【後編】「電車でため息をつく大人になりたくない」新卒4位の悔しさをバネに、2年目でリーダーとなった彼女が描く"憧れ"の未来 | 株式会社TSACE
こんにちは、採用担当です。本日は佐々木さんのインタビュー【後編】をお届けします。前編では、私が学生時代に大規模な学生団体で経験した「10秒で企画書を却下された」挫折と、「3年で通用する人材になる...
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こんにちは!採用担当です。
今回は、2024年に新卒で入社し、2年目にしてリーダーへ昇格した佐々木さんにインタビューしました。保育紹介事業部で営業として活躍しながら、最速で成果を出し続ける彼女の原動力と、その裏にあった学生時代の濃密な経験について、詳しく聞いてみました。
このインタビューのハイライトをご紹介します
常に高みを目指し、ガムシャラに走り続ける佐々木さんの想いや価値観について、ぜひ最後までお読みください!
私の大学生活は、2020年、まさにコロナ禍の真っ只中に始まりました。入学式もなく、授業はすべてオンライン。サークル活動もほとんど停止している中で、「このまま4年間何もせずに終わってしまうのではないか」という強い焦りがありました。
「何かに所属したい」「何かに熱中したい」
そんな一心で探し当てたのが、全国に2500名ほどのメンバーがいる、大規模な学生団体でした。災害ボランティアを軸に、地域活性化や子供向けのイベントなど、幅広く活動している団体です。
最初は「所属する」ことが目的でしたが、活動にのめり込むうちに、私自身の熱量も上がっていきました。まずは120名規模の支部で代表を任され、最終的には2500人の中から約10名しか選ばれない学生幹部に、選挙を経て選出していただきました。
選挙当日は、実は別のボランティア活動でラオスにいたんです。現地から演説ビデオを送って参加するという、今振り返れば無茶苦茶なスケジュールでしたが(笑)、それほどこの活動に情熱を注いでいました。
それはもう、大人の事務局や理事の方々との折衝ですね。特に、企画を提案する時は本当に苦労しました。学生幹部として、私たちは『新入生歓迎会で、こういう企画をやりたい。そのために、このくらいの予算が欲しい』といった企画書を何日もかけて練り上げ、会議の場で提案するんです。
でも、私たちが『これが一番いいはずだ』と情熱を込めて作った企画書が、会議の場で、ものの10秒くらいで『いや、無理だから』と一蹴されることが何度もあったんです。
『現実味がない』 とか、『その予算で、本当にそれだけの効果が出るの?』『金銭的に難しい』 とか、厳しいフィードバックばかりで。
当時の私は、『なんで私たちの熱意をわかってくれないんだ!』と、ただただ悔しく、反発したこともありました。正直、イライラもしていましたね(笑)
何度も何度も企画書を突き返され、議論を重ねるうちに、私は自分の『致命的な甘さ』に気づいたんです。
当時の私たちは、『自分たちがやりたいこと』を主張するばかりでした。その企画を実行することで、事務局の方々の業務がどれだけ増えるのか。他の支部の活動にどんな影響が出るのか。そして何より、団体の大切なお金を預かることの『責任』を、全く理解していませんでした。
『やりたい』という熱意だけでは、人は動かない。相手の視点に立つこと、独りよがりではない『全体最適』を考えること、そして企画を『詰め切る』こと。
この時に学んだ『詰めの甘さ』への猛省と、『どうすれば相手を動かせるか』という思考こそが、今の私の仕事の土台になっています。今の営業という仕事も、結局は『自分が売りたい』ではなく、『お客様にとって本当に必要なことは何か』を考え抜けるかどうか。あの時の挫折がなければ、今の自分はなかったと思います。
あれほど熱中した学生団体での活動でしたが、就職活動を始めた当初、実は『この業界に行きたい』『これを起業したい』といった明確なビジョンはありませんでした。
ただ、私の中には昔から『自分から見ても、周りから見ても憧れられる女性・存在になりたい』という漠然とした、非常に強い想いがありました。
では、その『憧れられる女性』になるためには、今何をすべきか。
これからの時代、一つの会社でキャリアを終えることは、むしろ考えにくい。そうであるならば、自分のキャリアの『土台』を徹底的に叩き込む、新卒からの最初の3年間が、自分の人生で最も重要な時期になるはずだ、と。
『手厚い研修で守られる3年間』ではなく、『どこへ行っても戦えるスキルを身につける3年間』を過ごしたい。そんな強い覚悟を持って就職活動に臨んでいました。
ありがたいことに、規模の大きな、いわゆる『大手』と呼ばれる企業からも内定をいただいていました。でも、どこか決めきれない自分がいたんです。
そんな時、当社の説明会で社長が放った『3年でどこへ行っても通用する人材を育てる』という言葉が、他のどの会社の言葉よりも、私の胸に突き刺さりました。
『これだ』と。
私が求めていたのは、まさしくこの厳しい環境なのだと確信しました。もし将来、別の道を選んだとしても、『あの会社での3年間があったから今の私がある』と胸を張って言える経験がしたい。
そして何より、会社をゼロから創り上げる『一期生』という、今しかできない貴重な機会も、私の背中を強く押しました。『どこに入っても、結局は自分次第』。それなら、一番エキサイティングな場所で、自分の限界に挑戦してみようと決意しました。
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学生時代の挫折から得た「相手視点」と、「3年で通用する人材になる」という強い覚悟。その二つを胸に、彼女の社会人生活がスタートします。
後編では、入社後に彼女が「ガムシャラに」突き進んで掴んだ「営業成績4位」という実績、その裏にあった「戦略的な」行動、そして新任リーダーとして描く未来への展望に迫ります。
(後編へ続く)