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「生きる=活きる」人を増やすということ – 社長ブログ

本Blog(ストーリー)は2019年9月に代表の小川が社内Blogで書いた内容を転載しています。

「生きる=活きる」人を増やすということ

※このブログはEXIDEA社長小川のブログで一般公開はしていますが、EXIDEAで働くメンバーと、ジョインを検討してくれている人を対象とした私の独り言みたいなものなので、乱筆乱文であることをご了承ください。

ここ1週間アメリカに来ていて、改めて、何のために会社をやっているのかを考える機会があったので、今日はそのことについて触れていきたいと思う。

いつもながらの殴り書きであることはご容赦願いたい。

さて、何のために会社をやっているのか?ということについて、EXIDEAもミッション、ビジョンは明文化しているが、しかし、書かれているのは手段とゴールのみで、その目的については明文化は特にされていない。

そこを少し突っ込んで、なぜその手段である必要があるのか? なぜそのゴールである必要があるのか?を考えてみた。

今更だけど、今だから考えられることもあると思っているので良い機会だ。

企業の目的という分野で世界的な権威と言えば、ジム・ステンゲル氏だ。氏の言うパーパスという概念がある。正にこのことだ。

会社は常に競争に晒されているので、その競争に勝つことさえ決めていれば運営はできてしまうものだ。ただ、手段とゴールが決まっていれば、働く皆んなに取って分かりやすいし、するべきこと、してはいけないことも決まってくるから経営理念やミッション、ビジョンを置くのは意義が大きい。

そこに、更に目的まで踏まえた明文化があって、その目的が人、世界に貢献するものであれば、自分たちだけでなく、クライアントや提携パートナーや、自分たちとは関係ない人たちにまで、そのエンロールメントが及ぶので、パーパスを持つことは企業の戦略上も有効なのだというのが、ジム・ステンゲル氏の主張だとおれは認識している。

今日は、このことを掘り下げた話だ。

経営理念、ミッション、ビジョン

これを考える上で、まずは、経営理念、ミッション、ビジョンについて触れたい。

EXIDEAは元々、経営理念とミッションの2つを置いてスタートした会社だ。

日本の企業は古くから経営理念を持っている。経営をする上で譲れない考え方、ポリシー、指針のことだ。

最近では、この経営理念を置かず、欧米流にMVVという置き方をする会社が日本でも増えた。MVVはミッション、ビジョン、バリューの頭文字だ。バリューはコアバリューとも言うが、これが日本企業で言うところの経営理念に近い。

経営理念もコアバリューも両方とも、自分たちの在り方を示したものである。それで言うと、日本企業はまずは在り方を重視してきたと言えるし、欧米の企業は、使命が先で、それに向かう中間地点の青写真としてビジョンを置き、そこに向かうための自分たちの在り方としてコアバリューを置いているということだ。

EXIDEAの理念は、様々な変遷はあったものの、現在はMVVという形をしている。しかし、ここ最近は、経営理念を再度、ミッションよりも高いところに置こうかと考えている。

元々の経営理念は、「お互いに尊敬でき、信頼できる家族であれ」

特に、細かい明文化はされていなかったが、まずは実際の家族を大事にし、友人・仲間を家族同様に大切にし、クライアントとユーザーを幸せにする仕事をしていく。そして、いつでも最高の自分を周囲にシェアして、勇気を与えていく。という内容である。

今は、この考え方はコアバリューに含まれている。これを使命よりも上段に持っていきたいのは、EXIDEAという会社にとって、100年経った時にミッションは変わっていることはあり得るのだが、コアバリューは変わっていないからだ。会社として、より普遍的な魂、信念はEXIDEAの場合は、コアバリューの方にある。

うちのコアバリューは上記の「お互いに尊敬でき、信頼できる家族であれ」という考え方を中心に、THE SHAREという8つの頭文字を取って、感謝すること、幸せを感じること、楽しいと思うこと、誠実に、謙虚に、利他的に、責任感を持って、情熱を持って、という8つを置いている。うちの皆んなは知っての通り、これを人生で大事にしていきたいという人以外は入社できない仕組みになっている。

これを皆んなが大事にしているので、極論、明日からドーナツ屋になると言ってもEXIDEAがEXIDEAであることに変わりはない。

ただし、EXIDEAがEXIDEAであるために、事業選定上は、一つ重要なことがある。それが何かというと、人を、企業を、世界をエンパワーメントできるかどうかということである。

