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教育チームに配属となった和田 茉莉のインタビュー記事です!

和田 茉莉(Wada Mari)

Contents Director/安平team
1985年3月4日生まれ。埼玉県加須市出身。
東洋大学を卒業後、新卒で地方銀行に入行。13年間個人・法人コンサルティングに従事。
その後、外資金融機関にてFPとして個人ライフプランニングの伴走支援とともに新たにARTと金融ライフデザインのワークショップを企画。2023年にFoundingBaseにジョイン。
現在は北海道安平町にて、社会教育事業「あびら教育プラン」に従事。

挑戦と現実との狭間で葛藤と共にもがいた学生時代

3兄妹の長女として、幼少期は埼玉の田舎で自然に囲まれながら伸び伸びと育ちました。
幼少期の私は好奇心旺盛で、すぐ物に触るし、なんでも質問責め。集団行動より、欲望に忠実。気になったところにふらっと行ってしまう、とにかく遊びに夢中な元気な子でした。

中学生になると黒板と向き合うただ教わるだけ、テストの点数を取るための学校教育に窮屈感を感じ、学習意欲が著しく低下。学習目的を見失い、単身アメリカへホームステイに行く。
この経験で「他者との比較ではなく見たこと感じたことを自己表現する喜び」、「相手に受け取ってもらえる喜び」を実感しました。「もっとたくさんのことを理解したい」あれだけつまらなかった日常から世界は一変しました。新たな問いに対する探究には「知識」が必要だと感じ、帰国後は外国で働くことを夢に勉強に熱中しました。

高校では吹奏楽で県内有数の強豪高に入学。毎日お弁当を2個持参し、朝から晩まで部活三昧。部活を通して、共通の目標に向かってチームでやりぬく忍耐力、部員間や外部との調整力を養いました。振り返ってもよくあの分刻みのスケジュールをこなしていたなと思います。高校生活は忙しいながらも充実していましたが、大学受験期になると両親が離婚。
3兄妹の大学までの学費を母一人で捻出するのは、厳しい現実となりました。
部活と勉強の両立をしていたし、当たり前に大学に行くものだと思っていた私にとって、起きている現実は受け入れがたく、環境の変化等のストレスも重なり大学受験に失敗。
人生ではじめての挫折。「社会からはみ出す」恐怖と共に「これから私はどう生きたいのか」を迫られた瞬間でした。
親戚家族一同に反対されても進学を決意したのは、母が言った
「あなたのしたいことを全力で応援する」この一言でした。
この人生イベントにより、「この世には当たり前は存在しない」「想定したもの、望んだものを実現するためには、明確な目的、事前の計画(目標)と準備が必要だ」と学んだのです。

「死への恐怖より、今世で何をするか」を問われた大学時代

中学より夢見た英文科をやめ、金融業界での就職を視野に経済学部に入学。
奨学生として勉強とアルバイト三昧の日々。遊ぶ暇はほとんどありませんでした。
19歳の時の事故で生死を彷徨う経験をし、「健康でも若くても死ぬ時はなんでもない日常に訪れる」ことを身をもって実感します。以降「よりよく生きる」がテーマとなりました。
大学では情報ゼミに所属。災害と共に生きる日本において、どの世代にも情報がいきわたること、それらにアクセス出来ることは、数多くの人の救いになると思い、卒論は「災害時における情報アクセシビリティ」について研究しました。ITの発展が著しい現代においても、最後の砦は地域と人と人の結びつき、人的交流であることは紛れもない事実です。

