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インタビュー記事をご覧いただきありがとうございます。人事部の竹内です。
今回は学生時代に大学で理系科目を専攻し、23卒としてブルードに新卒入社をしたマーケティング部リーダーの倉田さんにインタビューしていきます。
入社5ヶ月目で当時アウトソースしていたWEBマーケティングの内製化プロジェクトに抜擢。現在はWEBマーケ責任者として広告運用/SEO/AIO/アフィリエイトなどを担当し事業計画に対して大きな売上インパクトを創出しつつ、経営企画として事業部の予実管理や法人向け新規事業立ち上げも担当。経営陣と密連携してマーケティング、予実管理、新規事業の観点で当社の経営課題の解決を担っています。
理系の誰もが考える『The 王道ルート』を捨て、彼がスタートアップで手に入れたものとは何か。理系の知見は、ビジネスの最前線でどう「武器」に変わるのか。彼のブルードで描いてきたキャリアと実際の成果から探ってみました。
周囲の期待に応えるだけの人生に、心の底から湧き上がる充足感はなかった。
ーー倉田さん、本日はよろしくお願いします!
まず、学生時代のことからお伺いしたいのですが、大学では何を専攻されていましたか?また、研究室ではどのような研究を?どのような学生生活を送っていましたか?
はい、本日はよろしくお願いします。
大学では理工学部の機械工学科に所属していて、主に航空機や自動車といった輸送機器の設計や、その仕組みについて学んでいました。
学問としては、機械力学や材料力学、熱力学、流体力学といった「4大力学」を基礎から学びつつ、実際に自分たちの手で航空機のエンジンを組み立てて動かしてみる、なんていう実践的な授業もあって面白かったですね。
研究室では、航空機の「軽さ」と「強さ」を両立させるための先進的な材料として注目されている、「有孔FRP」という特殊な素材を使った設計について研究していました。
…と、ここまで話すとすごく真面目な学生だったように聞こえるかもしれません(笑)。
実は、高校までずっと野球に打ち込んでいたんですが、大学でそれをきっぱり辞めたんです。だから、有り余っていた熱量をそのまま学業に注ぎ込んだという感じで。おかげさまで、テストや研究の成績は常に上位10%をキープしていました。
でも、心のどこかで「何かが物足りないな」って、ずっと思っていたんです。かつて野球で感じたような、あの心の底から湧き上がってくる充実感や熱中する感覚が、そこにはなくて。真面目に取り組んではいるけれど、これは本当に自分の人生を懸けたいものなのだろうか、と常に自問自答していましたね。
ーー理系の道に進まれたということは、もともと研究や技術開発といった分野に強い興味をお持ちだったのでしょうか?ご自身の将来像として、研究職や開発職に就くことを具体的に考えていましたか?
うーん、それが面白いところで、実は必ずしも「研究者になりたい」という強いこだわりがあったわけではないんですよね。
もともと理系の科目が得意だったというのと、地元が愛知県ということもあって、僕の周りにはトヨタのような大手メーカーで働く大人が多かったんです。
ですから、当時の自分にとってはごく自然に、「良い成績を収めて、地元の安定した大企業に入り、しっかりとした生活を送る」というのが、一種の“王道”であり、成功の形だと思い込んでいました。研究職や開発職というのは、そのレールの上にある選択肢の一つ、という感覚でしたね。
ただ今振り返ると、そのキャリアプランって、心の底から「これがやりたいんだ」という熱い気持ちから生まれたものではなかったんです。あくまで、当時の自分が想像できる範囲の中での“最善の選択”をしようとしていただけだったな、と思います。
ーーもしあれば、学業以外で「これに人生を賭けていた」と言えるほど「熱中」していた経験があれば教えてください。その経験を通じて、何を得たと感じていますか?
