黎明期の頃だね。だいたいパソコン通信すらまだまだって感じの時代だもんね。プロバイダもIIJとかASAHIネットぐらいしかなかったよね。
(マエダ)うん。就職できずにただのダメ男になってましたねwそれでもう一度仙台に帰ることになって。あ、店員さん、ビール2つでー!
クリエイティブ系での就職を断念、友人の誘いでカスタマーオペレーターに
(平木)それで仙台帰って就職するんですか?
(マエダ)いや、数ヶ月プータローしててw そしたら友達が「こういう会社あるから受けてみない?」って言って紹介してくれたのがインターネットプロバイダーだった。
(平木)ほう。職種は?
(マエダ)カスタマーオペレーター。
(平木)まじで!どのぐらい続いたの?
(マエダ)その会社自体は結構長くて、4年ぐらい。結構部署が変わったから、オペレーター自体は1年ぐらいかな。インターネットプロバイダーのオペレーターなんで、「ネットが繋がらない」みたいな問い合わせに対応してて。あとはMac担当だったんだよね、漢字Talk7からMac OS 8あたりの時代。両方のインターネット接続の対応をやってて。
(平木)Macはそれまで使ったことはあったの?
(マエダ)学校で使ってたよ、当時yosemiteっていう名前がついたG3があって。
(平木)へぇ〜。それは学生時代の経験を買われて?
(マエダ)うーん、どうだったっけ?俺「Macがいいっす!」って言ったのかな?
最初オペレーターやってたんだけど、でも飽きてちゃって。ちょうどその頃、スパムメールとか不正アクセスのアクセス元を解析するチームができて、そっちに異動することになったんだよね。
特定したアクセス元に、「スパムメール送ってる履歴があるんですが、記憶あります〜?なければ経由されちゃってる可能性があるから、セキュリティ強化してね」みたいな連絡をする仕事をしてました。
(平木)まぁ、ここまで一切デザインの話出てきてないっていうねw
(マエダ)そうだねw
しばらくしたらまた飽きてきちゃって、次に行ったのは企業向けのネット接続の専用線を繋ぐ仕事だったな。まだ当時光とかなかったからね。いわゆる常時接続の専用線と言われるものを扱ってて、当時はそういう会社はDNSも自前だったんで、DNSのバインドの設定とかをレクチャーする仕事をやってました。AレコードとCNAMEレコードの話とかして。
(平木)デザイナーから出てくる単語じゃないね!
(マエダ)移る前に研修が4日間あるんだけど、パソコンと資料渡されて「はい、覚えておいてねー」みたいな感じで…。「わかりましたー」って言いながらMSXのエミュレーター落として、メタルギアずっとやってたw
(平木)それはひどいな。。その部署ではどれぐらいやってたの?
(マエダ)それも1年ぐらいかな?
紆余曲折を経て、上京しWEBデザイナーの道へ
(マエダ)その頃「やっぱりデザインをしたい」って気持ちがふつふつと湧いてきていて、東京で改めて職探しをすることになったんだよね。2004年にもなると東京ではインターネットの会社も出てきてた頃だったし、DTPでは経験者しか採用しないという感じだったけど、ITは未経験者も歓迎だったというのもあってWEB制作会社に内定をもらいまして。やっとここでデザインの道を歩むことになるわけです。
(平木)なるほど、やっとだね。入りがWEBデザイナーって、当時は結構珍しくない?時代的にはだいたい印刷の方から、片手間で「会社がネットやるから〜」みたいな感じでWEBに転身っていうパターンが多い気がするけど。
(マエダ)そうかもしれないね。ただWEBデザイナーに興味はあったのかな。オペレーター時代、電話しながらCSSでtableってどうやったら書けるのみたいな勉強はしてたんだよね。んで実際インターネットの会社に行ってみたら誰もCSSわからないみたいな状態で。
(平木)そうだよね。当時CSSなんて使えるの?みたいな時代だったもんね。じゃあ最初からデザインとコーディングやってた感じなんだ?
