私がヤフーを辞めてメドレーに入社した2つの理由 by Masaaki Takeuchi | 私がメドレーに入社した理由
こんにちは。オンライン病気事典「MEDLEY」の開発を担当しているエンジニアの竹内と申します。メドレーに入社して1年9ヶ月ほど経ちます。まだ2年も経っていないわけですが、メドレーの開発部では3番...
https://www.wantedly.com/companies/medley/post_articles/37518
はじめまして、こんにちは。
メドレーで医療介護分野の人材不足を解消する求人サイト「ジョブメドレー」と口コミで探せる介護施設の検索サイト「介護のほんね」のプロダクトマネージャー 兼 開発 を担当している稲本です。
気付けば開発本部の中では2番目に古株で、入社してから2年7ヶ月経ちました。
メドレーへ入社する前、「自身がどんな心境だったのか」「どんな事を考えていたのか」や、「実際に入社してみてどうだったのか」を振り返ってみたいと思います。
メドレーへ入社する前までに2社経験し、メドレーは3社目になります。
受託開発の会社で顧客システムのインフラの構築/運用を行うインフラエンジニアとしてキャリアをスタートし、そのあとは自社サービスと受託開発の両軸で事業を行っている会社へ行きました。
2社目の会社には6年間いましたが、最初の3年間はデータセンターとの契約や機器の調達、ネットワーク、サーバの設計・設定、ミドルウェアの設定・チューニング、RDMSの管理、監視、バックアップ、クラスタリングなど1社目のキャリアから引き続きインフラエンジニアとしてキャリアを積んでいました。
当時は今のようにAWS、GCPの様なクラウドサービスが日本リージョンにまだ存在せず、サーバの調達時間を短くする努力や、システムリソースを効率的に活用する技術、可用性を上げるためのクラスタリング方法などをひたすら求めていた記憶があります。
※記憶に残ってる本(懐かしい)
その後、インフラだけでなく幅広くシステム開発に関わりたいと思い、開発エンジニア(サーバーサイドエンジニア)へキャリアを転換していくことになります。
開発エンジニアとしてのキャリアを本格的にスタートしたのは28歳頃なので、周りと比べると少し遅かったと思います。
短期間で周りへ追いつき追い越す為にも、寝る間を惜しんで本を読んだりコードを書いたりして、しんどかった反面理解できていく過程が楽しかった記憶もあります。(エンジニアなら誰もが経験する「夢の中でデバッグ」もこの頃初体験した思い出)
その時の学びや、納期を守り結果を出すことに対する姿勢、設計したりコードを書くのが楽しいこと、チームで開発するのは楽しいと思えた経験は今の自分の基礎になっていると思います。
※初学時、意味不明で泣かされた本(後に克服)
そういった経験を経て、大小さまざまな規模のプロジェクトを、プロジェクトリーダーとして担当する場面も増えていきました。
顧客との折衝を経て複雑な業務仕様を実装へ落とし込む仕事や、トラフィックの高いWebサービスの負荷試験や対策、プロファイリングをしてプログラムの実行速度/効率を上げていく仕事、など地味で泥臭いことなどもそれなりに楽しんでやっていたと思います。
経験を積みそれなりに自信が持てる状態になり、余裕が出て周りへの視野が広がっていく中で、もっと広範囲に技術やビジネスヘ触れていきたいと思うようになりました。
アプリやフロントエンドの開発、プロダクトの立ち上げやグロースなど、サーバサイド・インフラエンジニアのキャリアをベースに周辺知識や技術、プロダクト・ビジネスへの理解を広げながら、もっと距離を近づけて仕事をしていきたいと思うようになっていきました。
当時所属していた会社でそのような機会があることを待ちつつ引き続き頑張るのか、やめて違う会社に行くのか、かなり悩んだ記憶があります。
悩んだ結果、結論としては
「待って後悔するよりは行動して納得したい」
「利用する人の実生活に結びつくプロダクトに関わっていきたい」
と思い、転職をすることにしました。
6年働いた会社を離れるのは寂しくもありましたが、自身が望む環境とのギャップが大きくなってきたこともあり、決意を固めて行きました。
求人サイトやエージェントの紹介などを経ていくつかの会社を見ていった結果、何故か自然と医療系ベンチャーという世界へたどり着き、最終的に興味を持った会社がメドレーでした。
メドレーの事業や開発組織の展望、今の課題などについて聞く時間を代表の瀧口に設けてもらいました。
