「患者を診るより書類を書く医師」という矛盾
「先生にもう少しこちらを見て話を聞いてほしい」
誰もがたいていの医師に対してこう思うでしょう。僕自身が医療機関を受診したときも、ほぼ例外なくもっとこちらを見て対話してほしいと思います。
患者さんの目を見るよりも、画面に向かってタイピングする時間のほうが長い——。 私が医師として働く中で、この違和感は日に日に強くなっていきました。
でも、医師を含む医療者も、もっと患者さんに向き合いたいのです。そのために医療職を志したからです。でも、人でなくてもできる膨大な雑務、——カルテ入力、FAXでのやり取り、紹介状作成、電話での問い合わせ…——本来、患者さんのケアに集中すべき医療者の時間と労力が、こうした間接業務に奪われています。
そして、この非効率は診察室の中だけにとどまりません。医療システム全体を見渡すと、さらに大きな問題が見えてきます。
医療情報が「リセット」される不条理
最も衝撃的なのは、病院が変わるたびに患者さんの診療情報が「リセット」されてしまう現実です。
2025年の今でも、医療機関同士の情報共有は紙の紹介状が主流。患者さん自身が診療情報を封筒に入れて持ち歩く。電子カルテが当たり前になった時代に、なぜこんな非効率が放置されているのでしょうか?
新聞と医療現場から見えた、変革の必要性
実は私の起業への道は、医学部時代から始まっていました。
もともと知的好奇心が旺盛で、毎朝の新聞購読が日課でした。
医学部という閉ざされた世界において、新聞は私にとって社会との接点であり、知的好奇心を刺激する扉でした。医学の枠を超えて視野を広げる中で、医療だけでなく日本社会全体が抱える課題が見えてきたのです。
「医師としての専門性を活かしながら、もっと広く社会に貢献できないだろうか」
その思いは、現場で働くほどに強くなりました。目の前の患者さんを救うことも大切だが、システム自体を変えなければ、医療者も患者さんも本当の意味で救われない——。
「医師だからこそ」のスタートアップ
転機は医学部3年生の時。スタートアップという選択肢と出会い、「これだ」と直感しました。
特にCureAppを創業された同じく慶應出身のドクターの佐竹先生の言葉は、私の背中を押してくれました。学生時代や研修医が終わってからすぐの起業とも迷いましたが、「医師としての経験があってこそ、医療を変革できる」——その言葉は今も私の指針です。
そして医師として6年間の経験を重ね、専門医試験の受験資格を得るまでに至りました。臨床の現場で独立して診療ができるレベルに成長し、これからは新たな道を模索したいと考えています。医療の知識と経験を活かし、自分自身の理念を形にするため、起業という選択肢に向けて一歩を踏み出す決意をしました。
「見える課題」から「解決策」へ
「誰にでも見える課題は、必ず誰かが解決してくれる」
そう信じて、私は医師だからこそ見える根深い課題に焦点を絞りました。医療従事者でなくても二次情報でわかる課題を解決することは、たいていの場合本質的ではありません。簡単に解決できるのであれば、既に誰かが成し遂げているからです。
かといって、特定の狭い領域にしか影響を及ぼせない事業をやるくらいなら、医師としての仕事に専念すべきだとも考えていました。少なくとも、臨床医として与えられる以上の素敵な影響を、与えられるような事業をしたいと強く感じていました。
医療に、人と人生に向き合う力を取り戻す
序盤の問いに戻りますが、なぜあらゆる業界でDXが進む中、医療分野ではこのような非効率が長年放置されてきたのでしょうか?
この問いには複数の要因が絡み合っています。まず大きな理由として、医療システムの分断と複雑性があります。各医療機関がそれぞれ独自のシステムを構築し、標準化が進まないのです。また、患者情報という機微なデータを扱うため、セキュリティ上の懸念から情報共有に慎重になりすぎる傾向があります。そして何より、医療現場の多忙さゆえに「今日を乗り切ること」が最優先され、システム変革のためのリソースが割けない現実があるのです。
この問題は医療者側の課題とも密接に関連しています。それは、医師をはじめとする医療従事者のITリテラシーの低さです。若手医師は比較的情報感度が高いものの、特に決裁権を持つベテラン医療者は医療の専門性に特化するあまり、ITリテラシーが低く保守的な思考に陥りがちです。私はこれがDXが進まない大きな律速になっていると考えています。
こうした課題に対し、私たちは株式会社医伝士を設立しました。「医療者の誇りと、患者の希望がつながる医療へ」というミッションのもと、医療機関間の情報連携を革新します。目指すのは、日々の業務に埋もれがちな"人に向き合う時間"を、もう一度取り戻す仕組みの創造です。
具体的には、医師がカルテに向かう時間を減らし、患者さんと向き合う時間を増やすこと。患者さんが何度も同じ説明や検査を繰り返す負担を軽減すること。そして何より、医療者が本来の使命である「人と人生に向き合うこと」に、改めて誇りを持てる環境を作り出すことです。
人と人生に真摯に向き合うことで、患者さんからの感謝の言葉も増えるでしょう。その感謝が医療者のやりがいとなり、結果的に医療者自身も幸せになる。この好循環こそが、私たちが目指す医療の姿なのです。
もちろん、起業という道に不安がないと言えば嘘になります。しかし、それ以上に私はワクワクしています。医師の世界では出会えなかった多様な仲間との協働、資金調達やマネジメントという新たな挑戦、そして何より、医療という大きな社会インフラを変革していく可能性に胸が躍ります。
医師として6年の時を経て、ようやくスタートラインに立てた今、本格的な挑戦が始まります。医療者も患者さんも、もっと幸せになれる未来へ。ともに、挑戦していきましょう。