「医師の仕事って、結局なんだろう?」
そんな問いを、僕はこれまでに何度も繰り返してきました。
もちろん、病気を診断し、治療し、回復へ導くことが仕事です。
そのために医学部で6年間、勉強をしてきました。
でも、日々の診療の中で、「それだけで本当に十分なんだろうか」と感じる瞬間があります。
医療とは科学なのか、人の心に触れる営みなのか。
その答えを、ある患者さんとの出会いが教えてくれました。
病名ではなく「日常」が奪われていた患者さん
ある日、僕の外来に長年副鼻腔炎に悩んできた患者さんがいらっしゃいました。
鼻づまりがひどく、香りも味も感じられず、食事が楽しくない。
季節の花の香りもわからない——そう話すその方の表情には、どこか諦めの色がありました。
実際、他の病院の耳鼻科でこれ以上は何もできないと、実質匙を投げられて紹介されてきたのでした。
これまで手術も経験され、しかし再発。再手術をしても、ポリープのある場所が難しく、改善は見込めない。
「もう仕方ない」と、その方は心のどこかで結論を出していたのかもしれません。僕は
けれど、あるとき僕は、新しく承認された注射薬がその症例に適応できると気づきました。決して僕がすごいわけではなく、製薬会社の宣伝も活発で目にする機会が増えていたからです。
それを提案し、実際に使っていただいたところ、鼻づまりが劇的に改善したのです。
その患者さんは、診察室で涙を流しながら「本当に嬉しい」と話してくれました。
寿命が延びたわけでも、重篤な疾患を克服したわけでもない。
医師として大きな手技を施したわけでもありません。
けれど、確かにその人の「人生の楽しみ」が戻った瞬間でした。
病気を治す——その先にあるもの
医学とは「病気を治す学問」である。
それは疑いようのない事実です。
けれど、僕はあの日改めて実感しました。
医師の仕事は、「治す」ことを通じて、人の人生に喜びを取り戻すことでもある。
これは、とても月並みな言葉に聞こえるかもしれません。
でも、それが真実だと身をもって理解できたのです。
“仁”の心を、現代に
科学としての医学は、西洋からの流入とともに進化してきました。
検査データ、エビデンス、論文、ガイドライン。
それらは医療にとって欠かせない柱です。
僕自身、大いに参考にしますし、むしろ医療を施すための大前提です。
江戸時代、日本の医学では「仁術」という言葉が使われていました。
儒教、特に朱子学に由来する“仁”の考えが、医師のあり方として重視されていたのです。
つまり医療とは、ただ技術を施すだけではなく、人に寄り添う「心の営み」でもあった——
その精神が、今の医療現場には少し足りなくなってきているようにも感じています。
残念ながら、医学教育の中ではそのような姿勢を学ぶ機会は限られています。というかほぼありません。
他者からのフィードバックも受けにくい。だからこそ、多くの医師がそこに自ら気づくのは難しいのです。
僕が“仁”を学んだ出会い
幸い、僕には“仁”の心を持つ先輩たちとの出会いがありました。
初期研修時代に出会った先生、耳鼻科医として歩み始めたときに出会った先生。
その先生方は、いつも患者さんと真摯に向き合い、症状の奥にある“生活の質”や“喜び”に目を向けていました。
僕も、その背中を見て育ちました。
そして今、あの患者さんを思い出すたび、「この姿勢を、もっと多くの医療者に広めたい」と強く思うようになりました。
テクノロジーで、“仁”を届ける
だからこそ、僕はスタートアップを立ち上げました。
音声認識や生成AIといったテクノロジーを使った、正直この部分だけだと全く革新性はないプロダクトです。
しかし、僕は業務効率化のための便利ツールを作っているわけではありません。
医療者が「人と人生に向き合う時間」を取り戻せる仕組みを作っています。
とても抽象的だと思います。なので、今後それを体現していきます。
テクノロジーは、冷たいものではありません。
それをどう使うかに“仁”の心を宿すことができると、僕は信じています。
医師として、人の命だけでなく、人生に寄り添うこと。
その志を、これからも大切にしていきたいと思います。