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何でも楽しむ!行動から信頼関係を構築してきた「人たらし」の次なる挑戦

ライブドアに入社したのは20歳。2004年当時、最年少の社員でした。

小学校からパソコンに興味を持つ、いわゆるパソコン少年でしたが、高校生から大学生にかけて「2ちゃんねる」にハマりました。中でもオフ会板に夢中で、イベントを企画したり参加してオフ会を楽しんでいました。そのうちの1つで、マトリックスオフというみんなで喪服を着て集まってエージェントスミスになって遊ぶという企画が、大盛り上がりしまして、全国で5万人動員するようなイベントになりました。

キアヌ・リーブスさんが来日した際に呼んでいただいたりと、面白い機会に恵まれたのですが、そんなことをしていたら「なんだか面白そうなやつがいるぞ」ということで、ひろゆきさんとか、けんすうさんとかとも仲良くさせていただくようになりました。さらに、当時したらばをライブドアに売却したけんすうさんからのご紹介で堀江社長に会い、ライブドアで働くようになりました。ご縁が繋がって就職してしまうという、わらしべ長者を地で行く感じでしたね。そして初仕事は(もちろん?)忘年会の幹事でした(笑)

11月1日に入社してから、この会社忘年会あるんですか?っと質問したところ、計画してなかったからお前が企画しろといわれ、そこから急ピッチで1000人が入れる会場を押さえました。イベント当日のタイムラインを作成し、大きな蝶ネクタイとキラキラのスーツを着て司会をしたのがライブドアデビューでした。おかげで社員の人にすぐ覚えてもらい、色々な仕事がやりやすくなったのを覚えています。堀江さんにもしっかり覚えていただきまして、その後堀江さん案件と言われる仕事でもお声がけをいただけるようになりました。

スペースシャトルの打ち上げの中継権利が貰えたから、急遽生配信しろ!(配信2日前に言われ、六本木ヒルズにでっかいパラボラアンテナ建てる)とか。
フジテレビとの会見の後にポータルサイトライブドアのトップページをジャックして「きっかけは~ライブドア」みたいな仕掛けを1日で作ったりとか。当時は、手書きの構成書を元にエンジニアさんのところに飛び回ってましたが、とにかく辻が席に行くとみんなが目線を合わせないようにしていたのを思い出します(笑)

2020年の今だと普通にできるので、当たり前に見えるかもしれませんが、当時だと本当に大変だったし、プロフェッショナルなエンジニア集団さんたちと時代の最先端を行く仕事を経験させてもらいました。

社内外の人脈が活きて生まれたコンテンツが「やわらか戦車」

当時は社内のだれよりも沢山飲んで、社内外の人との関係値を深めて、どんな案件、どんなボールが飛んできても100%打ち返せるようにしていました。でも、朝11時のコアタイムには必ず会社にいる。這ってでも会社に行ってたので遅刻はなかったです。

たくさん飲んでいたおかげであちこちの店の常連になり、金曜日の夜はそこらへんのキャッチの人よりも沢山の電話をお客さんから受けていた気がします。
「今夜のお店取れませんか?」という電話が鳴りやまなかったですね(笑)

こういった社内外の人脈が活きて生まれたコンテンツが「やわらか戦車」です。

ネット発のキャラクターを生み出して、それを広げることでポータルサイトライブドアに集客しようということから始まった企画でしたが、自社にとどまることなく、やわらか戦車連合軍という集合体を作り、ぬいぐるみ、食玩、着メロ、Tシャツ、絵本、DVD…などありとあらゆるメーカーさんに協力してもらえたことで、各種製品を世の中に生み出すことができ、認知度が抜群に高まりました。yahoo!やBIGLOBEなどの競合のプラットフォームもネット発のキャラクターということで協力してくれるような関係値を築けたのも大きかったと思います。

いまだに、その当時のつながりの皆さんとは関係値も深く、相談事にのってもらっています。当時関連グッズの総売上は10億円を超え、文化庁「日本のメディア芸術100選」のエンターテインメント部門で、1位になりました。2位がピタゴラススイッチ、3位がスーパーマリオブラザーズというなかでの1位で各所から怒られたような記憶があります(笑)

「単身(+猫)台湾に移住。ちょっと英語ができる程度で良く飛び込んだなと思います」

いろいろな事がありましたが、ライブドアは3年半程の在籍でした。その後誘われてDeNAで2年、楽天で2年働かせていただきました。どの会社でも濃密な時間を過ごさせてもらい、多くのことを学びました。ライブドアでの体験と同じくらいそれぞれ話せるくらいネタがいっぱいなので、今回この辺は省略させていただきますね!