ドーナツ屋にもなれるのだけど、やるなら世界で一番健康を追求したドーナツ屋になる。偏見かもしれないが、甘いものは肥満や健康上の問題を起こしやすい。おれも甘いものが好きなので気を付けている。

もし健康を害するものだったら、それはエンパワーメントにならない。それは世界で一番儲かるドーナツ屋を作るよりもおれらにとって大事なことだ。

ちなみにエンパワーメントというのは、簡単に言えば、人や企業に、精神面では前進する勇気を与え、技術面では自立自走できる力を与えていく、この両方が合わさったような概念である。

EXIDEAのミッションとビジョンは、中心にはエンパワーメントがあって成り立っている。

ミッションは「卓越したマーケティングとイノベーションにより、世界を本物のボーダレスに」で、それは世界をエンパワーメントするためだし、

ビジョンは「世界的なマーケティングプラットフォームを創る」で、これも世界をエンパワーメントをするためだ。

会社の目的をあえて言うなら、これが目的である。

その意味では、うちにとってエンパワーメントという目的は、経営理念と同格以上の重要性を持っているということになる。

元々、なぜそのミッションを立てたのか?

2013年、EXIDEAを立ち上げた当時のことを思い出して見ると、多くの日本が海外に進出しない勿体なさを感じていた。それは憤りに近かった。

それは企業も人も同じで、良いものを持っているのに、まるで世界を広げていこうという思考がないように思えたこと。

今、EXIDEA自体もまだまだ世界へは挑戦の最中ではあるものの、うちよりも遥かに大きな価値を持っている会社たちが、その価値を世界に届けようとしていないことに疑問を感じた。

その価値が届けば、世界に大きく貢献していけるのに、自分たちのコンフォートゾーンを守るために、世界のどこかにいる本当は幸せになれるはずの誰かの幸せを放棄しているように思えた。

日本企業のエンパワーメントはもちろんしたかったのだが、世界に数多くいる食べられない人、明日生きられるかどうか分からない人たちをエンパワーメントしたいという気持ちも強かったことを今でもよく覚えている。

急速冷凍機の海外展開

うちが創業の早い時期から行なっているのが、急速冷凍機の海外展開。

なぜ、それを始めたのかというと、急速冷凍機の販売をするパートナー企業を助けたいというのもあったが、急速冷凍機というプロダクトが、世界の飢餓を無くすことに確実に貢献するからだ。

なぜ、飢餓をなくしたいと思っているのか。

世界では5秒に1人が飢餓でなくなっている。飢えに苦しむ人が8億人いる。
それを何とかしたいという思ったし、今も思っている。

余談だが、大事なことなので少し掘り下げたい。

何の話かと言うと、日本では社会に貢献するという思いはなぜかタブー視されてきたように思う。それがなぜだがは分からない。

ご多分に漏れず、おれ自身も当時そう思った。つまり、社会貢献をしたいという思いは偽善であるか、自己満足であり、いけないことであるかのような感覚だ。

これについてはこれまで沢山考えた。でもおれは、その貢献の対価でお金も賞賛もいらない。ただ、それをしたいと思っているだけ。それなのにそれが冷笑の対象になぜなるのかは、まだ答えが出ていない。が、とりあえず、おれの動機は善であるということは言えそうだと思った。

うがった見方をすぐされる世の中だと思う。別に誰がどう思ったって勝手だと思うが、人を救いたいという思いには裏があることが当然だと感じる貧しさが、今の世の中の状態を生んでいるのかもしれない。

「でも自分が気持ちいいからそれをするんでしょ?」と言えば、脳科学だったり、ホルモンの見地から考えれば多分そうだ。その人たちが生きていけるようになれば嬉しい。だから、それを偽善と呼ぶなら、それで構わないし、自己満足だというならそれでも構わない。

そういう貢献をしたいと思うようになったからそれをする。それでも理由はよく聞かれる。今のおれの人生のテーマは「食べられない、生きられない、勉強したくても勉強できない人をいなくする」というもので、「なんでそう思うようになったのですか?」と良く聞かれる。

なぜ、貢献したいと思うようになった?

