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「この先どうする?」人生の逆境に立たされた私を2度も助けてくれたのは、ニジボックスだった。

ニジボックスには、面白い経歴を持っている人や、自分だけの哲学やスタイルを持っている人など、個性あふれるメンバーがいっぱい。そんなメンバーの人としての魅力、仕事や働き方への想いなどにフォーカスしたインタビュー企画!今回ご紹介するのは、ディレクター職とUXデザイナー職を兼任し活躍する上野由夏子さんです。

2011年、ニジボックスの新卒1期生として入社するものの一度はニジボックスを離れたことのある上野さん。なぜ、再びニジボックスに戻ってきたのか。その辺りを中心にお聞きしました!

院生2年の2月、内定なし。絶体絶命の状況で出会ったニジボックス

——上野さんがニジボックスに最初に入社したのは、2011年とお聞きしています。ニジボックスとの出会いについて教えてください。

ニジボックスのことを知ったのは、2011年の2月のことです。その年の4月に向けて就活をしていたんですが、就職氷河期で私は全然就職が決まらなくて…。当時在籍していた大阪の大学院ではフランス文学を学んでいて、指導教授に「文系の院生は就職が厳しいから、教員免許を取っておいた方がいい。取るにしても、フランス語の教員は数が限られているから、英語を取っておいた方がいいよ」と言われていたので、英語の教員免許は持っていました。なので、就職できなかったら地元の北九州市に帰って学校の先生にでもなろうかな、とか考えていた頃ですね。

——英語の教員資格を持った大学院生が、なぜニジボックスに…?

英語の教員免許を取ったのは、先ほどもお話ししたように、リスクヘッジのためです。なので、教員になりたいという気持ちは、あまり強くありませんでした。もともとは洋服が好きだったので、アパレル関係の繊維商社で働きたいと思っていたんです。商社なら、フランス語も使えるかもしれないなあと思ったので。

——でも、最終的には繊維商社は選ばなかったということですね。

商社というものは当時、男の人が生きていく世界という雰囲気が少なからずあって「10年経って、やっと一人前になれる」と言われていたんです。それを聞いた私は当時、院生だったので「34歳くらいになって、やっと一人前になるのかあ」と考え込んでしまいました。大学卒業後にそのまま就職した友だちよりも2年遅れを取っている分、余計に考えさせられましたね。



そんな時に、友だちに相談してみたら「ネットとかいじるの好きだから、IT系とかもいいんじゃない?」と言われて、思いつきで大手のIT系の会社のインターンに行ってみたんです。そうしたら「勤務年数に関わらず、すぐにでも1人前になってほしい」という考えを持っていることを聞かされて、衝撃を受けました。その時話をした女性の先輩社員も、「自分の裁量で仕事をできるから楽しいよ」と言っていて、IT系やWEBの業界でなら男性女性関係なく活躍できそうだなと思いました。

——それで、WEB業界の仕事に興味を持ったということですね。

はい。でも、ニジボックスを知ったのは、就活もラストスパートだった2011年の2月。その頃に他の説明会へ行っても、楽しそうと思える企業の募集はほとんど終わっていて、どこもそんなにピンとこなかったんです。なのでニジボックスにも、説明会に実際に行くまでは正直あまり期待してはいませんでした。当時、周りの就活生たちもそうだったかもしれませんが、特に私はこの世の終わりだ、みたいな気持ちで(笑)。

——そんな中、ニジボックスの説明会は違ったと…?

違いましたね。説明会の中で「新しいサービスを考えよう」といったワークショップをやったんですが、先輩社員が丁寧にフィードバックしてくれて、ロジカルに考えているかとかをきちんと見てくれて、すごく楽しかった。活気ある雰囲気があって、就活を始めた当初のような感じが良かったですね。

就職活動ももう最終段階というような時期に、ニジボックスに出会えたことは本当にうれしかったです。心から楽しそうと思えるような会社がまだ残っていたなんて、と救われた気持ちになったのを覚えています。多分、就活を始めて最初の時期に出会っていたとしても、ニジボックスが間違いなく第1志望になっていたと思います。