その後、ライブドア時代にご縁のあった方に一緒に事業をやろうよ!と誘われて、単身台湾に移住することになります。中国語も一切喋れず、人脈もなかったのですが、物怖じはしなかったです。

台湾に引っ越すから誰か紹介して!」色々な人に声をかけた結果、たまたま、台湾の国会議員の息子さんを紹介してもらい、初対面のサシ飲みでこれからの台湾での事業について熱く語りとことん飲み切った結果、気に入ってもらいました。彼とのつながりを軸に台湾での人脈も一気に広がりました。

台湾では、まず人材紹介の人材紹介会社を立ち上げました。企業から求人票をいただき、そこにサイトで集客した転職希望者を送客するようなモデルだったので、まずは求人情報を集めないと始まらない状態でした。日系の会社をリストアップし、片っ端から電話をしました。その際に敢えて日本語でお願いし続けることにしました。そうすると日本語が分からず根負けした会社さんの担当者さんが現地の社長(日本人)に繋いでくださるので、とにかく一度話を聞いてくれと頼み込んで、名だたる大企業の現地法人社長に会い続けました。この手法は、真似する人が大勢現れたらしく、現在では通用しないそうなので、皆さんは日本語で電話かけちゃダメですよ!(笑)

次に、求職者を集める必要があったのですが、ここでも過去お付き合いのあった方々に助けていただき、やわらか戦車の作者であるラレコさんにキャラクターを作成いただき、LINEスタンプを使ってサービスの認知度を高めました。人口2300万人の台湾で、当時のLINEアカウントが1000万人くらいだったと思うのですが、その中の520万人くらいにLINEスタンプを使ってもらい、サービスの認知度を一気に高めそこから送客していました。

「台湾の同人誌即売会の熱量がものすごかった。」

現在働いている株式会社エイシス代表の明石とは、ライブドアに勤務しているタイミングが重なっていました。当時はちょっと知っている、接点がある程度だったのですが、私がDeNA転職後のライブドア同窓会のような場所で再開し、ちょこちょこ飲みに行くような友人関係になりました。台湾に単身渡る際にも送別会?壮行会?を開いてもらいました。
そんな関係もあり「最近どうしてるのー?」などと声をかけていただくこともあったのですが、「台湾って同人誌とかそういうイベントってどうなの?」と聞かれたことがキッカケで、台湾で開催されていた同人誌即売会に行ってみたところ、その熱量がものすごかったことを今でも覚えています。

居ても立っても居られず、DLsiteの台湾版を独立した別サイトとしてやらせてもらえないか?と明石と交渉し、自分がディレクションで、もう1名のエンジニアと2人で2ヶ月くらいかけて急ピッチでDLsite台湾版を作りました。大変なことも多かったですが、イベントに出るなど、様々な手を打ち徐々に認知度を獲得し、サービスも成長していきました。

ただ、事業提携をしている外部の会社として、明石と打ち合わせを進めていく中で、DLsite台湾版も伸びているが、それ以上にエイシスが急成長しているのを実感しました。自前でやらせてくれと交渉し、頑張っていたので仕方のない話ですが、台湾の自分の会社では開発の人員を多くは抱えられず、そう簡単に新機能追加などの開発に着手できないもどかしさを感じました。台湾での同人文化の熱量だったり、そこでの自社の認知度の高まりなど事業成長する土台があり、さらに実際に事業も伸びていたのですが、それでもエイシスの事業成長はさらに上をいっていたのです。
であれば、別でやっていても仕方ないのではないか?こちらから持ち掛けておいてこんな話をするのもなぁと思いましたが、「もし良かったら一緒にやらせて欲しい。そしてエイシスの中で海外展開をやらせてもらえないか?」と明石に直談判しました。

元々友人関係ではありましたが、明石は友人関係であるからこそビジネスとしては厳しさを求めてくる人間です。そんな明石に、別会社で自社のサイトの台湾版を任せてもらえたこと。その後、やはり一緒にやらせて欲しいという提案にも「いいよ」と言ってもらえたその懐の深さに感謝しています。

ご縁から大学を中退するほどに夢中になったライブドア。その後もご縁を大切にしつつ、DeNA、楽天と有名メガベンチャーを渡り歩いた20代でした。ちょっと企業のカンバンを意識していたかもしれませんが、エキサイティングな経験をたくさん積めました。そして単身台湾に乗り込んで、辻という自分自身のカンバンで勝負させてもらった6年間を経て、自分自身の能力を活かせるところ、市場が伸びていて事業を任せてもらえるところで働きたい。そう思うようになりました。

「人を蹴落とそうとする、人の足を引っ張ろうとする人がいない会社」って、めちゃめちゃ気持ちいい

そんなこんなで、2019年の5月からエイシスに加わらせてもらっています。現在は海外チームのMgrを任されていて、台湾版DLsiteを統合し、サイトの多言語化などを進めています。元々の海外チームは、翻訳チーム的な意味合いが強く、同人サークルさんよりお預かりしたコンテンツを海外向けに翻訳させていただく業務が主でしたが、今は、海外のユーザー様に対してどう作品をお届けするのか?という視点で事業を捉えています。実際にDLsiteのユーザーの皆様の動向を見ていると、大きく2つ「日本語も読める海外のディープなオタク層」「日本語は読めない海外のライトなオタク層」に分かれています。前者のユーザーの皆様からすると、私たちが翻訳することは必ずしも必要ではなかったりします。面白いコンテンツを紹介するアプローチも当然大きく変わります。

