今回は、弊社最古参の社員であり、飲食店時代のマネージャーから、カスタマーサクセス、コンサルタント、人事部、新規事業部まで、幅広くアンビエントナビを支えてきた社員 福島真菜さん(まなさん)をインタビューしました!
普通に生きていては体験できない、壮絶な楽しさから挫折まで、様々な体験をしてきたまなさん。
人生に悩んでいる全ての人の背中を押す、心を動かす情熱的なインタビュー記事となっております!
福島真菜(フクシマ マナ)
【なんて呼ばれているか?】
まなさん、まなちゃん
【所属部署】
人事部
【前職(あれば)】
人材の営業マン/助成金申請/勉強を教えない学習塾のコーチ/ヨガの先生/会社の業務効率化改善
【大学】
富山大学人間発達科学部人間環境システム学科地域スポーツコース
(つまり教育学部の体育科)
【学年/年齢】
29
【趣味】
バレーボール/アスレチック/カラオケ/漫画
なんでも出来る気がした大学時代
まなさんはどのような大学生を送っていましたか?
大学生のときは、「自分には何でもできる!」と思っていました(笑)。
元々数学の先生を目指していたのですが、「教えるとは?」を研究していた大学で出会った体育科の先生に感動して、側転も出来ないのに体育科に転学科しちゃいました。
そんなことができるのですね!
突然体育科に転学して、大変だったのではないですか?
とっても大変でした(笑)。体育の先生になるための学科なので、側転やハンドスプリングができないと卒業できなくて。必死に練習していたことを覚えています。
でも、それ以上に楽しい思い出がいっぱいです。体育科はなぜか末っ子ばかりで、長子気質の私に全て決めさせてくれる子が多くて。なので、「全員が一生の記憶に残る誕生日」をテーマに、同期全員の誕生日を全力で祝っていました。目隠しサプライズはもちろん、運動会を開いたり、遊園地貸切で逃走中をしたり。。。家族みたいで、どの代よりも仲が良かったと自負しています。
まなさんらしい楽しさ満点の大学生活です!
就活はどのように進めていましたか?
アルバイトで塾の先生を4年間やっていて、自分の経験しか生徒には語れない、と強く感じたんです。なので、できるだけ多くの人の人生を見たいと考えて、リクルートのような人材系や、クレイジーウェディングといったブライダル系の企業に応募しました。でも、どこも落ち続けてしまったんです。面接官の一人に理由を聞いたら、「君は会社を授業だとおもっている。会社を学校だと思ってない?一回死ぬほどどこかで仕事を頑張ってみたら何か分かると思う」と言われてしまいました(笑)。そこで思い切って「遊ぶように働く」と検索して、一件だけヒットした人材会社に入社を決めました。
新卒時代、人生初の挫折
新卒時代はいかがでしたか?
超ブラック企業で、とにかく辛かったです。
入社したのは新卒の採用代行兼採用の助成金申請を行っている会社で、人数は30人くらいの会社でした。入社初日は突然自分の名刺を渡されて、「ここ謝りにいってほしい」と知らない会社の住所を伝えられたのをよく覚えています(笑)。6時に家を出て、片道1.5時間で通勤し、夜遅くに帰宅。ほとんど寝ていない生活でした。どんどん判断力が鈍っていって、コンビニで買うランチを30分悩んでしまうくらいになっていました(笑)。営業も中くらいしか売れなくて、でもすっごく売れる人にどうしても追いつけないことに悩み続けて。人生がとても辛く、追い込まれていてやめる元気も出なかったです。何でもできると思っていた自分にとっては本当に大きい挫折体験でした。
本当に大変だったのですね...
その後、何か転機は訪れましたか?
