Aya Kitano
認定NPO法人very50理事・組織人材開発担当として働きながら、大学院博士課程にてインドネシアの社会開発を研究。修士課程では「人間の安全保障」をテーマとしてバングラデシュの社会開発について専攻。卒業後、ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人にて9年間、人事企画・部門担当人事・採用(新卒・中途・MBA)などを経験。小6〜中1までインドネシア・ジャカルタで暮らした経験から、自分も国際協力の現場で貢献できる人物になりたいと思い、日々研鑽を積んでいる。
very50に入るまで
■インドネシアでの原体験
5人兄弟の一番の上、長女として福島で育ちましたが、小学校6年生のときに父親の仕事の都合で、インドネシアのジャカルタに住むことになりました。今振り返ってもこのときの経験が自分の人生に大きなインパクトを与えたと思います。
当時のインドネシアは大きな社会的暴動が起きる前で、駐在で来ている日本人も多く、まさに成長の真っ只中という感じでした。猛スピードで社会が発展している一方で、自分とほぼ同い年の子がストリートチルドレンとして道端で働いている現状を知り、大きな衝撃を受けたのです。
ストリートチルドレンの過酷な事実とは対照的に、駐在員の家族として来ている自分は、大きな家に住み、ドライバー付きの自家用車もある。なぜこんなことになっているのか、自分とあの子のとの違いを生んでいるものが何なのか、当時の自分には理解することができませんでした。
その後中学2年生になったタイミングで日本へ帰国。今度は三重県の公立中学校へ通うことになりました。自由闊達で多様性に溢れていたジャカルタの日本人学校と、典型的な日本の公立校という雰囲気の違いに多少のカルチャーギャップを感じることもありましたが、私を理解してくださる先生方にも恵まれて、少しずつ新しい環境に慣れていきました。それでも私の中ではいつも、ストリートチルドレンの姿を忘れることはありませんでした。
中高時代は、弁論大会や英語スピーチによく出場していました。題材は毎回、ストリートチルドレンについて。私が現地で考えたことを伝えたいという思いでした。当時は"帰国子女"という存在が珍しかったのもあって、周囲からは「また意識高いこと言ってるな〜」と思われていたような気がします。笑
■国際協力に関わる仕事を目指していた学生時代
そんな中高生だった私は、典型的ですが、緒方貞子さんに憧れていて、緒方さんが出演するテレビ番組をみたり、書籍を読んだりといったことをしていました。「いつか自分も国際協力に関われるようになりたい」と考えるようになったのも、この頃でした。
奈良県の私立高校を卒業し、お茶の水女子大学へ入学のタイミングで上京。フランス文学を学びながら、中学生の頃に出場した弁論大会の運営に関わったり日米学生会議に参加したりと、ここでも典型的な、いわゆる"国際系"の大学生だったと言えるかもしれませんね。笑
夢中で様々な活動をしているうちに就職活動のタイミングに。国際協力に関われる機関への就職を志望していましたが、ご縁が実らず合格できず。世界を舞台に仕事をしたいという思いに切り替えて、いわゆる有名企業を中心に受けていました。
そんな中、ある企業から内定をいただきほっとしたものの、「本当にこのまま社会に出て良いのだろうか?」という思いが湧いてきました。ジャカルタで知ったストリートチルドレンのこと、その問題の根本となる世界の現状について、私はまだしっかり考え抜けていない。「納得が行くまで勉強しないと、いつか後悔しそう」と直感的に感じました。悩んだ末に内定を辞退し、ずっと興味・関心を持ってきた国際協力の研究をするために、猛勉強の末、専攻を変更して大学院に進学しました。
大学院では、「人間の安全保障」をテーマとして社会開発とジェンダーについて研究しました。国連工業開発機関(UNIDO)でボランティアをしたり、バングラデシュへフィールドリサーチに出かけたりと、まさに研究漬けの毎日。やりたいこと、考えたいことに没頭した2年間でした。
■ジョンソン・エンド・ジョンソンでの9年間
とは言っても大学院は2年間しかないので、1年経つとまた就職活動のタイミングが来ます。当然ながら価値観はそんなに変わるものではありません。それでも、有名企業をとにかく受けていた学部時代に比べると、自分自身の分析や、企業を選ぶ軸はだいぶブラッシュアップされていたような気がします。職種でいうと特に”管理部門”を志望していました。国際開発のプロジェクトを研究する中で、技術の普及だけでなく、そうした技術を人々の間にうまく根付かせるための仕組みや仕掛けが重要ということを実感しました。ビジネスでも同様に、モノを作って売る仕事の裏に存在する様々な仕組みと、それを動かすたくさんの人々がいるということを知り、興味を持つようになったのです。
人事や経理、サプライチェーンといったメーカーのバックオフィスに特化して面接を受け、ジョンソン・エンド・ジョンソン(以下:J&J)から内定をもらいました。海外展開している日系企業と最後まで迷いましたが、グローバルな風土で社員一人一人がいきいきと活躍している様子に魅力を感じ、J&Jを選びました。
入社後は人事部門配属に。しっかりしたフィロソフィーを持ちながらも新しい仕組みをどんどん取り入れて変化を続けていく会社の中で、人事制度企画・採用・部門担当人事・アメリカ本社でのアサインメントなど、幅広い業務を担当しました。人事のプロフェッショナルとして、またビジネスパートナーとして、必要なマインドセットを一から徹底的に育ててもらったように思います。周囲の環境や人々に恵まれて、気づけば勤続9年間。本当に魅力のある会社・人・仕事でした。
■国際協力への情熱を思い出し、MoGへ
日々仕事が充実する一方で、元々の自分の夢だった国際協力の道とはどんどん距離が離れていくことも感じていました。世界を舞台にして仕事をするという目標は叶ったものの、途上国との接点はどうしても希薄になってきました。仕事が面白かったからこそ、夢中になりすぎてしまって、「途上国が今どんな状況なのかわからない」という課題感も漠然と抱えるようになりました。
そんなときに知り合いから「MoGというプログラムがあるよ」と教えてもらいました。調べてみたらちょうどそのとき募集されていたのがインドネシアのプロジェクト。「小学生以来、20年ぶりのインドネシア、これは参加しなければ!」と思い、MoGへ申し込みをしたのがvery50との出会いです。
★ MoG(モグ:Mission on the Ground)とは?