人は実体験のあるものにしか使命を持たないという考え方がある。体験以外からでも使命を得られることはあると個人的に思っているのが、実体験から得るケースの方が確率的には高いとは思うので、体験から少し掘り下げておきたいと思う。

考えられるのは、自分が恵まれ過ぎて幸せに生きて来させてもらったので、そうでない世界に痛みを感じるようになったということだ。

そう思っているなら、「全財産をその人たちに送ったらいいのでは?」という極論を言う人もいるだろう。それで問題が解決するならとっくにそうしている自信はある。

ただし、そもそも、そんな資金はないし、それで問題は解決するわけがない。お金を送っても本当にそれが届いているのかも分からない。それから、そこにいる人たちが根本的に価値を生み出せるようになっていなければ、元に戻るだけだから。

結局、万人が価値を生み出し、それを全体でシェアしていかない限り、問題は解決しないのが経済の仕組みであり、経済というルールをひっくり返すにはまだ何百年も先のことになるとおれは思っている。

だから、単純に寄付をするよりも、急速冷凍機のように世界を救うような日本の価値を世界を届けることの方により価値を感じている。

ちなみに「恵まれ過ぎて幸せに生きてきた」なんて話をすると、疎まれたり、妬まれたりもするかもしれない。しかし、恵まれていて幸せだったのは、決して経済的に恵まれていたらそうなったのではないし、能力的に恵まれたからでもない。

おれは一家では落ちこぼれも落ちこぼれだった。橋の下で拾われてきたと言われていたくらいのレベルだった。

それでも何とかグレずに生きて来られたのは、一家で最もできなかったおれに父が厳しく接し続けてくれて、母が愛情を注いでくれたからに他ならない。危ないことは何度もあったが、真っ当に生きていこうと思ったし、全てを良い面から見るようになった。

そう思うようにしたから、恵まれていると感じる人生になったし、幸せだと感じる人生になった。環境だけを見れば、おれよりも恵まれている人の方が多いだろうと思うが、それでも精神面で大概な人よりも、おれが恵まれていて、幸せなのは、おれがそう感じているからに他ならない。

多分、世界幸せ度ランキングが個人にもあるのなら100番以内には入ると思う。

落ちこぼれからスタートだったので、自分で色んなことを何とかするしかなかったし、苦労もたくさんあった。その苦労さえも楽しいことだと転換するしかなかった。

むしろ、そのことには大きな感謝をしている、もし、お金持ちで、生まれながら山にようにあって、能力にも恵まれていたら努力なんかしなかっただろう。

努力してみる人生が思いのほか素晴らしいものだっていうことも経験できたし、25歳から30歳までの間は誰よりも努力をした自信だってある。

今はその時ほど努力はしていないのかと言えば、多分していない。25-30歳の自分には敵わないから、気を引き締めないといけないと思うこともある。

ただ、同じがむしゃらな努力を同じこの歳でしていたら、それはむしろ衰退なんじゃないかと思うし、全てが好きなことで溢れている今を見て、今更、何が努力であるのかということすら良く分からない。少なくとも言えるのは最も努力をしてきた時期よりも今の方が何倍も速く進んでいるということだ。

そんな風に生きてみて思ったことは、全ての人には、いつ如何なる時にでも可能性は無限にあって、一歩を踏み出す勇気が必要なだけであるということ。もちろん、それ以前の環境の人もいる。勇気を出そうがどうしようが環境がそれをさせないという不平等は事実存在している。

おれにとって、人生は意義あるものになったし、地球は大事な場所になった。

これ以上、おれは幸せである必要がないし、大事な人たちが沢山いるこの人生はもう十分すぎるくらい幸せだ。

だから、多くの人にそうなってほしいと願っているし、その機会すら与えられていない人が多い不平等は悲しいことだと捉えている。

実体験をあえて言うのであれば、これが世界に貢献したいと思う引き金になっていると思う。

会社を始めて、この6年で変わったこと

この6年も、多くの会社や人をエンパワーメントしようと思って生きてきたと思う。
日本企業の技術を使って、世界における不平等を無くそうという事業も続けてきた。

しかし、この6年で色々と気が付いたことや、大きく変わったことがある。

例えば、今は、既に日本の製品だけが高い技術力を持っている時代から世界中が技術を持つ時代に変遷していっているということだ。

ここに来て、おれらは急速冷凍機の事業でも世界中の会社と組むという道を最近選んだ。もちろん、日本で生まれ育った者としては、日本の技術が世界を変えるものであってくれたら嬉しいと思う。

