2年間学校で教員をするとしたら、どのような教育活動をするでしょうか?今回インタビューさせて頂いた増永さんは、Teach For Japanの4期フェロー(教師)として3年間公立小学校に勤務しました。学校現場で、子どもたちの選択肢を広げるために行動し、周囲の方々のサポートを受けながらヤングアメリカンズの学校開催・地域開催を実現しました。そんな、子どもたちのためにチャレンジした軌跡をおうかがいしました。
増永純女
赴任期間:2016~2018(第4期フェロー)
赴任先 :福岡県
校種 :小学校赴任(1年目:5年生、2年目:3年生担任)
出身大学:慶応義塾大学 総合政策学部
教員免許:臨時免許
経歴 :リクルート住まいカンパニー→TFJフェロー→エッグフォワード株式会社
趣味 :ダンス、読書、映画鑑賞、散歩
好きな言葉:まずやってみる
子どもたちの「選択肢」を広げるために、ヤングアメリカンズが1つのきっかけになるかもしれない。
そもそもヤングアメリカンズとは、どのような活動ですか?
(ヤングアメリカンズのキャスト)
ヤングアメリカンズ(以下、YA)は、音楽を通じた表現教育ワークショップを世界各地で行っているアメリカの非営利活動団体です。キャストは、厳しいオーデイションに勝ち抜いた、音楽と子どもたちを心から愛する17歳~25歳の若者で構成されています。彼らの活躍を描いたドキュメンタリーフィルムはアカデミー賞も受賞しています。
フェローとして学校現場に赴任してから「自分の力を活かせる」と感じたことを教えてください。
(担任した学級の目標)
1つは、外国語の授業での出来事が印象的です。私は、つたないながらも授業を英語で行っていました。そんなときに、クラスの男の子が私を見て「先生こわい」って言ったんです。
理由を聞いてみると、知っている身近な人が、しかも日本人が英語で話をしてくる経験がなかったので怖さを感じたようなんです。そのときに、この子たちは、このままだと社会に出るまで英語に触れる機会がないのではないか? という危機感を持ちました。
そもそも飯塚市では、英語教育において、オンラインでフィリピンの講師の方とつないで授業をするなど、先進的な取り組みを行っていました。グローバル化が進んでいる社会の中で、将来生きていく力を身につけるには、私も一人の教員として自ら積極的に英語教育に関わっていく必要があると思ったんです。
もう1つは、選択肢を広げることです。首都圏などの都市部に比べると、習い事が限られていると感じました。それに、家庭の事情で習い事ができない子も多くいることや、学校の行事が毎年同じルーティーンの中でやっているものが多いと知りました。
なぜヤングアメリカンズを届けたいと思ったのはなぜですか?
(ヤングアメリカンズのショー風景)
私は、大学2年生の時から在学中3年間YAをずっと研究していました。だから、YAの活動が良いものだとは思っていたけれど、学校に赴任する前の研修段階では、「(YAを)絶対呼ぶぞ!」という意識ではありませんでした。
でも、学校に赴任して子どもたちの現状を知ることで、YAを経験してもらうことが、子どもたちの「選択肢」を広げるきっかけになるのではないか? と思うようになったんです。だから、最初に担任した「5年2組のみんなに届けたい!」という想いが、支えになっていました。
あともう1つは、職員室の先生方にも、YAのような活動があると知ってほしかったんです。学校現場は、やることが本当に多くて、新しいことを取り入れようとすると「仕事が増える」という認識になってしまいがちです。でも、子どもたちに経験してもらう意味があるものは取り入れていく方がいいと思いましたし、先生方も子どもたちにとって価値のある活動には積極的だと思ったんです。
「すごいよかったよ!」「でもまだ早い」と言われて。
「ヤングアメリカンズを届ける!」と決断するまでの経緯を教えてください。
(Teach For Japanのフェローとヤングアメリカンズに参加して)
「5年2組のみんなに届けたい!」という気持ちは、学校に赴任した1年目の1学期には思っていたことです。でも、私一人が「届けたい!」と思っていてもできるわけではないので、教育長をはじめ、勤務していた学校の校長先生や教頭先生、私に関わってくださる方々に自分の想いを伝えるようにしていました。
先生になって1年目の6月に、北九州でYAのワークショップが開催されることになり、私はボランティアスタッフとして参加することにしました。
