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「自信を失った私に、もう一度挑戦する勇気をくれた」学生起業での挫折を経験し、UPSIDERを選んだ新卒メンバーの決意
UPSIDERへの想い
中学生で起業し、挫折を経験した私にとって、UPSIDERは再び挑戦する勇気をくれた場所です。「挑戦者を支える世界的な金融プラットフォームを創る」というミッションのもと、自分自身も挑戦者として成長しながら、お客様の成長に伴走できることに大きなやりがいを感じています。
UPSIDERで働く人を紹介する『Who we are』シリーズ。今回語ってくれたのは、2025年4月に新卒入社した益山 永遠(以下、Towa)さん。中学生でアパレルブランドを立ち上げ、高校を3ヶ月で中退という異色の経歴を持つTowaさんは、事業の撤退と炎上という苦い経験を乗り越え、UPSIDERで新たな挑戦を続けています。現在はGrowth Partner*として、お客様の成長に寄り添うパートナーとして活躍中です。
*Growth Partnerはサービスの導入提案・運用サポート業務を超え、ユーザーの成長に寄り添うパートナーです。営業して終わりではなく、お客様のビジネスモデルや財務状況、キャッシュフローまで踏み込み、社内外のアセットを活用して事業成長を共に考えます。部門の垣根を越え、ユーザーの成長に必要であればリスクを取り、同じ目線で伴走することを使命としています。
友人からの何気ない一言で中学生で起業に挑戦。そして、苦い事業撤退と炎上
ーーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
2025年4月にUPSIDERに新卒入社したTowaです。中学3年生の頃にアパレル事業で起業したものの、2年ほどで事業撤退。その後、複数社でインターンを経験し、2024年9月にUPSIDERにインターンとして入社。支払い.comのBizDevやアライアンスセールスを経て、新卒入社後は、Growth Partnerとして日々、お客様と向き合っています。
ーー中学生での起業経験についてきっかけを教えてください。
起業に強い想いがあったわけではなく、きっかけは反抗期でした。早く自立したいという気持ちが強くあり、その話をした友達から「自分でビジネスやるのもいいんじゃない?」と何気ない一言をもらったんです。そこから、起業という選択を意識するようになり、起業家のコミュニティなどに参加するようになりました。
ほどなくして、アパレル事業を立ち上げ、構想を形にするためにクラウドファンディングで資金を集めました。正直、当時の私は事業づくりの知識どころか敬語も正しく使えない15歳で、ただ「若い子が挑戦している」という理由でご支援いただけたのは、私自身の実力を超えた、まさに奇跡のようなご縁だったと感じています。
多くの方にご支援いただき、集まった80万ほどの資金でいざ製品化しようと動き始めたのですが、見積もりの時点で大幅に予算を超えてしまうことが分かったんです。
そして、私が作ろうとしていたアパレル製品はデザインの難易度が非常に高く、専門的な知識が求められるものだったため、学生だった私が参入するのはかなり難しい領域であったこともあり、事業撤退を決めました。
ーー撤退を決めた当時、どのようなことを考えていましたか?
これは私のエゴになってしまうのですが、一番考えていたのは、「お金を支援していただいたことを後悔されたくない」ということでした。出資してくださった方には事業撤退の背景や皆さんからいただいた資金の使途、返金対応について詳しく報告しました。
ただ、それ以外の方には十分な説明をしないという意思決定をしたのですが、その行動が誤解を生んでしまい、SNSで炎上してしまったんです。
当時、私自身SNSで積極的に発信していたり、メディアにも取り上げていただいており、ありがたいことに多くの方が応援してくださっていました。
炎上した際に、「お金を出すことだけが支援ではない。応援メッセージや拡散という形で支援した人もいるのに、お金を出した人だけに詳しく報告するのは誠実ではない」というご指摘をいただきました。その言葉にハッとさせられ、自分の未熟さを痛感しました。
とても悔しく、この経験から得た学びは今も私の中に残り続けていますし、当時支援してくださった方に、何らかの形でお返ししていきたいという想いは今も変わらず持ち続けています。
自分の気持ちに蓋をしていた彼女が、もう一度挑戦したいと思えたUPSIDERとの出会い
ーー事業の撤退や炎上といった苦い経験を経て、ビジネスに関わることに恐怖心はありませんでしたか?
ビジネスに関わること自体は怖くならなかったのですが、人前に出ることは避けていましたね。さまざまな企業でインターンを経験させていただいたのですが、自分が表に立つ勇気や自信は持てませんでした。
そのため、営業やPRなど人前に立つ業務はあえて選ばず、社内から会社を支えるような仕事に集中していました。