- 中途採用
- コンサル/未経験歓迎
- Engineering
- Other occupations (4)
- Development
- Business
- Other
これは、僕が本当の意味で「Buddy」になった日の物語です。
いや、正しく言うと、お客様の熱によって「Buddyにしてもらった」日の、忘れられない思い出の話です。
僕がこの仕事を選んだ理由
僕は新卒でコンサルティングファームに入りました。
「コンサルがしたかった」というよりは、もっとコアな部分に「人を、組織を、元気にしたい」という想いがあったからです。
大学時代、僕はボート部にすべてを捧げました。主将として、どうすれば人や組織が変わり成果を出せるのか。そのことばかりを考え、実行してきました。その経験が僕の原点になっています。
前職の会社は「企業を芯から元気にする」という、最高にナイスな理念を掲げていて、まさにドンピシャでした。素晴らしい仲間にも恵まれ、刺激的な日々でした。
でも、もっと直接的に、もっと生々しく、人や組織に関わりたい。
そんな想いが日に日に強くなり、起業すら考えていた頃、SALESCOREの代表である中内や、事業部長の大久保と出会いました。
彼らと話すうちに、僕が心の底からやりたいと思っていたことが、驚くほどリアルに、この会社で実現できると確信しました。
僕がしたかったのは、絵に描いた餅を語ることじゃない。現場で働く一人ひとりと向き合い、その行動を変え、会社を中から本質的に変える、ということでした。正直、そんな生々しい変革ができる会社はなかなかないだろう、と勝手に思い込んでいました。
しかし、SALESCOREは、現場の一営業担当と1on1を重ね、営業会議を共にし、まさにお客様と「ワンチーム」で文化を丸ごと変えることを一番の強みとしています。そして何より、その価値が「マーケットから評価されている」のだ、と。
この「マーケットから評価されている」という事実が、僕にとっては決定的でした。僕が理想としていたアプローチは、単なる綺麗事じゃない。世の中から確かに求められている価値なのです。
僕がやりたいことは、採用時のセールストークではなく、社会からの要請なのです。そう理解できた時、僕の迷いは消えていました。
そうして僕は、SALESCOREの門を叩きました。
もちろん、少しの不安はありました。面接で聞かされた魅力的な話は、多少の脚色がされているんじゃないか・・・
結局は、これまでのコンサルティングビジネスと同じことをするだけなんじゃないか、と。
けれど、その不安は入社してたった数日で、心地よく吹き飛ぶことになります。
いきなり、20営業所の変革を任される
最初にアサインされたのは、全国に数百営業所を展開する中古車販売のお客様。3営業所での実証実験(PoC)を終え、これから一気に40営業所へ拡大する、という巨大なプロジェクトでした。
僕が入社した当時(※)、オンボーディングを終えてから1、2週間で、この巨
大プロジェクトの最前線に立つことになりました。
ここで、SALESCOREの根幹に関わる、とても大事な思想について補足させてください。
現在のSALESCOREには、「採用後2ヶ月間は現場に出さず、徹底的にインプットに集中する」という、極めてユニークなオンボーディングの仕組みがあります。
一般的なコンサルティングファームでは、人件費が事業の原価そのものですから、一日でも早く現場で稼働させることがビジネス上の合理性です。しかし、私たちが成し遂げたいのは、お客様の根幹にある『文化変革』です。その大役を担える確信が持てるまで、メンバーを現場には出さない。
この2ヶ月間の猛烈なオンボーディングは、これまでに行ってきた数多の文化改革の知見が体系化されたからこそ確立できたもので、僕が入社した頃は、まさにこの仕組みが固まっていく過渡期でした。スタートアップなのだから、入社後すぐに新たなミッションを与えられること自体は、当たり前かもしれません。しかし、SALESCOREが真に”普通じゃない”点は、既に数年にわたる取り組みの歴史があり、会社の今後を左右するような大きな案件を、入社してたった数週間の人間に任せる、というその事実と、それを可能にする仕組みにありました。
