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私たちの食欲は、知らずに様々な影響を受けています。ある研究では、被験者に知らせずに取り分ける皿を大きくしただけで、普通サイズの皿を使用した人よりも、平均で31%も多い量を食べていたという結果になったそうです。
また、ある実験ではハンバーガーだけの写真と、横に小さく切ったセロリが3つ添えられたハンバーガーの写真を見せ、被験者にそれぞれのハンバーガーのカロリーを予測させると、セロリが添えられているだけで、被験者はハンバーガーのカロリーを100キロカロリー以上も低く見積もってしまったそうです。私たちが「食」に対して下す判断は、とても曖昧なのです。
↑私たちの食欲は様々な要因と結びつく
食べ物を選定する時、体のことを考える人が少ないのも事実です。イギリスのある研究では、食品ラベルを実際に読み、健康に少しでも気を遣っている人は消費者の45%に留まり、残りの55%はラベルを全く見ない結果が報告され、特に男性においては食べ物の選択は、「値段」や「習慣」がベースとなっていることが多いようです。
私たちは思っているよりも合理的ではなく、いくら数々のリサーチ結果によって、「健康に良い」と説いても、消費者に健康的な食べ物を選んでもらうのは難しいという現実が証明されています。この問題について、アメリカで従来のような「健康的です」を売りにするマーケティングの視点に変えただけで、簡単に人々に健康的な食品を選んでもらうことに成功した会社があります。
↑健康に良いのは分かった、次の施策がカギ
元コカ・コーラ幹部のジェフェリー・ダン氏がCEOを務めるボルトハウス・ファームズは、2010年に「ジャンクフードのように食べよう!」というとてもユニークなスローガンのもと、一口サイズに切られた人参をポップでカラフルな、一見するとポテトチップスのパッケージに入れて販売した結果、売り上げは前年比10%増に転じたそうです。
さらに2つの高校に対して、そのポップなパッケージの人参を自動販売機に設置し、1袋50セント(約50円)で販売をしたところ、1週間で80~90パックが売れるなど、これまでの野菜のイメージからは想像もつかないような売れ行きを記録しました。
↑「ジャンクフードのように野菜を食べよう!」というユニークなスローガン
このキャンペーンが画期的だったのは、「ベータカロテンがこのくらい入っていて、カロリーが少なくて」というような理論ではなく、「ソフトドリンクやお菓子を売る会社がやるような、楽しくて、心の衝動に訴えかける」という感情を動かすものであったことです。ジャンクフードのスナックにあるような遊び心のある広告やコマーシャル、パッケージにはセサミストリートのキャラクターを使用。さらに映画のプロモーション用のスナックパックとして販売するなど、「ワクワクする」ような消費者の本能的な部分に響くキャンペーンであったことが成功に繋がったのです。
「野菜が健康に良いという誰でもわかることを押し出すキャンペーンなどお金の無駄だ」と前出のダン氏は述べています。「健康に良い」といった理性に訴えるメッセージでは人の行動は変わらないのに、感情的なメッセージであれば人の心に届く。「行動経済学」というレンズを通すと、人間はこのように不合理なものの見方をすることが多く、とても感情的な生き物であることがよく分かるのです。
↑食べるプロセスに「楽しさ」を加えることで自然に手が伸びる仕組みを作る
例えば、私たちは「A:ローマへのハネムーン朝食付き」と「B:パリへのハネムーン朝食付き」という2つのオプションから選ぶ際、簡単に決定ができません。大抵の人は、ローマでの歴史的建造物を見るハネムーンも、パリのロマンチックな街を歩くハネムーンもどちらも捨て難いものに映るからです。
しかし、似たような少しだけ劣るオプション「-A:ローマへハネムーン朝食なし」が加えられると突如、オプションAがBをも差し置いて、3つの中で一番良い選択肢に見えてきてしまう、という現象があります。これを行動経済学では「おとり効果」と言いますが、当然選ばれないであろう選択肢が入るだけで、選ぶ側の意思決定はいともたやすく操作されてしまいます。(1)
これまで信じられてきた、人間とは常に合理的で理性的な判断をするものだ、という考えに異を唱え、生身の人間は経済活動において一体どのような行動をするのか、人間がいかに不合理な判断に基づいて選択をしているかを説明するのが行動経済学です。経済活動に大きなインパクトを与える感情の動きを活用すれば、人々の健康を全体として改善できるという見方がされ始めています。
↑実際には選ばれない選択肢をあえて入れておくことで、意思決定に大きな影響を与える
そもそも安価で保存しやすいお菓子やジュースは、駅、飛行機の中、ガソリンスタンド、そして映画館と私たちの生活の至る所にあって、誘惑をはねのけないといけない回数はどんどん増えている。10年後には世界で肥満が5人に1人となると予測され、糖尿病患者の数が4億1,500万人にまで増えてしまっている現状を、意識の高い人にしか届かない「健康によい」というメッセージで解決するのは無理があるのではないでしょうか。
ハーバード大学の公衆衛生大学院教授、イチロー・カワチ氏が著書「命の格差は止められるか」の中で伝えているように、感情が動かされると人は、無意識に商品を手に取るようになるのですから、健康的な食べ物によいイメージを植え付け、生活圏内のあちこちで楽しく売り出せば、健康的な食べ物の消費量はおのずと上がり、多くの人の病気を予防し、次の世代へもその良い効果を波及させていくことになるのです。
↑分かりやすく目や耳に訴えかけるのではなく、直接脳に感情を植え付ける
「良薬は口に苦し」と言いますし、「健康のため」という理論ばかりを訴えてきて「楽しい」というイメージをないがしろにしてしまったこともあって、健康食品はなんとなく我慢して食べるという印象が付きまとうようになってしまっています。そういったイメージもちょっと感情を刺激することで変えることができます。
心理学者が行ったある実験では、健康食品であるプロテイン・バーをチョコレート・バーと書かれている袋に入れてみると、通常のプロテイン・バーよりもおいしいという反応が得られたそうです。むしろ「健康」を前面に出さないほうが、よい可能性を生むことへ考えを改めるべきなのです。
↑伝え方次第で、健康な食べ物は簡単に喉を通る
発がん性など体に悪いことが常識となっているタバコであっても、タバコ会社が「クール」や「セクシー」をコンセプトとした人間の感情に訴えかけてくる広告によって、タバコにネガティブな印象を持たせないように、健康な食べ物といって連想する「おいしくない」というネガティブなイメージも、広告やパッケージを「面白い」とか「可愛い」といった切り口にするだけで、消費者の印象をポジティブに変えることができ、先入観で健康的な食べ物を食べず、嫌がる人が減るのではないでしょうか。
↑タバコに対して、強烈なクールなイメージを作り出すことによって、悪いイメージを打ち負かしている
私たちは、当然のことを正しいとして説いてしまいがちですが、「健康によい」というこれまでの手法で響くのは、たとえばダイエットをしていたり健康に気をつけている一部の人に限られるのに対し、感情に訴える手法であれば、そのメッセージを受け取ったすべての人の行動を変えることも可能というわけです。
無意識でいれば広告に惑わされて不健康になってしまうような食の現状も、人間の根源的なところで共通する「楽しい」とか「ワクワクする」という感情に訴えるジャンクフードの土俵で、野菜や果物などが勝負するようになれば、いつの間にか多くの人の健康問題を解決することができるのではないでしょうか。
参考書籍)
1. ダン・アリエリー『Predictably Irrational: The Hidden Forces that Shape Our Decisions』(HarperCollins、2009)Kindle
2. イチロー・カワチ『命の格差は止められるか ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業』(小学館、2013)Kindle