しかし、品質は30%の違いで、値段が5倍だったら、今なお、日本製品の品質が世界最高であるという考えに変わりはないが、マーケットフィットは真剣に考えなくてはいけない。

多くの分野でそういうことが起こっている。そもそもが日本企業をエンパワーメントしたいと思っていたが、世界市場に真剣に付いていく必要がないほどに、今はまだ内需がある。今やっておかないと手遅れになることは分かっているが、日本で仕事をするよりも儲かるという状況にならなければ、企業というものは動けないという考え方も理解はできる。

ここで日本という国の力の落ち込みをおれは感じた。日本企業の優れた様々な製品を世界に展開するというプロジェクトもEXIDEAではやってきたのだが、時期が来るまで一旦これをストップすることにもした。

なぜ、そういう状況が起きてしまったのか?

日本の国力、勢いみたいなものが感じられないというのは、日本にいる多くの人が思っているはずだ。経済の成長の折れ線グラフなんかをみると失われた何年というのが毎年更新されている。

会社をやっているとそういう勢いのなさを体感することは多い。面接をしていても、外で人と会っても、海外の人と比べると日本には「生きている」人があまりにも少ないということだ。

空気を吸っている、ご飯を食べているということと「生きている」ということは違う。世界の不平等という壁を解消したいと強く思ってきたものの、足元はどうか?

どうかしていると思う。

「生きている」かもしれないが、「活きていない」人が多い。なぜ、そんなことが起こっているのか?

恐らくなんだが、多くの人が自分が何者なのか分からずにいる。

自分らしさを大事に生きて、自分らしさで社会に貢献しないと、「自分」がこの世界にいなくなってしまう。そんな当たり前のことが、この日本では共通認識として共有されていない。

もちろん、ここには色んな意見があると思う。けれど、みんな自由になりたいと生きているのに、自由の本当の意味すら共通認識がない。時間がいくらでもあって海でごろごろしていられるのが自由だという考えすら多い。1週間ごろごろしていたら必ず飽きるのだが。

自由とは何か?

本来は文字通りの意味だと思う。

自由は、自分に由り所を持っていること、自分の理由を持っていることであって、それがなければ、何物も自分でコントロールできるものがない。だから、海でごろごろすることが自由であるという認識のコントロールを他の人からされてさえしまう。

自分で選べるから自由なのだ。何を選ぶのか?自分が人生という有限な時間を使う対象を選ぶことだ。つまり、自分の命の使い方を悟っていることが、自由なのだ。使命に到達することが自由なのだ。

これについては自論なので、意見は色々あると思うが、このブログはおれが思ったことは殴り書くブログなので、おれはそう思っているということ以上の理解をここでする意味はあまりないので、ご容赦願いたい。

さて、万人に使命はあるはずで、使命は人がそう決めた時にしか使命にはなり得ず、使命に達するには、自分らしさで世界の助けになることをするより他ないとおれは考えている。

自分らしさを失って、いくら世界に貢献しても、それは自分だと認識できないので苦しくなる。自分らしくいても世界に貢献していなければ、経済を生まないので、それも苦しくなる。

「好きを仕事にする」というよく言われる話をしているのではない。そんなことができるのは、今の世の中ではまた一握り。これからの世の中はそうなっていくだろうとは思うが。

好きなこと・やりたいことをするということと、自分らしくいるということは意味が違う。やりたいことには経済が付いてくるかは分からないが、自分らしくいることには多くの場合で経済が付いてくる。経済が付いてくるというのはお金を得ることができるという意味ね。

例えば、おれの自分らしさは、「新しいものを見つけること」、「ストイックであること」、「人の道を拓くこと」。

やりたいことは世界のエンパワーメント、そのために世界に存在している不必要なボーダーを少しでも多く無くすこと、そのための手段として世界的なマーケティングのプラットフォームを創ること。

自分らしく生きてきた故に、新しいものを見つけるという特性からWebがまだ虚業と言われていた20年前からWebの仕事を始めたし、Webの仕事はストイックであるということが活きる追求型の仕事でもあった。当然成果は上がったし、人の道を拓きたいと思うから経営という仕事をやっている。