なぜ、そんなことが可能なのか。 その答えは、これまでの取り組みの全てが、尋常ではない量のデータとして蓄積・体系化されていたからです。
まずは、整備されていたプロジェクトの概要資料やオンボーディングドキュメント、意味ある整理をされたGoogleDrive内の資料を読み込みました。またSlackも最初の投稿からすべてのスレッドに至るまで読み漁りました。
それらには数年分の試行錯誤やお客様とのやり取りが全て記録されており、まるで自分が何年も担当してきたかのように、プロジェクトの全体像、これまでの経緯、そして課題の本質までを深くキャッチアップすることができたのです。
誰が入ってきても対応出来るように、既存のPJメンバーの皆様が秘伝のタレのようにドキュメント・ナレッジ整理されていたことは、入社して最初の嬉しいサプライズでした。
おかげでDay1から「自分ならこうしたい」という意見を言える状態になっていました。このカルチャーがあったからこそ、上司は本当に1〜2週間で「德永くんに任せるね!」と、普通では考えられないバトンを僕に渡してくれたのだと確信しています。
成果を出せる人間、そして何より「人や組織に向き合いたい」と本気で願う人間に、これほど大きな打席をすぐに与えてくれる会社なのです。
その事実に感動し、心の底から「やってやろう」と燃えたのを、今でも鮮明に覚えています。
こうして僕は、40営業所のうち20営業所のセールスイネーブルメント(営業組織の強化)をメインで担当することになりました。
やることは大きく3つです。
- 営業会議への同席: 基本毎日参加します。日々の現場の空気を感じ、リアルタイムで改善提案を行います。
- 店長との1on1: 週に一度、各営業所の店長と1時間。仲間として作戦会議を重ね、変革を後押しします。
- データ分析: 定量データから営業所の状況を客観的に分析し、次の打ち手の精度を高めます。
この3つを、20営業所分、ひたすら回していきます。
どの営業所にも忘れられない思い出がありますが、このNoteでは、特に僕の心を揺さぶった、ある店長との3ヶ月間の物語を書きたいと思います。
若き店長との出会い
その営業所の店長、Nさんは、抜擢人事で就任したばかりの、僕と同世代の20代後半の方でした。他の店長は30〜40代がほとんど。
彼は非常に優秀でしたが、年上の部下たちのマネジメントや、15人規模の営業所を率いるという初めての挑戦に、少し迷い戸惑っているように見えました。
初めて1on1で話した時のことをよく覚えています。彼はとにかく謙虚で、組織を良くすることに対して、エゴやプライドが一切ない。ただ真っ直ぐに「コト」に向き合っている人でした。
正直に言うと、僕らがやっている仕事は時に嫌われることもあります。
社外の人間、いわゆる「コンサル」が、年下であればなおさら、何かを指摘したりアドバイスしたりすることを、誰もが好意的に受け止めるわけではありません。
けれど、Nさんは初日から僕にこう言ってくれたのです。
「組織を良くするために、德永さんの力を貸してください。いろんなことを手伝ってほしいんです」
こんなことを言われて、燃えないはずがありません。
お客様が、外部の、しかも年下の僕に対して、これほど謙虚に愚直に学ぼうとしてくれている。
その姿に僕は何度も自分を超える経験をさせてもらいました。
いわゆるゾーン状態で、担当する営業所をどうすれば良くできるか、それ以外のことは何も考えられない。そんな3ヶ月が始まりました。
NさんはPDCAが驚くほど速く、実行力のある方でした。だからこそ、僕との週に一度の1on1が組織の未来を決める極めて重要な時間になります。
ここで僕がどれだけ価値を出せるか。
その1時間が、営業所の1週間を、そして3ヶ月の未来を左右する。
それは、僕が心の底からやりたいと願っていた「組織を良くし、働く人をポジティブにする」仕事の、ど真ん中でした。
だから、彼との1on1は、僕にとって最高に楽しみな時間でした。
