明石 優花(Akashi Yuka)
1999年生まれ。北海道出身。高校卒業後に教育を勉強するため渡米し、準学士号を取得。新入生のお世話や留学生向けイベントの企画運営などに携わる。卒業後の1年間はアメリカでの就労が許可されており、保育園、ベビーシッター、日本語補習校などの教育機関でのお仕事や、領事館でのインターンを経験。2021年2月に帰国し4月にFoundingBaseにジョイン。岡山県吉備中央町にて町営塾kii+のスタッフとして、町と教育に全力を注ぐ。
幼少期〜大学生くらいまでの話
小学校低〜中学年の頃、担任の先生は大好きだったのですが、一方で「意見箱作ってくれたらいいのに」「こうやって質問してくれたらいいのに」などと思うことが度々ありました。
大人しい性格だったのでそれを意見として言う勇気はなかったものの、それを気っかけに小3の頃には小学校の先生になりたいと決心しており、そしてその夢は今でも変わっていません。
また、小さい頃からマイペースで几帳面で、そのこだわりは図工で授業内に完成できず毎回居残りするくらいでした。好奇心旺盛なのもあり、小学校高学年には「時間が足りない」といつも思っていました。
中学では人好きが裏目に出て軽く仲間外れにされた経験から自分に自信がなくなり、周りの目を常に気にするように。
しかし、そんなわたしにも輝ける場所はありました。生徒会執行部やそろばん教室などでは自分の努力を評価してもらえる、他人に認めてもらえる喜びがありました。
高校は市内の進学校へ進学。小学生の頃からの夢だった小学校教員になるため当初は教育大学を目指していましたが、いつからか「教育」というもの自体に興味を持つようになり、国内の国公立大学を目指します。
そして受験直前、合格の兆しが見えない中、海外大学進学という選択肢を知ります。国公立大学に受からなければ渡米するという約束で受験し、結果は不合格。周りが道内・国内の国公立大学を目指す中、わたしは海外大学へ進学することになりました。
子どもたちの触れられる世界を広げる
アメリカという日本と全く違う環境の中に住んでみて、日本の公教育で求められる「同一性」や「選択肢のなさ」が自分の子どもの頃の「(無意識的な)居心地の悪さ」に大きく影響していたのではと思うようになりました。わたしは運良く海外へ進学するという選択肢を持つことができ、そして”素の自分”を知ることができました。
しかし、そんな選択肢があることも知らず、自分のやりたいこともわからず、ただ周囲の流れに乗ることを期待されモヤモヤしている子がいるかもしれない。そういう子を助けてあげたい、もっと広い世界を見せてあげたい、せめて寄り添ってあげたい。それがアメリカでの生活を経験した自分が生み出せる価値だと思っていました。
そんな時、FoundingBaseを通して「町営塾」というものを知りました。
公教育にはさまざまな制限や規定があるにしても、外から刺激を与えることで子どもたちの前に敷くレールを増やしたり、子どもたちの触れられる世界を広げることはできます。
それに、FoundingBaseでは、公教育ではそう簡単に実現できない「自分で意思決定する場」を一人一人の生徒に丁寧に与えています。
この公教育と私教育の間、そして学校と行政と地域の間という特別な立ち位置から、子どもたちにより多くの世界を見て、選択肢を持って、自分の道を決定していって欲しいなと思い、FoundingBaseへ参画する決断をしました。
実際にFoundingBaseで働いてみて、すごく実感することがあります。それは、わたしたちが子ども一人一人に向き合うのはもちろん、メンバー同士もしっかりと向き合っていること。お互いをよく見つめ、正面向き合って対話し、教育の前に妥協せず、成長し合っていける環境。
これが仕事なんて、最高の職場だなと思っています!
自分が輝ける場所が世界のどこかにあるかもしれない
自分の「留学」は、アメリカで学んだことを日本の教育現場で活かしてやっと完結すると思っています。自分が中高の頃に持っていた感覚は、日本にいる子どもの多くが感じている可能性は十分にあります。今違和を感じていないにしても、他の世界を知ることで、もしかしたら自分がもっと楽しく過ごせたり生きやすい場所を見つけたりできるかもしれない。
わたしが言っている”世界”は、単に他の国という意味ではなく、勉強する分野だったり関わる人やコミュニティーなどです。それが自分はたまたまアメリカにあったというだけ。
自分が輝ける場所が世界のどこかにあるかもしれないのに知らないのは、もったいなくないですか?
わたしは自分の経験を通して子どもたちに、今見ている世界が全てではないこと、外に出てみる(=挑戦してみる)こと、新たな価値観の中に自分の行きたい場所があるかもしれないことを伝えたいと思っています。