やりたいことを実現するエネルギーの源は経験

大学卒業後、新卒で地方銀行に入行。働きながら金融知識を習得し、実態経済を現場で見れること、個々の金融リテラシーの向上により、事前対策を打ち、想定外にも対応できる自立した人を増やしたいという動機からでした。13年のキャリアで、金融知識や様々な業界の知識を習得し、異業種の方々との金融取引を介して世界が広がりました。また、仕事をしながら世界13カ国周遊。文化経済レベル、実際の仕事や暮らしの裏側など数字や観光だけではなくそこに暮らしている人と出会うことで、新しい世界を覗くことが何よりの喜びでした。「全ての原体験は学び(ヒント)になるんだ」旅を通して度々感じたことです。
「どのようにして生きたいか」掘り起こす会話の中で、顕在化する「思い」を汲み取り課題解決をする。実際に家が建ったりその後、子供の成長ステージに合わせて人生のライフイベントの喜びに寄与できることが何よりのやりがいでした。一方でお金の教育が行き届いていないため、お金の管理ができず夢を見失い、困っている人にも沢山出会いました。
「やりたいことの明確化、事前準備で一番大切な”今”の生きる時間を豊かにする」そんな思いで、外資金融機関へ転職。
2社目では「どう生きたいか」を考えるライフデザインを軸にライフプランを自身で作成できるようにするため、新たにARTとコラボしたワークショップを企画。

それは、ただなんとなく他人に決められた消費する生き方ではなく、自分の思いを軸に自ら設計した人生を心から応援したかったからです。
人生は経営。何も会社だけが経営ではない。家族もまた経営チームの一員であり、参加者不在の経営は成り立たないからです。ワークショップに確かな手応えを感じるも、やればやるほどに人の意思決定の奥底にある価値観の顕在化には気づきの経験回数と長期的かつ継続的なコミュニケーションが必要で、現状では持続可能な本来の成長や意識変容の伴走支援にはならないジレンマ。次第に就業時間とのバランスに折り合いがつかなくなりました。「自己選択ができる豊かさ」について考えながらも当時の私には、それが何かを掴むことができませんでした。
その後、一冊の本をきっかけに「引いた世界を見てみよう」と思い立ち、長きに渡った金融のお仕事に区切りをつけて旅に出ると決めて退職。

Well-being 究極の幸せってなんだろう

教育の専門家でもない私が、FoundingBaseに入社した理由とは?
「日本の自然と暮らしと文化」「(体も心も)人が動く時はどんな時か」そんなテーマで旅して見えたものは、子供がはじめて新しい世界を見て触って体験し歓喜する感覚でした。
日常で経験できない無計画、目的のない思いつきの旅。歩きたいと思ったら熊野古道に修行しにいく、山に入って木こりになりきってみる。足がなければヒッチハイクをする。行こうと思ったらそれに合わせた選択をする、つまりそこで考える。「どうしたらできるかな」と。そんな子供でも当たり前にやっているだろうその選択が、社会の中で生きる中で予定調和偏重となって死んでいく。予定不調和によって起きる出来事に面白さと生命を感じ、出会う土地や人との関わりの中でその地に愛着が生まれる。愛の不合理ってやつです。

日本の地方を歩いて見えたのは、歴史、言語、自然、暮らしといった日本文化のポテンシャルの高さでした。人間の永遠のテーマである「生きる」(イキイキ生きる)には、変化し続けること、持続可能であること。そしてふるさとがあること。他者との関わりは切っても切れない。そして、人を育むものは人であり、地域であり、自然である。変化の大きい世の中だからこそ、役割範囲を超えた横のつながりと共に変化を楽しみ、挑戦を応援したい。最初は、地方創生と教育に関心があったので色々な企業を見たけれど、ピンとこない。教育だけがやりたい訳ではない。もっと広い視野で捉えたい、人が生きる、成長するって、もっと色々な関わりと学びがあるだろうと。そんな思いの最中、出会ったのが FoundingBaseでした。地域に入って本気で実装し続ける、ミッションとバリューに惹かれて入社を決めました。

未来に向けて

現在、北海道安平町にて社会教育事業「あびら教育プラン」に従事しています。
見える景色が随分変わりました。広大な土地と広がる青空、鳥のさえずりと太陽の光でおきる毎日になりました。自治体も地域の人々も一緒になって本気でこのまちを良くしようと色々な活動が行われています。未経験の業界で多少の不安はありますが、それを打ち消すだけの社会的意義と面白そう!!という好奇心の方が強く、私自身の変化を楽しみながら活動しています。
「破壊と創造」社会教育事業を通して、子供も大人も「面白がる」そして「挑戦できる」そんなきっかけを作って行きたいなと思います!

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