学業以外ですと…それはもう、間違いなく野球ですね。 小学2年生から高校卒業まで、文字通り野球一色の生活でした。
ありがたいことに、小学生の頃から県内では有名なチームでレギュラーを任せてもらっていて、中学でもトップレベルのチームでプレーしていました。中部7県の大会で準優勝したことがあるんですが、あの頃は本当に…自分の人生で最も熱中した時間だったと今でも断言できます。
高校では100人を超える部員をまとめるキャプテンも経験させてもらいました。…ただ、最終的に夢だった甲子園には、届かなかったんです。
実はその後、中学時代のチームメイトの半分ほどが甲子園に出場したんですよ。それをみて僕自身も野球で一定の成果は残してきた自負はあるんですが、結局、最後の最後で「何者か」にはなれなかった、という悔しさは、今でもひしひしと感じますね。
その後、学業では成果を出してもあの頃のように心は熱くならない。野球では、「何者か」になれなかった。この二つの経験が、「人生でもう一度、何かに熱狂したい」「何か確固たる実績を残したい」という、後のキャリア選択の強い原動力になりましたね。
ーー就職活動を意識し始めた頃、ご自身のキャリアについてどのようなことを考えていましたか?周囲の理系の友人たちは、どのような進路を選択する人が多かったですか?
はい、就職活動を考え始めた頃は、自分の中で大きな葛藤がありました。
というのも、高校まで野球に打ち込んできた経験から、「社会人になっても、何かに熱狂する人生を送りたい」「このまま普通に終われない、何者かになりたい」という想いが、人一倍強かったんだと思います。自分の人生で何かデカいことを成し遂げたい、みたいな漠然とした野望だけは、確かにありました。
ただ、当時の僕は本当に視野が狭くて、その野望をどうすれば叶えられるのか、具体的な選択肢がまったく見えていなかったんです。
その結果、「やっぱり、まずは自分の専攻を活かして地元のトップ企業に入るのが、現時点での“最適解”なんだろうな」と、自分を無理やり納得させるように考えていました。
僕の周りの理系の友人も、ほとんどが同じような考え方でしたね。大学で学んだことを活かして大手メーカーの研究職や開発職に就く、というのが、僕たちの間では完全に王道ルートとして確立されていましたので、、、(笑)
「王道ルート」への違和感が、新たな道を探す“覚悟”に変わった。
ーーその「王道ルート」への違和感や恐怖が、最終的にスタートアップという選択肢に目を向ける、具体的なきっかけになったのでしょうか?
はい、まさにその通りです。
就職活動をしていた当時、「周りがそうだから」「この方が安泰だから」といった他人任せな理由でキャリアを決めようとしている自分に、強いモヤモヤを感じていました。
心のどこかで、「このまま“王道ルート”を進んでも、自分はきっと幸せにはなれない」と本能的に気づいていたんだと思います。そして何より怖かったのは、野球に打ち込んでいた頃のような、あの胸が熱くなる日々を経験できないまま、人生が終わってしまうのではないか、ということでした。
その漠然とした「恐怖」が、僕を具体的な行動に駆り立てたんです。それが、就職活動での大手企業の説明会やOB訪問でした。
そこで働く社員の方々の話を聞いて、僕が感じていた“やらされてる感”の正体が、はっきりと見えてしまった。率直に言うと、僕が「こうなりたい」と憧れるような“イケてる”大人が、そこにはいなくて。「このままでは、10年後自分もこうなってしまう」という恐怖が、現実味を帯びて襲ってきたんです。
そんな時、本当に偶然なんですが、登録していたオファー型の求人サイトで、ブルードから一通のオファーが届いたんです。それが、僕が初めてスタートアップという選択肢に本気で目を向けた瞬間でした。
実際に面接を受けてみて、まず心を撃たれたのが、「強いミッションへの共感」と、面接官の方々が語るビジョンへの「熱狂」でした。
そして、今でも鮮明に覚えているフィードバックをもらったんです。 「『何者かになりたい』なら、徹底的に環境にこだわれ。誰と話すかで人は変わる。君はまだ本当の意味で大きな挑戦をしていない。だから、大きな失敗もできていない。でも、うちならその挑戦ができる環境がある」と。
その言葉が、ものすごく腑に落ちたんです。高校まで野球に打ち込んできて、環境が人をどれだけ変えるか、肌感覚でわかっていたので。「ここで勝負するしかない」と、心が決まりました。
それまでずっと抱えていた違和感が、スーッと晴れていくような…。心が踊る感覚があったのを、今でも覚えています。その感覚は、その後お会いする社員の方、全員から感じられて、次第に確信に変わっていきました。
ーー就職活動では、大手企業とスタートアップ企業の両方を視野に入れていらっしゃいましたか?もしそうであれば、両者を比較検討する中で、それぞれにどのような魅力を感じ、逆にどのような懸念を抱きましたか?
