インタビュー記事をご覧いただきありがとうございます。人事部の竹内です。 今回は、海外でプロのバレエダンサーとして活躍した後にブルードへ入社、現在はマーケティングチームのリーダーを担う藤村さんにインタビューしました。
藤村さんは、元々スペインやハンガリーのプロバレエ団で舞台に立つバレリーナ。世界中のバレエ団100社にオーディションを申し込み、合格を勝ち取ったのはわずか1社という極限の世界で、心身を削ってひとつの道を極め抜いてきたメンバーです。
入社後は世界で戦い抜いてきたプロとしての「やり抜く力(GRIT)」と「傑出した基準の高さ」を武器に、泥臭く猛烈なインプットを敢行。入社わずか半年でフィリピン出張の大役に抜擢され、重要な局面において次々と期待役割以上の活躍をしてきました。
現在は入社1年半にしてマーケティング組織のリーダーへと駆け上がり、YouTubeチャンネルの事業責任を持ちながら、採用、育成、マネジメントまでを幅広く牽引。「マーケティング組織を今の3倍の規模に拡大し、より多くの人に『ライフチェンジ』を届ける強いチームを作る」という高い目標に向かって日々奮闘しています。
ビジネスの世界でもプロフェッショナルさを貫く藤村さんに、「なぜバレエを手放し、未経験からブルードを選んだのか」「最速で成長してきたプロとしての努力論」、そして「セカンドキャリアへ悩む人への熱いメッセージ」を伺いました。
藤村さんの圧倒的な熱量と、一流のプロフェッショナルとしての「基準の高さ」にぜひ触れてみてください。
幼稚園で高校数学を解く少女。「何でもできる器用貧乏」を捨て、バレエに人生を懸けた理由
ーーお願いします!藤村さんの幼少期のお話を聞かせてください!
2人姉妹の姉として生まれ、周りからはよく「しっかりした子だね」と言われていました。幼少期には習い事として公文とバレエ、それに水泳もやっていました。
実は公文では毎年表彰されていて、プリントをどんどん進めていたら、幼稚園のときに高校レベル(数3)の数学まで終わっていたんです(笑)。
水泳でも、6歳のときに全国レベルの選手権に出場して3位になったこともあります。
ただ正直、自分では生まれつきの才能だとは全く思っていなくて。単に「できなかったことができるようになる過程」がすごく楽しかったんだと思います。
根はものすごく負けず嫌いなんですよ、私。
でも、常に「昨日の自分」と戦っているような感覚だったので、「あの子に勝ちたい」とか誰かと比べた負けず嫌いではなくて、完全に自分の中でのゲーム感覚という。
ーーその後、バレエへ本腰を入れ始めたのはいつ頃だったのでしょうか?
本腰を入れ始めたのは、少し早く将来の進路を考えるタイミングがあった中学2年生の時です。ふと「何でもそこそこできる『器用貧乏』にはなりたくない。私は何か一つのことを極めたい」と強く思って。自分が一番やりたいことは何かと自問自答した結果、答えは「バレエ」でした。
そこからガチでやると覚悟を決めて、生活は一気にバレエ中心になりました。朝6時に起きて学校へ行き、16時に授業が終わるとそのままバレエ教室へ直行。18時から22時までみっちりレッスン。帰宅は23時で、そこから学校の宿題をして深夜24時に寝るという生活を週5日でこなしていました。期末テストの前なんかは睡眠時間も削られて本当にしんどかったですが、不思議と「辞めたい」とは思わなかったんですよね。つらいことよりも、バレエを踊る「楽しさ」や「好き」という気持ちが完全に勝っていたんです。自分が決めた道を極めるための努力は苦にならない。今もこの感覚はずっと変わっていないかもしれないですね。
17歳で単身キューバへ。その後100社不採用の絶望の中で掴んだプロへの切符。
ーーそこからなぜ単身でキューバへ渡って、また、言葉も通じない過酷な環境をどのように乗り越えていったのでしょうか?
