こんにちは!株式会社CROSSTOKYOの二宮です。
本日は、私のこれまでのお話も交えつつ、CROSSTOKYOについてもご紹介できたらと思います。
現在は、グループ会社のcracoの正社員としてセールスと人事を担当しています。
タイトルにもあるように、大学時代、映画『プラダを着た悪魔』の世界に憧れアメリカに渡った私が日本に帰り、CROSSTOKYOに参画するまでのエピソードや、CROSSTOKYO代表の溝橋の人柄など、詳しくお話ししていきます。
ぜひ最後までご覧ください!
ープロフィール
2002年3月生まれ、大阪府大阪市出身。
帝塚山学院中学校・高等学校を卒業後、2020年よりボストンの大学にて心理学を専攻。
2022年にニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)へ編入し、広告&マーケティングコミュニケーション学科でAAS(準学士号)を取得。
2023年からはニューヨーク拠点の株式会社RESOBOXにて、日本企業のアメリカ進出支援におけるセールスおよびマーケティング業務を担当。
2024年に帰国後、2025年より株式会社CROSSTOKYOに参画。
高校時代
ー「私はこうしたい」という意思が強い子だった
7歳上の兄は、真面目で優しくて勉強熱心。いわゆる「親が安心できる優等生」。
一方、私はというと、自己主張が強く、やりたいことはとことん譲らない頑固な性格でした。
母との関係も、思春期には衝突が絶えず、今振り返れば兄との対比の中で、「私は私のやりたいことをしたい」という意識が強かったのかもしれません。
その「頑固さ」がはっきり表れたのが、中学受験の時です。
中高は大阪の中高一貫校・帝塚山学院に進学したのですが、コース選択の際も、母の勧める提携大学に受験なしで進学できるコースではなく、難関校受験コースを選択。6年後の未来が決められてしまうことに強い抵抗を感じていたので、周囲が描く“安定した進路”ではなく自分が納得できるコースを選びました。母には、「あなたみたいに勉強しない子は、大学が決まっているコースに行きなさい」と言われたのですが笑
ーボストンの大学へ進学を決意
高校3年生の頃、当時の家庭環境や置かれていた状況に悩む中で、「環境を変えよう」と思ったことがアメリカ進学のきっかけです。
「やってみたい」と思ったら、動き出すのは早いタイプ。
海外経験はゼロ、英語も話せない状態でしたが、通っていた英語塾で先生にアメリカの大学進学を提案され、「行きます!」と即答したのを今でも覚えています。
進学先に選んだのは、ボストンにあるDean College。
ただ最終目標は、ニューヨークのファッション工科大学(FIT)への編入でした。英語力に不安があった私にとって、いきなりFITを目指すのは現実的ではなかったものの、英語塾の提携校であるボストンの大学から実際にFITに編入した先輩がいると聞き、具体的な道筋が見えたことでまずボストンへの進学を決意しました。
FITを目指した背景は、幼い頃に何度も見ていた映画『プラダを着た悪魔』。当時、「やりたいこと」が明確にあったわけではないけれど、服飾の専門学校出身だった母の影響もあり自然とファッションの世界に惹かれていたのだと思います。
大学時代
ー負けず嫌いを発揮した大学時代
「できない」とか「やらない」という状態を、そのままにしておくのが気持ち悪くて、どうにかして自分なりに乗り越えたくなる性格なんです。
私のアメリカでの大学生活は、コロナ禍の影響で日本からのオンライン授業からスタートしました。時差の影響で深夜に始まる授業、孤独感、生活リズムの崩壊…。
それでも「今できることをやろう」と思って、同じ境遇だった日本人のクラスメイトと励まし合いながら、生活していました。
現地に渡航してからも、パンデミックは続いていたので、グループワークなども禁止。
交流できる場が制限されている中で、英語力も不十分なまま、現地学生と同じ授業や課題に取り組むのは本当に大変で…。ただ、やる気だけはあったので、授業の予習ノートを勝手に作って教授に提出し、「これだけ真剣に取り組んでるから評価を上げてほしい」と直談判して、BからAに評価を上げてもらったこともあります(笑)。
少しずるいかもしれませんが、そういう“負けず嫌い”な部分は、自分の強さでもあると思っています。
ー念願のFITに合格
ボストンの大学で2年間、心理学を学んだ後、念願だったFITに合格することができました。