地元に戻った20代後半。人生を見つめ直し、ふたたびニジボックスへ

——ニジボックスに入社後、2年目で退職されていますが、その辺りのお話も教えてください。

最初はWEB制作の部署の営業に配属されたんですが、その後、当時のニジボックスのメイン事業だったソーシャルゲームの部署に配属されたんです。上司はよかれと思ってやってくれたことだったと思うんですけど、私、それまでほとんどゲームをやったことがなくて…(笑)。そんな人間が、ゲームの仕事に携わっていていいんだろうかと。そのことを私も言えばよかったんですが、当時はちゃんと相談できなかったんです。さらにその頃、体調も崩してしまって。それで1度実家の北九州市に帰って、いろいろと考え直そうかなあという感じでした。

——ご実家に帰られた当時のことを、教えてもらえますか?

実家に帰ってからは、何をやりたいのかもわからず、自分が楽な方、楽な方にばかり逃げていました。地元なので、親の紹介で意外と仕事はあって、役所の嘱託職員をやったり、地元の企業の広報室で働いたり。あとは、派遣社員をやっていた時期もありました。派遣をしながら将来のことを考えようと思っていたんですが、安定してお給料がもらえるので、逆にまた深く将来のことを考えなくなってしまって…。このまま行ったら何も目的もなく働いて、歳だけとっていく。そこに対する不安や焦りはあるものの、時だけが過ぎて行ってしまって、今考えると20代後半は本当に暗黒時代でした。

——その後、2014年にニジボックスへ帰ってくることになったきっかけは、なんでしたか?

ニジボックスの同期の子が「ディレクター職を募集しているんだけど、東京に戻ってこない?」と声をかけてくれたことが、きっかけでした。当時、地元でなんの目的もなくいくつも職場を転々として働いていた私は、なんだかんだWEBの仕事が楽しかったし、ニジボックスの人たちと働いた時が一番楽しかったなあと考え始めていたんです。なので声をかけてもらった時は、本当にうれしかった。「私、本当に戻っていいの…?」という感じでしたね。


仲間がいるから、私がいる。これから先も一緒に成長していきたい

——カムバック後、WEBディレクター兼UXデザイナーとして活躍する上野さん。仕事をする上で、大切にしていることや心がけていることは何ですか?

ディレクターになったばかりの頃に、制作メンバーに無理を強いてしまったことがあって…。その時、先輩ディレクターに「ディレクターは自分で何かを作り出す人間ではなくて、みんなに制作してもらう立場。自分の持つ案件のスケジュールを守りたい気持ちはわかるけど、制作メンバーは他の案件も並行して持っている人ばかり。だから、このディレクターはいつも無茶を強いるなと思われるよりも、このディレクターのためなら頑張ろうと思われるような存在にならないとだめだよ」と言われたんです。

その時の言葉は、自分が働く上での行動指針になっているし、メンバーの子たちにも持ってもらいたい考えだなと思っています。なので常日頃から「この人のためなら、頑張ってあげよう」と思ってもらえるような存在になろう、と心がけていますね。

——そんな仕事熱心な上野さん。仕事上で喜びを感じる瞬間はどんな時ですか?

クライアントや社内のメンバーに「上野さんにやってもらってよかった」と言ってもらえた時です。私は文系出身で実際の制作はできないし、ディレクターといっても、周りの人に助けてもらわないと何もできない。他の人よりも制作案件をプレイヤーとして経験する期間が短かったし、ニジボックスには2度も救われているので、自分の介在価値があったんだと思える瞬間は嬉しい、というよりも安心感に近い気持ちかもしれません。

——最後に、上野さんの今後の目標を教えてください。

私はそんなに志が高い人間ではないですが、この先一生、仕事を続けていきたいと思っています。なので、どんな時でもちゃんと時代の流れに敏感に対応できる人間でいたい。後輩たちはみんな新しい情報や技術に敏感で、よく勉強しています。私も「若い子はすごいね」とか「自分たちの時代はこうだった」というふうに頭を固くするのではなくて、時代の変化に柔軟に対応しながら、ニジボックスのメンバーと一緒に成長できたらいいなと思っています。


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