きっかけとしては高校2年生のときです。「海外でプロのバレエダンサーになる」という目標ができました。日本だとバレエで生計を立てるのは難しいですが、海外なら公務員のような扱いで固定給もインセンティブも出るので、自分の力で生きていくなら海外しかないと思ったんです。
ただ、現実は甘くなかったですね。中学3年生から目指していた全国コンクールに、高校2年生でやっと出場できたんですが、入賞にはかすりもしなかったんです(笑)。
「あんなに練習したのに、上にはこんなにもレベルの高い人たちがいるのか、、、」と自信をなくすこともありました。
その時に「このままじゃ絶対にプロにはなれない。もっと自分を追い込まないとダメだ」と痛感しました。なので、あえて日本人が一人もいなくて、絶対に甘えられない環境に身を置こうと決意し、17歳で単身キューバへ渡りました。
言葉の壁も本当に過酷でしたね。スペイン語は独学で3ヶ月勉強しただけで行ったので、最初の3ヶ月は何も聞き取れず、記憶がないくらいです。レッスンで言葉は分からなくても、「これができないなら日本に帰れ」「ここにいる意味がない」と毎日怒鳴られているニュアンスだけは痛いほど伝わってきて、それがすっごくつらかったですよ(笑)。
でも、その時に「くそ食らえ!」と反骨心に火がつきました。先生が怒鳴る中で何度も繰り返される単語をメモしては後で調べ、少しずつスペイン語を覚えながら、あとはひたすら自主練に打ち込んで、意地で乗り越えました(笑)。
ーー本当にタフですね…。その後、プロのバレエ団への就活が始まりますよね。
はい。でも、ここからが本当の地獄でした。嘘偽りなく世界中のバレエ団を100社受けたんです。パソコンの画面に向かって、自分のバレエ動画とレジュメをひたすら送り続ける毎日。
でも、待っていたのは無数の「不採用通知」でした。書類と動画の段階だけで、50社から容赦なく落とされたんです。残りの50社はというと返信すら来なかったです。(笑)
ーー約100社からへの落選。世界中から拒絶され続けるような感覚ですよね。精神的にかなり堪えたのではないですか?
もう、心が完全に削り取られていくようでした。「うちには必要ありません」と冷たく突き返されるたびに、幼い頃から血の滲むような思いで積み上げてきた努力や、私という人間の存在価値そのものを、真っ向から全否定されているような感覚に陥っていました。
私は高校卒業後に単身で海外に行ったので大学にも進学せず、親に高いお金を出してもらって3年間もキューバに留学させてもらっている。それなのに、プロにもなれずに「ダメでした。ごめんなさい。」と日本に帰るなんて、絶対に許されない。自分の後ろにはもう道がなくて、断崖絶壁に立たされている気分でした。
だから、死に物狂いで受けまくるしかなかったんです。周りの留学生たちもみんな同じようにオーディションに必死で、ライバルでもあるから、弱音も吐けないし誰にも相談できない。異国の地の寮で一人、プレッシャーと孤独に押し潰されそうで……正直、あの時は鬱になりかけていましたね。
ーーその暗闇の中から、どうやって光を掴んだんですか?
とにかく止まっている暇はなかったので、なけなしの気力を振り絞って、書類が通ったバレエ団の現地オーディションへ向かいました。ヨーロッパ中を飛び回って、最終的に現地で受けられたのは8社くらい。そして……本当に最後の最後、スペインのバレエ団1社だけが、私に「合格」を出してくれたんです。
ーーその合格通知を受け取った瞬間は、どんなお気持ちでしたか?「やった!」という歓喜でしょうか?
