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経営
柳井工業があえて”有限会社”であり続ける理由
お客さまから「柳井工業は業績も良くて、プラント会社の中でも幅広くやってるのに、何で”有限会社”なんですか? 株式会社にしないんですか?」 と聞かれることが度々ありました。たしかに、”株式会社”のメリットは沢山あると思います。ただ、技術力を売りにしている柳井工業は何よりも老舗感が伝わるように、あえて”有限会社”にしているんです。今回の記事は「柳井工業が”有限会社”を選んだ理由」を、もう少し深掘りをしてお伝えします。会社法を図解で交えながら解説していきます。柳井工業が”有限会社”で設立した理由では最初に、柳井工業が”有限会社”で設立した背景を簡単にお伝えします。旧会社法が大きく関わるので、図...
プラント企業の経営者が、Twitterをはじめた理由と得した3つのこと
半年前はフォロワー5人ほどの私でしたが、今ではありがたいことに3200人以上の方にフォローをして頂いております。本当にありがとうございます。Twitterを本格的にはじめる前は、「Twitterなにそれおいしいの?」状態だった私。ただはじめてみると、沢山のメリットがありました。今回のnoteでは、「経営者の私がTwitterをはじめた理由」と「Twitterをはじめて得られた3つのメリット」をテーマにお伝えしていきます。きっかけは、キャスター・石倉さんの勧めでTwitterとnoteをはじめるまず最初に、私が”発信”をはじめた理由をお伝えします。2019年の夏頃、株式会社キャスターを経営...
不景気の今でも、柳井工業が積極的に採用をしたい理由
今までのnoteでも口酸っぱくお伝えしましたが、プラント業界に人材が足りていません。直近の柳井工業は社員数が増えてきたものの、それでもまだまだ足りず、一緒に働きたい人を募集しています。たとえ、コロナショックが拡大している今でも、積極採用をしていきます。今回はその理由についてお伝えしていきます。柳井工業が積極採用をしている根本的な理由不景気の今でも、柳井工業が積極的に採用している理由は、”人材不足”と”技術継承の滞り”を懸念しているからです。以前のnoteでもお伝えしましたが、どんな状態でもプラントを止めることはできません。皆さんの生活必需品の製造過程に、プラント業界が携わっているからです...
コロナにも不景気にも業績が傾かない、柳井工業。その大きな理由とは?
コロナウイルス拡大により、様々な企業が打撃を受けている今日。ただありがたいことに、柳井工業には大きな支障は起きていないんです。また、今回のコロナだけではなく、2008年に起こったリーマンショックでも”安定した経営”を保てました。そこで今回の記事では、「柳井工業が不景気でも強い理由」を常務の柳井に聞いてきました。この記事を通して、弊社の強みを感じていただけたらうれしいです。柳井工業が不景気でも強い理由には、”プラントを止めてはいけない”にあったーーコロナウイルスにより、多くの企業が打撃を受けていますよね…。正直、柳井工業にも売上の激減などの影響はありますか?柳井:コロナ大変ですよね。実は柳...
【第3話】「親の七光り」と言われたこともあった。私が伝えたい事業承継で大切な2つのこと
この記事は、連載「起業よりもむずかしいよ、事業承継」の最終話になります。まだの方は、ぜひ第1話・第2話からご覧ください。第3話の今回は「事業承継で伝えたいこと」をテーマに、事業継承で感じた大切な2つのことに焦点を当て、お伝えしていきます。第3部作の詳細は、以下となっています。第1話:事業承継の背景第2話:しんどかった柳井工業での修行第3話:事業承継で伝えたいことはじめは「5年は何がなんでも辛抱する」と腹をくくり、事業継承の世界へ飛び込みました。ただありがたいことに、入社3年目の頃、社長の父から「一人前の職人になれているよ。今度は経営に携わらないか?」と言われ、晴れて経営者に。「ここで少し...
【第1話】私が大手証券会社を辞め、柳井工業を継ごうと思ったわけ
この記事は、連載「起業よりもむずかしいよ、事業継承」の第1話になります。いつも柳井工業のnoteを読んでいただき、ありがとうございます。柳井工業・常務の柳井です。noteでは、いつも私の体験談や感じたことを発信しております。Twitterやnoteの発信活動をはじめてから、早5ヶ月目に突入しました。おかげさまでたくさんの方に読んでいただけており、「発信してよかったな…」と感じる毎日です。いきなりですが、これから第3部作に分けて「起業よりもむずかしいよ、事業継承」の連載を行います。私は柳井工業の後継者として、約5年間突っ走ってきました。酸いも甘いも嚙み分けてきたからこそ伝えられることがある...
辛かったけど、ありがとう。野村證券で学べた5つのこと
「辛かったけど、あの時経験しておいてよかった...」。逃げたかったけど、後になって感謝に変わった経験、あなたにもありませんか?私は「野村證券で働いた2年間」が、まさにその原体験です。あの、ザ・体育会系で有名な大手証券会社。私は2年間、営業として従事していました。辛かったし、しんどかったし、プライドがズタボロになった瞬間も沢山あった。それでも、2年間があったからこそ、社会人の基礎やコミット力、営業マインドを培えたなと。感謝の気持ちでいっぱいです。私が何を学んだのか。備忘録として、このnoteにまとめていきます。1. 相手を巻き込むコミュニケーション力野村時代にいた2年間、足腰を使い、飛び込...