現在、ライフイズテックのシンガポール法人代表兼アメリカ法人クリエイティブマネジャーを務める築比地健太は、会社立ち上げ当初から参画していたメンバーの1人。
そんな彼は一度、他社への就職という形でライフイズテックを離れ、2012年にふたたび舞い戻ってきています。
築比地が再びライフイズテックにジョインしようと思ったきっかけと、復帰してからの仕事から見えてきたのは、「好きを仕事に」を実現するために必要な行動力と、Life is Tech ! (ライフイズテック)の本気で挑戦する人を応援する風土でした。
(ライター:クリス@qris_)
シェアハウスのリビングに呼び出されて、「で、いつウチくるの?」
ーー大学生のころに、当時立ち上げ段階だったLife is Tech ! (ライフイズテック)へ参画したとうかがいました。
大学2年生のころ所属していた就活の学生団体でイベントがあって、そこで初めて水野と会いました。そのときに水野が思い描いていた事業の構想が、僕の思い描いていた教育の理想像だったんです。だから、どうにかしてライフイズテックに参加できないかと打診して、キャンプのメンターという形で参画することとなりました。
ーーそのとき聞いた事業の構想は、どのようなものだったのでしょうか?
その当時のライフイズテックは、中高校生にあらゆる業界の仕事をワークショップ形式で体験してもらうプログラムを考えていました。いわゆる“キッザニア”の中高校生版のようなものです。
僕はこのプログラムが、目の前の子どもたちの“将来を決めるお手伝い”になるなと思いました。教科を教える教育ももちろん必要だとは思うんですが、ライフイズテックの構想やプログラムに教育の可能性を感じたんです。
ーー“将来を決めるお手伝い”になぜ、教育の可能性を感じたのですか?
実は僕、小学生のころは先生からも諦められてしまうような悪ガキだったんですよ。しかし多くの先生が見放すなか、校長先生だけは僕のことを諦めず、ずっとコミュニケーションをとってくれたんです。
そんな校長先生から卒業間際のある日、「君のそのエネルギーを学業に向けてみたら」と言われて。確かに僕を悪ガキたらしめていたのは、ありあまるエネルギーの放出先がないことに起因していたと思うんですよね。だからこの言葉が正しいエネルギーの放出法のヒントとなり、中学生になってからはとことん勉強に打ち込むようになりました。
この体験が、僕のターニングポイントになっていますし、今の教育観にもつながっていて。悪ガキだった僕と真剣に向き合ってくれた校長先生のように、“将来を決めるお手伝い”を通して子どもたちの可能性を広げていくことが、理想の教育だと思っています。そしてライフイズテックでは、この理想の教育が実現できると感じたんです。
ーーそんな理想の教育が実現できそうなライフイズテックに参画したわけですが、新卒だった2012年には別の会社に入社を決めていますよね? そのままライフイズテックに入社する選択肢はなかったのでしょうか?
大学生のころの僕は、そのままライフイズテックに残ることを全く考えていませんでした。というのも、3年間くらいは裁量権もあり研修も整っている会社で社会人としての経験を磨きたかったんです。当時のライフイズテックは、まだ会社として成熟していなかったため、いずれ戻るつもりで、株式会社シー・エー・モバイル(現:株式会社CAM)への入社を決めました。
転換期を迎えていたスマートフォン向け広告の営業に挑戦できる会社だったので、同世代の誰よりも早く自身の成長が見込めそうだったのも決め手で。実際に成績も伸びていたので、自分の成長が感じられる職場に満足していました。
ーー仕事で充足感を味わっていて、しかも3年くらいという計画もあったのに、ライフイズテックへ1年で戻ってきていますよね。戻るタイミングを早めた理由がなにかあったのでしょうか?
前職在籍中も実は、現CEO水野と現COO小森とライフイズテックの事務所を兼ねた3LDKの部屋でルームシェアをしていたんです。前職に勤めて9ヶ月くらいのある日、ふたりからリビングに呼ばれて「で、いつうち(ライフイズテック)に来るの?」と聞かれて。
もともとライフイズテックに戻る話はしていたんですが時期までは決めていなかったので、ふたりに「いつくらいですかね?」と質問を返したんです。するとふたりからは「来月」と返答がきて(笑)。もう、寝耳に水ですよ。
当時自分の成長がうれしくて仕事にやりがいも感じていた僕は、今は前職を辞めるつもりはないと正直に伝えました。すると、その僕の回答を聞いた水野が「自分の成長のために働くのと世界や社会の成長のために働くのだったらどっちがいい?」と僕に問いかけたんです。この言葉に僕はハッとして。そして翌日には、前職の取締役に退職の意向を告げていましたね。
海外展開への挑戦。孤独と隣り合わせのシンガポール法人設立
ーー怒涛の再復活劇を果たし、ライフイズテックに舞い戻ってきたわけですが、その後1年という短い期間で、シンガポール法人立ち上げという重役を担っていますよね。正直、プレッシャーに感じませんでしたか?
プレッシャーがないといえばウソになると思うのですが、シンガポール法人立ち上げは自分で臨んでしたことなのでワクワクが上回っていましたね。
ーーなぜ、シンガポールだったのですか?
僕は、ライフイズテックのサービスを世界で展開をしていきたいと考えていました。その第一歩として、プログラミングや教育がめまぐるしく進化しているシンガポールがいいのではと思ったので、移動中の車内で「シンガポールでやりたい!」と水野に打診したんです。しかしそのときは、本気として捉えてもらえていなかったと思います。
もちろんそれで諦めるわけもなく、現地の教育事情やサマーキャンプの受け入れ体制、大学とのコラボの可否などの情報を揃えて、改めて役員陣にプレゼンしたんです。すると「やってみたら」とGOサインをもらえて。そして単身シンガポールに乗り込み、現地法人を立ち上げました。
ーー慣れない海外での事業立ち上げ、大変だったのでは?