それが、意外にも「嬉しい!」という喜びよりも、ただただ「安堵」だったんです。極限まで張り詰めていた糸がプツンと切れたように、「ああ……これで、生きていける。日本に帰らなくて済む」って。歓喜というより、深い深いため息が出ましたね。
そこからスペインで1年、その後ハンガリーのバレエ団へ移籍して1年。夢にまで見たプロ生活でしたが、現実は想像を絶するほどタフでした。週5〜6日は過酷な練習が続き、公演がある日は朝11時から夜23時まで踊り続ける。そんな毎日が始まりました。
アキレス腱断裂による引退決断。そこで見つけた「海外×ライフチェンジ」という新たな道
——そこから、どのように引退を決断されたのでしょうか?
引退を考え始めたのはアキレス腱断裂という怪我がいちばんのきっかけでしたね。アキレス腱が切れた瞬間は頭が真っ白になりましたが、「絶対に治して、また舞台に立ってやる」としか考えていませんでした。でも、リハビリを続けながら時間が経つにつれて、ふと「10年後の自分」をリアルに想像してしまったんですよね。
バレエダンサーの寿命は短くて、30歳くらいで引退する人がほとんどです。じゃあ、自分が33歳になったとき、一体何をしているんだろうって。もちろん、バレエの先生として教える側に回る道もありました。
でも、私の性格上、生徒に教えているだけなんて無理だと分かっていました。舞台の袖から誰かが踊るのを見ていたら、「私に踊らせて!」って、絶対に自分がスポットライトを浴びて踊りたくなっちゃうんですよ(笑)。根っからの負けず嫌いだし、見ているだけは絶対にいやなんですよね。
だから、中途半端にバレエの世界に残って過去にすがるくらいなら、いっそすべてをスッパリ手放そうと思いました。そして、自分が再びプレイヤーとしてゼロから熱狂できる「全く別の道」、つまりビジネスの世界で勝負しようと決断したんです。
——バレエを辞めてビジネスの世界へ進むと決めた後、どのように次のキャリアを選んでいったんですか?
大卒の資格も職歴もない私に、大手の営業マンである父が「コネで就職先を探してあげるよ」と言ってくれたんですが、すぐに断りました。学歴社会の日本で、大学にも行っていないバレエだけをやってきた自分が、経歴エリートの人とまともに戦ったら負けるから、スタートアップに入って自分で切り開いて実力をつけるしかないと思ったんです。
人生を振り返ったときに自分を一番大きく変えてくれたのが「海外」での挫折や困難でした。なので自ずと『海外×ライフチェンジ』の軸でブルードがヒットしました。
大学受験をして普通のレールに乗っていたら、今の自分にはなれていない。なので「レールを外れたとしても、自分がやりたいことならやってみる選択肢もあるんだよ。それがライフチェンジのきっかけになるんだよ」と伝えたくてブルードへの入社を決めました。
ーーなるほど、そこでブルードと出会ったんですね。未経験からスタートアップに飛び込むことに不安はなかったですか?
不安はありましたよ。今は何もできないのも分かっていたけど、「未来の自分に対しては、ちゃんと期待をしてあげようよ。」と、自分を信じてやり切ると決めていました。
そんな中でブルードの選考を受けてみたら、最初のカジュアル面談で「この人たち、本気だ」と直感しました。会社に対する想いから本気度が伝わってきて、向かっている方向性が自分と同じだと、「ここだ」と入社を決意しました。
PC初心者レベルからのスタート、「量とスピード」で最速で駆け上がる逆転劇
ーービジネススキルがゼロの状態からスタートして、入社直後はかなり苦労されたそうですが、周りとの差をどう乗り越えていったんですか?
