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【第4話】社長の父と私が衝突したわけ。そこには大きく形成させたターニングポイントがあった

この記事は、連載「起業よりもむずかしいよ、事業継承」の第4話になります。まだの方は、ぜひ第1話からご覧ください。




柳井工業では「起業よりもむずかしい、事業継承」をお伝えしてきました。3部作で締める予定でしたが、その後も大切なストーリーがあったなと……。まだまだお伝えしたいことがあるので、事業継承の連載を続けことにしました。

第1話:事業継承の背景
第2話:しんどかった柳井工業での修行
第3話:事業継承で伝えたいこと
第4話:社長の父と衝突した背景 ←今ここ

今回は「社長と私の意見が食い違った理由」をテーマに、柳井工業・プラント業界のターニングポイントを交えながら、”お互いの意見の形成”に繋がった話をしていきます。

柳井工業のターニングポイントを振り返る

ではまず最初に、柳井工業を含むプラント業界全体の遍歴を、簡単に振り返ってみましょう。簡単な図解を用意しました。


▲事業状況グラフ

これを元に、”創業期のバブル期”と”バブルラッシュ後”と”現在(2020年前後)”で、柳井工業のターニングポイントを深掘りしていきます。

この時代背景を知ることで、弊社の社長と私との”意見の食い違い”が見えてくるはずです。

高度成長期のバブル期。良くも悪くも”甘い蜜を吸っていた時代”


▲事業状況グラフ

1981年6月に、柳井工業は設立されました。当時は高度成長期ということもあり、建設ラッシュ。プラント業界にも追い風が吹きます。

技術は「工事をしながら身に付ければいい」という風潮だったので、職人の知識や技術はそれほど求められず。ただ予算が潤沢にあるので、一工数あたりの単価は、今の2倍〜3倍。たとえ一人前でなくても、儲かっていた時代です。

創業者の社長は、元は鍛冶屋職人です。ただプラント業界の人手不足により、縁あってプラントの”仕上業界”に足を踏み入れたのです。

たとえ経歴が短くても、単価が高かったのでとても儲かったとのことでした。働けば働くほど儲かりますし、建設工事も次々と行われているので、仕事も潤沢にあります。そんな時代でした。

”建設ラッシュ”や”追い風”と聞くと、一見耳触りがいいですが、冷静に考えると”甘い蜜を吸っていた時代”です。

バブル衰退後による、柳井工業の苦楽


バブルがはじけた後、建設ラッシュは終わりました。「これでもか……」というくらいに仕事が減り、売上も右肩下がり。不幸中の幸いで、柳井工業の強みの1つである、”工事のメンテナンス”はずっと続いていました。

しかし、国内の工場はメンテナンスに価値観を置かず、「なるべく予算を抑える」「メンテナンスに予算をかけたくない」という風潮だったのです。

バブル期とは打って変わり、一工数あたりの単価は下げられるばかり。バブル期にあぐらをかいていた企業は、どんどん撤退していきました。

柳井工業にも向かい風が吹きはじめ、売上も社員数も激減。今だから話せますが、銀行の貸渋などで、会社が倒産しかけました。それでも、「いつかはよくなるだろう」と歯を食いしばっていたと言います。

バブルによる苦楽を経験した社長は、メンテナンス強化へ不信感を抱くようになり、「先行き不安な中、給与を上げるのは怖い」と考えるようになってしまったのです。

もう一度兆しが見えてきた2010年代。この頃にジョインした私


バブル衰退後は”どん底”を味わっていた柳井工業ですが、2010年以降、状況が少しずつ好転していきます。

これまでメンテナンスを怠ってきた企業が増加し、プラント全体にガタがきました。メンテナンスのツケが回ってきたのです。

バブルが弾けた後から、プラント業界は人材不足に見舞われます。職人はもちろんですが経営者もぐっと減りました。

しかし、東日本大震災から日本が求める”プラントの水準”が高まり、安全面や技術面などのすべての基準が厳しくなっています。ただ現状と見合わず、プラント業界の人手が足りていない……。そんな状況が続いています。

ただ、プラント業界全体で見ると”ピンチ”ですが、柳井工業にとってはチャンス。メンテナンスの需要が高まっているので、仕事先はぐっと増えたのです。

もちろんバブル期ほどではありませんが、予算も増えてきたので、一工数単価も徐々に上がりました。

ちなみに私は、2010年に柳井工業に入りました。どん底を味わった社長よりも、まだ恵まれた時期に入ったので、私は「プラント業界にはまだまだ可能性がある」と信じています。

経験した時代が違うからこそ生じる”価値観の相違”。必要なのは”受け入れ”と”調和”


今まで柳井工業のターニングポイントを踏まえ、社長と私の考え方をお伝えしてきました。最後にそれぞれのスタンスを箇条書きにてまとめます。

▼社長の考え方
・先行き不安なので、社員や給料を簡単に増やせない
・いずれメンテナンスの予算と単価は下がる
・人手不足を解消するのはむずかしい

▼私(常務)の考え方
・社員を増やすためには条件や待遇をよくすべき
・業績を出している社員には給料を上げるべき
・プラントがなくならない限りメンテナンスの需要はある
・条件さえ良くすれば協力会社は集まる

ごく一部を抜粋しています。他にも、様々な面で意見の衝突が起きました。

お互いにほぼ真逆の考え方でとまどいましたが、今では社長も私の意見や考え方を賛同してくれています。そして私も、社長の考え方も共感できます。

時代背景が違うからこそ、価値観の相違が生じるのは当然のことです。ここで大切なのは”何が正解・不正解”ではなく、”受け入れと調和”だと私は考えます。

・・・

今回は「起業よりもむずかしい、事業継承」テーマに、社長と私の意見が衝突した背景についてお伝えしてきました。

元々は3部作で終わらせる予定でしたが、お陰様でたくさんの方に読んで頂いたので、筆を取ってみました。

柳井工業のストーリーが、少しでも伝わっていただけたらうれしいです。

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