日本海の隠岐諸島に位置する島、海士町。
人口2,200人のこの離島には、なにかの引力がはたらいているかのように、多様なバックグラウンドを持つ人々が引き寄せられ、生活をしています。
離島の営みを紹介する連載「わたしの離島Life」。
今回は、港にあるレストランで、マネージャーを務めることになった料理人の吉冨さんを取材し、料理人がなぜ島で働くのか、この島の魅力についてお伺いしました。
Profile:吉冨 なぎさ(よしどみ なぎさ)
山口県出身。福岡にある料理専門学校と創作和食の店で腕を磨いたのち、ホテル業など幅広い業種を経験。その後、海士町へ移住しEntô Diningで朝食メニューの開発を手がける。現在は、船渡来流亭のマネージャーとして、店舗運営に加え、料理人としての感性を活かし、島外シェフとのコラボやオーダーメイドのオードブル提供など、新たな取り組みにも挑戦している。
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料理人が島に流れついた理由
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ーまず、どうして料理人を目指していたか、教えてください。
学生時代はスポーツ一筋で、良い結果を取って応援してくれる人を喜ばせたいと思っていたのですが、このままスポーツ選手のレールに乗ることに悩んでいて。
そんな時に自分が作ったお菓子を姉が美味しいと言ってくれて、「人を喜ばせる仕事って1位になること以外でもあるんだな」と気がついて、まずは福岡で料理の専門学校に通いました。
ーひとを喜ばせる手段として料理を選んだのですね。
そこから、福岡の和食のお店で修行をして、一度料理以外の仕事をしたいと思ったときに、海外に行こうとしていたのですが、コロナ禍に入り海外は諦めました。
そんな時にメディアで見た、前職のホテル会社が面白そうと思い、大阪のホテル業界でマネージャーをしていましたが、マネージャー業務中心ではなく、もっと包丁を握る仕事がしたい!と思っていたところ、「料理をやりたいのであれば、海士町で働くのはどうですか?」と知人に紹介してもらいました。
ーそこから移住の決断はすぐ出来たんですか?
代表の青山さんと海士町でごはんを食べていた時に、海士町で出版業をされている風と土とさんが出している、アリス・ウォータースさんの「スローフード宣言」って知ってる?と紹介されたんです。
実は、23歳の時に料理人として目指すべき人と教えてもらってから、アリスさんの考えに感銘を受けていて、私自身も憧れていた方でもありました。
「移住したら会えるなら!」という、最初はよこしまな気持ちで移住をしました(笑)
ーアリス・ウォータースさんがきっかけだったんですね!それで実際に会えましたか?
はい!6月に移住して9月に会うことができました。
研修にもご一緒させて頂いたり、新年には年賀状も頂けて、人生の夢のうち1個が達成できました。
ーすぐに夢を叶えられたんですね!移住してからはどんな仕事をされていますか?
最初の約2年間はEntô ダイニングの方で、朝食のリニューアルをして欲しいという声があったので、大幅にメニューを変え、今の箱膳スタイルの朝食を開発しました。
今年の春から、海士町の菱浦港にあるレストラン船渡来流亭のマネージャーになり、料理人として、ランチやカフェ、夜営業をやりながら、マネジメント業務も行っています。
島内からの依頼があれば、ケータリングやオードブルも行っています。
ーランチで麺の日がはじまったり、常に新しいことをしているイメージがあります。
実は、きっかけは島内の米不足で、米の使用量を減らす解決策として、火曜にラーメンの日、木曜にパスタの日を始めたんです。
団体の貸切営業も始めて、お客さんのオーダーに応じた価格帯でオリジナルメニューで提供したりもしています。
お客さんから「船渡来流亭ってこんなこともできるんだね」と言われたのがとても嬉しくて、スタッフからも「主体的に色々やらせてもらえる環境がとても楽しい」と言われることもあります。
料理人の自分が入ることによって、去年と価格は同じまま料理のクオリティを上げたり、スタッフにも料理のプロにすぐ聞ける環境ができて、安心材料になっていると思います。
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「島の縁側」を体現する仕事
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ー船渡来流亭で働いてみて、吉冨さんの中での変化はありましたか?
