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LITALICOジュニア三宮教室の放課後等デイサービスで活躍する笹尾直也。中学校の支援学級の講師をしていた時にLITALICOと出会い、アルバイトとしてキャリアをスタート。
その後社員になってからは、兵庫県にある西宮教室と三宮教室をまたいで勤務。現在は三宮教室を拠点に、支援計画の策定や後輩の育成などにも取り組んでいます。着実にステップアップしているように見える笹尾ですが、本人は常に冷静で謙虚。今回は、「LITALICOに来るまではなかなか自信を持って仕事に取り組むことができなかった」と話す笹尾が、児童福祉の仕事と出会い、自分の道を歩み始めるまでのお話をお届けします。
※LITALICOジュニア(https://junior.litalico.jp/)は、お子さま一人ひとりの得意や苦手を見つけ、それぞれの特性に応じた指導をおこなうソーシャルスキル&学習教室です。
何がやりたいのか自分の言葉で表すことができなかった
学生時代から心理学に関心を持っていた笹尾。背景には、自身の実体験がありました。
もともと人間関係がうまい方ではないんですけど…。
幼少期のころから絵に描いたようないじめられっ子で、
学校に行けなくなってしまったのが、中学・高校の頃。
高校なんて、ほぼ行ってへんのとちゃうかな?
その頃にカウンセリングを受けていた経験もあり、
人はどんな時に、どんなふうに感じるのか、どんな時にどう動くのか。人間の内面に関心を持つようになりました。
大学では、心理学が学べて教員免許がとれるという理由から臨床教育学部の教育学科に進学。ところが、実際に学んでいく中で、自分がやりたいと思っていたことと学科のカリキュラムとの間に大きなギャップを感じることになります。
蓋を空けてみたら、あれ、自分が思っていたのと全然違う進路に進んでるなって。
大学入って2年、3年と進級するたびに違和感がどんどん大きくなっていきました。
でも、自分のやりたいことを表現するのが苦手なので、何がやりたいのかを自分の言葉で表すことはできない。でも、何かが違うことだけは分かる。そんな状態が続きました。
教育学科の同級生の多くが教職の道へと進む中、笹尾の葛藤は続きます。
正直、自分は教員には向いてないだろうと感じたんです。
教育学科の授業の中でみんなの前で模擬授業をする機会があるんですけど、やればやるほど向いてないことがどんどん分かってくる。「いやぁ、これはちがうなぁ」って。
でも、教育学科で4年間過ごしてきた自分には、教員以外の選択をすることは難しくて。
学校で働いていた頃はとにかく毎日がキツかった
悩んだ末、一旦は関西の中学校に支援員として勤めることになります。
進路選択の背景には笹尾なりのこんな考えがありました。
教壇に立つという決断をするにはまだ自信がなかったので、
「学校ってみんなどんな生活をしているのだろうか」「教壇に立っている人はどんなふうに日々の授業に望んでいるのか」そんなところを知ることから始めたらいんじゃないかって。
教員になるかならないか、ギリギリまで悩んだ結果、とりあえず間をとって支援員をやってみようと思いました。
思い切って飛び込んだ学校教育の現場。1年生~3年生まで色々な学年を行き来しながら、授業についていくことが難しい子どもの学習を支援したり、話し相手になったりすることが主な仕事でした。
支援員の仕事にはやりがいを感じていた笹尾ですが、職場環境にうまく馴染むことができなくて、辛い日々を過ごしていたそうです。
この頃はとにかく毎日がキツかったですね。
残業が多い職場で、時間の縛りも負担だったのですが、僕が何よりキツかったのは職員同士の縦の人間関係でした。
今振り返ると自分の中にもたくさん課題があったなと思うのですが、それを含めても、自分と合わないところが多かったなって。
毎日へとへとになって、休日はずっと寝て過ごすみたいな生活でした。
支援の仕事との出会いと転機
次の年は、より少ない人数の子どもを対象にした環境であればうまく支援ができるのではないかという思いから、関西のとある中学校の支援学級で担任として働くことに。ところが、初めて触れる本格的な特別支援教育の世界は、またもや笹尾の前に大きな壁となって立ちはだかります。
少人数だったらやれるんじゃないかと思って選んだ職場だったのですが、何の前提知識もない状態で飛び込んだので、大変でした。
引継ぎ内容は、ざっくりとした生徒の概要とか普段やってる活動の内容とかくらいで、支援に必要な知識もどこから学び始めたらいいか分からなくて。
「どんな仕事が向いてるんだろうか」という答えの出ない悩みと、度重なる挫折。
それでも自分の可能性を模索することを辞めなかった笹尾に転機が訪れます。
2つ目の職場に移って少し経った頃、LITALICOの採用サイトを見つけたんです。
少人数に対して教育的アプローチができる仕事って教員以外にないのかなって考えていた時にLITALICOのことを知り、「なるほどこういう場所もあるのか」って。
でも、新しい職場で働きはじめて間もなかったので、いきなり転職は現実味がないなって思って。それでまずは、非常勤で働かせていただくことにしました。
LITALICOでは肯定的なフィードバックをもらえる機会が多かった
