実は芸能関係者に大人気!セカツクが夢のお手伝いをします♪ 【Vol.1】 | 株式会社セカツク
こんにちは!採用担当の恩田です☻セカツクは、芸能関係者の支援に力を入れています。前日までシフト変更が可能だったり、長期休養ができたりするので、芸能関係者のアルバイトさんが多く働いているからです。...
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こんにちは!採用担当の保科です。
セカツクは芸能関係者を支援する取り組みの一環として、演劇団体のスポンサー事業を行っています。
「人を楽しませ、感動させる」
そんな表現者である役者さんや劇団関係者の皆様を応援したいという思いと、「変わりたい人が、変わり続けられる会社で在る」という当社のビジョンとのシナジーから始まった取り組みです。
俳優・声優・芸人など、多くの夢追い人が自分の可能性を信じて舞台に立つ姿に、私たちは深く共感しています。
今回は、実際に演劇業界の現場で活躍している皆様が何を考え、どのような思いでセカツクと関わってくださっているのかインタビューを行いました。
第一弾は芝居をしている学生ならだれもが知っている「全国学生演劇祭」のプロデューサー、沢大洋さん。「全国学生演劇祭」では、協賛だけでなく、社会人になっても演劇を最優先で続けたい学生たちのための、セカツク正社員登用も紹介しているんです(*^^*)
是非、最後までご覧ください!
セカツクのスポンサー事業詳細についてはこちら↓
芸能関係者支援についての代表インタビューはこちら↓
今回はインタビューにご協力いただきありがとうございます。まず初めに、沢さんのご経歴を教えてください
沢大洋です。滋賀の大学を卒業してから、「京都ロマンポップ」という劇団に所属していました。
劇団時代、入団してからすぐに私の父を題材にした舞台を企画して、地元の隠岐の島で上演したんです。
父は、私が大学4回生の時に亡くなってしまいまして。演劇を通して、教師だった父のことを作品にしたいと思ったんです。
作品を作るにあたって、生まれ故郷である島根県の隠岐の島まで通い、父の仕事関係の方にインタビューをしました。それを元に劇団の作家の方に脚本を書いてもらって、当時36歳頃の父を演じました。
島の人口3,000人のところ、約9分の1にあたる400人以上が観に来ていただき、大きな話題になりましたね。
京都ロマンポップの最後の出演で、当時まだ19歳だった吉岡里帆さんと共演したことがあります。その作品がきっかけで、ある映画監督にお声かけをいただき、「星を継ぐ者」という映画でも共演することになりました。
その際には、作品が世界28ヶ国82タイトルもの受賞をする中で、私自身も最優秀長編主演男優賞など、光栄な賞をいただくことができました。
役者としての活動は少なくなり、現在は「日本学生演劇プラットフォーム」の代表理事を務めています。
当団体では、「全国学生演劇祭」という、北海道・とうほく・東京・名古屋・京都・大阪・中四国・福岡の8地域の学生演劇団体が集まる学生演劇の祭典を行っています。
学生が中心となって運営していますが、私は昨年度、「京都学生演劇祭」と「東京学生演劇祭」、「大阪学生演劇祭」、そして「全国学生演劇祭」の責任者として参加していました。
父を演じる沢大洋さん
役者をしながらお仕事をされていたんでしょうか?