専攻は、ファッション業界に特化した広告&マーケティング・コミュニケーション学科。ファッション大学の中でも規模の大きな大学だったこともあり、在学中はそこでの人脈を利用しながら、「現場での経験を重ねること」に力を入れていました。
実際に、ニューヨーク・ファッション・ウィークにファッションプレスとして参加したり、スタイリストのアシスタント、古着屋でのインターンなど、多くの実務に携わる機会を得ました。教授や先輩に紹介していただいた仕事は、可能な限りすべて挑戦していました。
スタイリストさんのアシスタントでは、映画『プラダを着た悪魔』の中で描かれている、衣装を抱えてコーヒー片手に走るという憧れのシーンも、大量の服を抱えて、スタイリストさんのコーヒーを持って、車に乗り込んで…完全再現した経験ができました(笑)
忙しさの中でも、「やってみたい」と思うことには積極的に挑戦し続けた時間でした。
ーアメリカに残るという選択。
FITは1年で卒業しました。
というのも、ニューヨークの物価は想像以上に高く、学費を払い続けることが難しくなってしまったんです。
そんな中、私に残された選択肢は二つ。一つは、日本に帰るという選択と、もう一つは、アメリカに1年間残れるOPTビザを使って働くこと。
もちろん負けず嫌いな私は、後者を選び、取得した学位に関係していて、OPTビザを発行しているという条件を満たす株式会社RESOBOXに入社。そこからの1年は、本当に濃い時間でしたね。
日中はRESOBOXで働きながら、スタイリストさんのアシスタントとしてファッション現場を走り回り、週末は古着屋でインターン。
一日に3〜4つの予定を掛け持ちしながら、生活費はRESOBOXの給与で、家賃はスタイリストさんの空いている部屋を借りる代わりに、ベビーシッターをするという条件でまかなっていました。
ー視野が広がったからこそ、「日本で積み上げたい」と思えた
RESOBOXでは、日本とアメリカ、両方の企業と関わりながら働いていました。
アメリカ、特にニューヨークで出会った人々の自由な生き方や日々環境が変わっていくスピード感は刺激も強く、魅力的でしたが、その反面「積み上げる」という観点では難しさもありました。
改めて自分の将来を考えた時に、「20代は、失敗も含めて、自分の実力をしっかり積み上げていく期間にしたい。」という気持ちが強いことに気づき、日本に帰国しようと思ったんです。
まずは、コロコロ変わる環境の中で幅広い経験をするよりも、ひとつの場所で深く関わりながら、基盤を築いていきたい。だからこそ、就職活動の際は、「まずは日本に戻って、ちゃんと地に足のついたキャリアを始めよう」と思いました。
CROSSTOKYOとの出会い
ー代表の溝橋の存在
溝橋さんは、社長としてはもちろん、何よりセールスとして最強のプレイヤーだと感じています。
営業の場面を間近で見ていると、ほんの数秒で大きな金額の話が動いたり、空気を一気に掴んで流れをつくる瞬間が日常の中に何度もあります。
でもそれと同時に、優しさや温かさもすごくある人だなとも思っています。
私と溝橋さんは、年齢で見ると少し距離がありますが、すごくフラットに接してくれるし、未経験だからこその意見も柔軟に聞いてくださるんですよね。
私の性格的にも、年齢や立場関係なく話せる空気があるほうが動きやすいので、そこはすごく合ってるなと思います。
あと、「やりたい」って言ったことを、すぐに「やってみ」と言ってくれるんです。
それに対して、ちゃんとフォローもしてくれるから安心して挑戦できます。
実は今、オフィスでの座席が溝橋さんの隣で(笑)最初は正直怖かったんですけど、今では「このポジション、すごいな」と思ってます。
社長のすぐ横で新人が仕事するなんて、大企業じゃなかなか経験できないこと。知識も経験も出し惜しみなく共有してくれるし、その上でやりたいことを尊重してくれる溝橋さんの側で働けているのは、本当に恵まれていると感じます。
ー今後の展望
CROSSTOKYOの「15年でグループ会社100社、時価総額100億ドル」という構想の中で、いつか自分のやりたいことが会社という形で実現できたらいいな、という気持ちはあります。
でも、正直に言うと、今の時点で「これがやりたい!」と言えるほど明確なものはなくて。
だからこそ今は、チャレンジできることを逃さずに、経験を丁寧に積み重ねて、自分の強みや関心を見極めていくフェーズだと考えています。
日々の挑戦の中で、自分にできることが少しずつ増えていき、数年後に「この道でよかった」と思えるようなキャリアを築いていきたいです。