こんにちは、inaho広報担当です。
今回は、inahoの菱木代表のインタビュー記事をお届けします。
調理師、不動産コンサルタント、プロデューサー。ユニークな経歴を持つのがinaho株式会社の菱木代表です。紆余曲折を経た果てに菱木代表がたどり着いたのは、AI✕ロボティクス✕農学で農業の未来をつくるアグリテックの世界でした。
創業から9年。業界の注目を集める同社はいま、プロダクト開発中心のフェーズから農業生産システム全体の変革を目指す「第2創業期」へと舵を切ります。菱木代表の原動力、そしてinahoがテクノロジーを通じて実現しようとする未来の姿に迫ります。
目次
偶然の出会いが導いた、農業という天職
ゼロからの挑戦と「売らない」という逆転の発想
なぜ今「第2創業期」なのか? 20年先を見据えたパラダイムシフト
人が「生きるコスト」を下げる。テクノロジーで実現する未来と現在の課題
加速度を上げ、未来へ。どんな仲間と、どんな景色を見たいか
偶然の出会いが導いた、農業という天職
――菱木さんのこれまでのキャリアは非常にユニークですが、どのような経緯でinahoの創業に至ったのでしょうか。
人に喜んでもらうことの嬉しさに目覚めたのが、19歳で留学していた時でした。年上の友人たちに手料理を振る舞ったら、すごく喜んでくれて。それが原体験となり、帰国後に大学を辞めて調理師専門学校に進みました。
ただ、学校に通いながら実際に有名ホテルで働いてみると、思った以上に定型的な業務が多いことに気づきます。これは自分には向いていない、とその時点で痛感したんですね。そこから学校の友人が「儲かるらしい」と教えてくれた不動産コンサルティングの道に進み、数年の経験を積んだ後に独立しました。その後、仲間と株式会社omoroを立ち上げ、音楽フェスの企画やWebサービス開発など、実にさまざまな事業を手がけました。
転機となったのは、ITジャーナリストの湯川鶴章さんが主宰する「湯川塾」との出会いです。ひょんなことから湯川さんとご縁をいただき、塾生ではなく運営側のスタッフとして関わる中で、東京大学の松尾豊先生をはじめとする第一人者の方々からAIの可能性について学ぶ機会を得ました。そこで「AIは必ず来る」と確信し、本格的に勉強を始めたんです。
inahoを起業するきっかけは、本当に偶然の出会いの連続です。まず、同じく鎌倉にオフィスを構える面白法人カヤックの柳澤代表とつながりができます。あるイベントで勇気を振り絞って声をかけたんですけど(笑)。すると鎌倉の地域活動で「カマコン」をやっているから来いよ、と誘ってくださいました。
そのカマコンで出会った農家の方に、たまたま前日に湯川塾で見たレタスを自動で間引くロボットの話をしたんです。すると「レタスじゃなくて、うちの雑草を取ってくれ」と言われまして。実際に畑で雑草取りを体験してみると、これが想像を絶する大変さでした。そこでAIの画像認識で雑草と野菜を見分けて、それを除去するというのは事業としてアリじゃないか、とひらめいたんです。
当時、毎日3つの事業アイデアを考えることを日課にしていたんですが、どうもピンとくるものがありませんでした。でもこのAIと農作業をつなぐプランはすごくしっくりきたんですね。
社会的な意義があること、誰もできていないこと、そしてビジネスとして成長が見込めること。この3つの軸で考えても、まさにこれだと。東日本大震災後に復興支援のフェスを企画した経験から、社会的に意義のあることは多くの人に応援してもらえて、一人では乗り越えられない壁も越えられると知っていたことも私の背中を押してくれました。
その後、福岡で「カマコン」の派生イベントを手伝った際に今度はアスパラガス農家の方と出会い、雑草を取るロボットの構想を話すと「うちのアスパラを収穫してくれ」と頼まれました。そこで「アスパラの収穫が課題なんだな」と現在のプロダクトにつながるわけです。
このようにinahoの事業は主体的に動いて生まれたというよりは、本当に人と人との出会いに導かれてたどり着いたといえるでしょう。
ゼロからの挑戦と「売らない」という逆転の発想
――創業から9年が経ち、事業や市場でのポジションも大きく変化したのではないでしょうか。
創業当時はお金も、人も、物も何もない状態でした。そこから比べるとやれることの幅は格段に広がりましたし、業界内での認知度も高まりました。
現在開発しているトマトの収穫ロボットなどは、グローバルで見てもトップを狙えるポジションにいるという手応えがあり、創業時に思い描いていた未来が現実味を帯びてきたと感じています。
もちろん道のりは平坦ではありませんでした。最初のロボット開発では技術もリソースもなかったため、大学との共同研究から始めました。しかし採用していた空気圧式のロボットは消費電力が大きく、実用化が難しいことが判明します。まさに途方に暮れていた時、数ヶ月前に入社したばかりのメンバーが独自にモーターで動くロボットを裏で開発してくれていたんです。それが突破口になりました。