一方で、大きなプレッシャーも感じていました。お客様の組織の一部を、たしかに預かっているという感覚。手触り感のある変革に携われる興奮と、お客様が自分を頼ってくれているという責任。
大人になって、社会人になって、こんなに夢中になれることがあるなんて。
当時は必死すぎて気づきませんでしたが、今振り返れば、あの時間は本当に幸せだったんだな、と思います。
動かない組織、苦闘の1ヶ月
僕らは、SALESCOREが長年かけて編み出したフレームワークをベースに、日々課題を見つけては改善提案を回し、データで分析しては翌日フィードバックする、というサイクルを繰り返しました。
しかし、最初の1ヶ月、現実は厳しかったです。
店長であるNさんは燃えているのに、営業所のメンバーは、まったく変わらなかったのです。
「なぜ、これをやらなければいけないのか」
「言われたことをやる時間がなかった」
どんな変革にも必ず起きる「ハレーション」の壁。
僕らがどれだけ「これは絶対に組織のためになる」と訴えても、行動は変わらず、当然、成果も手応えもありません。Nさんも僕も、本当に苦しい時期でした。
これは「Buddy」という仕事をする上で、誰もが通る道です。
この時、推進役のリーダーと一枚岩になれるか。変化を恐れず、一人ひとりと愚直に向き合い、まるでオセロの石を一つずつひっくり返すように、組織を良い方向へ導けるか。
ここが、Buddyの腕の見せ所なのです。
僕とNさんは、何度も話し合いました。
エゴやプライドは捨てて、ただ「どうすれば本当に組織が良くなるか」「どうすれば働くメンバーのためになるか」だけを考え、仲間として、ことに向き合いました。
そうして苦闘する中で、2ヶ月目、ようやく一筋の光が見え始めます。
ひとりの女性が生んだ、小さな兆し
組織が変わる時のセオリー通り、この取り組みに共感し、変化する人が一人、また一人と現れ始めました。
最初の一人、アーリーアダプターとなったのは、入社2年目の女性メンバーでした。
営業になってまだ数ヶ月。それまで月に1件台売れるかどうかだった彼女が、この取り組みが始まって1、2ヶ月で、いきなり月に7〜8件台を売るセールスへと変貌を遂げたのです。
彼女は言いました。
「営業って何をすればいいか分からなかったけど、この取り組みで、やるべきことがクリアになりました」
「日々の会議の中で学ぶ機会が出来て、これを試してみよう!というのが毎日あるので営業が楽しくなってきました!」
日々の営業会議で先輩から学び、一つひとつゴールをクリアしていく。その彼女の変化が、僕は涙が出るほど嬉しかったです。
僕の本当の「Buddy体験」は、ここから始まります。
ここでお伝えしたい、SALESCOREの根幹とも言える仕組みがあります。
私たちは、組織の変革度合いを「定性(状態)」と「定量(数値)」の両面で必ず定義します。
そして、3ヶ月で新しいやり方が「文化」として根付くレベルまで伴走することをゴールに置いています。
これはもっと言うと、無数の営業組織を見てきた経験から体系化された「どの順番で、どのように変化すればよいか」を示す、詳細なロードマップです。
1週間単位で組織がどういう状態になっているべきか、その指標が細かく引かれています。もちろん、これを杓子定規に当てはめるわけではありません。しかし、この再現性のあるフレームワークをベースにするからこそ、文化変革を確かなものにできるのです。
各営業組織ごとに目指すべきロードマップを策定
課題の特定と打ち手実行をあらゆる方向から模索
ロードマップに照らし合わせた時、Nさんの組織は、ラスト1ヶ月の時点で「あと一歩」というところまで来ていました。
私はこれを踏まえ、自分なりの考えも加えた上で、N店長にある提案をしました。
それは、単に目標を達成するだけでなく、データドリブンな生産性の高い営業組織へと進化するための、次の一手でした。
「徳永さんの口から、伝えてくれませんか」
もう一段階、上に行くために。Nさんにある提案をしました。
僕の提案内容をしばらく咀嚼していたNさんは、ゆっくりとこう言いました。