そうですね。役者として活動する傍らで、京都学生演劇祭を2011年2月に初めて開催し、それがきっかけとなり「NPO劇研」にお誘いいただいて、入職することになりました。
実際の業務としては、演劇関係だけでなく、地域の街づくりに文化芸術をどう生かしていくかを考えて、人材育成事業、国際交流事業、青少年育成事業などを実行しています。
NPOで働きながら、学生演劇祭のプロデューサーとしての活動と、役者としての活動も続けています。
学生演劇祭が創設されたきっかけを教えてください
滋賀の立命館大学を卒業してからも、京都で役者を続けていて、主宰や作家などとの出会いを経て、冒頭にお話しした京都ロマンポップに所属することになりました。
「東京から京都に文化の中心を取り戻そう」「京都をもっと文化で盛り上げよう」という劇団のコンセプトに強い感銘を受けていたのですが、役者としての活動だけでその目標が達成できるのか考えまして。
京都は学生の街といわれるように、人口の約一割が学生なんです。
自転車で30分も走れば、多くの大学にアクセスできる環境なので、
学生演劇が盛り上がれば、自ずと京都の演劇シーンが面白くなっていくんじゃないかと考えたんです。
そのために、役者個人だけでなく、団体同士が競い合ったり、交流したりする企画を立ち上げようと思い、学生演劇祭がスタートしました。
学生演劇祭の印象的なエピソードを教えてください。
学生演劇の特徴として、劇団ごとの傾向や上演スタイルが千差万別でかなり違うんですよね。
だからこそ、全く知らない団体同士が出会ったときの衝撃が大きいんです。
違う文化を持った学生同士が出会って、「そういうやり方もあるのか!」と気づきを得たり、成長する姿を見ることができるのが何より嬉しいですね。
前年に観客投票で最下位になった学生が、そこから悔しい思いで一年過ごして、翌年には観客や審査員に評価されて日の目を見る。
そういった、学生の成長を目の前で実感できるのも、学生演劇祭をやってて良かったなと思う瞬間です。
学生演劇祭を通して得た経験が、さまざまな表現活動にどのように影響していますか?
私は元々、目立ちたがり屋だけど自信がない人間でした。
しかし、俳優として舞台に立ったり、プロデューサーとして学生たちと接して企画を実行していくうちに、おのずと自信や誇れるものが生まれていることに気が付いたんです。
他業種の方と接するときも、自分に自信がなくても、仕事に対する誇りがあるので、フラットな状態でコミュニケーションをとることができるようになりました。
そういったところで良い影響はあるのかなと思います。
学生演劇祭に携わって、ご自身が変わった具体的なエピソードを教えてください。
以前までは、演劇作品を作るうえで、より良い作品を作るために他人に対して厳しい目を向けたり、厳しい言葉で伝えてしまうことがありました。
学生演劇祭を通じて学生と接する中で、厳しい態度だけでは本当に伝えたい部分は伝わらず、自分の周りから人が離れていってしまうということを実感してから、人の失敗を許容できるようになりました。
学生の失敗も織り込んだ上で企画を作っていくことで、学生の成長にも、自分自身の成長にも繋がると考えて運営しています。
学生演劇祭を続けて行く中で、一番のターニングポイントはどこでしたか?
学生演劇祭を続けていく中でも、ずっと「役者として何か為したい」という気持ちが強くありました。
しかし、学生演劇祭を続ければ続けるほど、役者としての活動時間が取れなくなっていく。
プロデューサー業と役者業では、やっていることが真逆なんです。
私の役者としての演劇スタイルは、感情を高ぶらせてキャラクターを作っていくというものなんですが、プロデューサー業では冷静に物事を見つめて企画を詰めていくというか。
やってることが逆転しているのでなかなか折り合いがつかず、演劇祭をやればやるほど役者として心を燃やしていく機会が減っていくなぁという実感があり、その期間は辛かったですね。
どっちを取るべきなのか悩みました。それが最初のターニングポイントですね。
夢と自分自身の感情、現実をどのように折り合いをつけましたか?
ちょうどその時期に「京都ロマンポップ」を退団したんです。
思い返すとアホみたいな話ですけど、当時は、「今の演劇シーンを「私が塗り替えるんだ!」と語っていて(笑)
学生演劇祭を通して、役者も、演劇環境も育てていって世界を塗り替えて、それを達成したうえで「役者として頂点に上り詰めてやるんだ!」みたいな。
そんなタイミングで、信頼していた劇作家が仕事の都合で海外で働くことになり、劇作の時間が取れなくなって。
元々その作家が描く作品に惹かれて劇団に入ったということもあったので、退団することを決め、「それなら、今やっている演劇祭を全力で頑張るしかないな」と少しずつ折り合いがついていきました。
今でもたまに役者もやるんですけどね。二年に一回くらい。
セカツクとの取り組みのきっかけと、受けて頂いた理由を教えてください。
セカツクさんから声をかけていただいたのが、ちょうど学生演劇祭の資金調達について考えていたタイミングで。
学生演劇祭に時間を使って関わってもらうからには、運営スタッフにも、当然ながら正当な報酬を支払いたいのですが、学生演劇祭というイベントの性質上、チケット料金も大きく上げられないというジレンマがありました。
チケット収入を補う部分として、これまでは助成金を中心に資金調達をしていたのですが、それにも限界が見えてきていました。
いつ助成金が打ち切られてしまうかわからないという先行きの見えなさも感じ、企業からの協賛や寄付をいただく手段の開拓や、ふるさと納税の制度の活用をはじめた時期に、セカツクさんから連絡があったんです。
正に求めていたものが、向こうからやってきたという感じでした(笑)
セカツクのスポンサー活動(演劇団体への支援、演劇を優先に正社員制度の紹介)が学生に対してどのような影響があると思いますか?
