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最前線で在り続けたい40代の働き方とは。コロナ禍で見出した“マネジメントの理想像”

こんにちは!Branding Engineer(以下BE)の広報森川です!
今期入社した広報担当が、社員とサービスの魅力に迫る取材企画第3弾!

4年目で執行役員に昇格、BEを経験して起業……など、若手が活躍できる会社と自負しているBE。今回は、そんな若手たちを導くマネジメント層にスポットを当てます!
なぜ「鼻息の荒い若手はBEに入社すべし!」と自信を持って言えるのか?Midworks事業本部HRソリューション部の部長として活躍する齋藤嘉一さんの考えからその答えが見えてきました。
「若手」という土俵から一歩上がり、今後のキャリアを考えている方は必見です。

\Midworksとは?/
Midworksは、IT系のフリーランスエンジニア、デザイナー(個人事業主)専門のエージェントサービスです。フリーランスの方とクライアント(企業)の間に立ち、双方のマッチングをサポートします。ご登録頂いた方の技術やご要望に合わせて最適な案件を提案し、クライアント側との契約や交渉事を代行致します。また、正社員同様の保障のもとで、フリーランスとしての報酬面のメリットを享受しながら思う存分活躍することが可能です。

ー齋藤さん、よろしくお願いいたします!BEに入社するまでの経歴を伺えますか?

齋藤:はい!よろしくお願いします。
BEには今年4月に入社したのですが、これまでに3社経験してきています。新卒の会社は大手出版社でして、採用や教育関連サービスのソリューション提案の営業を担当していました。非常に仕事が多く、昼夜問わず働き、気づいたら深夜まで働いていた、なんてこともありましたね。ただがむしゃらに目の前の仕事を追いかけていたように思います。
数年働いた後、リーマンショックが起きて会社も情勢全体も混乱している状況でした。この状況を経験したことで、景況感に左右されない働き方を考え始め、起業も視野にいれながら1,2年ほど自身のキャリアを考える期間を設けました。

最終的に自分が出した結論としては、起業ではなく規模が大きく体制が整った企業で別職種にチャレンジしたいということ。その考えに合致し、かつご縁があったエンジニアソリューションを提供する会社に転職しました。その会社では、新卒と中途エンジニアの採用担当という、新たな職種にチャレンジできただけでなく、管理職としての素地を身に着けることもできました。10名ほどのチームを任された時に、叱咤激励を受けながら「チームマネジメント」に真剣に取り組むことで、「人と向き合うこと」の大切さを学びマネジメント能力が身に付いたと感じます。この経験は、今も私がマネジメントを行う上での基盤になっていると思います。

また、プライベートでは結婚をして子供にも恵まれました。途中で大阪転勤になったので、家族のいる東京と大阪を行き来するような生活でしたね。会社に対して特に不満があったわけではなかったのですが、大手企業で事業が安定していたのもあり、新規事業へのチャレンジやスピード出世などが難しい環境で、かつ全体的なスピード感も個人的には遅いと感じていたので、少しずつ物足りなさやマンネリを感じ始めていました。
そんな中、周囲が起業し自由闊達に働いているのを見て、素直に羨ましいと思いました。しかし一方で起業して家族を養うというのも自信がなく、会社に属しながら事業立ち上げの仕事を考えるようになりました。

そこで様々なベンチャースピリッツ溢れる社長とお会いし、直接この考えをアプローチしたり提案しました。お話をしていく中で、ご縁のあった店舗系コンサルティング会社に転職しました。ここでは、M&Aしたての会社のPMIなどを担当しながら、PLや事業計画を立てる仕事を行いました。粗削りな部分もありましたが、求めていたワクワク感などのある会社で、この計画も1年弱もかからず整えることができました。その後、採用責任者が急遽退職したことをきっかけに、人事総務責任者に抜擢されました。過去のキャリアで採用経験もあったことが抜擢のポイントだったようです。海外支社を含めたホールディングス全体の人事統括だったので、音を上げそうな業務も多く経験しましたね。支社ごとに違う就業規則や評価制度、給与の支払い手段など、あらゆる業務を推進してきました。

この頃、プライベートではそろそろ東京に戻って家族と過ごしたいと考えるようになりました。そんな折に、東京支社で教育事業サービスのマーケティング組織立ち上げの話があり、担当として東京へ転勤する運びとなりました。そこでは、デジタルマーケティングやウェビナーの企画や運営に携わり、時には自らも登壇するなど、幅広く経験しました。

キャリアを振り返ってみると、様々な経験をさせていただきましたね。


ー転職を考えたきっかけは?

