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ねぇ、弱みをさらけだして相互に助け合う「弱みの相互補完」をやっていこうよ

マサです。

先日、鹿児島にある知的障害者支援センターの「しょうぶ学園」という施設に行ってきまして。なんでも130人以上の利用者と100人近くの職員がおり、日中、門を開けていて誰でも入れる開かれた知的障害者支援センターで、中にはパン屋やカフェ、そば屋などがあります。なんと年間1万人の人が訪れるそうで、園長の福森伸さん曰く「デートで来るカップルもいる」とのことです。詳しくは、 Huffington Post の『年間1万人が訪れる障がい者施設。 鹿児島・しょうぶ学園の新たな挑戦』を読んでいただければ。

施設の中をいろいろと案内していただき、入所者たちが独創的な商品や作品を製作している工房をなどを見て回りました。職員さんと入所者さんがともにアート作品などを作っていました。Huffington Post の記事のなかで『彼らに「できないこと」を強制するのではなく、「できること」と僕らが「できること」をかけ合わせていく。その繰り返しです。』とあるのですが、まさに健常者が苦手な作業を障がいを持った方が行い、障がいを持った方が苦手な作業を健常者が行うという「助け合い」で仕事をしているように感じました。

「強みの相互補完」に対するハテナ?

僕らのようなベンチャー企業の組織には「各自の強みを持ち寄って企業を成長させる」という「強みの相互補完」が求められていたりします。たしかに、僕も「各自の強みが効果的に機能する組織づくり」をしたいと思っています。でも、一方、しょうぶ学園の各工房を見て回りながら気づいたのは「誰かの弱みを誰かが助けている」という助け合いの環境です。「強み」ではなく「弱み」で相互作用が働いているような、そういう環境。とても良いものに感じました。

「強みの相互補完」を是とする環境について角度を変えて考えてみると、いくつかの課題を感じました。強みは持つことが難しい、強みは間違えると意固地になる、強みは嫉妬される、などなど。実は「強み」というものは意外と弱いものかもしれないです。

「強み」を持つのは難しい

僕もそうなんですが、「やりたいこと」と「強み(得意なこと)」は違っていたりします。僕は会社の代表で管理職なのですが、今もなお「ものづくり」「サービスづくり」がしたくて、自社サービスの機能の仕様を考えたり、多少は実装もしたいなぁと考えています。でも、それのような活動は僕の「強み」ではなく、どうやら組織づくりの仕事をしていた方が全体的には良さそうなのです。

・・・だからといって、組織づくりが「得意なこと」だったり「強み」なのかというと、それもまた微妙で。自信を持って言えませんし、「ものづくりがやりたい」とか「サービスづくりがやりたい」と思っている僕に対して「組織づくりが得意ですね」と他者から言われても、なんか「うーん・・・」となります。

「誰にでも強みがある」、僕もそう思いたい。でも、一方、消極的な考え方ですが、「強み」は誰もが持てるものではない気がします。「誰にでも強みがある」というフレーズは、「努力すれば報われる」というフレーズと同じように、期待値を上げてしまうアプローチかもしれません。「努力しても報われないときもある」ように「強みがないこともある」ということを認めざるをえないケースもあるかと思います。そんなときは「強み」というものはスペシャルなものなのだと思ったほうが、諦めもつくし、「強みを持たなければならない」というストレスから解放されると考えることもできそうです。

「強み」は間違えると「意固地」になってしまう

「やりたいこと」と「強み」のミスマッチが不幸を生むケースが多くあります。他者からは「え?そうでもないよ(それ強みじゃないよ)」と思われているのに、本人は変なプライドで「やりたいこと」を意固地に「強み」と思いつづけていたり。意固地な態度は、周りも指摘しづらく、困ってしまいます。

そうなった場合、本人が「強み」と思っていることを周囲が受け入れることも難しいし、さらに「相互補完」していくにしても無理みがある。互いの信頼度が低い状態になってますし、そもそも受け入れようとしているものは「強み」ではないですしね。