もう最初は本当にやばかったですよ(笑)。お恥ずかしながら、パソコンの基本操作すら知らなくて、「Command+C = コピー」だってことも知らなかったし、会社のデータベースの関数をうっかり壊してしまうレベルでした。
忙しい中関数を直してくれた方々、本当にありがとうございました。(笑)
最初に取り組んだインサイドセールス業務でもアポが1件も取れなくて。ふと隣を見ると、リクルートでMVPを取った人や京大院卒の人がいるわけです。最初の2週間で「あ、明らかに自分だけ仕事できない。やばい。」と痛感しました。スキルがないから仕方がないのはわかってるんだけど、できない自分がめちゃくちゃ悔しかったんです。
だから、とにかく「量」をこなすことでカバーしました。休まずにずっと仕事に向き合って、一回言われたことはその場で必ず吸収する。会社のツールやデータベースをあさって、インプットしまくりました。私にはそこでしか勝ち目がないと思っていたんです。特に意識していたのは「スピード」。インプットからアウトプットまでのサイクルを速くすることだけは、意識していました。
ーーそこで、バレエで培った「一つのことを極める」という経験が活きたのでしょうか。
直接的にバレエのスキルがビジネスで使えるわけじゃないです。でも、「努力の仕方」は知っていました。毎日朝6時から深夜0時まで練習する習慣があった私にとって、圧倒的な「量をこなす」ことへのハードルは越える自信があります。
ーー入社半年で念願のフィリピン出張という大役を任されたそうですね。
はい、フィリピンの学校との関係構築が主な目的だったんですが、海外に行きたかったのですごく嬉しかったです。帰国して3ヶ月後には2回目の出張に行かせてもらい、今度はオフィスの新規契約という役割も担いました。
なぜ任せてもらえたかというと、ブルードでは努力を継続して頑張れる人には、いま実力がなくてもちゃんと期待役割が回ってくるんだと思います。
結果がすぐに出なくても、自分ができることを最大限やって仕事に真っ直ぐ向き合っていた、その姿勢を会社が評価してくれたんだと思います。 世の中には頑張る人が浮いてしまう環境もあるかもしれませんが、ブルードは「マジで頑張るのが当たり前」の環境です。本気で頑張りたいと思っている人にはこれ以上ないくらい合っている会社ですし、前提として泥臭い努力ができれば、必ずチャンスを与えてくれる会社ですよ。
世界で一番「ライフチェンジ」を届ける組織をつくる。100社不採用の悔しさをバネに挑む、マーケティング組織の拡大
ーー現在、藤村さんはマーケティングチームのリーダーとして活躍されています。今はどんな壁にぶつかっていますか?
今はマーケティング、採用、育成、マネジメントを担っていて、YouTubeチャンネルからの売上責任も持っています。一番難しいのは、やっぱりマネジメントですね。バレエはずっと「個人競技」で、今まで1人で戦ってきたので。。。
1人で仕事をするのは簡単だけど、チームで動いた方が絶対に大きな成果が出る。「人と組織を動かす」こと、それが今の一番の課題です。
ーー藤村さんのこれからの目標を教えてください!
今は「マネジメントのプロになる」という明確な目標ができました。今期末までに、マーケティングの組織を今の3倍くらいの規模にしていきたい。オンボーディング体制や育成の仕組み化がまだ完璧ではないので、そこを整えて、世界で一番ライフチェンジを届ける会社のマーケティング組織を作りたいです。
責任は重いですが、絶対に逃げたくないし、決めたからにはやり切ります。
——最後に、セカンドキャリアへ一歩踏み出そうとしている人へメッセージをお願いします。
私は「何者かになりたい」とずっと思ってました。バレエの就活で100社に落とされて、自分の存在を全否定された感覚があった。でも、あの悔しさがあったからこそ、今ここで本気で挑戦できてるんです。
今、ビジネスのスキルがなくてできないことがあっても、未来の自分にはちゃんと期待してあげてください。プロの世界で積み上げた「努力の仕方」や「やり抜く力(GRIT)」は、絶対にビジネスでも最大の武器になります。大事なのは、「マジで」頑張れるかどうか。それだけです。
社長がよく言うんですが、就職活動は「どの船に乗るか」を選ぶこと。ブルードの船の一員として、一緒に本気で頑張ることに対して「面白い」「楽しい」と感じられる人がいたら、ぜひ一緒に働きたいです!!