ライフイズテックの事業を全国の自治体と協業するための仕事を担っているのが、元官僚という異例の経歴を持つ青柳博子(38)だ。
青柳は東大大学院在学中に国家公務員一種に合格。2005年4月、総務省に入省し、12年5か月間にわたって官僚の道を歩んだ後、ライフイズテックにジョインした。
(ライター:宮本俊一)
ーー青柳さんは前職では総務省で官僚をしていましたね。官僚になる経緯について教えてください。
大学の時に勉強していたのが精神保健学やメンタルヘルスについてだったんですね。いろんな意味での人の生きづらさを取り除くというか、そういう生きづらさみたいなのがない社会づくりに貢献したいと考えていました。
元々は弁護士になろうと思って、大学3年の秋からダブルスクールで司法試験の勉強をしていたんです。1年勉強して、翌年受験したんですが、落ちてしまって。同時に大学院へ進学する準備も進めていて、結果的に大学院に行くことにしました。
大学院での生活が始まったんですけど、奨学金の申請を忘れてしまって資金的にもあまり余裕がなく、早く社会に出たいなと(笑)それで、司法試験の勉強が役に立って、自分のやりたかった公共性の高い国づくり、社会づくりに国家公務員なら携われると気づいたんですね。
それで大学院1年の時に試験に受かって、大学院は前期で中退することにしたんです。
ーー2005年に総務省に入省されましたが、どのようなキャリアを積んできたのですか。
総務省ってとても幅広い仕事があるところなんですね。最初は恩給の仕事です。戦争期間中に軍人だった方や軍属、その遺族の方がいて、その方々に支払う年金の制度です。その所管を担当する部署で1年を過ごしました。
その後、大臣官房総務課で省令改正などの文書審査、情報通信政策局で地上デジタル放送推進のための周知・広報などに従事しました。
そして、内閣官房にも出向した後、総務省に戻って産休・育休を経て、再び内閣官房に出向します。
最後は、内閣サイバーセキュリティセンターで、官僚生活は12年4ヶ月でした。
ーー転職に至る契機は何だったのですか。
「転職理由はこれだ」というような感じでなく、振り返ると、色々複合的な要因があったと思います。
まず、国会対応や法律改正など国の仕事は体力的にかなりきつかったです。深夜タクシー帰りも多かったですね。そうしたことを育児しながらやっている中で、頑張ってやった先に何があるのか分からなくなったんですね。我慢するための希望がなかなか持ちづらかったです。
何に向かっているんだろうと。入省して3年目くらいから漠然とそう思っていました。
でも、最後に在籍した内閣サイバーセキュリティセンターの仕事は面白かったんです。省外の技術者の方と話す機会も多くて、そういう技術や想いを持った方が世の中を動かしていってほしいなと考えるようになったんです。民間と国が一緒に政策を作っていく面白さにも気づきました。
そういう中で、女性向けの転職サイトにも登録していたんですが、たまたまライフイズテックが出てきて、まず自分の考えにフィットするなと思いました。
それと、これは個人的な話なのですが、息子が当時小学1年生で学校になじめなかったんですね。毎日「つまんない、つまんない」と言っていて、学童に行ってもドッジボールやみんなでやるゲームばかりで、1人で本を読んだり工作したりすることが好きだった息子は居場所がないと感じているようでした。
これは親としては本当に辛かった。大人として、子どもが主体的に楽しめる場を提供できていないこともとても後ろめたい。そういう背景がありました。
そんな中で、近所の民間の学童で、プログラミング教室があったんです。渋る息子をそこの体験会に連れて行ったら、すごい楽しい、早く通いたいって言ってくれて。
息子のような子どもって世の中にいっぱいいるんじゃないかと思いました。明るく元気に外で遊ぶという一般的な価値観だけじゃなく、子供達がそれぞれ輝ける場を作っていきたいと思いました。
ライフイズテックの事業が自分にとってどんぴしゃでしたね。良すぎる事業内容だなと思いました。
ーー最終的に一歩踏み出すきっかけはありましたか。
もちろん、悩みましたよ。夫とも話し合いました。でも、一度きりの人生でずっと一つの組織にいることについて疑問があって、ライフイズテックというチャンスが目の前にあるのだったら、踏み出してみようと思いました。
チャンスに飛び込むほうが面白いかなと。楽しい人生を歩みたかったです。
