※このストーリーは、noteで発信した記事を転載しています。
【インタビュイー:相澤 宏亮(あいざわ こうすけ)】
1992年東京生まれ、埼玉育ち。京都大学卒業後、同学の大学院に進学。その後、大学院を中退し、株式会社PLAN-Bに新卒入社。株式会社PLAN-Bではバックエンドのエンジニアとして、自社サービスの開発、SESとして常駐業務に従事。2020年に前職を退職し、ourly株式会社の親会社である株式会社ビットエーに入社。ourlyの立ち上げに携わり、現在はEM(エンジニアリングマネージャー)兼 BE(バックエンドエンジニア)として活躍中。
現在、ourlyでは正社員を積極採用中です。そこで 、ourlyの雰囲気や魅力・一緒に働く仲間のことを知っていただきたく、さまざまな職種の社員にインタビューを行っています。
今回のインタビュイーは、エンジニアリングマネージャーとして活躍中の相澤さん。
相澤さんは、株式会社ビットエー(現ourlyの親会社)の新規事業としてourlyの立ち上げに携わり、ourlyが子会社化した今、プレイヤー兼エンジニアリングマネージャーとしてourlyのサービス開発を支えています。
インタビューでは大学院を辞め、ベンチャー企業に就職した過去やourlyの立ち上げ期の苦楽をお伺いしました!
中退してベンチャーへ
ーー相澤さんは大学院を中退して、前職に入社されたとのことでしたがなぜそのような選択をされたのですか?
まず、研究に対するモチベーションがほとんどなくて、貴重な時間をそこで過ごすのが勿体無いと思ったからです。はやく働きたいという気持ちが強かったんですね。
そもそも大学院はとりあえず周りが行くからというのと、就活を先延ばしにして、もう少し遊びたいということが理由だったりもしました……。そういう気持ちで、あまり目的を持たずに大学院に進学したので、そりゃ研究へのモチベーションはほとんどゼロに等しいですよ(笑)
そんなモヤモヤを抱えているなか、就職活動中に出会った前職のベンチャー企業に内定をいただきました。内定をいただいてから、働くことが現実的になり将来についてもリアルに考えることが増えたんですよね。そこで、研究を続けることと中退して働くことを天秤にかけたときに、働く方が楽しくて自分のためになるなとおもい、中退の選択をしました。
ーーそうだったんですね!ただ、働くといってもたくさんの会社がある中でなぜベンチャー企業を選ばれたのですか?
働く上でも事業や組織を作っている人の近くで働ける環境がいいなと思い、経営陣と距離が近いベンチャー企業を選びました。
就活を始めたら、みんな自己分析をすると思うんですけど、私も同じように大学生までの活動を振り返ったんですよね。
そこで、高校のときにやっていた少林寺拳法の練習が厳しくてやめようと思った時期があったのを思い出して……。
結局、やめなかったんですけど、その理由が、先輩や主将の人たちと話して、先輩がどういう思いでこの部活をやっているかであったり、これから組織がどうなってほしいのかという思いを聞いて、それに応えたいと思ったからでした。
こういった経験から、活動組織の作り手となる人たちと親密に話して仲良くなり、その人の熱い思いに共感したり、この人たちのために頑張りたいと思えた環境が自分が1番楽しく、モチベーションが上がる環境なんだなと思いベンチャー企業に行こうと思いました。
ーーベンチャー企業の中でPLAN-Bさんを選ばれたと思うのですが、実際どんな仕事をされていたのですか?
最初は、エンジニアリングとは直接関係ないSEO対策のディレクションや、サイト解析ツールの企画・CSなどの業務を担当していました。
2年目になるタイミングでエンジニアへとジョブチェンジして、PHPで作られた社内システムの新規開発や保守運用を担当しはじめました。その後、SEO事業の顧客向け管理画面の新規開発と保守運用を行い、4年目になるタイミングでSESで客先常駐することになりました。3年まではずっとPHPで開発していましたが、SESではJavaとjQueryで既存サービスのフルリプレイス案件をゴリゴリ進めていました。
新規事業の立ち上げ経験を求めourlyに入社
ーーPLAN-Bさんで4年働かれていたと思うのですが、なぜ転職をしようと思ったのですか?
奥さんの東京への転勤が決まったことと、もっとベンチャーらしくカオスな環境に身を置きたかったからです。
PLAN-Bはベンチャー企業とはいえど、従業員数もかなり増えてきていて、組織として整備された環境だったんですよね。整備されるということは、事業がある程度安定していたり、業務が仕組み化されていたりするので、会社としては、凄く良いことではあります。しかし、私自身はもっとカオスな環境で自分で何かを作り上げたいという気持ちが強かったので、転職を決めました。
ーー転職先としてなぜビットエー(現ourlyの親会社)を選ばれたのですか?
