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成長

仕上工のはじまりを”ボルト磨き”にしている理由。柳井工業の未経験機械エンジニアが育っていく過程とは

柳井工業はプラント企業の中でも”回転機”に強く、仕上工のプロとして自負しています。柳井工業のビジョンである「プラント業界を”より”よくする」を実現すべく、弊社では機械エンジニアを募集しております(未経験でも大歓迎です!)。今回の記事では「未経験の機械エンジニア育っていく過程」をテーマに、柳井工業が大切にしていることをお伝えします。弊社で機械エンジニアを希望している方に、ぜひこの記事を読んでいただきたいです。目次意外と地味?まず最初に全員が通る道は、”ボルト磨き”ボルト磨きで職人の腕が分かる。育った人には更なるステップへ!柳井工業では”監督の育成”にも力を入れていきます!意外と地味?まず最...

「そんなんじゃダメだって……」。残念な”なんちゃって仕上工・機械エンジニア”にならないために重要なこと

柳井工業に従事して、10年経ちました。その間にたくさんの機械エンジニアと出会って感じたことは、仕事ができる優秀な機械エンジニアには"謙虚さ"があるということです。今回の記事ではこれから機械エンジニアを目指す方へ、「愛される機械エンジニアになるために重要なこと」を僭越ながらアドバイスできればと思います。柳井工業は常に”挑戦”や”柔軟性”を大切にしているのですが、その想いもこの記事で知っていただけるとうれしいです。目次「できるようになった」の落とし穴。”なんちゃって仕上工”にならないために。本当のプロが大切にしている”挑戦”と”柔軟性”まずは柳井工業が、”プロの仕上工部隊”になるために……「...

目先の利益よりも、キーパーソンを求めたい。常務・柳井が考える柳井工業が必要とする人とは

「有限会社柳井工業の創業者である父の病気をきっかけに、今まで全く関わってこなかったプラント会社へ転身しました」。そう答えるのは、柳井工業・常務取締役の柳井寿栄です。前職は野村證券でリテール営業を経験。その後に事業継承の道を決意します。今回はそんな柳井に、事業継承のきっかけ、柳井工業が必要とする人、就活生・求職者へのメッセージを聞いてみました。柳井寿栄(やないひさよし):柳井工業・常務取締役。立教大学卒業後、野村證券株式会社にて2年間、リテール営業を務める。柳井工業・創業者の父の病気をきっかけに、事業継承を決意。「プラント企業をより良くする」をビジョンに、常務として柳井工業の課題に向き合っ...

【第4話】社長の父と私が衝突したわけ。そこには大きく形成させたターニングポイントがあった

この記事は、連載「起業よりもむずかしいよ、事業継承」の第4話になります。まだの方は、ぜひ第1話からご覧ください。柳井工業では「起業よりもむずかしい、事業継承」をお伝えしてきました。3部作で締める予定でしたが、その後も大切なストーリーがあったなと……。まだまだお伝えしたいことがあるので、事業継承の連載を続けことにしました。第1話:事業継承の背景第2話:しんどかった柳井工業での修行第3話:事業継承で伝えたいこと第4話:社長の父と衝突した背景 ←今ここ今回は「社長と私の意見が食い違った理由」をテーマに、柳井工業・プラント業界のターニングポイントを交えながら、”お互いの意見の形成”に繋がった話を...

【第1話】私が大手証券会社を辞め、柳井工業を継ごうと思ったわけ

この記事は、連載「起業よりもむずかしいよ、事業継承」の第1話になります。いつも柳井工業のnoteを読んでいただき、ありがとうございます。柳井工業・常務の柳井です。noteでは、いつも私の体験談や感じたことを発信しております。Twitterやnoteの発信活動をはじめてから、早5ヶ月目に突入しました。おかげさまでたくさんの方に読んでいただけており、「発信してよかったな…」と感じる毎日です。いきなりですが、これから第3部作に分けて「起業よりもむずかしいよ、事業継承」の連載を行います。私は柳井工業の後継者として、約5年間突っ走ってきました。酸いも甘いも嚙み分けてきたからこそ伝えられることがある...

シンガポールでヒヤッとした。このままの日本は、あと5年で追い越される

柳井工業は全国を拠点に、さまざまなプラント会社さんとお仕事をしております。国内のみならず、東南アジアを中心に海外にも幅を広げています。東南アジアでは若者を中心にプラント業界を担っているのですが、彼らと仕事をすると「このままだと、日本は抜かされるだろうな……」とヒヤッとします。今回は、私がシンガポールでの体験をお伝えしますね。「日本の技術は世界一」と思い込んでいると痛い目にあいそうです…。28歳のとき、はじめてシンガポールに派遣された2014年の夏。私が28歳のとき、はじめてシンガポールで仕事をしました。まだまだ小さかった柳井工業。当時、弊社はタービンに特化していて、実績と信頼を評価してい...

辛かったけど、ありがとう。野村證券で学べた5つのこと

「辛かったけど、あの時経験しておいてよかった...」。逃げたかったけど、後になって感謝に変わった経験、あなたにもありませんか?私は「野村證券で働いた2年間」が、まさにその原体験です。あの、ザ・体育会系で有名な大手証券会社。私は2年間、営業として従事していました。辛かったし、しんどかったし、プライドがズタボロになった瞬間も沢山あった。それでも、2年間があったからこそ、社会人の基礎やコミット力、営業マインドを培えたなと。感謝の気持ちでいっぱいです。私が何を学んだのか。備忘録として、このnoteにまとめていきます。1. 相手を巻き込むコミュニケーション力野村時代にいた2年間、足腰を使い、飛び込...

11年働いた野村證券を辞めて、起業した後に柳井工業で働いている理由

大好きだった野村證券を辞めようと思った理由野村證券で頑張ることを学ばせてもらった私は野村證券が大好きでした。社会人になり、ビジネスの基本を全て教えてくれたのは野村證券の先輩、上司でした。成果に厳しい会社でしたが、やり方には自由度があり、PDCAを学ばせてもらいました。心身ギリギリまで追い込んで、全ての時間を仕事に費やして努力できました。この経験は今では尊いものになっています。働き方改革やパワハラが言われる中では逆行していましたが、弱い自分を徹底して追い込んでくれた先輩に感謝してます。では、なぜ会社をやめたのか??会社のビジョン≠自分の正しいと思うこと会社は目標を掲げます。なんのためにやる...