(マエダ)そうですね。昔の制作会社はデザイナーが両方やってたんで。コーダーっていう概念がなかったね。
(平木)確かに。俺も最初マークアップしかできませんって状態の時に「じゃあバナー作って」って言われてたもんなぁ。
(マエダ)入社して即別の会社に常駐というよくあるパターンになって。でもずっとやりながら「本社行きたいですわ〜」って言い続けてて、1年後にやっと願いが叶いましたね。本社に言ってからようやく自分で色々作らせてもらえるようになって、そこからちゃんとデザイナーらしい道が歩めるようになったんだよね。
(平木)その会社にはどれぐらいいたの?
(マエダ)2年半ぐらいかなぁ。経験も積んできて、ステップアップしたいと思ったことがきっかけで転職を決意しました。
(平木)で次もWEB制作会社?
(マエダ)そうだね。でその会社でも色々あって、気づいたら入社半年でデザインのトップみたいになっちゃって。制作会社で結構忙しくて、夕方ぐらいに入った案件の納期が翌日だったりと…だいぶ鍛えられましたね〜。
そしてその会社で1年ぐらいたった頃、自分でフリーとして活動してみたいと思って、前職の同僚と3人で独立を決めました。
(平木)へー!そうなんだ。
(マエダ)対クライアント営業の時に安心感があるかなと思ったことから会社という形にして、実質は3人とも個人事業主みたいな感じで動こうと。職場になるマンションも自分たちで壁塗ってさぁ始めるぞと意気込んでたんですが、思ったよりも会社経営って大変で…。
ちょうど私生活で子供が生まれるタイミングだったこともあって、稼ぎに不安が出てきたんですね。なのでその会社は自分はアルバイトっていうたてつけにして、派遣会社に登録して仕事をもらいつつダブルワークすることになりまして…当時はほぼ寝ず、寝れる時でも家に帰ってられないから日比谷公園で寝る感じで仕事してましたよ…。
(平木)過酷だなぁw
(マエダ)たださすがにその生活にも限界がきて、立ち上げた会社の方は辞めることになるんですけど、ありがたいことに当時所属してた派遣会社がよくしてくれて、「業務委託でどうですか?」と誘ってくれたんだよね。そこからフリーランスの道を進むんだけど、なかなか人生って難しいですね。そこでリーマンショックの時代が来るんですよ。仕事もらってた派遣会社が不動産系だったので不況の煽りを受けて契約が更新が難しくなってしまって。で色々探している中で前職のリブセンスに出会ったんです。
(平木)へー!当時のリブセンスって…上場前?
(マエダ)そうですねー、まだ社員が30人もいない状態の頃で。これから上場目指しますっていうタイミングで、面白そうだなと思ってジョインしました。組織的にもまだまだ発展途上で、デザイナーも1人しかいないというステージだったから、自分の好きなようにやらせてもらえそうだなと思ったのが決め手ですかね。
(平木)そうなんだ!リブセンスは結構長くいたんだよね。
(マエダ)そう。7年ぐらいかな?リブセンスではデザインのコンセプト設計やロゴデザイン、サイト設計からフロントエンド実装からサービスのグロースハックまで携わったり、他にもCM制作とかコーポレートブランディングとか、幅広い経験をさせてもらったなぁ。
あとはデザイン組織の立ち上げからやらせてもらって、そこで部長職に就任しました。ちょうどその頃、リブセンスのエンジニア部門の部長になったのが現メドレーCTOの平山さんで、彼とはその頃からの付き合いですね。
40歳を前に、今本当にやりたいことは何なのか突き詰めて考えてみた
(平木)前職からメドレーに入ろうと思ったきっかけは?
(マエダ)平木さんがいたからじゃない?
