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決済システムの安定性を、さらに向上させたい。叩き上げで力をつけてきたソフトウェアエンジニアが、UPSIDERでの挑戦を選んだ理由
UPSIDERへの想い
UPSIDERは、これからさらにユーザーが増えていくフェーズにいます。
より広く使われるようになり大量の決済が行われたとしても、安定して稼働する決済システムを構築していきたいですね。
UPSIDERで働く人を紹介する『Who we are』シリーズ。
今回語ってくれたのは、2024年5月に入社したTomoya Kinsho(金正 朋也)さん。新卒でビズリーチに入社しソフトウェアエンジニアとして活躍後、UPSIDERへ仲間に加わりました。
彼がUPSIDERへの入社を決めるまでに、どのような経緯があったのでしょうか。秘められた熱い想いや、今後の展望についても伺いました。
大学時代は海外ボランティアの学生団体を設立。父から教えられた「目的意識をもつ」大切さ
ーーご経歴を含め、まずは簡単な自己紹介をお願いします。
はじめまして、金正(以下、Tomoya)です!プロダクトエンジニアリンググループのプロセッサーチームに所属し、エンジニアとして仕事しています。
同志社大学経済学部を卒業後、2019年4月にビズリーチ(現ビジョナル)へソフトウェアエンジニアとして新卒入社。現LINEヤフーとの合弁事業の求人検索エンジン「スタンバイ」を担当する事業部、その後は同事業を運営する合弁会社スタンバイに転籍し、広告課金アルゴリズムや広告検索エンジン、サジェスト検索エンジンのリプレイスといった業務を担当しました。
前職で5年間過ごしたあと、エンジニアとしてより能力の幅を広げたいと考え、2024年5月にUPSIDERへ入社しました。
ーー新卒での入社以前は、どのような学生時代を過ごしていたのでしょうか?
生まれも育ちも奈良で過ごしてきました。大学は京都にあったのですが、それも実家から通っていたので、20歳を過ぎるまではずっと奈良にいました。家族は父と母、そして自分が長男で、妹がふたりと弟がひとりいます。妹とは年齢が10個離れているので、小さい頃は小学生ながらに世話を手伝っていましたね。
高校までは、野球をずっとやっていました。父によく甲子園球場へプロ野球の試合を見に連れて行ってもらったのですが、関西出身なのに阪神ファンではなく(笑)、当時は巨人ファンでした。松井秀喜選手に憧れて、野球を始めたんです。
中学生の頃まではプロ野球選手になることを夢見ていたのですが、高校に入った途端、化け物みたいに野球が上手い選手がゴロゴロいて。自分自身、後輩にレギュラーを奪われるという大きな挫折経験をしました。
一方で、「メンバーそれぞれが自分の与えられた役割を全うしてこそ、ひとつのチーム」だという考え方を、野球を通じて身につけました。これは自分のなかで、いまも考え方の芯になっているかもしれません。
大学では野球から離れ、海外ボランティアの学生団体立ち上げに参加。2代目の代表を務めるなど、4年間を費やしました。カンボジアの教育を変えようと意気込んで、現地のNPOと協力して地元の学生に日本語を教えるなど、教育支援に取り組んでいました。
それまで海外には行ったことがなかったのですが、団体立ち上げの事前調査でカンボジアを訪れた際、スラム街やゴミ山といった光景を目の当たりにしたんです。そんななかで現地の人との絆が生まれ、日本という恵まれた環境で過ごす自分たちに何かできることはないかと思ったことが、活動に打ち込む原動力になりました。
何もない状態からクラウドファンディングで資金を集めたり、メンバーを集めたり、広報活動の一環として京都新聞に載せてもらったり、ラジオへ出演したりと、さまざまな活動ができて面白かったです。ただ、最終的になにか大きな変化を生み出すことはできませんでした。自分たちの限界を知った経験でしたね。
大学時代には、筋トレにも出会いました。フィジークの大会に出るぐらいのめり込んで、いまも続けています。プログラミングや開発の技術にも通じるのですが、筋トレは深海のように奥が深い世界で、やればやるほど新しい世界が見えてくるんです。コツコツと積み上げることで確実に1段ずつ段階を上げていくことができるのも、自分の性に合っていると思います。
ほかには本が好きだったので、よく読書をしていました。印象に残っているのは、行動経済学の本なのですが、ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』とダン・アリエリーの『予想どおりに不合理』の2冊です。人の脳の構造や行動特性は生まれ育った環境に大きく影響を受けていることを知って、それまで自分になかった視点で物事を見られるようになりました。人にやさしくなれたと思います(笑)。
自分の価値観の形成には、父と母からの教えが大きく影響しています。いまも実家に帰るたびに言われるのですが、特に父からは「人生は勉強。仕事が終わってからも、土日の休みの日も、何かしら学び続けることが大切」だと教えられてきました。この教えは、自分自身のなかでとても大事な軸になっています。
父の教えでもうひとつ大きかったのは、「目的意識をもつこと」です。例えば何かをするときにお金が必要で、それを父に出してもらいたいと頼む場合、どういった目的でそれをするのかをプレゼンしていました。自動車学校に通うための学費を出してもらうときにも、「なぜ免許を取りたいんだ」と聞かれたので、プレゼン資料を用意して説明しました。そういった目的意識をもつこと、本当にいま必要なことをやるという意識は、父のおかげで身につきましたね。
AIブームをきっかけにエンジニアの道へ。実践の場に飛び込み力をつける
ーー新卒でビズリーチにソフトウェアエンジニアとして入社しています。エンジニアを目指すきっかけは何だったのでしょうか?