大変でしたよ。なんせ1人で乗り込んでイチから作っていかなければならなかったので。孤独感もありましたし……(笑)。しかし日本でキャンプをしていたときに知り合った大学院生が休学して、インターンとしてサポートしてくれたんです。またシンガポールのキャンプに参加してくれたメンターたちとの交流を通して現地の文化に深く触れられたのは、とてもいい経験になりました。
なにより、日本で使っていたキャンプのノウハウが海外では通用しない可能性があることを知り、ケーススタディをためられたことは、大きな収穫だったといえます。
日本国内のライフイズテックのキャンプでは、チームごとにランチを楽しみ交流を深めるイベントを用意しています。これをシンガポールでも実践しようとしました。しかしシンガポールでキャンプをしたのは6月で、ラマダーン(断食)の時期と被っていたんです。シンガポール人のなかにはイスラム教信者もいたので、そもそもランチイベントができない、となりまして……。
しかしこの体験は、日本のキャンプでは味わえなかっただろうなと思うんです。文化や宗教の違いにじかに触れたことで、キャンプにもスクールにも“多様性”に対応していく力が必要だと改めて感じるきっかけになりました。実際に日本のキャンプもスクールも規模がどんどん大きくなっていたため、シンガポールのキャンプ運営で得たものを逆輸入し、ノウハウのアップデートにもつながりましたね。
「やりたい!」しかない仕事と巡り合えた奇跡
ーー今はシンガポール法人を一旦お休みして、日本で新たなプロダクト「テクノロジア魔法学校」をつくったんですよね?
テクノロジア魔法学校という、オンラインでプログラミングが学べる教材をつくるために帰国しました。
シンガポール法人を設立し感じていたのが、直接学ぶオフラインのキャンプでは東南アジア全体にライフイズテックの教育が広がらないということでした。会社としてオンラインのプロダクトを整えるタイミングなのではないかと感じていたところに、テクノロジア魔法学校の話があがって。帰国後はすぐに、テクノロジア魔法学校のラインプロデューサとしてサービス立ち上げにとりかかりました。
ーーテクノロジア魔法学校は、ディズニーとのコラボレーションを実現しているサービスですよね。あまりにも世界的に有名なスタジオとの仕事に、プレッシャーはなかったのでしょうか?
僕はこれまでに400回くらいはディズニーランドを訪れ、しかも子どものころからディズニー映画を字幕なし英語で観てきたくらい、ディズニーがとにかく好きなんです。また、テクノロジア魔法学校プロジェクトを一緒に進めた小森と橋本も、ディズニーが好きで。
そんな3人なのでプレッシャーはあったとは思いますが、「憧れのディズニーと仕事ができる」というワクワク感が勝っていましたね。
ーー「好きなことを仕事にする」を形にしましたね。
これまでやりがいをもってしてきた教育×プログラミングのサービスに、大好きなディズニーが加わる……。楽しくないわけがないじゃないですか! こんな仕事ができて、誇りに感じていますね。
ーーとはいえやはり大変なこともあったのでは?
ラインマネジャーの役割は、関係各所の間に立ちプロジェクトを進めていくことです。だから、各部門から出る意見の調整には時間を割きました。しかし、このサービスができることのワクワク感でいっぱいだったので、大変だとは思いませんでしたね。
挑戦する気持ちをはぐぐむ環境が、ライフイズテックにはある
ーーテクノロジア魔法学校にひと段落ついた今、これからまた新たに挑戦したいと思っていることもあるのでは?
はい。現在はテクノロジア魔法学校のアメリカ展開を担当しています。日本での好調を受け、ディズニー本社も北米での展開にとても前向きで、本場アメリカでの販売も決まったんです。北米ではCodeillusionと言う商品名で展開をしています。(https://codeillusion.io/)
アメリカ法人では、クリエイティブを担当しています。主な役割は、製品の英語化と、マーケティングに関わるクリエイティブ制作です。
製品の英語化については、日本の製品が北米でどのように受け入れられるのかの挑戦だと思っています。実際に販売もはじまっているので、アメリカのお客様にどのように受け入れられるのか、楽しみです。
また、日本と全く異なる北米マーケットに対して、どうこの商品を届けて行くのかは、完全にゼロからの挑戦ですので、日々チームで議論をしながら試行錯誤の連続です。
そして、いつかは挑戦したいと思っていたディズニー社の本場であるアメリカで、こんなにも早くチャレンジできることにとても興奮しています。
ーーその挑戦する気持ちを、しっかりと応援してくれる環境がありますしね。
大変なことも含めてのびのびと新しい挑戦ができるので、これからもその環境で励んでいきたいですね。
<インタビューを終えて>
「好きなことを仕事にする」
働き方改革がさけばれる今の時代において、きっと誰もが好きを仕事にできたらと考えると思います。しかし会社という組織でそれを叶えるとなると、難しい現状もまだまだあるでしょう。
きっと築比地も、ただ単に「海外展開がしたい」「ディズニーとコラボがしたい」と言っただけでは、シンガポール法人やテクノロジア魔法学校の立ち上げができていなかったと思います。その仕事をしたい・すべき理由が彼のなかに明確にあったからからこそ、まわりの人からの理解や応援が得られたのではないかと感じました。
なにより築比地の何事もポジティブに楽しむ姿勢は、話を聞いているだけでもとてもワクワクしました。きっと彼はこれからも、ライフイズテックの新たな挑戦を楽しみながら形にして、世界の成長にも貢献していくでしょう。
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