齋藤:きっかけとしては情勢変化だと思います。新卒の会社でリーマンショックを経験した時は、「100年に一度の未曾有の金融不況」と言われていたので「これを乗り越える君たちは強い」と上の世代から励まされたものです。ですが、その後で世界的感染症も起こったので、自分の人生で何回未曾有の事態が起こるのかと驚きましたね。
個人的にはその事態が起こるまでは、プライベートも家族や家や車、仕事では役職などもついて「それなりにやってきたんじゃないか」と充足感があったりもしました。ですが、経済的不況とは違って手の打ちようのないコロナ禍の状況、また当時の私の置かれていた環境から次第に価値観が変化していき、今後のキャリアについて考えるようになりました。普段はひたすら突っ走る自分の性格に似合わず、かなり悩んでいる時期でしたね。

思い描いていた40代とのギャップや違和感、不確かなやるせなさといった感覚があり悶々としてしまっていました。

ー元々思い描いていた40代とは?

齋藤:元々は、30代である程度稼ぎ切って引退しようと思っていたんですよ。40代~50代は田舎へ行って、畑を耕しながら軒先で小学生に人生観を教えるような生活をイメージしていました。(笑)

ですが、マネジメント経験や自分のキャリア観に向き合った結果、指示しながらやっていくというよりは、私が先頭を切ってその背中についてきてもらうスタイルの方がしっくりきて、自分は常に最前線で働く武闘派タイプだと自覚したんです。
それに、年齢を重ねれば重ねるほど、実は学ばなければいけないものもたくさん増えると気づきました。引退するにはまだまだ道のりが長くて、多分一生学び続けるだろうと思ううちに、描いていた40代からは随分とかけ離れてしまいましたね。

ー悩んだ結果に至る、BE入社のきっかけは?

齋藤:かなり悩んでいたのもあり、人に会っていかなければと切り替えて、コロナ禍の可能な範囲で人とコミュニケーションを取り様々な意見に触れるようにしていました。

そんな中で偶然、BEの人事/事業開発顧問に入っていた方との出会いがありました。その方に話してみたら、「何を言ってるんだ、そこで留まるな。世の中にはもっと稼いでいる人もいるんだ、稼げ。そしてどうせ稼ぐなら勝ち馬に乗らなければだめだ。」と叱咤激励を受けました。(笑)さらに【経営者が個人の給与額を決める4つの要素】というのも滾々と説いていただき大変勉強になりました。経営者が社員に給与を支払う意思決定の前に、利益率や需給バランスが存在しているんですよね。これを念頭に入れてもう一度チャレンジするように後押しされました。漢(オトコ)としての情熱というものに圧倒されたと同時に、「もう一度最前線で戦いたい」と自分の中でくすぶっていたものがこみ上げてきて、その方が働くBEにも興味を持つようになりました。

代表の高原さんやMW事業本部本部長の澤田さんにもお会いする機会をいただき、まずはじめにビジョンに共感し、人の魅力を感じました。何をするかではなく誰とするかは大事ですよね。この人たちが目指しているビジョンから見える世界観なら、面白いものが創れるイメージが湧きました。上場している安定感の中でも夢や挑戦がある

最前線で戦うどころか「これは暴れてもよい環境だ。」そう思えたので、入社を決意しました。(笑)

ーご家族や周囲の反応は?また、ご自身の入社前後の心境変化はありましたか?