2017年頃、人工知能やAIといった言葉がバズワードになっていました。自分は大学3年生で、コンサルや金融の業界を志望して就活している最中だったのですが、たまたま立ち寄った書店で当時ベストセラーになっていた東京大学の松尾豊教授の著書『人工知能は人間を超えるか』を読んだんです。そのときに「自分も何かつくってみたい」と思い、プログラミングを独学で始め、就活の志望もエンジニアとしての採用に切り替えました。
ただ、採用してもらうには自分のエンジニアとしての力が必要になります。独学に加えて関西でインターンとして仕事をしていたのですが、それだけでは足りないと考え、大学を1年間休学。東京に出向いて、チャットコマース事業を手がける株式会社ZEALS(以下、ジールズ)というスタートアップでエンジニアインターンとして働き、力をつけました。
自分が入社した頃のジールスはまだ会社が小さく、少数精鋭の10人ほどのメンバーしかいませんでした。その規模の組織で事業を成長させるので、自分も戦力にならないと立ち行かなくなってしまいます。そうした環境とまわりの人たちのおかげで、成長することができたと感じますね。
ジールスのインターンでは、代表取締役社長と直接やりとりをしながら仕事をしていました。それまでは自分も会社を立ち上げたり個人で仕事をしたりしてみたいという思いがあったのですが、清水さんはとても情熱に溢れた人で、「これぐらいのパッションがないと世界は変えられないんだな」と思い知らされました。それだけのパッションは自分にはないと思い、まずは正社員としてどこかの会社に入って働こうという考えに至りました。
新卒で入社したのは、ビズリーチ(現・ビジョナル)でした。メガベンチャーなので扱っている技術も多岐に渡り、エンジニアとしてさまざまな技術に触れられそうなことと、エンジニアが開発だけでなく事業に貢献する意識をもっていて、エンジニアリングと事業開発の両軸を経験できることのふたつが、入社を決めた大きな理由です。
ビズリーチ(現・ビジョナル)には5年間在籍しましたが、現LINEヤフーとの合弁事業である求人検索エンジン「スタンバイ」の広告課金アルゴリズムや広告検索エンジン、サジェスト検索エンジンのリプレイスを担当しました。最初はビズリーチ内のスタンバイ事業部に所属し、その後ヤフー(当時)との合弁会社であるスタンバイに転籍しています。
スタンバイ社にはヤフーからも出向者がいて、なかには過去にCTOを務めていたメンバーもいました。その方とは、設計や実装に関して毎週mtgを行ったり都度FBをもらったりしており、非常に近い距離感で働くことができました。まわりの環境に恵まれながら、揉まれつつ、スキルアップできたと感じます。
大変だったのは、広告課金アルゴリズムの改修と検索サジェストシステムのリプレイスを担当したことです。当時の担当者がすでに退職しており、過去の改修時のドキュメントも残っていないので、ひとつずつ自分の手で試しながら現状を紐解いて、その時に必要そうな仕様や設計を上司に提案し、フィードバックをもらい軌道修正を繰り返すような日々でした。
これは本当にしんどかったですし、泣きながら取り組んでいましたが、今振り返れば成長痛を感じられるいい経験でした。
前職での様子
人当たりのよさに驚いた、メンバーとの対話。UPSIDERには「いい意味で改善の余地がある」
ーーUPSIDERへの入社の経緯を教えてください。
UPSIDERは、転職エージェントの方から紹介してもらいました。転職を考え始めた理由は、前職で5年間働いてきて、中長期的に自分がなりたいエンジニア像が固まり、その達成のためにちがう会社で働いてみたいと思ったからです。