株式会社パタンナーの代表深野が、先日社内向けに発信したことをWantedlyのストーリー用に言語化してみました。
ソフトウェアって、そんなに難しくていいんだっけ?
最近ずっと考えているのが、「企業がソフトウェアを使うときって、本来どうあるべきなんだろう?」という問いです。
現在主流となっているのは、業務ソフトウェアを導入する際に、まず外部のコンサルティング企業が入り、データベースや業務フローの設計を行い、その上でソフトウェアを設定・展開していくという流れです。
要するに、ソフトウェアそのものというよりは、コンサルが設計した業務設計を表示する“箱”としてソフトウェアを使っているケースが多い。
このやり方自体を否定するつもりはありません。
でも私は、どうしても思ってしまうのです。
「それって、ソフトウェアのあるべき姿なんだろうか?」
導入に数ヶ月から半年以上かかる。
使い方は複雑で、研修が必要。
構造を設計した人しか全体像を理解できないーーー
なんだか、それって本質から離れている気がします。
![]()
「誰でも、説明書なしに自然と使える」があるべき姿
私は、ソフトウェアは本来もっとシンプルであるべきだと考えています。説明書がなくても、誰でも自然と使える。そんなものじゃないかと。
たとえば自動車。その内部構造はとても複雑ですが、ユーザーは「アクセルを踏めば前に進み、ハンドルを切れば曲がる」という基本操作だけで使いこなせます。
カスタマイズしなくても、動くべき方向にちゃんと動いてくれる。あるいはスマホ。最初から完璧に設計されていなくても、とにかく触っていれば誰でも自然に使えてしまう。子どもも高齢者も、仕事でもプライベートでも、さまざまな場面で活躍してくれる。
私は、企業向けソフトウェアもこのどちらかの方向に進むべきだと思っていて、特に「データを扱うプロダクト」は、もっとスマホ的であるべきじゃないかと思っています。
データ活用は、もっとスマホ的でいい
なぜなら、企業の中でデータに触れる人たちは本当に多様だからです。
情シスだけじゃなく、データを分析する人、数値をつくる経営企画、その数値を信じて判断する経営陣、数字をもとに施策を考えるビジネス部門。
ユースケースも、ユーザーセグメントも、驚くほど広い。
それにもかかわらず、データマネジメントのツールは、「使う前に構造を理解しなければならない」ことがことが前提になっている。
皮肉にも、「このデータって本当に正しいの?」「誰がどう作ったの?」という基本的な疑問すら、曖昧なまま進めてしまっているケースも多いです。それでも、事業は成長してしまうこともある。
センスとタイミングとマーケットが揃えば、数字がなくても会社は動くんです。
この現実こそが、今のソフトウェア設計の“いびつさ”を物語っているように感じます。
![]()
「触れられる・信じられる・判断に使える」が、データの理想像
だからこそ、私たちが目指したいのは「誰もが触れられて、信じることができて、判断に使える」ようなデータの在り方。
それは、たぶん重たい“導入プロセス”や“事前設計”を経なくても、「なんとなく触っていたら使い方がわかり、いつの間にか役に立っていた」という状態。そんなプロダクトを、私たちは本気でつくろうとしています。
そして、毎日のように考えているのが、この思想をどうすれば一言で伝えられるか?ということ。
「データマネジメント」と言ってしまえばそれまでだけれど、それだけじゃ伝わらないニュアンスがたくさんある。でも、そういう曖昧な思いのなかに、今のソフトウェアの未来があるような気がしています。
さいごに
もしあなたが、データの「使いやすさ」「触れやすさ」「信じやすさ」そんなキーワードにピンとくる人だったら、ぜひ一度話しましょう。
私たちは、データのあるべき姿をゼロから問い直し、プロダクトを通じてその世界を実装しようとしています。あなたの感性や視点が、きっとこの挑戦に必要です。