very50の代表的なプログラムです。国内・海外のソーシャル・ビジネス(社会企業や事業家:チェンジメーカー)の経営課題を題材として、高校生や大学生が社会課題の解決に取り組みます。詳細はこちら。
MoGで訪問したインドネシアの村で、偶然にも私と同い年である女性社会起業家のニーナと出会いました。MoGのプロジェクト自体はもちろん刺激的でしたが、それ以上に私にとっては、ニーナと個人的に組織経営について語り合ったことが強く印象に残っています。ニーナは、リーダーとして事業を経営する中で、組織や人事に関して様々な悩みを抱えていました。お互い同い年で話しやすく、かつ私が企業人事の経験者ということもあり、夢中になって人事組織の戦略について議論しました。
「自分がこれまでやってきたことが、現地の起業家に必要としてもらえる」と実感できたこの経験は、私にとって非常に大きなものでした。また、「この人のため、組織のために、自分の経験を総動員して少しでも力になりたい」と素直に思えたことも新鮮な気持ちでした。このMoGをきっかけに「自分の経験を必要としてくれる人のそばで、何か役に立てるような仕事がしたい」と考えるようになりました。
同じタイミングで、J&J内で兼ねてより目標としていたアジア・パシフィック所属のポジションにアサインをもらうことができました。1年間の任務をやり遂げた時、「私が人事というフィールドでやってみたかったことは一通り経験させてもらうことができた。この経験を糧にして、国際協力のフィールドへ挑戦しよう」と決心し、J&Jを退職。大学院修士課程の頃から考えていた博士論文の執筆のために、大学院の博士課程を受験することにしました。研究計画を練り受験対策に集中していた頃、very50スタッフから「ごはん行きましょう」とメッセージが。代表とスタッフが食事をしながら熱く語ってくれたvery50のビジョンと思いを聞いて、「このリーダーたちの熱い思いを形にしたい」と強く思いました。当時まだ受験を控えていましたが、このタイミングもきっと何かのご縁と思い、博士過程への進学と両立しながらvery50で働くことを決めました。
very50に入ってから
■はじめにやったこと
2017年の夏からvery50にジョインしました。最初に行った仕事は、高校生向けのMoGプログラムに「内省」の時間を設け、仕組み化するということでした。途上国を訪れて様々な体験をするMoGの中で、現場から得られた様々な経験や感情を、ゆっくり振り返ったり、咀嚼して自己理解を深めることに繋げるような仕組みが無いということを課題に感じていたからです。
内省プログラムは、その年の冬から運用を開始しました。導入の意義や手法など様々な意見があり、一つの形にまとめることは難しかったのですが、スタッフや大学生インターンがコンセプトを深く理解してくれて、議論を重ねながら一緒に創り上げることができました。実践を繰り返す中で少しずつ効果も実証され、組織全体として、こうした内省の機会が重要であるという共通認識を持つことに繋げることができたと思います。現在でも、プロボノやインターンの経験やアイディアを反映しながら、ブラッシュアップを繰り返して運用を続けています。
また、自身の人事経験を活かし、very50の組織づくりという点にも取り組みました。それまでスタッフ2名のみという体制だったので、双方の意思疎通のみで成立していた業務も多くありました。しかし、私が入ったタイミングでもう1名スタッフが増えたこともあり、組織全体として目線合わせの必要が生じたのです。そこで、スタッフ全員で合宿を行うことにしました。ライフマップを書いて相互理解を深めたり、今後の経営ビジョンについて語り合ったりなど、メンバー全員で共有できるビジョンを創るための場づくりを行いました。チームとして向かうべき方向性を皆で確認し、やるべきことをタスクとして洗い出し、各人の強みや関心を活かした役割分担を行うことができたように思います。こうした場づくりは、前職で数十人規模のチームとして行っていた方法を参考にしたものでしたが、very50のような小さなチームでも大きな効果を得ることができ、私自身の人事経験としても一つ、良い学びの機会となりました。
■大企業から、仕組みの"し"の字もない環境に
大企業から、小さなチームであるvery50へ移ってきて、大きな衝撃を受けたこと。それはなんと言っても、当時のvery50には仕組みの"し"の字もなかったことです。あらゆる業務がうまく仕組み化できていない状況でした。前職で業務プロセスや分担が比較的しっかりと整備された環境で育ってきた当時の私にとって、それはまさにカオス。笑 そこからは、それが自分の専門か否かはもはや関係なく、とにかく片っ端から仕組みづくりをすることにしました。地道な作業も多かったですが、とにかくゼロからのスタートでしたので、一つずつ形になっていくというプロセスは素直に面白かったです。また、こうした一つ一つのインフラ整備が、組織の成長にリアルに繋がっていくという手応えを感じることができたことも、良い経験になりました。今ではスタッフ内での理解も大幅に深まり、仕組み化もかなり浸透しました。大企業と比べて成長は2倍速、3倍速、あるいはそれ以上のスピードだと実感します。