「その話を、徳永さんの口から、うちのメンバー全員に伝えてもらえませんか?」
一瞬、ためらいました。変革の主役は、あくまで店長であるNさん自身であるべきです。
彼が自分の言葉で語ってこそ、組織はついてくる。
そう思い、断ろうとしました。
しかし、すぐに彼の意図を理解しました。
組織とは生き物であり、当たり前ですが論理だけでは動きません。
そんな時、内部のしがらみから離れた「外部の人間」だからこそ、客観的に伝えられること、動かせるものがあります。
時に嫌われ役になるリスクさえ引き受け、外部のフラットな視点から「今、組織がどういう状況で、どこへ向かうべきか」をストレートに語ること。
Nさんは、組織をもう一段階引き締めるこの大切な局面で、その「外部の力」が不可欠だと判断してくれたのです。
そう理解した上で、僕は改めてNさんを見つめました。この2ヶ月間、誰よりも彼の覚悟を見てきました。
組織を良くするためなら、どんなことでもできる人です。 その彼が、僕のBuddyとしての価値を信じ、この一番大事なタイミングで「僕」というカードを切ろうとしている。
嬉しい、という感情以上に、「この信頼に懸けて応えなくてはならない」という、燃えるような想いが突き上げてきたことを昨日のことのように覚えています。
後日、1時間のMTGを設定いただきました。
Nさんが声をかけ、休みだったメンバー以外、全員が参加してくれました。リモート越しではありましたが、画面の向こうから、全員の熱意がビリビリと伝わってきます。
最初の頃、会議に集中していない人もいた組織が、まるで別のチームになっていました。全員が僕の言葉に集中し、一つでも多くのことを吸収しようとしています。
苦しい1ヶ月を乗り越え、小さな兆しを掴み、一つのチームになっていこうとする彼らを前にして、僕は話しながら、こう痛感していました。
「ああ、僕はBuddyになったんだ」と。
いや、違う。僕がなったんじゃない。
お客様の熱意が、そしてその熱意と僕の想いが一つのチームになった時、僕は「Buddyにしてもらえた」んだ。
この感覚こそ、SALESCOREの先輩たちが語っていた「Buddyになる」ということの正体だったのです。
僕のプレゼンの後、組織は最後の壁を突き破りました。
取り組みのレベルは劇的に向上し、最終的には社長が直々にこの営業所の会議を視察に訪れ、「この取り組みを全社展開する」という意思決定が下される、模範的なモデル組織にまでなりました。
仕事で、もう一度青春を
仕事を通じて、こんな体験ができるなんて、思ってもみませんでした。
まるで高校の文化祭のように、僕がすべてを捧げた大学のボート部のように、組織が変わり、中にいる人が変わり、信じられないような成果が生まれます。僕の価値観では、これ以上の生きがいはありません。
まさか、あの熱量をもう一度、仕事で味わえるなんて。
そして何より、この力は僕自身のパワーじゃない。お客様から引き出してもらったものです。
人は、誰かに頼られたり、期待されたりする時に、一番力が出る生き物だと思うのです。
本来、それをお客様に与えていくのがBuddyの仕事です。
でも、あの時の僕は、Nさんから、そしてメンバーの皆さんから、絶大な期待をかけてもらうことで、Buddyになれたのです。
この経験を、この熱量を、僕は絶対に忘れません。
そして、この熱を伝播させていく側に回りたいです。
少しだけ、その後の話を。
支援が終わった後も、Nさんとは何度か話す機会がありました。プロジェクトが一区切りした時には、飲みにも行きました。その席で、彼は何度も僕に感謝の言葉を伝えてくれました。
Buddyとして、こんなに嬉しいことはありません。
でも、僕も心から同じことを思っていました。
「Nさん、あなたのおかげで、僕はBuddyになれたんです。本当にありがとうございました」
僕はこんな体験をもっともっとしたいです。
この影響の輪を、もっともっと広げていきたい。そして、「Buddy」という最高にエキサイティングな仕事を、この世の中に広め、同じ志を持つ仲間を増やしていきたいです。
今の僕は、SALESCOREという場所で、そんな野望を持っています。