当時の開発組織に関する話としては以下の内容でした。
・エンジニア1名、デザイナー1名の組織
・今のシステムはレガシーだが改善していこうと考えているし進めている
・エンジニアを増やしていきたい
・医療・ヘルスケアという分野に対しTechnologyをもって切り込んでいきたい
「医療ヘルスケア分野の課題を解決する」といったシンプルだけど大きい理念に共感したことや、組織が小さかったこともあり当時自分が望む環境は全て実現していけそうということ、何より
「利用する人の実生活に結びつくプロダクトに関わっていきたい」
という気持ちと噛み合った気がしました。
医療・ヘルスケアという専門性の高そうな分野において、エンジニアの自分に何が出来るのか、という不安もありましたが、それ以上に「自身がどう貢献していけるか」を考えるとわくわくしたのを覚えています。
メドレーへ入社してから事業も組織もプロダクトも変化し続けているので、当時と今入社するのでは大分印象が異なると思います。おそらく半年後や1年後も大きく変化していることでしょう。
その変化を楽しみながら、プロダクトをつくるということに向き合ってこれた3年間だったと思いますし、今後もより楽しんでいきたいと思っています。
短くもとても濃い3年間だったので、特に印象に残っていることを3点だけ書いてみたいと思います。
入社時のメドレーのオフィスは、20-30名ほどのワンフロアで結構ギリギリな状態でした。
電話が近くで鳴るのを嫌がるエンジニアは多いと思いますが(自分もかつてはそうでした)、入社時は違う印象を持ちました。
就職・転職活動を行っている方へのキャリアサポートの電話で、とても親身な対応をしているのを見て、事業が生きている、支えられているというような感動がありました。(最近ではオフィスも広くなり直接電話が聞こえてくることは無くなり少しさみしくもあります)
営業も毎月きっちり目標を達成しているのを見てプロとしての姿勢を感じていましたし、本当に誰もが一生懸命働いている会社だなと感じました。
入社時にメドレーで運営していた事業は「ジョブメドレー」のみでした。※2015年から2年以内に「MEDLEY」「介護のほんね」「CLINICS」と新サービスのリリースが続々始まります、すごいですね。
事業的に好調ではあるものの、正直見たことが無いくらい混沌としたコードになっていました。
しかし、同時期に入社した竹内がブログで書いている通り、過去に担当していたエンジニアが必死になんとかしようとしている姿が目に浮かびました。
自分が入社したタイミングは運も良く、本格的にエンジニアを増やしていくフェーズだったことや、竹内の覚悟を決めた粋がりもあり、半年近い大規模なシステムリニューアルを進め無事完了し現在に至ります。
長期間開発を止めてシステムリニューアルを行うということは事業的にも勇気のいる決断だっと思いますが、もし当時リニューアルを選択していなければ、ずっとコードの整理をし続けていた可能性がありますし、今の事業規模へも到達していなかったと思います。
こうして入社後最初の1年は、機能追加とシステムリニューアルでほぼ費やしました。
技術的にも自身が利用したことが無かったものを適材適所で使うことが出来たり、フロントエンドの開発を経験したり、多数の成功や失敗があったりと学びの多いプロジェクトになりました。
その後、引き続きジョブメドレーを担当していますが、2年目はリードエンジニアとして、3年目は「介護のほんね」も含めた2つのサービスのプロダクトマネージャーとして、プロダクトをより良いものへ成長させていくことを考え実行しつつ、エンジニアとしての価値を最大限発揮できるようなチームの実現を目指せるように、自分自身もプロダクトと一緒に成長できるよう取り組んでいます。
入社後の話として個人的に一番大きかったのが、弊社取締役CTOである平山が2015年に参画したことです。
入社時(2014年)からエンジニアを増やしていくという話はありましたが、今の開発組織作りやエンジニアの増加は平山が参画したことによって、より現実味を帯びていくことになります。
先にも書きましたが、転職を考えていた時には
「利用する人の実生活に結びつくプロダクトに関わっていきたい」
と漠然と考えていました。これが平山との出会いやメドレーで経た経験で
「提供する人や利用する人、世の中にとって良い流れを生み出すプロダクトをつくっていきたい」
