「名のある会社」より、「納得できる人生」を選んだ
――アンドアーチ 松原光彦が語る、仕事と暮らしのリアル
「正直、一人だったらどこに行ってもよかったんです」
そう語る松原光彦さんは、新卒で誰もが知る大手製薬会社に入社し、
その後、外国人材領域の大規模企業を経て、現在はアンドアーチで活躍しています。
一見すると順調なキャリアのように見えますが、
その裏には仕事・収入・暮らし・家族を巡る、極めて現実的な選択がありました。
新卒で入ったのは、誰もが知る大手製薬会社
松原さんが社会人としての一歩を踏み出したのは、大手製薬会社。
エナジードリンクをはじめ、圧倒的な知名度を誇る企業です。
配属後は、ドラッグストア向けの営業を担当。
新商品の提案、棚割り交渉、売場づくりまで――
「完全に営業でした」と振り返る通り、数字と現場に向き合う日々でした。
一方で、大手ならではの難しさもあったと言います。
「商品自体は有名でも、ドラッグストア側の利益率は高くない。
どうやって配荷を増やすかは、常に課題でした」
店頭に立ち、店員と一緒に販売することもある。
地味で、泥臭い。けれど、確実に営業力が鍛えられる環境でした。
海外志向と、会社の方向性のズレ
もともと松原さんは、大学時代に国際系の学部で学び、
「海外と関わる仕事がしたい」という思いを持っていました。
実際、製薬会社の面接でも「海外事業に携わりたい」と話していたそうです。
しかし、入社後まもなく会社の方針が大きく変わります。
海外事業は買収先に集約され、国内では関われなくなった。
さらに、早期退職制度や評価制度の変更も重なりました。
「楽しい仕事ではあったんですけど、
ここで長く働くイメージが、だんだん持てなくなってきた」
同期14人のうち、3年以内に10人が退職。
“闇の世代”と冗談交じりに語りつつも、当時の空気感を物語っています。
外国人材の世界へ。仕事の「意味」が変わった
次に選んだのが、外国人材を扱う企業。
福岡採用・転勤なしという条件も含めて、応募しました。
結果は、わずか1週間で内定。
仕事内容は、
・企業への人材紹介(営業)
・外国人材の就労・生活支援(管理)
この両方を担うポジションでした。
「営業しながら、自分が担当している外国人の方を支援する。
責任も大きいけど、その分やりがいも大きかったです」
全国で1万人以上の外国人材を扱う大規模な組織。
特に建設業界への理解は、この時期に一気に深まりました。
結婚と制度変更。現実的な“決断”のタイミング
転機は、制度変更でした。
福岡採用・転勤なしのはずが、全国転勤へ。
転勤を断る場合は「地域職」となり、給与は約2割減。
しかも松原さんは、結婚を控えていました。
「正直、きつかったですね。
もともと高い給与ではなかったので、そこからさらに下がるのは」
そんな時、元同僚から声をかけられます。
「今、アンドアーチっていう会社があってさ」
“面接”というより、“一緒にご飯を食べる時間”
アンドアーチとの最初の接点は、いわゆる面接ではありませんでした。
「ご飯を食べながら話す、みたいな感じでした」
そこで感じたのが、代表・渡邊さんの人柄と熱量。
「活気があるというか、行動力もあるし、
この人についていったら面白そうだなって思えたんです」
まだ小さな会社。
でも、段階的な成長イメージと、やるべきことが明確だった。
「どうすれば大きくなるか」を、本気で考えている会社だと感じた――
それが、決断の後押しになりました。
今はアンドアーチの“一人目”として
現在、松原さんはアンドアーチで外国人材領域を担っています。
大きな組織ではなく、少数精鋭。
だからこそ、これまでの経験がそのまま活きる。
「前職でやってきたことが、
“そのまま役に立っている”感覚があります」
単なる歯車ではなく、
事業を一緒につくっている当事者としての実感。
それが、今のやりがいだと語ります。
仕事も、暮らしも、どちらも大事にしたい
松原さんは、こうも言います。
「仕事は好きですけど、
仕事だけに人生を全部振り切りたいわけではない」
奥さまは福岡が大好き。
自分自身も、海外志向はある。
だからこそ、場所や働き方の柔軟性は、とても重要でした。
「納得できる選択だったと思っています」
その言葉は、とても静かで、等身大です。
小さな会社だからこそ、できる挑戦がある
名のある会社を辞めることは、簡単ではありません。
でも松原さんは、“名前”ではなく“中身”を選びました。
・誰と働くか
・何に向き合うか
・どんな人生を描きたいか
そのすべてを考えた末の、アンドアーチという選択。
これから会社が大きくなる中で、
松原光彦という存在はさらに大きくなっていくはずです。