【川崎青果株式会社の100年間】
大正15年(1925年)、もちろん第二次世界大戦よりも昔です。ひとりの青年が神戸のまちで小さな八百屋を始めました。彼は戦争を乗り越え、この国の再建を進めていくべく神戸市中央卸売市場の仲卸業に転換。野菜や果物など、人々の命を支える食をお届けすることで地道に社会に貢献して参りました。
1995年、阪神淡路大震災の際には瓦礫と焼け野原になった神戸のまちの真ん中で、震災の翌日には営業を再開。もちろん代表の川崎を含め、多くの社員の家は全壊です。仕事どころではない。しかし「私たちが立ち止まってしまったら、世の中の人たちが本当に食べるものに困ってしまう」という想い、会社は社会のためのものであるという自尊心で踏みとどまりながら、活動をつづけました。
2020年、外食産業を顧客にしていた事業部や、客船や貿易船に食糧品供給していた事業部は、コロナのパンデミックで売上が無くなりました。休業して国から助成金でも受け取れば少しはラクだったかもしれませんが、保育園や病院、老人ホーム、私たちのサービスで命を繋いでいらっしゃる方がいる、それだけで働く理由としては十分でした。
2025年、なんてことはない100年。
【老舗企業の五代目として】
Q:100年企業と言えば、日本が世界の中でも突出して多いですよね。
川崎:そうですね、100年を超える世界の企業の40%以上が日本にあるとも言われます。
Q:ベンチャーや起業のブームもありますが、長く事業を継続できる秘訣は何だとお考えですか?
川崎:秘訣とは言えないかもしれませんが「過去を否定する」というマインドは大切かもしれません。なかなか過去の成功体験や、これまで続けてきたモノに対する変化って拒まれがちですが、VUCA時代において環境や前提がコロコロ変わっていくので、過去や実績・経験の価値が薄れていくのは当たり前です。それを自然排他的にではなく、自ら否定していくことで常に新しい自分や新しい組織に塗り替えていく作業を続けていきたいですね。一日の終わりにシャワーを浴びてリセットするように。笑。
上場企業の半数以上が家族経営(一族経営)というデータもありますが、これも長寿企業の原因になっているとは思います。「サラリーマンが社長を否定する」って、ガバナンス的に不可能に近いと思いますが、跡取り息子であれば父親の経営方針を否定することができます。それどころか「父親のレールの上を走るだけは嫌だ」という親子の心情が一般的ではないでしょうか。つまり、世代交代、事業継承と共に自然と会社内にイノベーションが起こるわけで、結果的に社会変化に適応して長寿企業になっていく。という仕組みがあるわけですね。
Q:御社の取り組みも前衛的とチャレンジングいうか、おもしろいですね。笑。
川崎:今回の「経営者チーム」のプロジェクトは、かなり大胆な投資です。やる気のある若者に、自由なチャンスと決裁権と与えて、実験を繰り返しゼロイチを生み出そうと考えています。僕もチームに参加はしますが、あくまでもフラットで、上司でも社長でもない立場です。
Q:スタートアップや起業に興味がある、または経営や企画、マーケティングに興味がある方にとって、普通ではありえないような最高に恵まれた機会だと思うのですが、これは川崎社長にとってメリットってあるのですか?
川崎:従業員、社員、の「人材募集」や「労働力の確保」という目線で見れば、今回の募集は目的もメリットも見えてこないと思いますね。短期的な目線では完全にマイナスです。笑。給与としてお金は払いながら、既存の仕事を与えないわけですから、会社としてリスクも大きいですし、実験的な要素はありますよ。けれど今まで通りのやり方では、今まで通りの結果しか出ない。だったら当たり前じゃないことをしてみよう!と考えました。そして、一緒に働くメンバーにリスクをかけるわけにはいかないので、今の募集内容に落ち着きました。
弊社の三信条に〈貢献〉〈成長〉〈対価〉というものがありまして、まずは経営者育成や新規事業の立ち上げを通して社会に貢献することが大切で、正しく貢献できれば、正しい対価が受け取れるものだと信じていますので、今はメリットは考えていません。
Q:その利他の精神が、100年企業の強さなのかもしれないなぁと勉強になりました。有難うございました。
川崎:こちらこそ有り難うございました。