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【第4話】社長の父と私が衝突したわけ。そこには大きく形成させたターニングポイントがあった

この記事は、連載「起業よりもむずかしいよ、事業継承」の第4話になります。まだの方は、ぜひ第1話からご覧ください。


【第1話】私が大手証券会社を辞め、柳井工業を継ごうと思ったわけ | 有限会社柳井工業
この記事は、連載「起業よりもむずかしいよ、事業継承」の第1話になります。 いつも柳井工業のnoteを読んでいただき、ありがとうございます。柳井工業・常務の柳井です。noteでは、いつも私の体験談や感じたことを発信しております。 ...
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【第2話】未経験のプラント業界。そこには絵に描いたような「3K」が待っていた | 有限会社柳井工業
この記事は、連載「起業よりもむずかしいよ、事業継承」の第2話になります。まだの方は、ぜひ第1話からご覧ください。 第2話の今回は「しんどかった柳井工業での修行」をテーマに、未経験のプラント業界に飛び込んで経験した苦労に焦点を当てお伝えしていきます。3部作の詳細は以下です。 中には今までのnoteに書いてきた内容もあるので、一緒に読んでいただくことで、より描写が浮かびやすいかなと思います。 ...
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【第3話】「親の七光り」と言われたこともあった。私が伝えたい事業承継で大切な2つのこと | 有限会社柳井工業
この記事は、連載「起業よりもむずかしいよ、事業承継」の最終話になります。まだの方は、ぜひ第1話・第2話からご覧ください。 第3話の今回は「事業承継で伝えたいこと」をテーマに、事業継承で感じた大切な2つのことに焦点を当て、お伝えしていきます。第3部作の詳細は、以下となっています。 はじめは「5年は何がなんでも辛抱する」と腹をくくり、事業継承の世界へ飛び込みました。 ただありがたいことに、 ...
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柳井工業では「起業よりもむずかしい、事業継承」をお伝えしてきました。3部作で締める予定でしたが、その後も大切なストーリーがあったなと……。まだまだお伝えしたいことがあるので、事業継承の連載を続けことにしました。

第1話:事業継承の背景
第2話:しんどかった柳井工業での修行
第3話:事業継承で伝えたいこと
第4話:社長の父と衝突した背景 ←今ここ

今回は「社長と私の意見が食い違った理由」をテーマに、柳井工業・プラント業界のターニングポイントを交えながら、”お互いの意見の形成”に繋がった話をしていきます。

柳井工業のターニングポイントを振り返る

ではまず最初に、柳井工業を含むプラント業界全体の遍歴を、簡単に振り返ってみましょう。簡単な図解を用意しました。


▲事業状況グラフ

これを元に、”創業期のバブル期”と”バブルラッシュ後”と”現在(2020年前後)”で、柳井工業のターニングポイントを深掘りしていきます。

この時代背景を知ることで、弊社の社長と私との”意見の食い違い”が見えてくるはずです。

高度成長期のバブル期。良くも悪くも”甘い蜜を吸っていた時代”


▲事業状況グラフ

1981年6月に、柳井工業は設立されました。当時は高度成長期ということもあり、建設ラッシュ。プラント業界にも追い風が吹きます。

技術は「工事をしながら身に付ければいい」という風潮だったので、職人の知識や技術はそれほど求められず。ただ予算が潤沢にあるので、一工数あたりの単価は、今の2倍〜3倍。たとえ一人前でなくても、儲かっていた時代です。

創業者の社長は、元は鍛冶屋職人です。ただプラント業界の人手不足により、縁あってプラントの”仕上業界”に足を踏み入れたのです。

たとえ経歴が短くても、単価が高かったのでとても儲かったとのことでした。働けば働くほど儲かりますし、建設工事も次々と行われているので、仕事も潤沢にあります。そんな時代でした。

”建設ラッシュ”や”追い風”と聞くと、一見耳触りがいいですが、冷静に考えると”甘い蜜を吸っていた時代”です。

バブル衰退後による、柳井工業の苦楽


バブルがはじけた後、建設ラッシュは終わりました。「これでもか……」というくらいに仕事が減り、売上も右肩下がり。不幸中の幸いで、柳井工業の強みの1つである、”工事のメンテナンス”はずっと続いていました。

しかし、国内の工場はメンテナンスに価値観を置かず、「なるべく予算を抑える」「メンテナンスに予算をかけたくない」という風潮だったのです。

バブル期とは打って変わり、一工数あたりの単価は下げられるばかり。バブル期にあぐらをかいていた企業は、どんどん撤退していきました。

柳井工業にも向かい風が吹きはじめ、売上も社員数も激減。今だから話せますが、銀行の貸渋などで、会社が倒産しかけました。それでも、「いつかはよくなるだろう」と歯を食いしばっていたと言います。

バブルによる苦楽を経験した社長は、メンテナンス強化へ不信感を抱くようになり、「先行き不安な中、給与を上げるのは怖い」と考えるようになってしまったのです。

もう一度兆しが見えてきた2010年代。この頃にジョインした私


バブル衰退後は”どん底”を味わっていた柳井工業ですが、2010年以降、状況が少しずつ好転していきます。

これまでメンテナンスを怠ってきた企業が増加し、プラント全体にガタがきました。メンテナンスのツケが回ってきたのです。

バブルが弾けた後から、プラント業界は人材不足に見舞われます。職人はもちろんですが経営者もぐっと減りました。

しかし、東日本大震災から日本が求める”プラントの水準”が高まり、安全面や技術面などのすべての基準が厳しくなっています。ただ現状と見合わず、プラント業界の人手が足りていない……。そんな状況が続いています。

ただ、プラント業界全体で見ると”ピンチ”ですが、柳井工業にとってはチャンス。メンテナンスの需要が高まっているので、仕事先はぐっと増えたのです。

もちろんバブル期ほどではありませんが、予算も増えてきたので、一工数単価も徐々に上がりました。

ちなみに私は、2010年に柳井工業に入りました。どん底を味わった社長よりも、まだ恵まれた時期に入ったので、私は「プラント業界にはまだまだ可能性がある」と信じています。

経験した時代が違うからこそ生じる”価値観の相違”。必要なのは”受け入れ”と”調和”


今まで柳井工業のターニングポイントを踏まえ、社長と私の考え方をお伝えしてきました。最後にそれぞれのスタンスを箇条書きにてまとめます。

▼社長の考え方
・先行き不安なので、社員や給料を簡単に増やせない
・いずれメンテナンスの予算と単価は下がる
・人手不足を解消するのはむずかしい

▼私(常務)の考え方
・社員を増やすためには条件や待遇をよくすべき
・業績を出している社員には給料を上げるべき
・プラントがなくならない限りメンテナンスの需要はある
・条件さえ良くすれば協力会社は集まる

ごく一部を抜粋しています。他にも、様々な面で意見の衝突が起きました。

お互いにほぼ真逆の考え方でとまどいましたが、今では社長も私の意見や考え方を賛同してくれています。そして私も、社長の考え方も共感できます。

時代背景が違うからこそ、価値観の相違が生じるのは当然のことです。ここで大切なのは”何が正解・不正解”ではなく、”受け入れと調和”だと私は考えます。

・・・

今回は「起業よりもむずかしい、事業継承」テーマに、社長と私の意見が衝突した背景についてお伝えしてきました。

元々は3部作で終わらせる予定でしたが、お陰様でたくさんの方に読んで頂いたので、筆を取ってみました。

柳井工業のストーリーが、少しでも伝わっていただけたらうれしいです。

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