齋藤:家族の反応は、子供もいるため給料面や安定性などの質問はありましたが、どれも心配はなかったので特段大きな反対はなかったです。今まで堅めのビジネス街で働いていたこともあり、勤務地が渋谷になるという点はギャップがあったようで驚かれました。ですが、いざ働いてみると「今までよりも楽しそう」と喜ばれています。

入社前の私は、BEが異業界かつ野心ある若者が多いので、「水が合うか、人をまとめられるか」など少し不安もありましたが、今までに様々なフィールドで場数を踏んできたことを自信に変えて臨みました。

私が入社前に決めていたのは、過去の背景や目的を理解しつつ丁寧に調整していくこと。
これを意識しないとハレーションが生まれる可能性もありますし、今後やりにくくなるので、「暴れるぞ!」と意気込みつつも「慎重かつ大胆に」というのを固く決めていました。私たちのような年代がベンチャー企業に転職したりマネジメントをさせてもらう上では、このバランス感がものすごく重要ですよね。

入社後は、大手に属していたからこそ感じたのかも知れないですが、想定していた以上に採用スキームが整っていない、むしろ決まっていない状態にギャップを感じ驚きました。でもこのようなギャップは、きっとどこにいっても同じようなことがあるかと思いますし、社内調整をしながら、日々模索している最中です。


ー今までのキャリアで学び、BEで活かせている考えはありますか?

齋藤:とてもシンプルなのですが、「感謝する」ということ。取引先などに限った話ではなく、他部署など関わる全ての方に対してですね。

感謝すると、周りの意見が受け入れられるようになります。経験や年齢を重ねていくと顔を見せてくる“大人の傲慢さ”というものがあるのですが、これは「感謝」という気持ちを持つことで打ち消し、初心に立ち返ることができます。

感謝できないと、人の意見が聞き入れられない。自分より若いメンバーの考えを受け入れることなんてもっとできない。ここから、コミュニケーション齟齬や対立が生まれます。
自分の過去の経験値を活かしつつ傲慢な部分はリセットして、いかに周りの意見を聞き入れられるか、これが私たちの世代の転職において第一歩であり重要なことだと思います。

傲慢さを自覚し、感謝の気持ちに視点が変わったのは、過去にお世話になった上司の対応です。当時、私の勢いに任せた仕事の進め方で会社に迷惑をかけてしまった出来事があったんです。この時、私自身も事の重大さと自分の過ちを自覚し、精神的にも憔悴しきっていました。そんな時、上司からは怒られるどころか「やってしまったものは仕方ない、ここからは守りに入ろう。これで勉強にもなるんだから安いよ。」と励まされたんです。この言葉には救われるような思いでした。この経験からマネジメントはメンバーの気持ちに寄り添うことが重要だと理解でき、今でも感謝していますし、いかに自分が傲慢だったかを振り返られるエピソードでもあります。

ーそのお考えを活かして、BEではどんなマネージャーでありたいですか?

齋藤:「先頭を走る」スタイルは継続しつつ、いかに若手にバッターボックスという成長の機会提供をしてあげるかを大切にしていきたいと思っています。バッターボックスというのは代表2名も色んな場面で発信している合言葉ですね。

若手のような情熱も必要だけど、一方で冷静さを持つ。若手が思いっきり戦えるフィールドがあるということは、それを整えている大人たちがいるからであり、今の私に求められるのはその役割だと考えています。

今の20代を中心とした若手メンバーは、かつて私たちが若手時代に求められてきた以上のハードルがあるように思います。
今までは自分の職種のビジネススキルだけを追求すれば良かったのが、今の時代はより幅広く業務ができる人が求められている、と採用現場から肌で感じます。ハイブリッド人材というか、野球界で例えると大谷選手がバッターもピッチャーも二刀流でこなせるように、ビジネススキルとテクニカルスキル両方、あるいは担当職種と違う領域の業務もできる、といった領域を広げた人材像が今の若手に求められてきています。

そんな若手に対して、昔のやり方のままで提供するのは違うと思っていて。
私たちマネジメント層が、若手の行動に一喜一憂するような事業スキームじゃなくて、一喜一憂してもいいような大きなスケールの中でチャレンジさせていくことで、事業そのものも成長していくのではないでしょうか。
私たちはただ見守って、大きな枠組みの中でチャレンジをさせてあげるということ、それがこれからの私たちに必要な役割なんじゃないかと思いますし、そんなマネージャーでありたいと思います。

ー最後に未来像を教えてください。

齋藤:自分の10年後の未来を決めることは、きっとどの年代であっても難しいと思います。それでも今の自分の延長線上なら、描いたり想像することはできると思います。
40代を迎えた今の私から描くと、10年後もきっと常に最前線、新たなことに挑戦しているんじゃないかと思います。いずれはその先、世界を視野にいれて挑戦していきたいですね。

ありがとうございました!

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