新規事業の立ち上げを行いたいという意向を汲み取ってくれたからです。
先ほど言ったように、もっとガツガツ働きたいという気持ちと新規事業の立ち上げを経験したいという2つの気持ちがあり、それを実現できそうだったのがビットエーだったので入社を決めました。
ーーourlyの立ち上げから関わっていらっしゃるということで、当時の苦労を教えてください
苦労したことでいうと、人手不足が1番しんどかったですね。サービス立ち上げ当初はフロントエンド側のエンジニアでourlyにフルコミットできる人がいなかったので、ビットエーのSESとしての本業をやった後に、プラスでourlyを開発するという体制だったんですね。サービスの開発って数週間で終わるものではないので、こんな過酷な体制が続くわけはなく、みんな正直疲弊してしまっていました。そのときは、メンバーの思いをどう汲み取るかだったり、体制をどう整えるかを考えたりと体力的にも精神的にもちょっときつかった思い出があります(笑)
ーー逆に楽しかったことはなんですか?
楽しかったことは、ゴリゴリ働きたかったという思いがその通りになったところもそうですし、たくさんあります。
その1つとして、ないものを作り上げていくのがとても面白かったですね。時間をかければかけるほど、そのままアウトプットとなってサービスが出来上がっていくのがとても楽しかった。今もですけど(笑)
当時は、夜遅くまで働いていたりしましたが、全く苦しくなく「これを求めていたんだ!!」と仕事に熱中していました(笑)
1つ、今はそんなに働いている人はいないですよと伝えておきます。これだけ聞くとブラック企業に思われるので......(笑)
今だからこそ味わえるourlyの魅力
ーー当時と比較して組織の拡大とともに、ourlyが変化したことを教えてください
組織も拡大しているので、当時よりも向き合う課題の難易度が上がってると感じています。エンジニアチームでいうと、開発する上で何をKPIとおくか、自分たちは何を目指しているのかなどがしっかり言語化された。その言語化されたものに対してどう向き合うのか、どう達成していくのかを考えるフェーズに入っているなと感じています。
あとは、環境の整備が進んでいることですね。もちろん組織としてまだまだ未熟で、業務プロセスや研修などが完璧に整っているのかと聞かれると頷けないですが、徐々に環境も整備され、「ある程度整備されたカオスな環境」が今のourlyにあるのかなと思っています。
ーー組織の拡大に伴い、相澤さんはマネジメントの業務も担当していると思うのですが、メンバーと接する上で意識されていることはありますか?
メンバーには、「自分の意思を持って、それを発信して欲しい」ということをよく言っています。
それがなければ、僕の指示がチームの意思決定になってしまい、相乗効果が生まれない組織になってしまう。そのようなチームだと単純に、メンバーが面白くないと思うし、僕もお互いを活かしあったチームで何かを作り上げるのが好きなので、面白くなくなると思います。
ーーマネジメントしている方がメンバーの意見を積極的に聞くからこそ、今の和気藹々としたourlyがあるんですね!そんなourlyで働く魅力を教えてください。
今のフェーズだからこそできること、逆に言うとこのフェーズを逃すと体験出来ないことがたくさん、本当にたくさんあると思っています。ourlyを導入してくださる企業様も増え、プロダクトとして社会に価値を発揮できている。ただ、これから事業成長と組織拡大をしていくフェーズなのは変わりはないです。今のourlyはベンチャーらしい勢いと、地に足をつけた経営のバランスが取れた組織なので、仕事を楽しむ気持ちさえあれば活き活きと働けると思います。
ーー最後に相澤さんが描くキャリアプランを教えてください
今後の目標として2つを考えています。1つは、プロダクトと事業成長にとって良いエンジンとなる開発チームを作れる人間になること。もう1つは、ビジネスとエンジニアリングの関係を理解し、どんな組織においても活躍出来る人間になることです。ただ、開発者としての実装力みたいな部分は失いたくないという思いがあるので、完全に実装から手離れするのは嫌ですね。まぁ、今のourlyのフェーズだと離れたくても、離れられないですけど……(笑)
ourlyでは、エンジニア職の募集を行っています。話を聞いてみたい、一緒に働きたいという方はぜひご応募ください!!
▼別社員のインタビューはこちらからhttps://www.wantedly.com/companies/company_642159/post_articles/520800