あなたらしくあれ。

自分らしくあって、世界に貢献しているなら自分を感じるし、それだけで人は幸せであるはずだ。その上に、やりたいこと、好きなことを乗せたらいい。

自分らしくあるということの延長にやりたいことが存在しているはずだから。多くの場合ではそう。それは当初思っていたやりたいことと違うかもしれないが、誰かが喜んでくれていれば、そのことにより大きな意味を感じるはずである。

おれでいえば、小さい頃は学校の先生になろうと思っていたのに、今やっているのは社長という仕事。でも学校の先生になるよりも多くのことを人に教えられる立場にはなったのかもしれないなんていうことは思う。

だから、いきなり、やりたいことに突っ込んではいけない。自分らしさは特徴なので、それは性質の強みだ。性質の強さを使えば多くの場合、貢献ができる。貢献していれば経済を作ることができる。そこから、少しずつやりたいことのバランスを増やしていけばいい。

人生に対して、そうやって自分らしさを全面に出して、積極的に目の前に現れることに反応して、前向きにそれを捉えていけば、本当の自分が形成される。

ちなみに「私強みも特徴もないんです・・・」と言う人もいるが、強みがないなんて人は絶対にない。「じゃあ。弱みはあるの?」と聞いてみれば、大概弱みはでてくる。それを良い側面から見たものが強みだ。

物事には必ず両面がある。人前に出るのが苦手で弱みです、という人は、うちにこもってきた時間が長いはずだから、何かに没頭できる力や分析力が磨かれている。

面倒くさがりで集中力がないんです、という人は、視野が広い。多方面に思考が分散されているからそうなっているのであって、アイディアへのアンテナを広く持てるということだ。

強みがない人間なんて絶対にいないのだが、弱みだって自分らしさだし、それを認めて大事にしてあげて、それを良い面からみれば、自分の強さが見えてくる。なのに、そんな自分は格好悪いだとか、そんな弱みを見せたら周りからどう思われるかとかね。

いつも、周り周り周り周り周り周り周り周りって、もう人生で十分周りのことは考えて生きてきたと思うので、そろそろ、本当の自分を考えて、自分を生きていいと思う。

背伸びも良くない。人から良く思われたくて頑張っているのも、見栄を張っているのも本当の自分じゃないから苦しくなる。

そんなあなたのことは誰も見たくないって。本当のあなたに触れたいんだよ。なのにあなたは周りからの評価を気にして、誰も望んでいないあなたであり続ける。

全てがバラバラで矛盾しているよね。まずはそれを元に戻すこと。

で、何度も言うが、初めから好きなことを自由にやろうというのはやめた方がいい。そういう本もいっぱいあるけど、その人はたまたまタイミングや運も良くて、成功しているだけだから。

自分らしくあることを良い面から見て、その自分らしさで世の中に貢献をすること。その延長に人生で初めてかもしれないが、本当の自分が姿を現して、その本当の自分がやりたいと言い出したことをやったらいい。その時は経済も生めるようになっているので。

思いに共通していたこと

話は大分脱線もしたが、世界でご飯を食べられない誰かを救いたいと願うことも、ご飯は食べられているけど、生きているかどうか良く分からないと感じる人たちの「生きる」を「活きる」に変えたいと思うことも、素晴らしい商品サービスを創っているが、それを人々に届けられない企業を助けることも、おれが人生でやりたいと言い出したことは、すべて人のエンパワーメントだった。

企業についても、結局はそれは人が運営しているし、多くの人の夢が集まってできたものが企業なので、法人という名前の通り、これも一人の人。活きてほしい。

法人の場合はその先に救いたい誰かが必ずいるので、法人が活きれば活きるほど、その先の誰かが生きられるようになったり、生きることが活きることに変わっていく。

それを促進することが、今おれが生きている目的だし、会社をやっている目的だと思う。

そのために、世の中には邪魔な壁が沢山ある。物理的な壁もあるし、精神的な壁もある。それらを壊して壁のない世界をつくらないといけない。だからボーダレスにと言っている。