「強み」は嫉妬されることも

本当にしようもないことなんですが、誰かの「強み」が自分の「やりたいこと」になっていたときに、ついつい嫉妬してしまうことがないですか?「嫉妬」というのはチームワークを崩す諸悪の根源のようなやつで、発生するとしぶとくて、チームに悪影響を及ぼしていったりします。さらに状況が悪化していくと、チームの人たちも辛ければ、本人もめちゃくちゃ辛い。「チームは嫉妬に壊される」と言っても過言じゃないと思います。

他者の「強み」を認めて、自分のやりたいことを譲るのって、精神的なタフネスをすごく求められるので、かなりキツイですよね。

弱みを補完しあう優しく強固な「助け合い」の世界

・・・と、「強みの相互補完」に対して僕が感じた課題を無理やり書いてみました。自分のアイデアを主張するために、他のアイデアを批評してみるというダメな論法ですが、ここからが本番(笑。

「弱み」はみんな持っている

「強み」と比べて「弱み」というのは誰にでもあって、見つかりやすいもののように感じます。例えば僕なんかは、同じことをずっとやることができませんし、注意力がたりないのでケアレスミスを重ねがち。自分の苦手なことを数行に渡って列挙することができるくらいです。超弱みの塊なのですが、その弱みを多くの人が助けてくれます。もちろん、僕も困った人がいれば手伝おうと頑張りますし、誰かのために働いています。

受け入れることが難しいかもしれませんが、第三者からは「強み」を発見するよりも「弱み」を発見する方が比較的簡単で早いし、殆どの人が「弱み」を持っていると思います。

みんな誰かのためになりたいと思って働いている

ヌーラボ の社内の人たちにインタビューすると、殆どの人が誰かのために働きたがっていることがわかります。おそらく、ヌーラボの社内だけではなく、世の中の働いている人の殆どが、誰かの役に立つことが「働きがい」だと感じているのでしょう。殆どの職場が、殆どのチームが、そういう「誰かのために」という気持ちを持つ人たちが多くいると思うので、そんなときは、各自が「弱み」を見せ合うことで、各自が誰かのために働きやすくなります

自分の弱みを埋めてもらうこともできるし、自分も誰かのために働くことで「働きがい」をビンビンに感じることができ、超お得なスパイラルが爆誕します。

弱みをさらけだせるということは、相手を信じているということ

自分が気づいている自身の「弱み」をみんなに公開することは勇気がいることかもしれません。すでにみんなから気づかれているのにも関わらず(笑。

例えば、僕は極度の先端恐怖症で、裁縫で使う針はもちろん、コンビニの商品を陳列している棚から突き出るフックをみても、目に刺さってきそうで恐怖感を感じます。ガチやばくて、尖ったものを見せられ続けると発狂すると思います。僕を脅したかったら、先端の尖ったものを突きつけるだけでいいです。脅しに負けて、泣きます、もしくは暴れます、きっと。

これをみんなに言えるのは、「僕のこの弱みを共有しても、僕の周りに尖ったものを向けてくる人はいないだろう」という気持ちがあるからです。信じる気持ちです。弱みを公開された側の人たちも、その気持ちに気づきます。「マサは、私を信じているから先端恐怖症だということを告白してくれたのだろう」と。

弱みを勇気を持って公開し、共有するだけで、信頼関係が爆誕です。

結局同じことかもしれないけど

「強みの相互補完」も「弱みの相互補完」も似たようなもので、ちょっとしたアプローチの違いなだけで、差をあまり感じないかもしれません。むしろ同じものを2つの違った角度から見ているだけかもしれません。でも「弱みを助ける」という部分にフォーカスするだけで、なんということでしょう、なんだか優しい世界に近づきます。

ヌーラボの行動規範「NUice Ways」には「ひとりより、みんなで」という項目があります。そのために、まずは、自分の弱みを公開し、人の助けを受け入れることから始めてみてもいいかもね。

ヌーラボブログも併せてご覧くださいね!

https://nulab-inc.com/ja/blog/


それでは(`・ω・´)ゞ

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