はい、就職活動の初期段階では、両方とも視野に入れていました。
大手企業は、やはり長年の歴史の中で培われた“構造”がすごくしっかりしていますよね。だから、その仕組みやルールに則っていれば、大きな失敗をすることなく、無難に進んでいける。そういう安定性や安心感は、確かに魅力に感じました。
一方で、その“構造”が完成されすぎている、とも感じたんです。会社という分母が大きくて、仕組みが隅々まで整っている分、新人の自分が入って何かを改善しようとしても、その影響範囲は本当に微々たるものですし。改善余地が小さいということは、大きな挑戦をする機会も少ないということですよね。
それに対してベンチャーは、おっしゃる通り、仕組みがまだ「整っていない」という懸念は確かにありますが、僕にはその“整っていない”こと自体が、逆にものすごく魅力的に見えました。
「整っていない」ということは、つまり、自分たちで仕組みを創っていく面白さがあるということ。改善の余地だらけだからこそ、若手にも大きな裁量が与えられて、事業の根幹に関わるような挑戦ができる。その一つ一つの経験が、全部自分の血肉になって、圧倒的なスピードで学んでいける。
僕にとっては、そちらの方が遥かに価値があると感じましたね。
ーー最終的に、数ある選択肢の中からブルードへの入社を決意されたわけですが、その最大の決め手は何だったのでしょうか?「安定」や「周囲からの評価」といった、多くの学生が抱えるであろう不安を、ご自身はどのように乗り越えられましたか?
はい。最終的な決め手は、大きく二つありました。一つはブルードが掲げるミッションへの強い共感。そしてもう一つが、面接や体験入社で感じた、社員さんたちの圧倒的な「熱狂」でした。
僕は、人が成長するためには、身を置く「環境」が何よりも大切だと思っているんです。日々、どんな視座を持っている人たちと、どんな会話を交わすのか。それで自分の思考のOSって決まりますよね。ブルードで会った人たちは、「世界一のサービスを作る」と口にするだけじゃなく、本気で実行していると思いましたし、「この環境に飛び込めば、自分も何者かになれる」と直感しました。
ご質問にあった「安定」や「周囲からの評価」についても、この過程で考え方が変わりましたね。
結局それって、自分が選んだ道を、自分の力で「正解」にできるかどうかだけの話なんだな、と。大手に入って安心しても、自分に実力がつかなければ何の意味もない。逆に、ベンチャーを選んでも、そこで挑戦をして成果を出せば、それが新しい「正解」になる。やっぱりスタートアップの方がハンドルを握りやすいじゃないですか、挑戦させてもらえますから。だから自分次第だよな、と思えるようになりました。
もちろん、当時は不確実な未来に対する怖さが少なからずありましたよ。
でも、「自分を成長させるためには、自分が『怖い』と感じること…、今の自分の実力では登れるかどうかわからないような高い壁を、乗り越えようとしないとダメなんだ」と自分に言い聞かせて、最後は腹を括りましたね。
ーー実際に倉田さんが感じたブルードの「裁量権のリアル」と、それによって「スタートアップを選んで正解だった」と感じた瞬間を教えてください。
はい。「裁量権」という言葉だけだと少し抽象的ですよね。僕自身のリアルな体験でお話しするのが一番わかりやすいと思います。
それが、入社してまだ4, 5ヶ月が経った頃でした。当時、会社のWEBマーケティングは外部に委託していたのですが、「倉田、やってみないか」と立ち上げを任せていただけたんです。これが、僕が感じた「裁量権のリアル」であり、同時に「この選択は、正解だった」と確信した瞬間でした。
もちろん、当時の僕はマーケティングの知識なんて全くのゼロ。その中で、会社の売上の半分以上を担うことになるポジションに、いきなりアサインされたわけです。当時の自分にとっては、本当に「最初の絶壁」を登るような、途方もない挑戦でしたね。
この“スピード感”と“責任の重さ”が、まず大手企業との決定的な違いだと思います。 普通、入社して半年なんて、まだ研修期間ですよね。任される仕事も、ミスをしても会社に影響がないような、「失敗してもいい」前提のものがほとんどです。でもブルードでは、会社の未来を左右する事業を、未経験の新人に任せる。この環境の違いは、とてつもなく大きいです。
そして、裁量権の“質”も全く違いました。 もちろん、丸投げされたわけではなく経営陣のサポートはありましたが、何より大きかったのは、基本的には「たった一人で事業の課題と向き合う」という環境に身を置かせてもらえたことです。
そのおかげで、大手のように戦略の一部分だけを切り取って担当するのではなく、自分で描いた戦略を、自分で現場に出て、実行するところまで全て経験できた。しかも、ただの小手先のマーケティング知識で終わらず、自分の仕事がどう会社の“利益”に繋がるのか、そのビジネスの根幹まで当事者として関われたんです。
成功も失敗も、すべてがダイレクトに自分の経験として蓄積され、文字通り“血肉”になっていく。この2年間でさせてもらった経験は、おそらく大手企業にいたら10年以上かかってもできるものではないと思います。この圧倒的な成長の凝縮感こそ、僕がこの道を選んで「正解だった」と感じる、一番の理由ですね。
研究で培った"思考法"が圧倒的な武器に。表層的なマーケ知識以上に価値があると気づいた。
*13期全社総会でのBOY(BLUED OF THE YEAR)受賞時
ーーWEBマーケティングという職種は、一般的に文系の仕事というイメージが強いかもしれません。理系出身であることに対して、キャリアの初期段階で戸惑いやハンディキャップを感じることはありましたか?