特に地方では、演劇だけで食っていくのは厳しいという認識がスタンダードになってきています。
東京でバリバリ頑張っている学生にとっては違うかもしれませんが、東京以外の地域に関しては、どこもそういう認識が広がってきていると思います。
基本的には大学卒業を機に、演劇から離れていく傾向にあるかなと。
そんな中、働きながら演劇をやるスタイルを実践し始めている若手も出てきています。
私が学生演劇祭関係のインタビューで全国を回っていたときに、地方に住んでいる、大学を卒業して間もない三人とそんな話をしてたんです。
彼・彼女らは、就職をしても演劇を続けていく手段を広げようとしていました。
若者からのそういった発信があるときに、企業側からも演劇と就職を両立しようと声が上がると、非常に現実味が増すと感じています。
演劇を続けたい人材を求めてますと言って下さる企業があると、学生たちも希望を見出せるのかなと。
セカツクさんのような企業が増えることで、学生達が夢を諦めずに、演劇と共に人生を歩めるようになると思うんです。
人生の選択肢が増えると同時に、演劇界の人材も増えれば、自ずと演劇というコンテンツ自体も盛り上がっていくのではないかと考えています。
今後の学生演劇祭の展望をお聞かせください。
学生演劇祭に関わる人や地域を増やし、継続していくことが目標で、より基盤が安定したら世界にも目を向けたいです。
一回だけ、学生演劇祭を韓国でやったことがあって、それが、学生が急速に成長する機会になったと感じているんです。
文化圏が離れれば離れるほど難しさもありますが、違う文化に触れることで、より学生が視野を広げられる可能性が増えると思っています。
韓日学生演劇祭はどのような経緯で開催されたんですか?
京都で開催した第2回全国学生演劇祭を、京都新聞さんに記事として取り上げていただいたのですが、それが京都市の目に留まったようで。
韓国の大邱で文化交流を行う際に参加してくれる団体を探しているとお声がけいただいたのがきっかけです。
最初は学生演劇祭から参加する劇団は一つだけの予定だったのですが、交渉をして、結果的に三団体連れていくことができました(笑)
言葉が通じない異国の地で、「どうしたら韓国の方に自分たちの演劇を届けることができるのか」を考え、学生たちが工夫を凝らした結果、一例として、演者や観客が一定以上の音量を出してしまったら上から物体が落ちてくる、という機構をつくり、物体を落として作品の流れを止めないように、言語を使わず、舞台と客席の一体感を生み出すなど、これまでにない上演アプローチが生まれました。評判もとても良かったです。
この経験は、参加した学生たちにとって、大きな成長の機会になったのではないかと自負しています。
現状、海外との取り組みは一度途絶えてはいますが、全世界での学生演劇祭も視野にいれたチャレンジを続けていきたいと考えています。
最後に演劇業界に携わる学生たちへのメッセージをお願いいたします。
学生演劇に関わる中で「こういう舞台に立ちたい」、「こういう作品を作りたい」
とか、夢を見ることはあると思うんですよね。
馬鹿にされるような大きすぎる夢だとしても、それを持ち続けてくれたら嬉しく思います。
自分がやりたいと感じたことは、きっと続けていれば叶うことだと思うので。
演劇と仕事の両立は大変ですが、どちらも継続できる道を探しながら、それぞれの夢に向かって走り続けてくれたら嬉しいです
常に演劇業界の最前線を走り、学生のために奔走している沢さんだからこそ、セカツクの芸能関係者に対する思いと重なる部分が沢山ありましたね。
芸能活動と並行してアルバイトや正社員として働きながら夢を追う方々、そして「転職してでも夢を諦めたくない」という方の力になれるよう、セカツクは今後も多様な仕事の形を支援していきます。
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