■アイデアの源泉に水路を作る
一方で、私個人のマインドセットとして、小さなチームに来たのだから、”大企業的発想”からできる限り脱却しなければならないということも実感しました。コンプライアンスをはじめ、組織として確実に守るべきことを当然厳守した上で、目指すビジョンに向けて、いかに柔軟に動ける体制を作れるかが勝負だと感じます。ときには既存の枠組みを鵜呑みにするのでなく、パラダイムシフトを仕掛けることも必要。大きな組織で育ててもらった価値観を大切にしながらも、守るべきラインと挑むべきラインのバランスをいかに見極め、両立していくのか。そういった挑戦と日々向き合っています。
こうしたバランスを取ることは簡単ではありませんが、アイデアを形にしていく現場で求められるのは、まさにこういうことなのかなと思います。今のvery50は、源泉からアイデアが無限に湧き出てくる感じ。私の仕事は、その湧き出るアイデアを少しでも多くの人々へ届けられるよう、水路を作っている大工のようなイメージです。たくさんのアイデアが水路を通じて人々の元へしっかりと届き、そこからまた更に新しい発想を生み出してもらえるような、そんな仕事ができたらと思っています。
これからvery50で成し遂げたいこと
■私だからこそできることをしたい
私がvery50で働くことになったきっかけは、MoGに参加して、現地の社会起業家と出会ったことでした。もっと遡れば、小学生の時のストリートチルドレンとの出会いが、私を今の環境に導いてくれたように思います。これから未来を動かしていく若者の皆さんにも、自分の知らなかった世界に足を踏み入れるという体験をぜひしてほしいと思っています。そのために、私だからこそできることに精一杯取り組みたい、というのが私の思いです。
今、very50では高校生を中心とした若者を対象としてMoGを開催しています。正直、very50に入ったばかりの頃は、あえて高校生を対象とする意義を十分に理解しきれず、「高校生が途上国へ行ってどんな効果があるのだろう?」という思いを持ったことも正直ありました。でも、スタッフとして高校生を引率したことをきっかけに、その気持ちが大きく変わりました。社会問題の現場で、これまで経験したことの無い難しい問題解決に挑む高校生たちが、様々な試行錯誤を重ねながらも、大人顔負けの発想力・行動力を発揮する姿を目の当たりにして衝撃を受けました。たった数日で大きな成長を遂げる高校生たちの無限大の力と、そのことが現地の社会起業家にもたらすインパクトの大きさを実感し、国際協力と人材育成という両方の意味で、MoGが持つ意義を再確認することができました。
同時に、高校生にとってこうした挑戦の機会が、あまりに不足しているという現状も見えてきました。多様なオトナのロールモデルと出会えるような機会も、非常に限られているように思います。私は教師ではないけれど、だからこそできること、やるべきこともあるのではないかと感じます。これからも団体として、若者たちに挑戦の機会を提供できる存在でありたいと思いますし、私自身、若者たちにとって一人のロールモデルとなれるような、挑戦し続けるオトナでありたいと考えています。
■"創り上げること"を楽しめる人と一緒に働きたい
今のvery50に向いてると思う人をあえて挙げるなら、やりたいと思ったことを自ら行動に移せる人かなと思います。やりたいと思うことはできても、実際に行動に移すことはそう簡単ではありません。でも、very50のこれまでを振り返ると、何かをやってみたいと思う誰かがいて、そう思う本人が自ら行動に移し、それが周囲の共感を呼び、様々な活動が創り上げられたきたように思います。これがvery50の原点であり、very50らしさなのかなと思います。だから、そんな雰囲気に共感してワクワクしてもらえる人に集まってもらえたら嬉しいなと思っています。
まだまだ試行錯誤の小さな組織ですが、このフェーズだからこそ生まれる面白さがたくさんあるし、できることがたくさんある。very50というステージでどんなことに挑むのか、それは本当に自分次第なんだと思います。「よし、やってみよう!」という思いとスピード感を共有できて、皆で何かを"創り上げること"を楽しめる方と一緒に、very50の面白い未来を描いていきたいですね。