ITの力を武器に、お客様の声に柔軟に応えられる企業へ!〈前編〉|株式会社ナリコマホールディングス システム部 部長 砂本 吉隆
「“ALL for ONE SPOON” 食の可能性をデジタルで広げ、『一さじの喜び』を届け続ける」
食事を通して人々に生きる喜びを届けるべく、高齢者福祉施設や医療機関向けに食事サービスを提供する、株式会社ナリコマホールディングス(以下、ナリコマ)。大阪府大阪市に本社を構え、関西を中心に成長を続け、この春からは東京拠点にも力を入れ、全国にサービスを拡大しています。
今回はナリコマ システム部 部長 砂本 吉隆にインタビュー。約8年前にエンジニアとして入社し、インフラ整備、製造部門など多岐にわたる業務を経験したのち、部長としてシステム部を統括している砂本。そんな砂本に、ナリコマの魅力、ナリコマならではの経験、将来の展望などについて、前後編にわたって詳しく語ってもらいました。
なお記事の執筆には、株式会社ストーリーテラーズさんにご協力いただきました。
「IT子会社」ではない。全てを内製する、「共創型エンジニア集団」
「ナリコマのシステム部は、『企画から開発、運用まで』、すべてを自分たちの手で生み出し育てていく、いわば『共創型のエンジニア集団』です」
そう語るシステム部 部長の砂本さん。システム部には現在約45名が在籍し、新卒・中途を問わず、多様なバックグラウンドを持つメンバーが集まっています。
「既に栄養士出身のメンバーも数人在籍していますし、来年度には外国籍の新卒社員も加わるかもしれません。現場の困りごとを『自分ごと』として理解し、事業に寄り添ったITを一緒に考えられることが、ナリコマのシステム部の強みです」
基幹システムの開発、インフラ構築、社内ヘルプデスク対応、そして。AIを活用した献立作成に至るまで、ITに関わるあらゆる業務を内製化。いわゆる「IT子会社」的な役割を超え、経営と現場をつなぎ、社会に価値を届けるためのエンジニアリングを実現するチームです。
ITに惜しみなく投資する姿勢に惹かれ、入社![]()
砂本さんは大学卒業後、独立系SIer企業で流通エンジニアとして約10年間経験を積んだ後、品質管理を担当。その後転職し、大手監査法人にて、上場企業へのアドバイザリ提供とCSIRTの立ち上げを支援。そして、さらなるキャリア形成の場として、約8年前、ナリコマに中途入社しました。
「実はナリコマはSIer企業時代の顧客で、以前から社名は知っていました。
15年前のその当時、ナリコマの売上は数十億円。それにもかかわらず、億単位のIT投資を迷わず実行していたんです。売上規模から考えれば、かなり思い切った投資。それを迷いなく実行している会社はなかなかありません。『なんだこの会社、すごいな』とエンジニア目線で思っていました」
そして、約8年前の転職活動時、転職エージェントに勧められたことをきっかけに、改めてナリコマについて調べてみると、すでに売上は200億円を超え、右肩上がりの成長を続けていました。
「『あのときのナリコマが、ここまで成長しているのか』と、正直驚きました。ナリコマはちょうど、関西中心の事業から、関東への本格進出をスタートしようとしていた時期。そのスピード感と拡大の勢いの中で、『社内のITや教育、セキュリティまわりは絶対に手が回っていないだろうな』と想像がつきました。
『もし自分が今ここに入社したら、できることは山ほどあるはず』と考え、面接を受けることにしました」
そして面接を受けた際、さらに驚かされる一言が。
「『当社は必要であれば、年度の途中でもITに予算を追加投資する』と言われ、本当に驚きました。普通、IT投資額は年度の予算に組み込み、その範囲内でやりくりするのが常識。でもナリコマでは、『年度内でもその都度判断し、必要であれば追加でお金をかけるのが当たり前』というスタンスだったんです。
トップが本気でITを成長の武器として考えていないと、できない投資判断です。すごく面白そうな会社だと思い、入社を決めました」
インフラ整備が会社を間一髪で救った![]()
こうしてナリコマに入社した砂本さん。入社直後、ナリコマの要となる生産工場を訪れた時、驚きの光景を目にします。
「当社では数万人分の食事を365日3食分つくり、配送し続けています。このシステムの司令塔が『サーバー』というコンピューター。このサーバーが何らかの原因で止まると、すべての工程が止まってしまうという、業務の根幹を支える重要な存在です。
にもかかわらず、当時サーバーは工場の一角にほとんどほったらかしの状態で置かれていました。エアコンがあり、その結露対策にビニールフィルムを被せるような状態で…。『万が一サーバーが止まってしまったら、本当にどうなってしまうんだろう?』と、怖くなりました」
とはいえ、砂本さんはもともとソフトウェア開発が専門分野であり、インフラエンジニアではありません。専門外の分野ではありましたが、「このままではとんでもないことになるかもしれない」と危機感を抱き、経営層に改善提案を持ちかけました。
「最初は『今までこれで問題なかったのに、改善なんて必要なのか?』という雰囲気がありました。でも、『まずはやるだけやってみよう』という社風なのが救いでしたね。とはいえ、半信半疑の中での取り組みスタートでした」
そして砂本さんは、インフラ整備の経験のあるメンバーや外部業者の協力を得て、自らも勉強しながら、工場にあったサーバーのデータセンター移設準備を進めていきました。
そして、このサーバー移設の判断の正しさが証明されたのは、その直後のことでした。
2018年6月18日、大阪北部地震。工場のある大阪府茨木市は、まさに大阪府北部に位置し、最大震度6弱を観測。建物にはヒビが入り、電力は完全にストップ。その後、災害は続き、台風でさらなる被害。そして、極めつけは隣接する施設での爆発事故による電線の焼損。
しかし、次々と起きる災害やトラブルの中でも、基幹システムは止まることなく稼働し続けたのです。
「ちょうどサーバーの移設を進めている最中だったんです。どちらでも切り替えられるように準備していたので、なんとか業務を止めずに済んだ。間一髪でしたね」
さらに、インフラ整備の取り組みが思わぬ形で功を奏したのが新型コロナ禍。
「インフラ整備の一環として、ポケットWi-Fiの整備を行っていたんです。元々社員にはポケットWi-Fiが配布されていたんですが、単にインターネット接続できるだけで、社内ネットワークにはログインできなかった。つまり、社外にいるときは、社内ネットワークにアクセスできなかったんです。
それを、ポケットWi-Fi使用時でも、社内ネットワークへのアクセス可能な状態に整備していました。そのおかげでコロナ禍、社員はノートパソコンとポケットWi-Fiを自宅に持って帰るだけで、在宅勤務へとスムーズに移行。
何の準備も混乱もなく、みんなが在宅勤務に切り替えられたのは、このインフラ整備のおかげだったと思います」
最初は「インフラ整備、本当に必要なの?」と懐疑的だった社内の空気も、これらの功績で一変。
「最終的には『よくぞやってくれた。むしろまだ改善ができる部分があるなら、至急取り組んでほしい』と言ってもらえたんです。私はインフラ整備の専門家ではない。『やれる人がいないなら、やってみようか』という想いで一歩踏み出しただけです。でも、そうやって声をあげたことが会社全体を守る結果となりました。
今でも、自分の中で大切にしている経験のひとつです」
※後編に続く