事業の根幹であるAIの画像認識モデル開発でも奇跡のような出来事がありました。数百万円を投じて外部のメーカーに開発を依頼したのですが「できる」と言われていたにもかかわらず、結局完成しませんでした。
その一方で同時期に採用した、当時「道の駅」でアルバイトをしていた一風変わった経歴のエンジニアに数十万円で開発を依頼したところ、見事に成功させたのです。その彼が、当社の社員第一号として今も活躍してくれています。本当に、運と縁に恵まれてきました。
事業モデルも試行錯誤の末に確立しました。当初は開発したロボットを1台ずつ販売する「売り切りモデル」を想定していました。しかし投資家からは「本当に最終製品として販売できるのか」という疑問を、農家の方からは「10年以上安定して動くものを作れるのか」という厳しいご指摘をいただくことに。
これらの課題をどうすれば解決できるか考えあぐねていた時に、ふと「そもそも売らなければいいのではないか」と閃いたのです。
それが現在のRaaS(Robotics as a Service)モデル、つまりサブスクリプション型のレンタルモデルの始まりです。このモデルなら、農家の方は初期投資を抑えられますし、私たちは常に最新のソフトウェアやハードウェアにアップデートして性能を高め続けることができます。
性能が向上すればその分レンタル料金を上げることも可能で、双方にとってWin-Winの関係を築ける。多くの課題を解決する最適な答えは、これまた偶然にも散歩中に閃いたものでした。
なぜ今「第2創業期」なのか? 20年先を見据えたパラダイムシフト
――現在を「第2創業期」と位置づけられているそうですが、その背景についてお聞かせください。
理由は大きく2つあります。1つは「時間軸の変化」、もう1つは「事業の捉え方の変化」です。
創業期はスタートアップによくあるJカーブのような急成長を意識し、比較的短期的な視点で事業計画を立てていました。しかし農業という領域に深く関わるにつれて、この産業は5年や10年でどうにかなるものではない、ということを痛感しました。
たとえば現在ある研究機関と共同で、ロボットが収穫しやすいような品種開発を進めています。人が作物の方をテクノロジーに合わせるというアプローチですが、実用化して広く販売できるようになるまでには12年という歳月がかかります。こうした経験から自然と20年、30年、あるいはそれ以上先を見据えて事業を展開する必要性を感じるようになりました。短期的な視点で一喜一憂しても意味がないのです。
もう1つの「事業の捉え方の変化」は、これまでのような単一のプロダクト開発による「部分最適」から、農業生産というシステム全体の「全体最適」を目指すようになった点です。アスパラやトマトの収穫ロボットを開発するという視点だけでなく「農業の生産システム自体をどうすればアップデートできるか」という、より大きな視座で物事を考えるようになりました。
そのためロボット開発だけでなく、これまで取得できなかったデータを取るための新しいセンサー開発や、私たち自身が生産者となる農業事業にも踏み込んでいます。大手農機メーカーが生産まで手がけることはありませんが、私たちはそこにも挑戦することで生産システム全体を変革しようとしています。
このように見据える時間軸と事業のスコープが大きく変わったことで、当然必要となる人材も資金も格段に増えました。しかしこれこそが私たちがやるべきことだと腹落ちしていますし、この壮大な挑戦を可能にしてくれる優秀な人材も集まりはじめています。だからこそいまがまさに「第2創業期」であり、非常に面白いフェーズにあると感じています。
人が「生きるコスト」を下げる。テクノロジーで実現する未来と現在の課題
――事業フェーズが大きく変化する中で、現在ワクワクしていること、そして課題に感じていることは何でしょうか。また、その先にどのような世界の実現を目指していますか。
一番のやりがいであり、手応えを感じているのは、やはりお客様である農家さんの反応が大きく変わってきたことです。
以前は「製品が完成したら試してみたい」という声が多かった収穫ロボットも、いまでは「ぜひ積極的に使ってみたい」と言っていただけるようになりました。運搬用の台車ロボットは、現場の作業員の方々の間で「楽だから」と取り合いになるほど好評で、追加オーダーもいただいています。自分たちの作っているものが、現場で確かに価値を生んでいると実感できるのは、何よりうれしいですね。