(平木)なんだそれw
(マエダ)まぁ前職では本当に幅広く色々な仕事をやらせてもらって、組織も大きくなってきて、次何か大きな出来事があったときに、自分がすごく活躍できるのか?っていう自問自答があったかな。
そのときに自分には何かに集中してやり遂げる力が欠けている気がすると思ったんだよね。でもそれをやろうとしたら、「これを絶対にやりたい!」という確固たる意志が必要かなと。それで自分何がしたいんだっけ?何をやり続けていきたいんだっけ?といったことをもう一度考えたときに、「医療」ていう事業ドメインにすごく惹かれたんですよ。
もう自分も37歳になるんだけど、子をもつ親として何度か病院にお世話になることがあったんですが、医師から説明された内容を理解できず、ただただ医師の言うことにすがることしかできなかったりして、疑問に思っても、それが適切な治療法なのかとか、判断することができなかったりしたんです。
今後より生活のなかで医療が身近になっていくんだろうとなったら、もっと医療について正しい知識を患者サイドも知る必要があると感じました。
だから40になるときには絶対に関わっているんだろうなという思いがあって。
(平木)なるほどね。同じ医療事業をやってる会社はたくさんあるけど、その中でもなんでメドレー選んだの?
(マエダ)今の日本では医療系の事業推進しようと思うと、国も巻き込こまないと根本的な解決ができないと自分は思ってるんだけど、それができそうなのは医師というバックグラウンドを持ったメンバーがジョインしていたり、行政にもきちんとアプローチしているメドレーかなぁ、と思ったことも理由の一つですね。
課題解決のためにちゃんと医療分野に踏み込んで行こうとしたときに、患者が感じる課題もあれば、医師側としての課題もあると思うんだけど、メドレーでは医師たちも同じ社員として共に働いているから、両方の目線からサービスを作ることができるというところにも魅力と可能性を感じたのも大きいかな。
一番は「やる意義」ですかね〜。そんなことを考え始めた、36歳・夏。
(平木)w
(マエダ)いや、おっさんになるとね、やってる事業のその先というか、意義というものを考え始めたんですよ。
(平木)あ〜。弊社にいるおっさんたちもそういう人多いよね。
(マエダ)おっさんになるとスキルもある程度付いてきて、ある程度のことはなんでもできるといえばできるじゃない。そうなったときに自分のモチベーションを高く保てるのは「意義」だったりするんだよね。
あとはメドレーの開発本部はそういう理由もあるんだろうけど、おっさんが比較的多いから、この歳でも「いちプレイヤー」として働けるというか、フラットな環境でできるというのはすごくやりやすいね。肩書きに縛られず、「デザイナー・マエダクニオリ」として再出発できたのは本当によかったと思う。目指すところは「キング・カズ」ですよ。
(平木)50歳になってもプレーヤー、ね。
(マエダ)そうそう。自分を高められる環境に身を置いていたいっていう気持ちはありますね。いや、バランスだな。たまに疲れちゃう時もあるからね〜
ただ、自分にとって楽な環境にずっと身を置き続けることは自分には向いてないなと思いますね。
サービスのデザインを作るのは”デザイナーだけではない
(平木)なるほどねぇ。でもマエさんが入ってきてくれて、以前よりもかなり円滑にプロジェクトが回るようになったなぁという印象があるね。メドレーもベンチャー特有の過渡期の中で、毎回プロジェクトが動くたびに改善して行こうという思いがあるんだけど、マエさんが入ってくれたことで課題感が明確になったというか。それより前は課題がでかすぎて、どこから手をつけるべきか手探りの状態だったけど、スコープがきれるようになってきたね。
(マエダ)え、本当に?ここ太字で強調してね!
(平木)でも、マエさんとは本当に一緒に仕事やってて、やりやすいなと思う。普通にデザインだけだなくマークアップもするんだけど、そういう場合自分がやるから工数かからないようなデザインにしようって意識しちゃう人いるけど、マエさんはデザインはデザイン、コーディングはコーディングって分けて考えてる。双方向の視点をちゃんと持っているよね。
(マエダ)逆に、デザイン作った後に自分で組んでみたら、これ無理だわーってなることたまにありますよw
(平木)そんなことあったねw
あとはこだわりがあるところはきちんと言ってくれるし、時間の兼ね合いとか総合的に考えた上で優先順位つけて判断してくれるから、すげえそこやりやすいなと思う。
(マエダ)ある意味、自分はすぐ妥協しちゃうんだけどねw
意味のあるこだわりしかしないようには意識してるかな。”機能として機能しているか?”ってところだけは大事にしてますね。ユーザーに対して目立たせたいところや重要なところはきちんとこだわるし、それ以外の部分は1px1px、すっげーミクロにこだわるみたいなことはしないかもしれないですね。
(平木)そこのこだわるところとこだわらないところ、うまくラインが引けるきっかけってあるんですか?