はい、おっしゃる通り、僕も最初はそう思っていました。
特に僕の専門は機械工学の、中でもエンジニアリングや設計の分野だったので、「この専門知識が直接マーケティングで役立つことはないだろうな」と。その点では、キャリアの初期段階で少し戸惑いがあったのは事実です。
でも、実際にこの仕事を始めてみて、その考えは180度変わりました。 Webマーケティングの本質は、表面的な知識よりも、もっと根本的な“思考法”にあるんだ、と。
例えば、何かを数字で捉えて、客観的に評価する“定量化”の視点。あるいは、結果に影響を与える無数の要素の中から、重要な“変数”を見つけ出して、仮説を立てて検証していくプロセス。
これって、まさに僕たちが研究室で当たり前にやっていたことですよね。
そして何より、僕たち理系出身者は、この論理的なプロセス自体を「面白い」と感じられる素養がある。だから、今では「ハンデ」どころか、むしろWebマーケティングは理系出身者の方が圧倒的に向いているとさえ思っています。
それに、この“思考法”だけじゃないんです。
例えば、ただ与えられたデータを分析するだけじゃなくて、「そもそも、欲しいデータにどうやってアクセスするか」「どうやって分析しやすい形にデータを構築するか」というフェーズがあります。そういう時に、学生時代に学んだプログラミングのスキルが、そのまま“武器”になるんですよ。これは、文系出身者にはない、明確なアドバンテージだと断言できますね。
ーー現在WEBマーケティングの責任者としてご活躍される中で、「理系で学んだこの思考法やスキルが、特に今の仕事に活きている」と実感するものは何ですか?
はい、それは理系の学問で培った“考え方のOS”そのものです。今の仕事の根幹を支えていると言っても過言ではありません。
具体的には、大きく3つありますね。
一つ目は、「物事を数字で考え、定量化し、変数を捉える」という思考法です。 Webマーケティングって、突き詰めると「再現性のある成功法則を見つける」ゲームなんです。広告の成果が良かった時に、「なぜ良かったのか?」を感情論ではなく、徹底的に数字で考え、要因を定量化する。そして、クリック率や成約率に影響を与えていそうな無数の要素の中から、重要な“変数”を特定する。この思考の癖は、理系の素養がなければなかなか難しいと思います。
二つ目は、まさに研究プロセスそのものである「仮説検証力」です。 「この変数をこう変えれば、結果はこう変わるはずだ」という自分なりの仮説(方程式)を立てて、A/Bテストで検証する。そして、出た結果と仮説との“差分”を見て、また新しい学びを得て、次の方程式を立てる…。このサイクルは、まさに大学の研究プロセスそのものですよね。
そして三つ目が、プログラミングなどの「ハードスキル」です。 他のマーケターが分析ツールから与えられたデータだけで勝負している中、自分はSQLを書いたり簡単なスクリプトを組んだりして、まだ誰も見ていない“生データ”にアクセスし、自分の欲しい情報を、欲しい形に抽出できる。見えている世界の解像度が、全く違うんです。
これらの理系で培った"考え方のOS"があるからこそ、感覚的になりがちなマーケティングの世界で、論理的に、そして再現性高く成果を出し続けられるんだと実感しています。
マーケティングを通して、
無限の人に “人生を変える選択肢” を届けていきたい。
ーー先ほど学生時代の「熱中」経験についてお伺いしましたが、現在、ブルードでの仕事の中に、当時と同じような、あるいはそれ以上の「熱中」を感じる瞬間はありますか?それは、具体的にどのような時でしょうか?
