人材紹介やセールスHR支援の領域で事業を展開し、創業からわずか4年弱で売上10億円という大台を突破した株式会社CockPit。その常識外れの成長スピードの裏側には、どのような物語が隠されているのか。
今回は、創業期から代表 鯰江と共に事業を牽引してきた取締役・竹内にインタビュー。大手損害保険会社でのトップセールスという誰もが羨むキャリアを捨て、混沌としたベンチャーの世界へ飛び込んだ覚悟。そして組織が経験した数々のハードシングスと、それを乗り越えた先に見据える未来について語っていただきました。
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竹内 解/取締役COO
1996年生まれ、同志社大学卒業。大学時代は野球に打ち込む。2019年に新卒で東京海上日動火災保険株式会社に入社し、3年目には全国1位の営業成績を記録。同社在籍中から兼業としてCockPitの創業に携わり、自身の会社も設立。2022年、代表・鯰江の誘いを受け、CockPitに取締役として正式にジョイン。現場の統括含め、数字面において全ての意思決定、責任を担う。
「いずれこの人とやる」5年来の確信が導いた、大手No.1からの転身
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ーー竹内さんのキャリアは、代表の鯰江さんとの出会いが大きく影響していると伺いました。まずはお二人の出会いから、CockPitへジョインするまでの原体験を教えていただけますか?
私のキャリアは、すべて代表の鯰江なくしては語れません。彼と出会ったのは大学時代、就職活動の相談に乗ってもらったのが最初のきっかけです。
「俺、あんま就活頑張れてないから、よくわかんないけど、俺の友人で“イケてる”って思う同級生が行ってる会社だから、良い会社だと思うよ。すぐ稼げるとことかよりも、大きい事やってる会社の方が人生広がるし。候補がいくつかあるなら、最後は論理よりも面接でビビッときたとこに行くのがいいよ。結局、自分次第やから」とアドバイスをしてくれてました。その言葉を信じて飛び込んだのが、1社目の東京海上日動だったんです。
ーー鯰江さんからの言葉がキャリアの始まりだったのですね...!
そうなんです(笑)。もちろん自分の中でも志望度は高かったのですが、彼の言葉が最後の一押しになりました。入社後は、本当に人に恵まれた環境で、ビジネスの基礎を叩き込んでもらいました。特に、お客様や代理店様といった多くのステークホルダーを巻き込み、信頼を紡ぎながら事を成していくスタイルは、今の私の仕事哲学の原点になっています。「1人では何も成し遂げられない、仲間やチームが大切」。この学びがなければ、今の自分はありません。
そして、社会人1年目(2019年)の5月から、私は鯰江が立ち上げたCockPitに兼業として関わり始めます。「自分の力で金を稼ぐ経験は、今後の社会において、ビジネスパーソンとしても絶対に重要なスキルになる」。彼らしいストレートなアドバイスが、私を新たな挑戦へと駆り立てました。
ーーそんなにも前から、副業・兼業が当たり前になる事を鯰江さんは予想されていたのですね!そして、本業と兼業、二足の草鞋を履く中で、大きな転機があったとか。
入社3年目、担当領域で全国1位の営業成績を達成することができました。実は、兼業を始めた理由を「経営者の“経営戦略パートナー”である自分が、経営を知らないのは説得力に欠けるから」と会社に説明していたんです。東京海上日動は、ただ保険を売るだけではなく、経営者のパートナーとして貢献することを大切にしている会社なので、経営について知見を深めることは重要だと考えていました。そして、その言葉を有言実行できたことは、大きな自信になりましたね。この実績を元に会社と交渉し、念願だった東京本社への異動も勝ち取りました。
本業での年収は750万円ほど。一方、兼業で立ち上げた自分の会社の年収は1000万円程度。収入は逆転し、本業でも本社の花形部署へ。誰もが羨むような順風満帆なキャリア。しかし、その光が強まるほど、心の奥底では小さな影が濃くなっていきました。「このままでいいんだろうか?」と。本業が順調だと兼業が疎かになり、逆もまた然り。今後どちらかに言い訳ができてしまう状況になる未来が、自分のあり方として許せなかったんです。
そんな葛藤を抱えながら、取引先へ向かう途中の丸の内のカフェで時間を潰していた時、運命の電話が鳴りました。鯰江からです。
ーー電話の内容は何だったんですか?