お仕事の関係で、睡眠障害をもつ学校の先生志望の女子大生に出会いました。その子は障害のせいでやりたかった教育の免許もとれず、内定も1つもとれない。少し自暴自棄になって「どの業界でも内定をとれるならいい。」という状況でした。会って15分。余計なお世話なことは100も承知でしたが、その子の体験を聞いていると、本当に心に刺さって、「あなたにしかできない教育がある。あなたみたいな人にこそ教育をやってほしい」と思わず言ってしまいました。
その時は「そんな話よりも内定を探してくれ」と言われてしまったのですが、後日その方から連絡があって、「福島さんが初めて自分の可能性を信じてくれて、本当に嬉しかった。教育改めて頑張ってみることにしました。」といってもらえたんです。そこで、人の可能性ってすごい、教育に人生経験はいらない、と気づけたんです。その時、やっと会社をやめる決断をしました。
そして退職届を出そうとしたその日に、なんと社長が脱税で逮捕されてしまいました。給料の半分出すので就活してくださいと言われ、結果的には強制的に転職する運びとなってしまいました(笑)。その日以降はクライアントさんへの謝罪に追われ、「お前の謝罪なんて価値がない」とボロクソに言われていました。その時、絶対に価値のある人間になってやる、と決心しました。
「勉強を教えない学習塾」へ
その後、どのようなお仕事が見つかりましたか?
大学時代の先輩で夏目(弊社代表)と当時事業立ち上げをしていた方が、「俺と一緒にやろう」と声をかけてくださったことがきっかけで、金沢で「勉強を教えない学習塾」の2人目の社員になることを決心しました。
この仕事は、私にとっては本当に天職でした。高校生と週に1回面談をしながら勉強のPDCAを回すお手伝いをしたり、コーチングという人の話をきくスキルを使って将来について一緒に考えたり、面白い大人の方に塾にきてもらって話をしてもらったり、
一緒に焼き芋屋さんをやったり(笑)。色んな挑戦を生徒たちとやっていく中で、誰かの選択肢が目の前で広がっていく瞬間が本当に大好きでした。
それから3、4年経ったとき、会社の代表の意向で、「勉強を教えない学習塾」は解散することとなりました。解散から1ヶ月ほどたって、転職先も決まりかけていた時、夏目から急に電話が来ました。
「全国に飲食店を何百店舗もだしたいから手伝ってほしい!俺には事業を大きくする才能があっても、チームをつくる才能がない。俺を助けてほしい」と言われて、決まりかけていた転職先で働き始めるまでの半年間、夏目が名古屋にopenしていた3pigという飲食店のお手伝いをすることになったんです。
アンナビに残る決心
お店のお手伝いが、どのように今に繋がっていきましたか?
3pigが成長するにつれて、私は3店舗統括の現場マネージャーを務めるようになりました。そんな時に急に「SNSの事業を立ち上げたいから、みんなで東京に行こう!」と言われました。そして、私は以前内定していた転職先を断って、東京で一緒に働くことにしたんです。
どうして内定先を断って、アンビエントナビに残ることにしたのですか?
ものすごいスピードで進んでいく夏目がどこまでいくのか見たかったからかもしれません(笑)。この人の選択肢を増やす手伝いがしたいなぁと。
そして何より、一緒に働く仲間がいたことが大きかったです。杉浦や永澤や甲斐(現弊社社員)といった、私と一緒にがんばってくれるみんながいて、嬉しい、このまま一緒に成長したいという気持ちもすごく強かったです。
アンナビに残ることにして、結果、今どのように感じていますか?
正直、「勉強を教えない学習塾」は1:1で選択肢を渡せてやりがいをとっても感じやすい環境でした。でも今は組織の根幹に携わり、仕組みや文化をつくる過程に携わることで
「一人でも多くの人にひとつでも多くの選択肢を」を1:Nで体現できる職場だなと感じています。
個人や会社の成長を見ていくことが、すごく楽しいです。
人の可能性を信じるカルチャーの中心に
これからアンナビを、どんな会社にしていきたいですか?
「人の可能性を信じられる会社」にしたいです。アンナビの一番好きなところは、ミスを誰かのせいにしない(仕組みのせいにする)ことです。そして弊社のビジョンは「いい人をつくり、いい会社をつくる」。いい人をつくるためにも、誰かの可能性を否定しない、凹凸を認め合える会社をつくっていきたいです。
まなさんはアンナビの中で、どのような存在でありたいですか?
せっかく最近人事部兼新規事業部に異動になったので、「失敗してもええやん」文化の中心の存在でありたいですね。
みんなが挑戦をためらわないような仕組み、環境をつくります!
まなさん、ありがとうございました!