Entô dining時代にも生産者との関係性は地道につくっていましたが、マネージャーになることで、より地域に密着できたと感じています。
イベントを重ねることで、地域との接点を増やし、地域の方から声をかけてもらうことも増え、島の方が船渡来流亭に入るハードルも下がったように感じています。
「次のイベントの取り置きできる?」と連絡をもらったり、道で声をかけられることもあり、地域開発事業部で決めたコンセプトの『地域の縁側』を感じる部分でもあります。
今年の夏に船渡来流亭の縁日を開催したのですが、島のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、島留学生、高校生、と様々な世代が交わるカオス状態がとても良くて、港で「島の縁側」を体現できたイベントになったと思います。
また、株式会社海士で働く中で、いろんな人との距離が近くなったことで、Facebookで連絡がきて袋いっぱいのトマトをもらったり、港で会った方に、うちで大葉取れたんだけどいる?と声をかけてもらうようになって、そういうやりとりもすごく魅力的です。
本土でもそういうやり取りは探せばできるんだろうけど、海士町は自然体でできている感じがしています。
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豊かな暮らしと料理
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ー会社のミッションにもありますが、吉冨さんにとって「豊かさ」って何だと思いますか?
下関生まれなので、海が近いのが落ち着きますね。
前職で大阪でマネージャーをしていた時は、人通りの多いカフェで焦りながらシフトを作っていたのが、今では海やフェリーを見ながらのんびりシフトを作っていて、自然体でいられる感じがします。
夜は星空を見ながら帰ったり、海を見ながら、この景色はあのメニューに活かせそうって考えることもあります。
ー日常に仕事のヒントが転がっているんですね。
ふと外を見たら海が見える環境って、なかなか無いですし、四季や自然を感じられるのが心地よいです。
ーすごく仕事が充実しているように見えますが、休日はどうされているんですか?
ずっと料理しています!(笑)
本土で暮らしていた時は食べ歩きすることが多かったのですが、島に来てから毎日必ず料理をしています。
これは、料理ができないほど余裕がない日はないからだと思っていて、料理をすることがいい息抜きになっていると思います。
この前、大人の島留学で農業をやっている子に、ナスをもらって、隠岐牛店の牛すじを合わせて煮込みました。
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海士町に眠る魅力
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ーアリス・ウォータースさんに会う夢を叶えられた後も、海士町に残り続けているのはどうしてですか?
アリス・ウォータースさんの教えで「美味しい食材があれば料理人ができることは限られる」という言葉があって、海士町にいるたくさんの生産者さんに還元できる料理人になりたいと思っています。
また、京都の研修先で、料理人の方から、「目の向け方や視点の変え方で、その辺に生えている草も食べられるよ」と教えてもらって、宝物のように食材はあるのに私が見つけられないんだ、と気づきました。
もっと海士町には面白いものが眠っているかもしれないから、まだまだ探したい!と思ったのが、残り続けている理由です。
ー海士町で、今後挑戦したいこともあるんですか?
船渡来流亭に、魚を安定的に仕入れて加工するチームを作って、海鮮丼や魚料理の幅を広げたり、
フェリーに乗るまでの時間を過ごせる場所や、子連れのお母さんたちが、気軽に使える場所としてカフェ営業を毎日したり、食の探求や底上げをしたいと思っています。
でも、ここで働く人は、必ずしも食に興味がある人ではなくても良くて、島に興味があるとか、地域で挑戦したいことがあるとか、やる気と興味があれば誰でも働ける環境にしたいと思っています。
ー海士町に移住したい気持ちがあれば、もう誰でもウェルカムみたいな感じですね。
なんなら、好きな食べ物がある!くらいの方でも挑戦できる環境だと思っています(笑)
芋掘りしてみたい子には生産者まわりで働いてもらったり、インスタ映えに興味がある子ならSNS運用を任せたり、料理人として向上したい人以外にも、きちんとキャリアステップが見えるように、成長できる環境にしていきたいです。
ー最後に、株式会社海士に就職を考えている方にメッセージをお願いします。
「移住」や「就職」と考えると大きく感じますが、もっと軽く考えてもいいんじゃない?と思います。
Amazonも届くから不便もないし、この会社にいるからこそある面白い案件もあるし、挑戦できる会社です。
自分もこんなにいると思わなかったですが、気軽にきてしまったら、いつの間にかのめりこんで長くいることになります!(笑)
吉冨さん、ありがとうございました!
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株式会社 海士 | Ama Inc. 【公式サイト】旅をきっかけに、豊かさを巡らせる。 島根県の隠岐諸島にある海士町(あまちょう)という町で地域の豊かさを伝える www.oki-ama.com
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