チャンスがあれば走り抜けてきた
入社当初はどん底の営業成績からTOPになるまで勉強と実践を重ねたり、拠点の責任者になりたいと言い続けたり、全社を巻き込む採用責任者に立候補して勝ち取るなど、目の前にチャンスが現れれば迷わず走り抜けてきました。
でも、順調な時ばかりではありません。停滞期に入ると、自分の弱さが露わになりました。
プロポーズと退職宣言の失敗
入社3年目、営業の成果も出て安定してきた頃。付き合っていた彼女が地方に行くことに焦りを感じ、見切り発車でプロポーズしました。
同時に「彼女と結婚して地方に行くので退職します」と会社に伝えました。
結果、プロポーズは失敗。退職の話も立ち消えになり、残されたのは“自分の浅はかさ”だけでした。
苦しい日々から逃げようとした米農家の話
入社5年目。自チームのメンバーが退職し、自分ひとりで拠点を背負う状況に。孤独の中で目標を追いかける日々は辛く、逃げ道を探していました。
そんなとき耳に入ったのが、親族の農家に跡継ぎがいないかもしれないという話。
地元が好きで「いつか農業をやってみたい」という思いもあった僕は「だったら自分が継げばいい」と都合よく解釈し、上司にも「今すぐではないですが、これはチャンスだと思うので、近々地元に戻って農業を継ぎたいと思っています」と伝えました。
でも実際は、誰かに頼まれたわけでもなく、ただ目の前の苦しさから逃げ出そうとしていただけでした。
本気で向き合ってくれた言葉
その時、上司にこう言われました。
「退職を匂わせながら腰掛けで拠点責任者をするくらいなら辞めてもらって構わない。人が少なくて大変だけど、そんな姿勢でやられるくらいなら俺がやる。だけど今の健矢は、目の前のしんどいことから逃げてるだけじゃないか?同じことは農家を継いだ後にも必ず起きる。そのとき今の健矢だったら、また都合よく目の前の現実から逃げると思うよ。それでいいのか?」
正面から弱さを突かれた言葉でした。
この時初めて、「自分は環境を自らの手でつくりだし、人生を突破していく力がない。ただ、都合のいい言い訳を探して逃げてきただけなんだ」と気づきました。
父の姿との対比
思い返すのは父の姿です。
僕が小学生の頃、父は「近いウチに失明する」と医師に告げられました。絶望的な状況だったはずです。
それでも父は母や僕たち子供に弱音を一切見せず、家族を支えるため整体師の学校へ通い資格を取得し、目が見えなくなった今でも現役で働き続けています。
「絶望的な状況でも、自らの意思と努力で未来を切り拓く」
そんな父を尊敬しているのに、今の自分はその姿とあまりにかけ離れている。
このままでは、どこに行っても同じことを繰り返すだろう。
そう強く思いました。
スキナで身につけたい「精神的な自立」
スキナは「自立を志向する人」が集う会社です。
ここでいう自立とは、ただ経済的に自立することだけではありません。
- 自分の信念を軸に、損得を超えて意思決定できること
- 困難や矛盾から逃げずに向き合うこと
- 自らの手で環境をつくり出し、人生を突破していくこと
相手が誰であっても、どんな状況におかれても「自分が本当に大切にしたいものは何か」を見出し、それを手にするための精神的な自立。
それこそが、今の僕に最も必要な力です。
その力を身につけるためには、衝突や矛盾から逃げず、意見をぶつけ合う中で自分の信念を見出し、磨いていくことが欠かせません。
そしてスキナには、それができる環境があります。
一人ひとりが会社というチームを“一人称”で語り、自分のありたいチームを自分の手で創るために全力で意見を交わしている。
そんな場所だからこそ、僕は「人生を突破する力」を身につけられると思っています。
これが、僕が今もスキナで働き続けている理由のひとつです。
▶ もっと話を聞いてみたい方へ
ウチでは、失敗や挫折も含めて本気で向き合い合う仲間と働きながら、
自分で道をつくり人生を突破する力を育んでいける環境があります。
「環境に流されるのではなく、自分の意思で未来を描きたい」
そう思う方、ぜひ一度お話ししませんか?
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