海外チームは、今後のエイシスにおける成長戦略の主要な柱の一つとして、大きな成果を求められています。エイシスの売上は直近2年はYoYで130%と順調に成長をしていますが、その中で海外ユーザーの売上比率も上がってきています。今後、日本国内だけで見れば人口減少の影響が出てくることを鑑みると、世界、中でも英語圏と、中国語圏は大きな市場に成長していくと見込んでいます。現在購入ユーザーは、アメリカ、中国など一般的に皆さんが思い浮かぶ国はもちろん、ルーマニアや、インド、セルビアなど世界中のさまざまな国からアクセスされています。このような世界中のユーザーの皆さんからの期待に応えていくことが求められています。

エイシスで気が付けば1年半になりますが、とても楽しく働かせてもらっています。なんでだろう?と同僚と飲みながら話すこともあるのですが、一つは「人を蹴落とそうとする、人の足を引っ張ろうとする人がいない会社」であることかなと思っています。何か困ったなーということがあり、全社Slackとかにつぶやくと、誰とはなく助けてくれる声をかけてくれるんですね。まぁ、そんな会社はたくさんあるのかもしれませんが、Mgrをみても同様で、普通の会社って多少縄張り意識があって、業務がかぶる部分で面倒なことがあると仕事を押し付け合ったりとか、全社最適よりもついつい自部署の都合を優先させてしまうことってあると思うんです。でもエイシスってそういうことが不思議とないんですよね。会社全体のビジネスに対する解像度も高い人が多く、全体のバランスを見ている人が多い。Mgr会議でも、目の付け所だったり、戦略という意味では議論が起きますし、侃侃諤諤となることも多いですが、仕事の押し付け合いとか、縄張り争いといったことにはならないです。

最近流行りの言葉で言うと、心理的安全性っていうんですかね?MgrやGMという経営に近いレイヤーでこのあたりがしっかりと担保されている会社って少ないんじゃないかと思います。これ、思ったよりもめちゃめちゃ働きやすいです。

あとは、明石の付かず離れずのマネジメントが心地いいですね。基本的にはドンと任せてくれる。必要な時に聞きに来たらいいよーというスタンス。こちら側からちょいちょい報告をしていると細かい話は聞いてこない。それでいて、A案とB案で悩んでいて結論が出ないときに相談すると、スパッと判断する。決断してくれる。それもなんとなくこっちとかではなくて、しっかりロジカルな理由付けもしてくれた上で。意見が合わないときも、ちゃんと話し合えますし尊重してくれているところがあると感じます。あと、全社のSlackに入っているのですが、すっごい見てるんですよ。普段は全然口出ししないですが、どこかで良さそうな知見とかがあると、あの部署がやってたあの施策良さそうだよーって他のチャットに貼り付けて教えてくれたりして。「え?!見てたの?」っていう感じですよね。ライブドア時代にぽすれんというサービスを明石は担当していたのですが、めちゃめちゃ残業している印象でした。ガッツリやっている。当時の社員の中でも相当遅くまでやっていたと思います。今は社長として、定時にはスッとあがることを意識していると思うんですけど、スイッチが入った時の瞬発力・集中力がすごいですね。たまに没頭しているのを見かけます。あと、「この分析の数値、明石さんが自分で出しました?」ということも割とあったりします。明石ほど、経営者として安心感のある人は、なかなかいないなーと思います。穏やかでどっしり構えているんですけど、不思議と緊張感もあるんですよね。

今、そんな経営者と、マネージャー陣と共に、その一員として働けているのがとても楽しいですね。独立して1人でやってきた日々も楽しかったし、良い経験をつめましたが、エイシスに来て1年半、自分自身の成長を凄く感じています。楽しみつつ、自分の成長を感じつつ、会社としても大きなチャレンジをして、もっともっと伸ばしていきたいと思っています。

インタビュー:原
編集:原
写真撮影:諏訪

おまけ(編集後記?)

入社時から気にかけていただいて、ちょこちょこランチや飲みの誘いをしてくれる辻さん。辻さんの人懐っこさをうまく引き出したい!と思ってインタビューしたのですが、割と緊張していてインタビュー時点では引き出しきれませんでした。

一緒に編集させていただく中で、エピソードを追加していただき、辻さんらしさがでてきたなぁと。
ただ、紙面の都合上(すでに長いですがw)大幅カットした部分もあり、またどこかで面白エピソードを取り上げる機会を作れたらいいなーと思いました。


いい写真撮ろうとしたら、現場猫みたいな「ヨシ!」になってしまった辻さん


ろくろではない、何か新しい境地。(手)


ワザとらしいのでボツになった写真。笑顔は100点!

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