それと、自分の今までの仕事とか、プライベートなことも含めて、ライフイズテックの仕事に使命感を感じました。ライフイズテックじゃなかったら転職することもなかったと思います。
ーー転職後はどのような仕事をしてきたのですか。
一貫して、ライフイズテックの事業を自治体さんと協業するための仕事をしています。コンセプト作りから課題設定などについて自治体担当者に提案を行なっています。
ーー特に思い出に残る仕事はありますか。
そもそもの取っ掛かりは別の担当者でしたが、茨城県との事業です。
全国トップレベルのプログラミング能力を持つメンバー(中高生)を育成し、未来を創造できるエキスパートを茨城県から輩出するという目的で、昨春から一緒に事業をスタートさせたんです。
8ヶ月にわたってオンライン上でディズニー・プログラミング学習教材「テクノロジア魔法学校」を活用し、最終的にメンバー35人が自らのオリジナル作品を披露することができました。
ーーこれからどういった仕事をしていきたいですか。
やっぱり一つでも多くの自治体さんと協業できたらいいなと思っています。
いろんな自治体に実際に行ってお話をさせていただいた帰り道に、街中を歩いている中高生を見かけると「この子たちに届けられたらいいなあ」といつも妄想しています。この時間がけっこう楽しいです。
ライフイズテックの事業は絶対的にいいことをしているので、そこはいつも共感もらえるんです。もちろん、予算を含めいろいろハードルはありますが、一緒に考えて解決していきたいと思っています。
ーー転職して働き方は変わりましたか。
自由になりました(笑)
前職は1時間休みを取るのもハンコを押さないといけないみたいな(笑)柔軟に、どこにいても仕事ができる感じですね。私としては合っている働き方ですね。
ーー民間企業に転職したことで、働く上での苦労はありましたか。
当然ですけど、OKもあればNGもあるというところですね。自治体さんに提案をしていて、案件として実らないこともあるので。
私の役割は、私たちのサービスに価値を認め、それを買っていただく自治体や企業を一つでも多く巻き込むことです。
目標とする数字があって、その結果ももちろん数字として現れてくる。
前職では政策の企画立案・制度の運用の仕事をしていたので、できて当たり前、逆にそれができないと国民生活に影響が及ぶので。
今は目標とする数字があって、その結果が数字として明確に現れてくる。明確にマルバツがついてくるところが民間企業ですよね。そこに対する反応がちょっと私は鈍かったような気がしました。目標に対するコミットを持ち、やるべきことをやれているかを常に考えて動くようになりました。
ーーライフイズテックという会社、そこで働く同僚については。
端的に言うと、この会社にいることを胸張って言える会社だと思います。自分を誇れる会社かなと。
同僚についてはそれぞれ尊敬できるところが必ずあるなと思っています。自分にはないものを持っている人ばかりで、それぞれが個性を生かしているのでぶつからない感じですね。
ーー小学1年生と4年生のママでもあり、育児と仕事の両立でお忙しい日々と思います。
保育園の時は送迎が大変でしたけど、もう自分たちで帰ってくるので(笑)18時に家に着いて、子どもたちもいてご飯作って、宿題をチェックしてという生活です。子供の成長につれて、関わり方など新しい課題もどんどん出てきますが、ライフイズテックは働き方が自由なので、とても助かってます。
週末は土曜朝にテニスを始めたんですよ。子どもが生まれる前にちょっとやっていたんですけど、中断していて、2年前から近所のスクールに通い始めました。上達すると楽しいし、運動すると気分転換にもなりますね。そのテニスの時間以外は家族とずっと一緒にいますね。
ーー最後に、これからどんな人にジョインしてもらいたいですか。
まだまだ発展途上にある組織だと思っています。なので、道がない中で切り開いていく、そういうところにやりがいを感じられる人が合っていると思います。
とはいえ、1人でやる必要はなくて、一緒に考えよう、助けて欲しいと言われて断る人はうちの会社にはいないので、安心してくださいね(笑)
<インタビューを終えて>
政治の中枢である霞ヶ関で文字通りキャリアを重ねてきた青柳。地方自治を所管する総務省での経歴が、地方自治体との協業という現在の仕事にダイレクトで生かされていると感じました。
令和の教育変革を考える上で、地方創生というキーワードは欠かすことができません。ライフイズテックの地方創生に関わる事業を青柳が支えることで、地方発からの教育変革がこれから一歩も二歩も進んでいくはずです。