内容は非常にシンプルで、「取締役として、CockPitに入ってくれ」というものでした。いつもは余裕がある彼が、その時に限ってはすごく真剣で、少し焦りのあるような声色だったのを覚えています。その本気のトーンを聞いた瞬間、抱えていた葛藤は消え、その場で「入る」と即答し、すぐに会社へ退職の意を伝えました。
CockPitにジョインする、現職でさらに上のポジションに上り詰めるといった選択肢の他に、自分の会社を大きくしていく道もありました。実際、兼業で立ち上げた会社は、私自身が現場に入らずとも売上1億以上、役員含め5名ほどの会社にはできていたと思います。しかし、私がやりたいのは、「ただ稼ぐこと」すなわち、「世の中のためになっていないこと」をする会社ではなかった。そして、5年近い付き合いの中で私の中にあった「いずれこの人と一緒にやることになる」という確信。これらが、全ての合理的な思考を飛び越えて、私に即決させたんだと思います。
自分一人でできることには限界がある。それは、私が社長として経営したからこそ痛感していることです。一人でも経営できる人間が、あえて「みんなでやる」。そこにこそ意味がある。鯰江と私がそれぞれの役割を全うすれば、1+1が3にも4にも5にもなる。自分だけで経営していくよりも、CockPitで鯰江と仕掛けることの方が、5年、10年先を考えた時に、圧倒的に豊かになれるし、社会的に意義のあることを高い影響力で実現できる。そう信じられたんです。
売上1億の壁と人の離脱。「未来を創る代表」と「今を創る自分」が起こした化学反応
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ーー正式にジョインされた当時のCockPitは、どのような状況だったのでしょうか?
私が入社した2022年6月頃は、初めて正社員が入った半年後で、まさに創業期。売上が1億円弱、正社員は3名。正直に言うと、これから会社が爆発的に成長していくような気配は全くありませんでした。業務委託のメンバーは毎月のように入れ替わり、「ベンチャーとはこんなにも人が定着しないのか」と、そのリアルを目の当たりにしました。
ただ、ジョインする時に鯰江と交わした約束がありました。それが「まずは5年以内に売上10億円を目指す。それができないならやらない」というもの。だから、やるしかなかったんです。
ーーその混沌とした状況から、どのようにして成長への突破口を開いたのですか?
ブレイクスルーのきっかけはシンプルですが「役割分担」にありました。 多くの組織では、社長が偉い、取締役が二番手、事業責任者は経営者ではない、といった固定化された概念にとらわれがちです。しかし、私たちはそうした序列意識こそが、組織のスケールを阻害すると考えています。重要なのは、誰が偉いかではなく、誰がどの役割を全うするか。 それまでの鯰江は、会社の未来を描きながら、同時に現場の数字も見るという一人二役の状態でした。そこで、私がジョインした瞬間から、現場の数字作りをメインとした「今」を創る役割をすべて引き受けた。そして、鯰江は半年後、一年後、さらにその先を見据えた新たな戦略を練るという「未来」を創る役割に集中する。この体制が生まれたことこそ、私たちの最初の、そして最大のターニングポイントです。
ーー創業期ならではの壮絶な毎日だったことが想像できます。
夢中すぎて、あまり記憶がないですね(笑)。週7日、朝7時からオフィスで顔を突き合わせてミーティングし、夜は日付が変わるまで働く。でも、不思議と辛いとは全く感じませんでした。
大学まで打ち込んできた野球の世界は、努力が必ずしも報われるわけではない。でも、ビジネスは違う。正しく努力を継続すれば、いつか必ず結果が出る。その確信があったから、しんどくなかったんです。目の前のことから逃げずにやり続ける。その先に成功があるとわかっていたから。結果的に、その年は売上3億円を達成できました。メンバー全員、必死で疲労困憊なはずなのに、どこかその状況を楽しんでいるような、不思議な高揚感に包まれていたのを覚えています。
成長の影で直面した「人の痛み」。事業ではなく“仲間”に深く向き合った組織変革期
ーー事業が軌道に乗った次のステージでは、どのような変化がありましたか?
