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「地方に存在する資源のピースを繋げたら人と人との結び付きが生まれて目に見える変化が起こる」と語る彼女が、FoundingBaseを通じて掲げる夢とは?

和田 史香(Wada Fumika)/Contents Director/富良野team
青森県五所川原市出身。1994年生まれ。
大学時代は広告デザインと観光学を学びながら、東日本大震災関連プロジェクトのグッズ制作などを行う。
前職は都内のイベント制作会社で、都心エリアのまちづくりやコミュニティ醸成を目的としたイベントを中心にディレクションを担当。
2022年5月にFoundingBaseにジョイン。現在は北海道富良野市でふるさと納税の情報発信を行っている。

ベリーショートのバスケ女子が地域に興味を持つ

幼少期の私は、父が地元でバスケットボールチームの選手や監督をしていた影響で、練習や試合に付いて行ったりとバスケしか知らないような子どもでした。小学校では当たり前のようにバスケ部に入部し、男の子と間違われるほど髪を短くして、クラスの男子と取っ組み合いの喧嘩をするほど気性が荒いかったと思います。

中学時代もバスケ部に所属していましたが、先輩からの嫌がらせが嫌になり1年もせずに退部。 バスケが唯一の話題だった父と話す機会が減ったことや、クラスメイトからの仲間はずれが原因で一人で過ごすことが多かったです。

高校進学と同時に友人に誘われ再びバスケ部に入部。中学とは異なるさっぱりとした人間関係が居心地良くとても楽しい日々でした。2年生の頃にスランプに陥り、後輩にスタメンを奪われ毎夜泣いていましたが、自主練・チームメイトとの協力・学業との切り替えを徹底しスタメンを奪還。この出来事以降、友人から負けず嫌いと言われることが増えました。

3年生の受験シーズン、私が地域に関心を抱くきっかけとなる出来事が起きました。地元の公務員を目指すクラスメイトの女子が「わたしはこんな田舎にいても実力を発揮できない、東京に行った方が私は輝ける!」と大声で叫んでいるのを目にしたのです。そんな気持ちの人間に地元を任せられない!私が地元を変えるんだ!という使命感が湧いた瞬間でした。

デザイナーの夢を手放した大学時代

経営とデザインのスキルを身に付けたく、両方が学べる宮城県の大学に進学。なんとなくデザイナーになりたいな、スキルを身に付けて地元に持ち帰ったらまちがより良くなるんじゃないかなと考えていました。
当時は専攻の広告デザイン以外に、観光学の研究室を掛け持ちして観光まちづくりコンテストに出場したり、オープンキャンパスの企画運営を行う学生団体に所属したり、学外の東日本大震災復興プロジェクトのグッズ制作を担当したりと、やってみたいことには一通り手を出していました。

これは社会に出てから実感したことですが、大学時代は”センスがある”という言葉をほとんど耳にしませんでした。
優れた人は持ち前の美的感覚があるかもしれませんが、それ以上に興味のある事柄に対して時間や労力を掛けたいという想いが強く、かつ実行しているからこそのアウトプットなのだと、教授を始め周りが分かっていたからだと思います。信じられない量のインプットとアウトプットを繰り返している人を、”センスがある”という言葉だけで片付けてしまうのはもったいないなという気持ちが今もあります。
私はというと、デザインというものにここまでの熱量をかけられませんでした。それよりも全体をまとめて物事を進行させることにおもしろさを感じ、ここでデザイナーの夢を手放しました。

社会人のいろはは全て前職の上司から学んだ

地元企業へ新卒入社しましたが、まだまだ外に出て学ばなければ地元に還元できることが何もないと感じ、2年後に都内のイベント制作会社へ転職しました。
多数のステークホルダーの間に立ってプロジェクトの進行管理を行ったり、イベント現場の指揮を執ったりと所属関係なくチームで動く感覚がとても楽しかったです。
またこの頃、人脈づくりを目的に参加した地方創生イベントでFoundingBaseの社員と会い、会社の存在を知りました。

転職してすぐは、自分の社会人スキルがゼロ状態だということに気付き、とても焦っていました。ありがたいことに直属の上司が仕事を任せてくれる方だったので、嬉しさと責任感を感じながら上司の背中を見て仕事の仕方というものを学んでいきました。
今の私のスタイルは全て当時の上司から来ていると思います。といっても我が強い性格の私は年に1回のペースで上司と喧嘩をしていましたが、それでも良い信頼関係を築くことができたと思っていますし、直接上司から信頼していると言っていただけたことは私の誇りです。

地域に関わる仕事でゼネラリストを目指す

前職の先輩が言っていた「我々は誰でもできる仕事でお金をもらっている」という言葉が私の頭の中にずっと残っています。
私ができることなんて全人類ができること。だからこそ人を巻き込む力を身に付けて自分が物事を進めていくという意識を持ったことで、より上流でプロジェクトマネジメントの経験値を上げたいと思い、転職を考え始めました。

退職して地元へUターンし転職活動をしながら、知人が行っていた地元発地方創生プロジェクトの手伝いで、クラウドファンディングのページ作成などを行っていました。
このボランティアを通して地域に関わる仕事がしたいという想いが強くなったことと、「また一緒にやろう、仕事しよう」と言ってくれる仲間が東京と青森に出来て嬉しいと感じた時に、FoundingBaseの存在を思い出しました。
FoundingBaseのVALUEを読んだ時に、これは私がこれまでに見た憧れの人や景色、これから作っていきたい自分や社会を表していると感じて求人に応募、ご縁あって入社することになりました。

やりたいのは繋ぐこと

よく「地元が好きなんだね、社会貢献意識が強いね」と言われますが、私は地元や地域が特別好きなわけでも社会貢献をしたいわけでもありません。
地方に存在する資源のピースを上手く繋ぎ合わせられていない状況がもどかしい、ピースを繋げたら人と人との結び付きが生まれて目に見える変化が起こると思っているし、私ならそれができると思い、この仕事を選びました。
でも一人では限界があるので、FoundingBaseと各地の仲間・プロフェッショナルたちとともに進んでいきたいと思っています。
FoundingBaseや私と仕事ができて良かったと言ってくれる仲間を全国各地に増やしていくことが、今の私の夢です。

富良野市(北海道)|株式会社FoundingBase
▶ 社員 代表取締役CCO 林 賢司 Contents Director 磯尾 悠真 Contents Director 和田 史香 Contents Director 石水 未奈 ...
https://foundingbase.jp/n/n4bb8b8a88931
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