幸いなことに、私が勤務していた学校の末永教頭先生が、当時の教育長(現市長)に声をかけて北九州までYAのワークショップを見に来て下さったんです。私が赴任した当初から、末永教頭先生は「Teach For Japan(以下、TFJ)のフェローは、自分のビジョンを叶えられた方がいい」と背中を押してくださっていました。
YAのショーをご覧になった教育長の第一声は、「すごいよかったよ!増永さんがやりたい気持ちよくわかる」と受け止めてくださると同時に、「でも私たちの地域にはまだ早い」という現実的なものでした。
北九州でのワークショップは、子どもの参加人数が300人、観客を含めると1,000人規模。また、参加費は一人1万8千円……。YAが認知されていない地域で初めて開催していくには、簡単に出せる金額でないことを感じていました。なので、私もハードルが高いと思いました。
でも、「子どもの可能性をお金で決めつけるのは嫌だ!」と思ったんです。だから無理じゃない。根拠はありませんが……。どんな子でも分け隔てなく参加することができる公立学校で開催したいという気持ちがますます強くなっていきました。
ただ、そんな想いとは裏腹に、1年目の2学期からは、自分の教員としての力不足が原因で、具体的に動くことはできませんでした。
学校開催のきっかけは、3.11で被災した学校を回った経験。
なるほど。。すんなり開催するというわけにはいかなかったんですね。
このまま開催に至るまでのお話を聞きたいところですが、その前に……学校開催をしようと思ったアイデアはどこから生まれたのですか?
(東日本大震災の被災地にて)
そもそも、YAに本格的に関わろうと思ったのは、3.11がきっかけでした。被災した地域の学校に、YAが無償でワークショップをする活動に参加したんです。実際にやるまでには、様々な壁がありましたが、やってみると大きな変化がありました。
当時の被災した学校は、保健室に通いつめる子、不登校になる子など、子どもたちは家族や友達が突然亡くなる経験をして、精神的に傷ついていました。傷ついていても大人に気を遣って言えない子どもたちのつらい心があったんだと思います。
そんな子どもたちが、YAのワークショップで、英語の曲を友達と手を取り合って歌いながら、わんわん泣いている姿を目の当たりにしたんです。ダンスや歌を通して、我慢しているものを表現することができたんだと思います。
学校開催するということは、自分からお金を払って求めにくる子だけではなく、自分が表現したいことに気付いていない子に届けることができる。誰かを選別しているわけではないんです。なので、学校開催は大学生の頃からすごく印象に残っていましたし、私のいる地域でYAを開催するには有効な方法だと思いました。
具体的に、学校開催することの意味は何だと思いますか?
(学級の子どもたち)
学校開催をする意味は、大きく3つあると思います。1つ目は、先生も一緒に全力で自己表現することです。先生が、いつもと違うことをやって戸惑ったり、失敗したり、感情表現したりする姿を見て、子どもが変わっていきます。
また2つ目は、クラス全員で受けられることです。教室の中では知ることができなかった一面を知ることができます。
そして3つ目は、自分からお金を払って参加するのではなく、誰しもが無料で分け隔てなく参加できることです。これは、教育は平等であるべきという信念に基づいています。
さらに、YAのスタッフが、子どもを信じぬく姿を先生に見てほしいというのもありました。できたかできないかではなくて、やったという事実をめちゃくちゃ評価してくれる。すべての行動をリスペクトしてくれるが、YAのメソッドです。
実は、これは自分に言い聞かせている部分があります。先生になってから、自分の中で子どもをできる、できないで評価してしまっているというジレンマがありました。自分が大事にしていたことができない、やれない……。そして、それは環境のせいではなく、自分のせいだということもわかっていました。
自分が一番悩んでいたからこそ、学校開催することで、周囲の先生方にも教育に対する価値観や子どものためにできることを一緒に考え、取り組んでいくきっかけにしたかったんです。
第二部では、YAの学校開催に向けて動き出していく様子をご紹介します。
https://teachforjapan.org/entry/interview/2020/06/20/29-2/