↑先日会社の忘年会があった。普段なかなかゆっくりと会社で話す機会がない中で、お酒を飲み交わしながらざっくばらんに色々と話をした。
水虫の薬を顔に塗る
大学の学部卒業式の時、晴れの門出を祝してということである教授はおもむろにそんなことを語り始めた。顔に出来物ができた時、医師に相談すると、すごくよく効く薬があるんですよと言われたので、言われるがままにうんうん頷いて薬を処方してもらうと「ま、実はそれ水虫の薬なんですけどね」と添えられて、驚いたという話だ。
水虫の薬を顔に塗る???と半ば興味本位で彼は実際に顔に塗ってみたらしい。すると、これが意外と効果覿面で顔の出来物は随分よくなったとか。恐るべしや水虫の薬。なんでも水虫の薬の抗真菌成分が有効に働くとか働かないとかそんなことらしい。
*実際の使用には十分な医師の診断の下用法用量を守ってご使用頂きたい。
いやいや、晴れの卒業式で突然なんの話をするんだこのおっさんはと思ったが、常識を疑えという話だ。普通に考えて水虫の薬は顔に塗らないし、どちらかというと塗りたくないが、常識を疑うと人生楽しいぞと面白おかしくおっさん教授は続ける。
「まっすぐなへそ曲がりになりなさい」
そんなことを彼は最後に言う。みんなが右に行くなら左、黒と言えば白、「きれいはきたない、きたないはきれい」とシェイクスピアのマクベスの一節を諳んじるようにしてまっすぐなへそ曲がりになることを薦める。「まっすぐ」ということと「へそ曲がり」。このどちらも大切らしい。ただ馬鹿正直に「まっすぐ」でもダメで、頑なな「へそ曲がり」はただただ扱いづらい。「まっすぐなへそ曲がり」というこの微妙なバランスが大切だとのことだ。
この話を今でもチャリンコで走りながら時々思い返す。仕事柄人生の先輩たちの種々雑多な人生の形に触れる機会が多いが、いざ自分の人生をどういうふうにして過ごして行きたいかを考えるといつもこの話が思い出される。仰々しく人生を語れるほどに生きてはいないが、ぼくの人生において大切にしたいこと。それはどうやら「水虫の薬を顔に塗る」ということと根深く関係がありそうだ。
何をもって憶えられたいか
私が十三歳のとき、宗教の先生である牧師さんが 『何をもって憶えられたいかね』と聞いた。誰も答えられなかった。すると、『答えられると思って聞いたわけではない。でも五十になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ』といった。
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今日でも私は、いつもこの問い、『何をもって憶えられたいか』を自らに問いかけている。これは、自己刷新を促す問いである。自分自身を若干違う人間として、しかし、なりうる人間として見るよう仕向けてくれる問いである。」(ドラッカー「非営利組織の経営」より)
人生について考える時、上のドラッカーの言葉を繰り返し問い直す。弊社では若者育成プロジェクトとして3〜5年の期間介護を経験しながら、様々な社会課題に触れ、介護のみならずマネジメント、ブランディング、マーケティング等々の経験を積み、自分は果たして「何をもって憶えられたいか」を問い続けていこうとやっている。
もちろん、今すぐに明確な答えというのは得られるものではないだろう。けれど、血反吐を吐きつつ試行錯誤しながら次第次第に問いの答えは明らかになってくるものではないかと楽観的に今は考えてもいる。
自分は何をもって憶えられたいか?難しくて、よくわからない。ただ、ぼくの人生においては「水虫の薬を顔に塗る」ようなちょっと変だけど、おもろい人として憶えられたいのかなと漠然と考えてもいる。
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「何をもって憶えられたいか」について考える時、教育改革実践家で元リクルート社フェローの藤原和博氏の語る「希少性」は常々参考にしている。
同氏は20代から30代の前半でまずは100人に1人の希少性のある人材を目指して欲しいと語る。その上で別のキャリアでまた100人に1人を目指し、1/100×1/100=1/10000といった希少価値を高めていこうという話だ。
100人に1人を目指す上で必要な時間を同氏は1万時間とし、人間は一つのことを1万時間やり続ければ大体においてマスターできると語る。1万時間というと気が遠くなるが、単純計算で仕事の時間を当てはめるとこの時間は3〜5年ということになる。
今、一つの足がかりとして介護の仕事をしている。3〜5年。長いようだが日々に追われていると瞬く間に時間が過ぎ去っていく。楽観的にも気を引き締めなければ。ぼくは未来おもろいおっさんになりたいのだ。
自分が好きで、続けられて、センスがあることをやれよ
昔、進路に悩んで右往左往していた頃、先輩から「自分が好きで、続けられて、センスがあることをやるしかない」と言われたことがある。そんなこと言われてもと地団駄を踏みながら今日まで生きているのだが、あまり難しく考えすぎず、自分がなんとなく続けていることはなんだろうと問い直してみることにした。
昔からことある毎に文章を書いてきた。それは時に痛々しいポエムで、時にかっこつけた駄文で、他人様に見せたらあーヤバい人だーとなりそうなシロモノなのだけれど、どうやらぼくは書くことが好きなのだ。センスはないけど。
そしてまた人の話を聞くのも好きだ。色々な人の生き方を聞いていると本を読んでいるようで夢中になることがある。これもまだまだ素人に毛が生えたくらいだけれど。
介護をやっているぼくがいる。自分にとっては常識を疑うもなにも予想の斜め上どころか異世界の話のようでもある。ま、人生そういうもので、恐らく自分では考えもしなかったところに飛び込んだ方が人生楽しい気がしている。
そんなまとまらないことを考えながら、今日も人生の先輩たちに教えを請いに行く。