はい。それはもう、はっきりと「ある」と断言できます。 むしろ、野球をやっていた頃とはまた違う、もっと大きくて、もっと深い“熱中”を、今まさに感じていますね。
今の僕の熱中には、二つの大きな側面があります。 一つは「世界企業を、自分の手で創っている」という感覚。そしてもう一つが、「ライフチェンジという価値を世界に届けられている」という感覚です。
まず一つ目ですが、ブルードは本気で世界的な企業を目指していて、現在、その売上の半分以上を僕が責任者を務めるWEBマーケティング部門が生み出しています。年間数億円規模の事業を、自分が主体となって動かしているんだ、という強烈な手応えがある。この会社をそして世界を創っているんだというスケールの大きさは、野球では決して味わえなかった興奮ですね。
でも、僕を本当に突き動かしているのは、二つ目の感覚かもしれません。
実は、僕は田舎出身で、周りにグローバルな環境なんて全くなく、ずっと野球だけをしてきた少年でした。そんな僕が20歳の時にたまたま海外に行った経験が、人生を大きく変える転機になったんです。まさに、グローバルに触れたことでの“ライフチェンジ”でした。
だから、今度は僕が、かつての自分のような誰かに、そのきっかけを届けたい。世界中の人々の可能性を最大化する手伝いをしたい、という“恩返し”にも似た、強い気持ちがあるんです。
そして今、マーケティングという手法を通じて、それを実現できています。営業が1対1で価値を届けるのとは違い、マーケティングは理論上、無限の人に「人生を変える選択肢」を届けることができる。実際に、僕たちの活動がきっかけで、年間数千人という方々が新しい人生の可能性に触れている。
この事実は、僕にとって何よりのやりがいですし、野球で感じた熱狂とはまた次元の違う、熱中を与えてくれます。
ーーもし現在の倉田さんが、就職活動で一人悩んでいた過去のご自身に会えるとしたら、どのような言葉をかけてあげますか?
当時の彼が抱えていた問題は、キャリアの選択肢に関する情報量と解像度があまりにも低かったことです。
だから、まずは「一人で悩むのは非効率だ」と伝えますね。「君が感じている違和感は、既に誰かが解決済みの課題だから、自分の理想に近いキャリアを歩む社会人を探し出し、その意思決定のプロセスと結果を直接聞いてみなと」と。
そして、会社を選ぶ上での視点も与えます。「これからは、ビジネスと開発、両方のスキルを駆使して戦う“総合格闘技”がキャリアの主戦場になる。ブルードのように、事業を『オールインハウス』で手掛けている環境なら、その両方を実践で学べるはずだ」と。
未来への不安については、「その恐怖は、挑戦に伴う合理的なリスクだ」と伝えます。「どんな選択にも不確実性はある。大事なのは、どの選択が最も高い成長リターンを期待できるか。そして、最終的にその選択を“正解”にするのは、入社後の自分自身のパフォーマンスでしかない」と。そう伝えますね。
ーー最後に、倉田さんご自身の、今後の目標や挑戦したいことをお聞かせください。
僕個人の目標と、会社の目標は、ほぼイコールです。
それは、ブルードを誰もが知る「世界的な企業」にすること。これに尽きます。
僕自身、海外での経験が人生を大きく変えるきっかけになったように、「海外」という選択肢は、人の可能性を爆発的に引き上げてくれると固く信じています。
だから、今いる場所や国籍に関係なく、世界中の誰もが、そういう“ライフチェンジ”の機会にアクセスできる社会を創りたい。そして、そのための社会インフラに、ブルードを押し上げていきます。
その壮大な目標を達成するために、自分の能力や時間、情熱のすべてをオールインする覚悟です。
ただ、この大きな山は、決して一人では登れません。
だからこそ、僕と同じように、このミッションに本気で共感し、「世界を獲ってやろう」という気概のある仲間を、一人でも多く見つけたい。そして、その仲間たちと一緒に、このとてつもなく面白くて、険しい道を登っていきたい。それが、今の僕の一番の挑戦です!