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【社長インタビュー】事業会社で仕事をする意義は何か。この想いの裏側にある波乱万丈の創業の背景とは?

事業会社で仕事をする意義は

「1人でするよりも熱い想いを持った仲間と作る方がより良いサービスができ、お客様やその先にいる人々の幸せや喜びに繋げられること」

そんな想いを掲げているダイヤモンドファンタジー代表の井上に、創業に至るまでの波乱万丈なキャリアをインタビューしました!

会社を創業するまでの経歴について

ー新卒で入社した会社を4ヶ月で退社してフリーターに

学生時代、社会人でも続けようと考えていたくらい、真剣にバスケットボールに打ち込んでいました。その流れで、特に就活もせずにとりあえず入った会社が合わずで…結局4ヶ月で退職しました。

そりゃそうですよね。笑 それまでバスケしかやってきてないですもん。

そこから1年半フリーターになって、土方や運送、工場の仕分けやバーテンダーなどあらゆるアルバイトに手をつけましたね。

大阪でバーテンダーをやっていた時にはお金を持っているお客さんにたくさん出会って。その時「男は稼いでなんぼやろ(笑)」と思って、歩合制度がある会社に就職する決意をしました。


ースパルタ営業会社に入社

それから『B-ing』(現リクルートの就職情報誌)の雑誌の中で片っ端から企業に選考に行き、一番内定が出るのが早かった企業に転職しました。

その会社は歩合制の厳しい営業会社で、仕事は朝の9時から始まり、終わる時間は早くて23時半。休みは日曜日だけという働き方で離職率も高く、入社する人より辞める人の方が多いという会社でした。

そして、評価も役職も見られるのは数字のみ。「数字できる人が正義、数字出さないと人権がない」そんな環境の会社でした。あの時は本当にキツかったですね。

24歳で入社してから28歳まで、4年半ほど営業をやりました。

ー採用担当に抜擢されて感じた違和感と人生の転機

自分の転機は、大阪から東京に転勤になり、全国の中途採用の責任者になったことですね。

営業ができる人が採用もできるという考えの下、結果を残している人が全国の拠点に採用担当として配置されました。

稼ぐことしか頭になかった自分も、たくさんの人と会話をする中で求職者のいろんな思いに触れました。この時、初めて仕事で「人の想いとか温かみっていいな」と感じましたね。

採用担当を数年経験した後に、東京で人事部長を任されることになりました。経営幹部の立ち位置で、会社の制度や環境を作る立場になったんですよね。

でも、いざ会議に入ってみると経営陣が数字の話しかしていない。従業員のことより、目先の数字の話。「できない人は飛ばせ」という、経営陣の考え方を目の当たりにしました。

「ああ、こうやって人を扱うんだ」と。人を粗末に扱っていると、会社がアカンくなるわなと思いました。

印象に残っているのは、当時50歳くらいの社員が半年くらいでクビになった時の退職面談でした。

「井上くん、こういう会社、ほんとにダメだよ。」と言われ、退職後にその方の人生を左右してしまうような出来事があったんです。間接的ではありますが「会社って人の人生を狂わすんだ」と身をもって知りました。

もちろん売り上げは会社を成長させるために絶対に必要だし、稼ぐことについて否定もしません。でも、一緒に働く仲間とお客様への感謝と敬意をないがしろにしてはいけない。

自分の想いと合わない人たちと働くくらいなら、自分でやったほうが良いなと思い、起業を決意しました。

何をやるかも決まっていないまま退職届を出したのですが、この時に声をかけてついてきてくれた後輩が、常務取締役の木下です。

ダイヤモンドファンタジー創業

ー創業時はケーキの販売代理から事業をスタート

2009年11月に創業した当初は、工場から仕入れたケーキを営業する仕事から始めました。とにかく、前の会社と同じサービスではやりたくないと思っていたんです。

「営業なら何でも売れるでしょ」という気持ちもあって、自宅の12畳のリビングで、木下と2人でテレアポからやっていましたね。

ところが、この事業を1年半やっても黒字化したのが1ヶ月だけ。営業力でなんとかなると思っていましたが、空港、サービスエリア、デパート、駅ナカなどあらゆる場所に営業してもモノが売れなくて…

融資を受けることにも必死で、銀行に依頼文を書いたりもしました。リーマンショックの翌年に創業した名の知れない会社に、銀行がお金を貸すわけもないですから。

何とか審査が通って借りられたお金も、当時いた社員に抜かれていることが発覚したり…もういよいよ資金が底をつく…という状態にまでなりました。


ー広告事業にシフト

そんな中、知り合いにWebの広告があると聞きました。法人向けの営業なら、単価も高いし生きていけるだろうと思い、2010年の12月から広告事業をスタートしました。

最初は営業先も分からず、とりあえず四季報を手にとって片っ端から電話をしました。どの企業も広告をうっていると思ってとりあえずアポに行くという感じだったので、営業先のピントも合うはずないですよね。笑

そして2011年3月に、東日本大震災が起きました。

企業も広告にお金を出さない流れの中、とあるブログの広告が炎上したんです。

「意外にブログの広告ってやっているんだ」ということに気がつき、ブログ内に広告を出している企業をリストアップして営業していきました。

そのうち徐々にピントがあってきて、そこから広告営業が次第に軌道にのって大きくなっていったという感じですね。


「事業を通じてお世話になった人たちに恩返しをする」

この想いを追求した結果、数字がついてきて、社員も成長していけたら最高だなと思っています。

ただ稼ぐだけなら自分ひとりで株式投資や仮想通貨で良いと思います。お金がお金を呼びますから。でも自分たちは、WEBを通じてお客様をサポートしたい。事業を通じてお客様の笑顔を見たい。

昔近所のおばちゃんが「井上くん、頑張りや。」と声かけてくれた時も、自分にとっては励みになっていました。人間何かしら人に支えられて、頑張ろうって思えてやってこれたと思うんです。

そうやって人が笑顔になる事業を、今後もやっていきたいと思っています。


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