一方で新たな課題も見えています。先ほどお話しした「農業生産システムの変革」を実現するためには、これまで以上に多くの農家さんや関係者を巻き込み、協力体制を築いていく必要があります。私たちが開発している新しいセンサーでデータをたくさん集め、生産性を向上させるという壮大な構想も、協力なくしては絵に描いた餅で終わってしまいます。これまでとは全く異なる、新しいゲームの攻略法を模索している段階であり、ここが次の大きな勝負どころだと認識しています。
私たちがテクノロジーを通じて最終的に実現したいのは「人が生きるコストを減少させる」ことです。ある調査では、日本の農業経営体の数は2020年から30年間で84%も減少すると予測されています。作り手が激減すれば、当然、食料の価格は高騰します。衣食住のうち衣服や住居は安価な選択肢が増えていますが「食」だけはこれから獲得コストが上がり続ける未来がほぼ確定しているのです。
食べるために必死にならなければいけない社会では、人々は本当にやりたいことに挑戦できません。特に今の若い世代は社会的に意義のある活動をしたいという意欲が高いと感じますが、それが収益に結びつきにくいために断念せざるを得ないケースも多いでしょう。
私たちがロボット開発や自社での野菜生産、あるいは農機具メーカーのAI化支援などを通じて「食」の生産コストを下げることができれば、人々が生きるためのコストも下がり、もっと自由に、創造的に生きられる社会が実現できるはずです。私たちの事業はその未来に直接貢献できると信じています。
加速度を上げ、未来へ。どんな仲間と、どんな景色を見たいか
――壮大なビジョンを実現するために、inahoをどのような組織にしていきたいですか。また、どのような方と一緒に働きたいと考えていますか。
私たちが目指している未来の実現は非常にハードルが高いものです。そこにたどり着くためには組織として常に勢いを持っていることが不可欠だと考えています。
単なる「速度」ではなく、成長の角度を高める「加速度」をいかに上げていくか。そのために社内に「モメンタム委員会」というユニークなチームを作り、称賛の文化を醸成する取り組みを始めました。Slackで「いいね!」「推せる!」と感じた投稿にスタンプを押すといったシンプルな活動ですが、はじめてからスタンプの数が3倍に増え、組織全体のポジティブな空気作りに繋がっています。
もちろん諦めない粘り強さも重要ですが、時には事業の方向転換を見極める判断力も必要です。過去には最初に開発したアスパラ収穫ロボットを「このままでは無理だ」と一度諦めた苦い経験もあります。いま思えばもっと早く判断できたという反省もありますが、そうした失敗から学んだことで、今は事業の成否を判断するための物差しが社内にでき、より的確な意思決定ができるようになりました。
これから仲間になっていただく方には職種を問わず、私たちの事業領域のどこかに「本当に好きだ」と思えるポイントを見つけてほしいです。それはロボットでも、農業でも、あるいは私たちが目指す社会の姿でも構いません。その強い思いこそが、困難な課題を乗り越える原動力になると信じています。特にエンジニアは、誰もやったことのない、答えのない課題に取り組むことになります。その探求のプロセスを粘り強く楽しめる方に来ていただきたいですね。
inahoで働くことの最大の魅力は、予測不能な未来にグローバルなスケールで挑戦できることだと思います。例えばトマト収穫ロボットの分野では、私たちはすでに世界のトップ3に入るポジションにいます。この会社が今後どうなっていくのか、ワクワクしませんか?
20年、30年後に自分のキャリアを振り返った時「この仕事に自分の時間を使えて本当に良かった」と心から思える。私たちは、そんな経験を提供できる会社だと自負しています。社会にとって「絶対に必要だ」と断言できるこの事業に少しでも共感していただけるなら、ぜひ一緒にこの壮大な挑戦を楽しみましょう。
――ありがとうございました!
【Profile】
菱木 豊
inaho株式会社 代表取締役CEO
1983年生まれ。鎌倉育ち。大学在学中にサンフランシスコに留学し、帰国後中退。東京調理師専門学校に転学し、卒業後に不動産投資コンサルタント会社に入社。4年後に独立し、不動産投資コンサルの仕事をしながら、2014年に株式会社omoroを設立。音楽フェスの開催、不動産系Webサービスを開発運営後に事業売却し、2017年に解散。2014年に人工知能の学習を開始し、地元鎌倉の農家との出会いから、農業AIロボットの開発を着想。全国の農家を回りニーズ調査を進め、2017年1月にinaho株式会社を設立。鎌倉を拠点に、世界初のアスパラガスやキュウリ等を汎用的に収穫できるロボットを開発。収穫ロボットを軸として、一次産業全般のAIロボティクス化を進めている。Forbes誌の「アウトサイダー経済」特集にて、Agriculture4.0の旗手となるアウトサイダーとして紹介される。