ボーダレスの勘違いで、倫理の壁まで壊してはいけないので、本物のボーダレスにと言っている。

それもこれも、世界がより生きて(活きて)ほしいと思っているから。

飢餓に苦しむ人8億人、世界の自殺者80万人、日本は世界14位。悲しいね。

今生きている自分がそんなことを語っていいかどうかは分からないが、より多くの人が生きられて、生きることが活きることでありますようにと願う。

だから、「生きる=活きる」人を増やすということ。

これが、おれの目的だし、EXIDEAの目的だ。

別に読まなくていい、余談中の余談。

と言われると、つい読んでしまう人も多いかもしれないが、

上記の話に付け加えると、極論言えば、より活きるべきは万物に当てはまる。万人と万物は形而上学的に考えれば違いはないから。人も物もエネルギーで振動していて、人が捉えた思考として存在しているという面から見れば同じものだとおれは思っている。

それは全然違うという意見も大いに結構だし、生命体と非生命体に目に見える違いがあるということはおれも分かっている。ただ、人間だけがこの世界において尊いなんて考えているなら大きな間違いだ。

動物も物も全てが、活きる世界であったら最も良い。

例えば、世の中の全ての犬が生きる(活きる)ようにしたいんです、という情熱を持っている人がいれば、EXIDEAではそれをやっていい。ビジネスの上の採算からすぐにできることとできないことはあるが。

世の中の全ての車と家を最大まで活きるようにしたいので、空き時間を世の中でシェアしたいんです、と思えばやっていい。分かると思うけど、そうやってできたのはUberとか、Airbnb。そのエネルギーの余剰活用が人にモビリティだったり、新しい体験を創り出すというエンパワーメントをする。

なので、形而上学を専門にしている人には怒られるかもしれないが、それらは変容できるエネルギーであって、全ては最初からそこにあって、繋がりの在り方に変化を起こして、効果や効率を上げられる条件下にある初めから一つの存在だったとおれは考えている。

例えば、世界の食料廃棄が13億トンあって、その4分の1を活用できれば、世界8億人の飢えを解決できると言われているけど、全てが人間を中心に考えている。

食べ物、つまりは元々は生き物だったもの達から考えれば、これは13億トンの生物大量虐殺であって、それを少しでも減らしていこうという発想から解決することもあるかもしれない。人間だけを尊いと思わなければ、そこに新しい可能性が見えてくるかもしれない。

EXIDEAは、Excellent Ideaの造語から来ていて、「素晴らしいアイディアで世界を変えていこう」という思いから付けている。世界に変容を与えて、世界をより良い形にしていく素晴らしいアイディアがあるなら全部やっていこうよ。というのが名前の由来である。

色んなことを言ったけど、おれも人間だから毎日をそんなに立派な考え方で生きているわけではないし、ビジネスは戦争に形容されることもあるように攻撃もされるし、多くの競争があるから守るべきものを守らないといけない。

ただ一方で、清い思いや、人を救いたい、エンパワーメントしていきたいというような純粋な気持ちもなければ、利益は上がっていても、地球に富が増えているかは分からない。人の弱い面や欲に付け込めば、本当に地球の富になっているか分からないことでも会社は利益を上げられる。むしろ莫大に。

EXIDEAの場合は、そうではなく、清く純粋に人をエンパワーメントしていき、「生きる=活きる」人をこの世界に増やしていく事業をしていきたいと思う。

ただし、情熱の向き先が最初から人ではなく、特定の事に対して持っている人もいれば、動物に対して持っている人もいて、それらの対象は何であれ、世の中をより平らに和ませることに繋がるのであれば、それは極めて尊くて、先程も言った形而上学的に見れば、人をエンパワーメントすることと本質的な価値は同じ。

しかし、どうしても、おれら人間の絶対的な共通認識を五感とするのであれば、その取り組みが「生きる=活きる」人が増えていくことに繋がっていると、目に見えて分かることを選択しなければ、リソースの限られる組織という存在においては統制が効かなくなる。

だから、人をエンパワーメントしていく事業、「生きる=活きる」人を増やす事業を選択することが大事になるが、スタートが人のためにでなくても、結果、人を含めて三方も四方も五方も良しになることなら、そのことに情熱を持っている挑戦者の人生をエンパワーメントできるという観点を含め、やらない理由はないね。

事業の選択には今後もそういうスタンスでいたいし、この目的は持ち続けていたいと思う。

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