■原点は迷いと劣等感
正直に言えば私のキャリアの出発点は、自信のなさや劣等感でした。中学受験の失敗を含め、小中高と何一つ大きな成功体験を得られず、ずっと自分に自信のない人生を歩んできたんです。
大学受験でも、行きたかった大学はあったものの、受験勉強を始めたのは高校3年の秋。準備期間はたったの3ヶ月で、結局すべり止めの大学へ進学することになりました。「自分はやればできるはずなのに、また届かなかった」——そんな思いがずっと心に残っていました。
だからこそ「社会人こそは第一志望の会社に入る」と決めて、徹底的に就活の準備をしてメガバンクへの入社を勝ち取りました。でも、そこから燃え尽き症候群のような状態に。入社当初の2年間は、全国ワーストレベルの営業成績。恥ずかしいくらい何も結果を出せず、自信も完全に喪失していました。
ただ、「このままじゃヤバい」「惨めすぎる」と思った瞬間から、ギアが変わりました。とにかくがむしゃらに営業に打ち込んだんです。すると、上司やまわりの先輩が自分ごとのようにサポートしてくれて、少しずつ結果が出始め、成績は右肩上がりに。入社当初からは考えられないほど、光栄にも数々の表彰を受けました。最終的には、当時の制度で最短昇格のスピードで役職者になることまでできました。
■出世のために嘘をつく自分への違和感
銀行での10年間で、これといった専門性を身につけることはできなかったものの、目標達成力・期日管理力・コミュニケーション力という3つの実践的なスキルは確実に培われました。ただ、そんな中でも、ふとした瞬間に自分に対して違和感が生まれたんです。
「本当にお客さんのためになってるのか?」
「自分の出世のためだけに提案してないか?」
必要のない融資や、顧客の状況にフィットしない商品を目標達成のために勧めている自分。誰かに強制されたわけじゃなく、自分の意思でそうしていたことに強烈な自己嫌悪を感じました。評価は上がっても、素直に喜べなかった。そんな葛藤が積み重なり、「このまま見栄のために働き続けるのか?」という問いが頭を離れなくなりました。
■”専門性がない”弱さが、“何でも屋”という強みに逆転するまで
銀行を辞めようと考えていたとき、実は独立も考えていました。でも、そのとき心のどこかで「専門性がないと独立なんて無理だ」と思い込んでいたんです。だから、まずは副業ができる会社に転職して、専門性を身につけようとしました。そこで、Web制作で副業を始めてみたんですが、どうしても自分のモチベーションが続かなくて……。稼げたのは月に1万円程度。
そんな中、転機になったのが、ベンチャー企業で新規事業の立ち上げを任された経験でした。
戦略設計、マーケティング、PL管理、チームマネジメント、役員報告資料の作成、採用活動まで、とにかく ”何でも屋” として走り回る毎日。専門性がなかったからこそ、必要とされることに全力で応えていくしかなかったんです。
そんな中で、ある気づきがありました。
「自分には専門性はないけれど、周囲を巻き込み、専門家の力を借りながらプロジェクトを前に進める力がある」
銀行で培った3つのスキルを掛け合わせれば、プロジェクトマネジメントが自分の武器になる。コンプレックスだった専門性のない自分を、強みに変えられるかもしれないと思えるようになりました。
■さくら事務所との出会いと肯定された感覚
2024年、求人ボックスで偶然さくら事務所に出会いました。最初は人事職で応募したのですが、面談の中で「何でもやりたい」と伝えたところ、結果的にらくだ不動産の人事・マーケティング領域を任せていただけることになりました。
入社の決め手は、まずそのスピード感です。複数回の面接を想定していたのですが、まさかの面談一発OK。その迅速な意思決定に驚くと同時に、「この会社は動きが早く、きっと面白いことができる」とワクワクしました。さらに、「お願いしたい仕事が山ほどある」と言われたことで、”何でも屋” の自分が活躍できる土壌があると感じたのも大きな理由です。
また、カルチャーにも強く惹かれました。銀行員時代、私は「自分の出世のために、本当に顧客第一の提案ができているのか?」という葛藤を何度も感じていました。だからこそ、「顧客の利益を第一に考える文化」が根づいた、自分の価値観に合うような環境で働きたいと強く思っていたのです。
その点、さくら事務所グループには、目の前の人の役に立つことを大切にしながら、それを楽しむことも忘れない、独特の空気感があります。「ここなら、あのとき感じていたモヤモヤを乗り越えられるかもしれない」——そんな期待が芽生えました。
さらに印象的だったのが、大西さん(代表取締役社長CEO)が書いた「前のめりパス」に関する記事です。特に「自分の可能性をせばめないことに楽しさを感じてもらえるとうれしいです!」という一文には、心から共感しましたし、背中をそっと押されているような感覚さえありました。
「専門性がなくても、いろんなことにチャレンジして能力を掛け合わせれば、それが自分らしい強みになる」——そう解釈した私は、「なんの専門性もない自分でも、ここなら輝けるかもしれない」と思えたのです。
■これから描く未来
現在は個人事業主として複数の会社をサポートしていますがその中でも、らくだ不動産では「業務委託」という立場でありながら、ありがたいことに「経営企画室長」という責任あるポジションを任せてもらえています。
経営の意思決定に携わりながら、現場のオペレーションやチームとの連携にも深く関わり、まさに両輪で事業を動かす役割を担っています。ただ、今の自分に満足しているわけではありません。これからは、経営と執行の両軸を自在に行き来しながら、組織にドライブをかけられる推進力の塊のような存在を目指して、さらに力を磨いていきたいと思っています。
ただ、今の自分が本当に「プロジェクトマネージャーとして強みを発揮できているのか?」という葛藤も正直あります。でも、そうやって悩みながらももがき続けることが、前に進む原動力になりますし、そういった前のめりな姿勢をさくら事務所グループは応援してくれる会社だと思っています。
■終わりに
ここまで書いてきたのは、「コンプレックスから逃げず、弱さと向き合いながら、自分らしい力に変えてきた」私の歩みです。うまくいくことの方が少なくて、正直、挫折や失敗の連続でした。でも、そんな現実と折り合いをつけながら、それでも手を動かして前に進んでいく。専門性がないことにも、うまくいかない現実にも苦しみながら、それでも自分の可能性を信じて行動する。
こんな姿が誰かの背中を少しでも押せたら嬉しいですし、この記事を読んでくれた方と、挫折も失敗も笑い合えるような日々を一緒につくっていけたらこれほどうれしいことはありません。