それからしばらく、平日は学校の特別支援学級、土日はLITALICOジュニアの西宮教室という二足のわらじの生活を経て、2018年のはじめにLITALICOに正式に転職をすることになります。
その後は、西宮教室・三宮教室で活躍。今ではすっかりご利用者様にも、スタッフにも愛される存在となっている笹尾ですが、馴染めないと感じていたこれまでの職場とLITALICOジュニアではどんな違いがあったのでしょうか。
LITALICOジュニアでは、支援級からさらに少人数のお子様を支援するということでしたが、始めの頃は慣れない時期もありました。学校では、クラス担任になったらその後はOJTはなく「じゃあ、後はよろしくお願いします。経験して学んでください」ってスタイルだったんです。
その一方でLITALICOジュニアでは、ずっと丁寧な引継ぎや共有があって、熱心に相談にのってくださる方も多かったので、そのあたりはすごく助けられたなと思います。
何も知らない分からない世界で学ぶ方法が少なかった僕にとってはこれ以上にないくらいありがたかったです。
時にまわりの手を借りながら、徐々にLITALICOジュニアの支援員としての仕事に馴染んでいく笹尾。苦手意識の強かった小集団の指導に対しても、粘り強く試行錯誤を続けました。
当時まわりは経験の豊富な先生が多くて、他の人が1時間くらいかけて考えるようなプログラムを1週間かけて考えていたことも。
指導が終わったそばから、次のプログラムどうしようって考えていて。最初はやっぱり大変でした。思い返せば、一番最初に担当させてもらった小集団のプログラムは今と比べものにならないくらいのレベルだったかもしれません…
でも、周囲のスタッフから肯定的なフィードバックを受ける機会が多かったんです。
うまくいってないことの方が今まで多かったので、自分としては正直はじめのうちは肯定的なフィードバックをどう受け止めていいのか分からなかったんですけどね。(笑)
僕が何か変わったってよりは、まわりに救われたことが大きいかもしれないです
正解が分からない中でも進み続けることで、かすかに見えてきた光。
当時の笹尾が変化していく様子をまわりのスタッフが見ていました。
昔、一緒に働いていた先輩に「西宮教室に来た頃は背景色がブルーだったよね。今は、緑かな。」って言われたことがありました。
「そっかブルーだったのか、でも緑ってなんだ?」と思ったのですが。(笑)
何かしら変化があったのかもしれません。
何がきっかけで変わったのかは自分でははっきりとは分からないのですが、まわりの人達から肯定的なフィードバックをもらう中で、なにか変化があったのかもしれないなと思いました。
過去を思い返しながらゆっくり話をする笹尾。
真っ先にでてきたのは、スタッフへの感謝の思いでした。
僕がLITALICOジュニアでなんとかやってこれた要因があるとしたら、それは、まわりの人達がすごく協力的で、助けてくれたからかもしれません。
僕が何か変わったってよりは、まわりに救われたんだと思います。
名前をあげるときりがないですが、入社して間もないころに、指導に陪席して色々教えてくれた先輩や、僕が小集団の授業で頭を抱えていた時にいろんなアイディアをくださった先輩。この二人には本当に感謝の言葉しか見つからないです。
振り返ってみるとあの時の経験が今の糧になってるんだろうなって。
僕はここに来て救われた感覚があったから、悩みを抱えている人の助けになれたらいいなって
恐る恐るはじめたLITALICOジュニアの仕事も気づけば数年の月日が流れました。
昨年はスタッフの育成担当にも登用され、いっそう活躍の幅を広げている笹尾に、今後の展望を聞いてみました。
僕はここに来て救われた感覚があったから、支援の仕事にはじめて間もない人や悩みを抱えてる人の助けになれたらいいなって考えています。
指導員の仕事と同様、育成担当という役割にもまた正解はなく、ひとりひとりが自分で考えて行動していくことが求められています。
育成担当としてどんな存在になりたいか、どんなことに取り組んでいきたいかは「まだまだ、日々考え中です」としながら、笹尾は一つ大切にしたいと考えていることがあるそうです。
今でこそ、育成担当となりましたが、一時期はキャリアアップを目指すのを辞めようかと本気で悩んでいた時期もありました。でもそんな時に、研修を通して気づいたことがあって。
「悩んでもいいから、悩みながらでも、足を進められる人になれたらいいな」って。
僕の中ですごく大きな学びでした。
今、自分がそんな風になれているかは、だいぶ怪しいところもありますけど、どうしようもないことにどうしようもなさを感じながら、それでも足を進められる人になれたらなって思います。
「素敵な考えですね。きっと多くの人の支えになる育成担当になれるのでは?」
と素直に感想を伝えても最後まで腰の低い笹尾。
いや、今、育成担当になれたのは、何かが特別出来たからではなく、これから出来るようになろうね、って期待も込めての結果だと思うのでまだまだ出来てないことの方が多いです…。
一見、自信のない口ぶりですが、その表情はとてもいきいきとしています。
これからまた、話を聞く新しくLITALICOジュニアに入社したスタッフの口から「笹尾さんにお世話になって~」という話を聞く日も遠くない気がしました。