(マエダ)うーんなんだろう…強いていうなら、俺が子供の頃にMSXってゲーム機があってさ。
MSX2は256色で表現ができるんだけど、MSX1は16色でしか表現できなかったんだよね。
でも互換性があるようにしないといけないけど、それって「妥協」じゃん。”機能としてちゃんと機能しているか?”って考え方はこのときにすでに学んでいたのかもしれない。
実際PCでもMacとWindowsの違いやブラウザ依存があったり、スマホでも端末依存があったり。そこにこだわりだしたらキリがないよね。
(平木)なるほどね〜、あとはマエさんは、デザイナーの作ったデザインがあるから、それが全て「正」ですっていう考え方ではないよね。ついついそれが「目指すべき完成形」になってしまうことはありがちなんだけど。
(マエダ)そうだね。俺はそうは思って欲しくないなって思ってる。あくまでもデザイナーが出す案はモックであって、それを実装するときに議論してブラッシュアップして一番最適なものを出せるのが正解だと思ってますね。デザイナーがデザインしたものをただマークアップするだけだと、ただの「受託開発」になってしまうじゃないですか。
(平木)とはいえ開発に時間の余裕があるわけではないから、そこはジレンマだよね。デザイン上がってきたタイミングで一度議論して、実装しましたってタイミングで実際に使ってみながら議論して、ってできるといいんだよね。
(マエダ)あとは、昨日いいと思っていたデザインが今日見るとブサイクに感じるみたいなこともあるからね。そのあたりの「揺れ」をなくすって実際には難しいんだけど、それが今のメドレーの課題でもあるかなと。
(平木)揺れをなくす方向って多分無理なんですよ。「揺れの幅を一定にする」って考えた方が建設的かもね。
(マエダ)「許容範囲はどこか?」っていう考えだね。
(平木)そうそう!ここは絶対に譲れない。だけど、こっからはまぁ、許せるかな…っていう遊びの幅が作れるといいよね。ガイドライン的な。
(マエダ)ガイドラインはあったとしても、柔軟性は必要だよね。自分は、コミュニケーションをとる中でガイドを作っていくのが理想的だと考えてますね。デザインを作るのはデザイナーだけではなく、色んな人とコミュニケーション取りながら作るのがセオリーだと思っていて。自分がいいと思っていても他の人からみたときにそうでないことってあるからね。
単に使いやすい、見やすいっていうだけの表面的なデザインではなくて、ユーザーが実際に利用するシーンで最適なUXを提供できているかどうかっていうのは、ロジカルに導くのは難しいんじゃないかなと思っていて。「ユーザーがそのサービスを使って、直感的にどう感じるか」「サービス利用後にユーザーの心にどんな感情が生まれているのか」という利用シーンごとの感情について思考した「感情を軸としたデザイン」ができたらいいなと思っています。
(平木)お酒も手伝っていつもよりアツイ内容になったけど、本音が語れてよかったです。これからもいいプロダクトを作るためにもお互い切磋琢磨しながらやっていきましょう。今日はありがとうございました!
《メドレーからのお知らせ》
5月17日(水)、トレタさんと合同でイベントを開催します。
IT技術を掛け合わせることでそれぞれの業界が抱える課題を解決し、それらサービスを利用する人々の暮らしがより豊かになることを目指すためのプロダクト開発を行うトレタとメドレー。「プロダクトの開発プロセスと開発マインド」をテーマに、両社のCTOとトップデザイナーが開発のウラ側をセキララに話します。
メドレーからはCTOの平山と、今回熱い思いを語ってくれたデザイナーのマエダが登壇します。
ご興味ある方、ご応募お待ちしてます!
また、メドレーでは一緒に働く仲間を募集しています。