2023年に入り、2つ目の柱となるセールスHR事業が立ち上がりました。人材紹介というショット型の売上に加え、継続的に安定した収益基盤ができたことは、会社の経営にとって非常に大きかったです。これも、第1ステージで私が「今」に集中したことで、鯰江に「未来」を考える余白が生まれた結果でした。
しかし、事業の成長とは裏腹に、組織は大きな壁にぶつかっていました。それが「人」にまつわる痛みです。
ーー具体的には、どのような課題があったのでしょうか。
当時の採用基準は曖昧で、経営陣の「直感」でジャッジするケースが少なくありませんでした。「なんとなく良さそうだから採用する」という判断が、結果として多くのミスマッチを生み、ひどい時には、3人採用して、1ヶ月後には2人が辞めている。そんなことが日常茶飯事でした。
この経験は、私に経営者として多くのことを教えてくれました。「頑張ります」と目を輝かせていた仲間が、なぜすぐに去ってしまうのか。どうすれば、彼らのポテンシャルを最大限に引き出せたのか。初めて「事業」そのものではなく、「人」という存在に、その心に、深く向き合ったのがこの第2ステージでしたね。
売上や事業モデルばかりに目を向けていた第1フェーズから、マネジメントや組織、採用といった「仲間」へと視点が移った。この時期の痛みがなければ、今のCockPitはなかったと断言できます。私たちは、採用を「科学」することに注力しました。過去の失敗を徹底的に分析し、「私たちのカルチャーとは何か」「どういう人が私たちのカルチャーで輝けるのか」「その本質を面接で見抜くには何を問うべきか」といった基準を、一つひとつ論理的に、血の通った言葉で再定義していったんです。
10億円は“始まりの合図”。「社会的意義」を求め、仲間と突き進む第二創業期へ
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ーーそして第3ステージで、売上10億円を達成されます。何が飛躍の要因だったのでしょうか?
第2フェーズでの失敗と学び、そのすべてが実を結んだのだと思います。再定義した採用基準によって素晴らしい仲間が集い、組織は7,8名から一気に20名規模へと拡大しました。第1フェーズで培った事業を創る力と、第2フェーズで学んだ「人」を軸に組織を創る力。その両輪ががっちりと噛み合ったことで、すべての事業が爆発的な成長を遂げました。
ーー急成長する組織の中で、特に意識されていたことはありますか?
組織が拡大すると、どうしても綻びが生まれます。成長している時こそ、私たちは兜の緒を締め、徹底的に足元を固めることを意識しました。取引先やパートナー企業様のもとへ誰よりも足を運び、信頼関係を構築する。組織が大きくなっても、この泥臭いとも言える基本動作を決して疎かにしなかった。その愚直さが信頼を生み、さらなる成長に繋がったのだと思います。
正直、売上10億円を達成した時も、特別な高揚感はありませんでした。私たちにとっては、あくまで通過点。「気づいたら到達していた」というのが本音です。私たちの視線は、すでにもっと先に向いています。前期で10億を達成し、今期は15億、来期は20億以上を目指す。このスピード感で走り続けることこそ、CockPitのスタンダードです。むしろここからが始まりですね。CockPitが掲げる「これからの3フェーズ」達成に向けて、コミットしていきます。
▼CockPitのビジョン・経営計画についてはこちら!
ーー壮絶な経験を経て、今、竹内さんがCockPitで働くことにどのような価値を感じていますか?
お金やステータスでは測れない、「経験」という名の資産を得られたこと。これに尽きます。人が10年、20年かけて経験するような熱狂、痛み、そして歓喜を、この3年という時間で一気に味わいました。この濃密な経験が、物事を本質的に捉える視座と、長期的な視野を与えてくれました。
私は、会社の価値は売上規模だけではなく、「社会的意義」や「社会的信用」にあると考えています。ただ儲かっているだけの会社には絶対になりたくない。それは会社ではないので。会社としての軸や在り方にこだわり、どのような事業をしていくのか、「会社」として社会から認められ、必要とされるよう社会的意義のある事業をしていきたいと考えてます。売上10億円という数字は、私たちが社会に対して本気で価値を問い、未来を創っていくためのスタートラインだと思っています。
ここからが、CockPitの第二創業期。私たちが信じる「リファラル」という、人の信頼を介した温かい仕組みを軸に、日本の採用、ひいては働き方そのものに、大きなインパクトを与えていきたいですね。
「大きいこと」「世の中にインパクトを与えること」は、決して一人ではできない。これは、20代で経営を経験している多くの人が気づけていない事実かもしれません。CockPitで目指しているものは、一人で事業をやっていては、決して見ることのできなかった景色です。同じ志を持つ仲間と、未知の景色を見に行く。その挑戦の真ん中にいられることが、今、私の何よりの誇りです。
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