というように、少し踏み込んで言語化出来たのと、その姿が朧気ながら見えてきているのが自分の中での大きな変化だったと思います。
プロダクトに対する平山の考えや姿勢はプロダクトに関係するメンバーそれぞれが受け取っていて、各々自分なりの答えを元々持っていたり探したり見つけたりしていると思いますが、軸は繋がっているという様に感じます。
こういったプロダクトドリブンな文化を言語化し形成しつつあるのが、メドレーで働く魅力の一つであると思います。
気付けば入社前に抱いていたやりたいことは全て出来る環境になっています。
入社前、「利用する人の実生活に結びつくプロダクトに関わっていきたい」という事以外にエンジニア的な視点で以下の様なことを考えていました。
・最近の流れに沿った開発環境を用意出来るか
・エンジニアの役割が限定されすぎていない組織であるか
・サーバサイドに限らず様々な技術要素へ触れていきやすい環境か
・プロダクトへ深く関わっていくことが出来る環境か
・自身が共感できる、好きになれる会社であるか
CTOの参画が大きなポイントでしたが、その後に入社したエンジニアとも感覚が合い、殆どのことは自然と望んでいた環境になっていると思います。
今見ると当たり前と思うようなことばかりに感じますが当時を振り返ると感慨深くもあります。
今後は、
「提供する人や利用する人、世の中にとって良い流れを生み出すプロダクト」
ジョブメドレーがそういうプロダクトであると、もっとそう感じてもらえるよう取り組んで行きたいと思います。
メドレーは「医療ヘルスケア分野の課題を解決する」ことを目指している会社です。
エンジニアも事業やプロダクトを通して医療ヘルスケア分野の課題を解決するために、医療従事者/企画/営業/マーケティング/キャリアサポートなどの一緒に働くメンバーたちと、プロダクトのあるべき姿を議論し進めていくことになります。
常に「誰のために」「何のために」「何故やるのか」を意識し言語化出来た上で実現することが求められると思います。
プロダクト毎に関わるエンジニアの人数がまだまだ十分では無いことや、相互理解の為にもフロントエンド・サーバサイドなど、得意・不得意に関係なく担当する事も少なくないです。
逆に言えば、自身の得意とする分野を中心とし、不得意な分野へも果敢にチャレンジできる環境であるともいえます。
ネガティブなこともポジティブな方向へ変えていこうと思える方と是非一緒に働きたいと思っています。
やるべき事、やりたい事に対してまだまだメンバーが足りません。もし興味をもってもらえたら、ぜひメドレーに遊びにきてください。気になることとか何でも、色々お話しましょう!
メドレーでは医療業界に存在する課題にITを駆使して取り組んでいきたいデザイナー・エンジニアを募集中です。皆さまからのご応募お待ちしております。
第1回:ぼくがクックパッドを辞めてメドレーに入った7つの理由
第4回:私がドクターヘリを降りて、メドレーに入った7つの理由
第8回:Googleのエバンジェリストをやめてメドレーに入社した僕が6つに割れたバキバキの腹筋を手に入れるまでに実行した7つのステップ
第10回:年収36,000円のお笑い芸人が、メドレーに入社するまでの7つのステップ
第11回:医者にならずに7年過ごした僕がMEDLEYニュースを書く7つの理由
第12回:何がしたいのかわからなかった私がメドレーの仕事にやりがいを感じる7つの理由
第13回:厚生労働省の医系技官だった私がメドレーに入社した3つの理由
第14回:7年いたリブセンスをやめ、マエダがメドレーでデザインしたいこと
第15回:IPOを経験した私が、次のステージにメドレーを選んだ理由
第16回:アイスランドで生きる理由を考えて瞑想していた私がメドレーに入社した3つの理由
第17回:整体師を11年やっていた私が、34歳でメドレーに転職して「介護のほんね」に取り組む理由
第18回:マザーハウスでバッグを販売していた私が、メドレーで見つけたひとつの目標
第19回:SIerとWEB業界を経験したエンジニアがメドレーに入社した理由
第20回:青春を捧げたチアリーダーを引退した私がメドレーという舞台でクリニックを応援することに決めた理由
第21回:インターンを経て新卒で入社した私が、メドレーを選んだ3つの理由
・医師たちがつくるオンライン病気事典「MEDLEY」
・オンライン診療アプリ「CLINICS」
・医療介護業界の求人サイト「ジョブメドレー」
・介護施設を選ぶための口コミサイト「介護のほんね」